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ブランコ

■安全と安心をお届けする ちろりん村 田子作社長の無添加?日記

 

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1996.7.31(水)晴れ

晴れ続きだが水は大丈夫かな?ちょっと心配だ。畑の野菜も暑いだろうなあ。天変地異の予徴か?何もかもがおかしい、こういうときはじっとしているに限る。的はずれな動きばかりが目につく、クワバラクワバラ。
 

1996.7.30(火)晴れ

死ぬときは家族や友人に見取られて死にたい、それ以上の幸せはないだろう。今の老人は不幸だ生きているのか死んでいるのかもわからないままベットに繋がれて、ケースバイケースがあるから一概には言えないが、私たちはもう少し考えたほうがいい。残されて家族にとっても大切な経験だし、仕事とは言え看護婦さんには過重な負担を強いるし・・・実は私達夫婦のばあさん二人が入院をしているのです。出産と死を病院から取り戻さなければ・・・。
 

1996.7.29(月)晴れ

卵の生産者の三好さんに久し振りに会った、いつ会っても卵と鶏の話しかしない、素敵な生産者である、最近息子の嫁があとを継いでくれるという話になってずいぶん喜んでいる。仕事の話をすませて、長男の怪我の見舞に松山に行く、ついでと言ってはなんだが親友の移転先を始めて訪問、古いお寺だが庭も広く素敵なお住まいだった。収入は殆どないのに上納金はシッカリとられるそうで生活は大変だ、でも真面目な夫婦だ、回りの檀家さんも放っとかないだろう、頑張ってください。ついでに息子も頑張れ!
 

1996.7.28(日)晴れ

専務の引っ越しの手伝い、久しぶりに汗をかいた、あちこち筋肉痛があるが気分は爽快。引っ越しもいいものだ、借家人の特権だ、同じところに永く住む人と移動しながら生活する人とでは、考え方も違ってくる。浮草が悪いわけでもあるまい。いろんな価値感があるほうが健全だ。今どき持ち家ですか?借家ですか?なんて聞くのは、間抜けな銀行ぐらいだ。
 

1996.7.27(土)晴れ

誰が考えたのかは知らないが、今日、私の大の親友からこんな電話があった。「大西さん!チェルノブイリの子供達って知ってるでしょう?彼等のために1日だけ断食をしてくれませんか?私も知り合いに頼まれてしたのですが次の人がいないのです、お願いできませんか?強制ではありませんけど・・・」彼は80何人目だそうで、沢山の賛同者がいればいるほどよいそうだ。私はもちろん原発に反対だし、ちろりん村では子供達にカンパもわずかだが送っている。しかしこれはないだろう、これでは「不幸の手紙」だ!「踏み絵」だ!回りの皆を不愉快にさせるだけだ。断食と原発の放射能のために癌で苦しんでいる子供達はなんの関係もない、断食が必要な人はすれば良い、するなとは言わない。嘘をついて引き受けることもできたが、そんなことをしてなんになるのだ。気持ちはわからないではないが、もっと皆が元気になれる方法を考えようよ。
 

1996.7.26(金)晴れ

ある高校の先生が来た、彼は大学を出ているそうで高校しか出ていない人は自分より能力が劣っていると信じている。どうも近ごろそんな先生が多いように思う、私の子供はどれもこれもあまり勉強はできないが、そんな先生の多い学校で勉強ができなくてもむしろそのほうが将来楽しみだ。反面教師とはよくいったものだ。子供の頃に勉強すると馬鹿になる!かもよ。
 

1996.7.25(木)晴れ

今日ホームページにカウンターを取り付けた、これで何人が見たかわかる。但し時々初期化してカウンターが0になるそうな。無料のカウンターだから仕方ないか!それにしては割合正確みたい。
 

1996.7.24(水)晴れ

高松のお母ちゃん頑張る!の巻。なんでも、8月4日、豊島に菅厚生大臣が来るそうで若いお母さん達が黄色い声を張り上げているそうな。その日の午後には高松にもやって来るのにわざわざデッカイ高速艇をチャーターしてアマゾネスよろしく豊島に乗り込むそうだ。これはみものだ!私も当日は早朝から太鼓を専務の西原とたたいて歓迎するつもりだが、なんか、知事が可愛そうになってきたなあ(同情はいらんか!)するつもりもない!。(太鼓の件は、そういう歓迎はしないということでできなくなりました『南無八幡菅菩薩』の登りが無駄になったなあ)
 

