10-2 香川の無言館
10-2000  
藤川武男(ふじかわたけお)

明治40年5月16日、香川県三豊郡上高野村に生まれる。県立三豊中学校卒業。大正15年4月、東京美術学校日本画科に入学。卒業後、香蘭詩社に入り、 11年、同人となる。13年6月、月刊雑誌「手芸と洋裁」を発行。17年11月、藤川東瑛の俳号で、歌集『溪音』を発行。19年10月27日、妻と二児をのこし、 中国・湖南省の東安に出征。20年11月16日、戦病死。享年38歳。

武男は絵だけではなく、絵本や図案、歌作にも才をしめした。
美校を卒業後、講談社でデザインや挿し絵を担当、そして結婚……。
妻・フクの手をかりて雑誌「手芸と洋裁」を刊行、歌集『溪音』を上梓した頃が、 武男の最も充実した青春の日々ではなかったか。
しかし、結婚の翌年に長女が生まれ、まもなく出征、
その三カ月後には長男が誕生する。
「赤ん坊は丈夫に育っているか。どうかしっかりした子になるように」
フクへの手紙に子への思いがつゞられていないことはなかった。
昭和20年秋、すでに戦争が終わったことを知りながら武男は死んだ。

無言館の詩 戦没画学生「祈りの絵」第V集
10-2001 花 
10-2002 あじさい 
10-2003 香川に残る藤川氏の絵:農村風景 
10-2004 上の絵の現在の風景(香川県三豊市高瀬町) 
10-2005 香川に残る藤川氏の絵:母親の実家風景 
10-2006 香川に残る藤川氏の絵:津嶋神社 
10-2007 上の絵の現在の風景(香川県三豊市) 
10-2008 香川に残る藤川氏の屏風絵:さぎ 
10-2009 藤川氏の長男−征輝氏所蔵の写真:燧灘と伊吹島 
10-2010 上の写真の現在の風景(香川県観音寺市) 
10-2011 藤川氏の長男−征輝氏所蔵のスケッチ 
10-2012 藤川氏の長男−征輝氏所蔵の絵 
10-2013 藤川氏の長男−征輝氏を東京都武蔵野市に訪ねる(森) 
長男−征輝氏はデザインの道に進み、現在は武蔵野美術大学の講師を務めている
(武蔵野市在住、生まれは疎開先の香川県観音寺市)

10-2100  
川ア雅「ただし」(1912〜1945)

明治45年1月28日、香川県高松市に生まれる。
香川県立工芸が学校卒業後、東京美術学校日本画科入学。在学中に松岡映丘に師事。昭和10年3月、卒業。9年、第15回帝展(現・日展)で「帰路」初入選。

以後、6回入選。大東亜戦争美術展覧会に「先鋒」出品。18年12月5日、結婚まもない妻と一人娘、老母をのこして再応召。20年6月15日、フィリピン・ルソン島 東部アゴス河谷にて戦死。享年33歳。

雅は美校時代カメラに凝っていた。

あの時代なかなか手に入らない一眼レフのカメラをもってちょっと自慢げにポーズしたダンディな雅の写真がある。

終戦後、同じルソン島から帰ってきた兵隊の一人が、アゴス河のほとりで病気の身体を休めている雅さんの姿をみた、といった。栄養失調で、顔がむくみ身体じじゅうが腫れていた けど雅さんはたしかに生きていた。

妻と娘はその知らせを信じてどうか無事で、と手を合わせて戦後を生きる。でも、雅は帰ってこなかった。

妻と娘は今も雅の戦死を信じていない。
「無言館を訪ねて」より
10-2101 馬(「無言館を訪ねて」より)  
10-2102 風景(「無言館を訪ねて」より)  

10-2200  
原 穣「ゆたか」(1913〜44)

香川県宇多津町生まれ、東京美術学校 (現・東京芸大)油画科卒後、1939年召集、1944年5月ソロモン諸島ブーゲンビル島にて戦病死。享年30歳



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