(10)-06-1 日柳燕石 略年表
1817年−文化14年
 1歳
榎井旗岡に生まれる。幼名長次郎、名政章、字は士煥、通称加島屋長次郎、また赤松剣吾、日柳浩吉とも称し、燕石・三白・半楽・柳東そのほか数多くの号を用いた。
1824年−文政 7年
 8歳
この頃叔父石崎近潔に句読を習う。
1830年−天保 元年
14歳
三井雪航につき漢籍、詩文を学ぶ。
1834年−天保 5年
18歳
師門を辞し家に帰る。
1836年−天保 7年
20歳
象山雑詞を表す。
1837年−天保 8年
21歳
象山雑詞この年父母ともに歿す。
1839年−天保10年
23歳
象山雑詞を新せんす。長男三舟生る。
1841年−天保12年
25歳
琴平山下に僑居す。
1844年−弘化 元年
28歳
富山凌雲と共に九州を遊歴
1845年−弘化 2年
29歳
柳東軒に移居す。
1848年−嘉永 元年
32歳
阿波を遊歴
1849年−嘉永 2年
33歳
琴平山下の撫松楼に仮居
1850年−嘉永 3年
34歳
金郷春友栄を著わす。
1852年−嘉永 5年
36歳
長男を詫間富山に托し医術を学ばす。
1853年−嘉永 6年
37歳
中国地方遊歴、山陽詩註を著わす。
1854年−安政 元年
38歳
この頃 呑象楼に移る。
1856年−安政 3年
40歳
備後に遊ぶ。
1860年−万延 元年
44歳
京師に遊ぶ。
1861年−文久 元年
45歳
長男三舟 京より帰り医業を開く。
1865年−慶応 元年
49歳
 4月 高杉晋作 来り潜む。桂小五郎 多度津に立ち寄り、燕石らと会見。
閏5月4日 高杉晋作 を馬関に遁し、同日 燕石 は美馬君田ら勤王の士と共に高松藩の獄に投ぜられる。
1866年−慶応 2年
50歳
獄中で椚蝨余話を著わす。
1867年−慶応 3年
51歳
獄中で皇国千字文を著わす。
1868年−明治 元年
52歳
1月20日許されて出獄
2月27日在京の友の招きにより上京。
4月13日木戸孝允と共に中国西国を巡視し、また九州を巡視。
6月26日大総督仁和寺宮北越御進発に際し御日誌方史官として従軍、越後柏崎の陣中で病に罹る。
8月25日永眠。
1892年−明治24年
76歳
靖国神社に合祀さられ、同36年11月従四位を追贈せらる。