(10)-07-1 尾崎放哉(本名:秀雄) 略年表
明治18年1月20日
 0歳
鳥取市で出生 父・信三(35歳)、母・なか(29歳)の次男
明治24〜28年
 6歳
立志尋常小学校 現在の修立小学校
明治28〜30年
10歳
鳥取高等小学校(4年制) 2年で終了
明治30〜35年
12歳
鳥取尋常中学校 後に鳥取県第一中学校に校名変更・現在の鳥取西高等学校
明治35〜38年
17歳
第一高等学校法科 明治37より 放芳号
(放哉号は大正4年より)
明治38〜42年
20歳
東京帝国大学法学部
(政治学科卒業)
1ヶ月位、日本通信社入社
(明治42か43年)
明治43〜大正10年
25歳
東洋生命保険株式会社 大正3年大阪支店、大正4年東京本社
明治44年坂根馨(19歳)と結婚
酒と人間関係のため退社
大正11・4〜12・7
37歳
朝鮮火災海上保険会社
支配人
酒のため免職
7月末、満州に行くも病気のため帰国
大正12・11〜13・3
38歳
京都一燈園 重労働のため体が続かず
大正13・3〜13・6
39歳
京都常称院寺男 酒のため追われる
大正13・6〜14・3
39歳
神戸・須磨寺大師堂堂守 寺の内紛のため去る
(1ヶ月位、一燈園)
大正14・5〜14・7
40歳
小浜・常高寺寺男 寺破産のため去る
大正14・7〜14・8
40歳
京都・龍岸寺寺男 重労働のため体が続かず
大正14・8〜15・4
41歳
小豆島・南郷庵庵主 大正15年4月7日死亡
戒名 大空放哉居士
大正15年8月1日付の手紙 放哉より井泉水宛

・淋シイ処デモヨイカラ番人ガシタイ

・近所ノ子供ニ、読書ヤ、英語デモ教ヱテ、タバコ代位モライタイ

・小サイ庵デヨイ

・ソレカラスグ、ソバニ海ガアルト、尤ヨイ『済ミマセンガ、タノミマス、・・・』





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