10-10 大石先生
10-10000 大石先生のモデル・森静枝(佐伯静枝)さん    
10-10001 大正15年3月田浦分教場、最後列右から5番目が岩井シンさん     
10-10002 『二十四の瞳』の壺井栄さん     
大石先生のモデル

大石先生が明善高等女学校の師範科の出身だとなると、そのモデルとなる卒業生がいたのでは?ということが、俄然、気になりだす。

大石先生のモデルについては、いないというのが通説で、壷井栄さんの実の妹である「岩井シン」さんが(写真10-10001)、 岬の分教場で教員をしていたからそのモデルだという説もある。

ただし、これまでは、モデルについて、「市の女学校の師範科」つまり「明善高等女学校の師範科」出身という点からは、あまり議論され てこなかった。ところが、『明善七十同年記念誌』の中に、それと関連する資料が残されていたのである。その資料は、昭和58年11月 に行われた卒業生の座談会での記録である。

私は、大正9年より12年まででしたが、明善がバンドといわれた時代で、その校章・バンドに誇りをもっていました。体操の鴨先生が赴任 せられ、先生の洋装は帽子をかぶられハイカラだった。4年で卒業で師範科へ進み、ハンチングコートを仕上げた。(中略)

卒業後は小豆島坂手小学校の教員になり、当時壺井栄女史が郵便局に勤務していられ岩井姓で若者同上で仲良くしていた。(『二十四の瞳』 の先生のモデルだったのでは?の声あり)

『古地図で歩く香川の歴史』井上正夫より






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