1996.7.23(火)晴れ

ちがう!O-157は不衛生だから広がったんジャない!人間の都合で自然界の菌を(良い菌とか、悪い菌とか)いじくったり、農薬という毒ガスを大地にばらまいたり、人間の匂いをフケツーとか言って、消してしまったり、蚤、ダニ、蚊、虱を、家のなかから駆逐するためにバルサンとかを焚いたり、・・・あまり勝手なことばかりしていると今にガイア(地球)が人間という厄介ものをひねり潰すだろう。共生というのは、人間だけの共生ではない。原発の温排水で瀬戸内海に閉じ込められた鮫が時々人間に警告はしているのに・・・みろ!原発の排水口を、回りは熱帯の魚だらけだ!人喰ザメと言われているメジロザメはもともと瀬戸内海にはいなかったのだ。
 

1996.7.22(月)晴れ

暑い!あつい!アツイ!毎日30度を軽く超える。でも、蝉はあまり鳴かないしトンボも見かけない、近ごろ昆虫が少なくなって、家のなかの、蚤とかゴキブリがいとうしくてしかたがない。
 

1996.7.21(日)晴れ

今日から曜日と天気を入れよう、一体何月何日なのかさっぱりわからなくなったので、予定も約束もパーだ!これからインターネットを始めようと思っている方は沢山いると思うけど、止めたほうがいいですよ、引き返せなくなるから。さて、夏休みに入って始めての日曜で午前中の店は開店休業です。午後からは海水浴帰りの家族が来たみたい。
 

1996.7.20(土)曇り

夏休み初日、祭日とはいえパッとしないお天気で店は結構売れました。あんまり良いお天気だと皆どっかへ出かけてしまって、お店になんか誰も来ないのだ!
 

1996.7.19

高松は無事台風が過ぎ去ったようだ、夕方少し強めの雨、それにしても最近の気候はおかしい、もっとも、おかしいのは人間のほうだ。私だって毎日つじつまの合わないことばかりしている、つじつまあわせの為に生きているわけではないが、この閉塞感はなんだろう?未来が震えているようだ、ほんの目の前で、誰にもわからないように。
今日、ハイムの大林さんが納入に来たので「寄ってかない?」と、声をかけた。面倒くさそうに二階に上がってきて、お互いの不登校児に付いて話した。似たような世代で、似たように疲れている、「とっしゃのう」(年だなあという意味)昔は酒を飲んでは、なぐりあいの喧嘩をした相手なのだ。自分の年を思い出した。彼女は顔に大きな痣を作っていた、「殴られたんと違うんで、転んだんや、酒も飲んでへんのに、なさけなやっ!笑わんといてな」と言って帰って行った。
 

1996.7.15/16/17/18

またまたずるしちゃったなあ、4日分まとめてかかなくっちゃあ・・・どうしてこのワープロはこんな変換もできないの?まあいいか読める門、今日は18日、明日は台風が来るそうな、しょうがないよ、昨日は、「豊島は私たちの問題ネットワーク」の集まりに行く予定が、うっかり忘れていた、ご免なさい。一昨日は、お米を使って(もちろん無農薬有機米)麺を作っている生産者へメールを出すのを忘れるし、先おとといは、何を忘れたか忘れてしまった。明日の日記を書いておこうかな!おおそうだ、大事なことを書き損じるところだった、専務が社内のパソコンをウインドウ図95でオンラインするそうだ、是非成功させて欲しい。期待している。この1年は社内のOA化を計ろうと専務も私も必死である、社員達には感謝している。
 

1996.7.14

注文をしたけれど、こちらに届いていないことがよくある。昨日も愛媛の会員さんからメールが届いているのに注文は来ていない、私の説明とホームページの作り方が悪いのだろうか?今日1日がかりでお買い物注文ページをやり替えた、アニメを入れたので少し心配だ。
 

1996.7.13

専務がレーベンの渡辺さんのところへ取材出張、今晩は泊だそうだ。ホームページを作り始めて数ヵ月、今だ生産者紹介のページも出来ずにいる。専務が帰ってきたらさっそく渡辺さんから紹介しなければ。渡辺さんはちろりん村の卵の生産者で、ログハウスの山小屋も経営してます。場所は高知県大豊町、梶が森の山頂付近、素敵なところです、宿泊も出来ます、行ってみたい方は電話してください。山小屋喫茶レーベン0887-74-0415。自宅0887-74-0441。
 

1996.7.12

いよいよ8月4日、菅厚生大臣が豊島にやって来る、豊島の人々はこの日が来るのをどのくらい待っていたことか!20年だ!できの悪い知事をもつと県民は苦労するよ。知事はペーパーテストで選ばれた官僚と違って、選挙民に選ばれているのだから、その気になれば何でも出来るのに・・・沖縄県知事を見習いなさい!
 

