|
明治18年1月20日
0歳 |
鳥取市で出生 | 父・信三(35歳)、母・なか(29歳)の次男 |
|
明治24〜28年
6歳 |
立志尋常小学校 | 現在の修立小学校 |
|
明治28〜30年
10歳 |
鳥取高等小学校(4年制) | 2年で終了 |
|
明治30〜35年
12歳 |
鳥取尋常中学校 | 後に鳥取県第一中学校に校名変更・現在の鳥取西高等学校 |
|
明治35〜38年
17歳 |
第一高等学校法科 |
明治37より 放芳号
(放哉号は大正4年より) |
|
明治38〜42年
20歳 |
東京帝国大学法学部
(政治学科卒業) |
1ヶ月位、日本通信社入社
(明治42か43年) |
|
明治43〜大正10年
25歳 |
東洋生命保険株式会社 |
大正3年大阪支店、大正4年東京本社
明治44年坂根馨(19歳)と結婚 酒と人間関係のため退社 |
|
大正11・4〜12・7
37歳 |
朝鮮火災海上保険会社
支配人 |
酒のため免職
7月末、満州に行くも病気のため帰国 |
|
大正12・11〜13・3
38歳 |
京都一燈園 | 重労働のため体が続かず |
|
大正13・3〜13・6
39歳 |
京都常称院寺男 | 酒のため追われる |
|
大正13・6〜14・3
39歳 |
神戸・須磨寺大師堂堂守 |
寺の内紛のため去る
(1ヶ月位、一燈園) |
|
大正14・5〜14・7
40歳 |
小浜・常高寺寺男 | 寺破産のため去る |
|
大正14・7〜14・8
40歳 |
京都・龍岸寺寺男 | 重労働のため体が続かず |
|
大正14・8〜15・4
41歳 |
小豆島・南郷庵庵主 |
大正15年4月7日死亡
戒名 大空放哉居士 |
|
大正15年8月1日付の手紙 放哉より井泉水宛
・淋シイ処デモヨイカラ番人ガシタイ ・近所ノ子供ニ、読書ヤ、英語デモ教ヱテ、タバコ代位モライタイ ・小サイ庵デヨイ ・ソレカラスグ、ソバニ海ガアルト、尤ヨイ『済ミマセンガ、タノミマス、・・・』 |
||
|
次のページに進むには次の矢印をクリック → トップページにもどるには次の矢印をクリック → | ||