10-8 樋端久利雄
10-8000    
10-8001 略年表   
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上図は、『い号』作戦後のラバウル飛行場と主な連合軍飛行場からの、航空機による作戦行動圏およぴ『デリンジャー』作戦当日の日米の航空部隊のコースを示したもの。

連合軍側の作戦行動圏は双発機(P−38および双発爆撃機)のものを示しており、山本長官一行が目指すパラレ、ブイン付近はその行動圏内に位置していた。そのため、 視察の強行を危ぶむ意見は根強く、山本長官の幕僚の中からも視察の中止または延期、護衛機の大幅な増強を求める意見が出ていた。しかし、ブイン周辺には日本陸海軍 の航空基地が点在しており、また『い号』作戦の戦果の過大評価から「敵の航空作戦能力は減退している」という雰囲気があり、視察決定を後押ししたという側面があった ようだ。

『デリンジャー』作戦は、こうした日本側の判断と心理の空隙を突いた形になった。それでも、ガダルカナルからラバウルやブインヘ向かうコース上は日本軍機と出会う可 能性が高く、またブイン周辺には日本軍の哨戒線(監視所や航空哨戒)が張り巡らされている危険があったため、『デリンジャー』作戦部隊は洋上を大きく迂回するコース をとったのだった。

『歴史群像』No.93学研:記事 山本長官機を撃墜せよ!より
10-8005 ブーゲンビル島のジャングルに眠る山本長官機の残骸
日本側は山本長官の死を『海軍甲事件』として記録した。
なお事件は5月21日の遺骨の東京到着まで秘匿された。
長岡市 山本五十六記念館 所蔵    
10-8006 小説『海軍乙事件』吉村 昭:海軍甲事件が掲載されている。






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