1996.7.11

夢市場の滝さんが、香川土と命を守る会の久保さんと来村。小野さんも一緒に帰ってきたそうだが、そのまま松山へ行ったそうな。顔ぐらい見たかったなあ、なんでも、ぐりむの佐藤さんが、グリムを出たそうで(追い出されたとか・・・)小野さんはカレールーの開発で奄美に行かれたそうです。奄美カレー他全て北海道乳業が販売するそうです。取り扱いをやめようかな!佐藤さんには今までお世話になっているので・・・佐藤さん、もっと良い食品を開発してくださいね、待ってます。
 

1996.7.10

いやー参った、もう日記を忘れていたよ!と言うのは冗談で、知ってはいたけどお休みしていたのです(何が日記ジャ!)、実はグリーンピースが去ってから毎日が寂しくて悲しくて灯台のアニメを作っていたのだ、グリーンピース号よ、この灯台の明りが見えたら帰っておくれ!
 

1996.7.6

障害者ネットワーク香川の貞末さんが「ぼくは中学2年生」という多田羅洋介君の絵本を持ってきてくれた。御両親も応援する人もたいへんだ、息切れしないようにいきましょう。私の子供達もその日の気分で学校に行ったり休んだり、適当にやってます。行政とは勝手なもので、行きたくない子に来いと言ったり、行きたい子に来るなと言ったり、どうしろと言うのかね?
 

1996.7.5

グリーンピース騒動で2日間仕事がたまった。3日、4日はグリーンピース来高記念セールでオール20%OFF、有難うございました、普段の倍の売上です、利益はパー。

 

1996.7.4 (漂流三人組を見捨てて虹の戦士号遁走の巻)

AM5時、30mの白鯨の製作(銅童さんとトモさん他)にかかる。私が現地(大的場海水浴場)についたのが、AM11時、すでに鯨もテントも完成していた。風が少しあり、大きな白鯨の親子がゆらゆらと泳いでいた、近くから見るとなんだかよくわからないぐらい大きな鯨だ。

前々日まで迷っていた、というのは、鯨の巨大な骨を作ろうか?そうだそうだ、それのほうが面白い!俺たちは鯨を喰いたいのだ!そして、設計図まで完成していたのに、急遽可愛い鯨の親子になった。今回グリーンピースは、反捕鯨のキャンペーンに来たわけではない、味噌も糞も一緒くた(失礼)にするのはやめよう!アンフェアーだ。彼等には最大限の歓迎をしよう!というわけで鯨の骨はボツ!

12時、とうとう現われた、あれがMVグリーンピース号だ!!何処からともなく『Welcome Greenpeace!!ウェルカムグリーピース!!』の声が空から聞こえてきた。歓迎のセスナ機が飛んできたのだ!『先着1000名様に、氷で冷やした冷たーいジュース(ビールもあり)を差し上げます!!』『Welcome Greenpeace!!ウェルカムグリーピース!!』と、アナウンスしながらグリーンピース号の上を飛んでいるのだ。「誰か!地対空ミサイルをもってこい!打ち落とせ!」という気分ですよ。

そんな中を海上タクシーでグリーンピースのスタッフが海水浴場に上陸、われわれの出で立ちを見てマスコミ野郎は、汚いものでも見るように「お祭りですか?」なんてのたまう。祭のどこが悪い、テメエラなにやってんだよ!そんなに生活が大事かい?そんなに上司が怖いかい?会社を首になったら、よう生きていかれんのかい?お日さん西西でやっときな!いつまでも!オオッと、デモ隊の出発時間だ、行ってしまった・・・

静かだなあ・・・テントの木陰で飲むビールがたまらねえ・・・「ところで銅童さんなにやってんの?」「うん!ぼく筏を作る!」と言って、セッセセッセと竹を縛っている、帆柱もたてて旗まで付いている。「でけた!完成だ!よっしゃいくぞ!」まずその前に進水式だ!と筏をかついで(軽いですから)海へ入った(彼は金槌である)、神野先生はもう海パン姿だ、私は服を着たまま(ズボンは脱ぎました)3人でグリーンピース号目指して出航!筏の名前はバンブー号、ちっとも進まないけれど、それでもじりじりとグリーンピース号に迫る。

神野先生はグリーンピース号に乗船するつもりだ、必死でバンブー号を押している。金槌の銅童さんは命懸けだ「まさか、本当にグリーンピース号へ行こうとは考えてなかったんよ、海水浴場でパチャパチャやるつもりだったのにどうしよう!?」と青ざめている。

45分経過、GP号まで、あと数十メートル、バンブー号に気付いたクルー達がなにやらあわただしい、日本人らしい女性がハンドマイクで「あなた達の気持ちは嬉しいワ、デモ、もうそれ以上近寄らないで、お願い!こっちへこないで!この船に乗せるわけにはいかないのよ!」と叫び出した。冗談ジャない、こっちはもう殆ど漂流状態だ(自業自得)。無慈悲にもGP号は全速力で我々から遠ざかった。

「そんな、そんな・・・」と、銅童さん。すぐそばで海上保安庁の高速艇のクルー達がニヤニヤと笑っている、「君達、どうするつもりだね?」「始末書とられるの厭だから自力で戻ります!」と、神野先生、「でも、君達のその筏?は岸からどんどん離れてるよ!」こんなときは決断がいる、しかし私には面子というものがない「お縄をちょだい致します!」ロープを投げてもらいバンブー号に引っかけてGO!それからが地獄だった。

フルスピードでひっぱられたんだからね!(いいきみだったでしょ!)息はできんは、パンツは脱げるは、こんなときは耐えるしかない。「ああ!ぼくのパンツが、パンツが脱げる〜」「こんなときにパンツぐらいなんだ!ばか!」「で、でも海水浴場にフルチンで上陸したくなーい!」「パ、パンツは、わしがもっといたる、落ち着け!」「ちきしょう!グリーンピースめ、おぼえとけよー!今度おうたら鯨の骸骨だからなー!アップ!ガブッ!い、息がガブッ!で、でけん・・・」どうやら静かになった、さきほどまで死を覚悟して、今度は保安庁に助けられほっとしたというより、残されたわずかの体力で、筏にしがみつくのがやっとだったようだ。

グリーンピースさん、海上保安庁さん有難う。後日談だがドウドウさんが書いた当日の話はこちら

 

1996.7.3

あのグリーンピース号が、とうとうやってきました。これを機会に今日から日記をつけます、いつまで続くか自信はありませんが、よろしくお願いします。グリーンピースのスタッフと宇野港で交流!これからフェリーで宇野港へ行ってきまーす!プログラムは下記。
グリンピースジャパンツアー交流会

日本側NGO関係者と一般参加者との交流の場を持ちたいという呼び掛けがグリンピースジャパンのほうからありました。この楽しい機会を、ちろりん広場では皆様にも広く開放したいと思います。交流会では打解けた雰囲気の中で、MVグリンピース号のクルー達と世界の環境問題について様々な話し合いの機会があると思います。英語の出来ない方も御心配なく、通訳出来る人も数名参加します。それに英語なんか出来なくても気持ちさえ通じていればなんとかなるもんです。もちろん豊島住民会議の皆さんとも豊島の現状について色々なお話が聞けると思います。

宇野交流会は参加費は無料です、はるばる海を渡ってやって来る客人達に歓迎の意を表して、ちろりん広場では「那須シズノ」女史の「天のウズメ舞」をプレゼントする予定です。参加御希望の方は直接グリンピースジャパンまで御連絡下さい。

高松交流会も参加費無料です。当日グリンピース号は大的場沖に停泊します、海上タクシーで乗り込んでくるクルー達を浜辺で迎え入れるという設定です。高松側NGO関係者、大学生、大学教授、渡部さとこ事務所、一般参加者等多数の参加が予定されています、ちろりん広場では交流会用に巨大クジラ(全長50メートルの白鯨)を用意してお待ちしています、雨が降っても大丈夫!当日はテントに御寄り下さい。それと今交渉中なのですが「花」を歌った「喜納昌吉」さんにもパネラーとして参加を呼び掛けています。昌吉さんはアトランタオリンピックへの出演が決まっていてスケジュールが詰まっている様ですが是非来て欲しいと思っています。楽しい交流会に是非ご参加下さい。

宇野交流会

7月3日 18:30〜20:30

 宇野港第三突堤MVグリンピース号船上

プログラム

「天のウズメ舞」..那須シズノビーテン

高松交流会
(早朝から32メートルの白鯨を作ります、ボランティアを募集してます。)

  7月4日 12:30(グリーンピース号高松沖に出現)

  高松大的場海水浴場浜辺

プログラム

パーカッション...四国学院大学アフリカンリズム同好会

沖に浮かぶMVグリンピース号を背景に船で乗り込んでくるクルー達を巨大クジラ(32メートル)とセスナ機が出迎えます、色んなプログラムを各自が持ち寄りハプニングの続出か?

グリンピースが県へ意見書提出 7月4日   14:00

自由参加です、グリンピース一行は徒歩で大的場海水浴場から県庁まで歩いて行きます(約30分)14:00に県庁着予定。

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