1998年12月30日〜1999年1月3日
お正月セブダイビングツアー
1998年12月30日
朝5時30分起床っていうか、ろくに寝てない。
今日から1月3日まで、フィリピンのセブへのダイビングツアーに出掛ける。
小学校の頃から忘れ物が多い僕は、何か今回も忘れてるんじゃないかとひやひやしながらお迎えの車を待つ。
6時45分過ぎにお迎えが来て、車に無事に乗れたら眠気が襲ってきた。
ショップに寄ってコーヒーを頂いたあと、出発した。
ザックに入れたパスポートが年金手帳かもという不安が沸々とわいてきたけど、あまりにも眠かったので、年金手帳でないことを祈りつつ目を閉じた。
徳島自動車道の途中から、カラオケのマイクが回ってきて、歌っていたら目が醒めた。
明石大橋手前のSAで朝食をとり、関空に向かう。
大阪の環状線に乗って、どこを走ってんだか運転しているT氏を含め誰も分からなくなったりしたけど、なんとか関空に辿り着けた。
関空に着いても貨物ターミナルのほうへ行ってしまったりしたけど、無事に到着。
荷物を下ろして一番にパスポートの確認をした。
年金手帳ではなく、ちゃんとパスポートがあったのを見て天高くガッツポーズをするのを抑えることはできなかった。
空港で荷物の検量をしたら、僕の荷物は18.7キロ。楽勝やん。
会社の検量器で量ってきたもんね。
でも、みんなの荷物は見るからに重そう・・・・(^_^;
かなりのオーバーが出たらしく、だいぶ追加料金取られたみたい。
飛行機に乗り、離陸。
飛行機が初めてというHさんが気になるも、別にどうってことなかったみたい。
Kくんが機内食をおかわりしたが、Kくんに聞くと感想は「まずい」だった。(^_^;
無事にセブマクタン空港に着陸し、入国手続きをして外に出たら、ものすごい暑さと湿気に閉口した。
荷物を持ちにやってきたらノーサンキューと言おうと待ちかまえていたけど、誰も来なかった。
現地のダイビングショップNDCの車でラジャタウンホームに入る。
僕の部屋の寝室にはエアコンが付いていて結構効いていたので一安心。
水しか出ないシャワー。レバーをしっかり戻しておかないと○○○が流れないトイレなど、多少の難はあるものの思ったよりはまともだった。
さっそく水シャワーを浴び食事に出る。
シャワーを浴びたら暑さがすっと消えた。
車で何か市場のようなところについて、店をみたら、衛生面ですこぶる問題のありそうな魚や貝が台の上に並んでいる。
僕らはその店で買った魚介類を料理してもらって、店の奥の水上レストランで食べた。
はっきりいって、最初は、フィリピンでの食事に期待してはいなかった。
あわよくば、ダイエットになるかも。なんてね。
だけど、出来上がってくる料理は結構美味しくて、バクバク食べた。ちょっと食べ過ぎ。
ビールも料理にマッチしていて、気持ちよく飲め、はじめてセブっていいなぁと思えた。
このあとセブの酒場に行って色んなお酒を飲んだけど、どれもやけに美味しくて、メラメラ燃えるファイヤーというお酒とか、セックスオンザビーチなどのカクテルとかが、流れるように喉を通り過ぎていった。
あぁ、至福のとき。
Tさんがお酒が入るととっても陽気になることを知ったのは、このときだったかな?
その夜、ぐっすり眠れたのは言うまでもない。
ただ、床に敷いたマットで掛け布団無しで寝てたので、寒くて何度か夜中に目が醒めたけど。
ベッドの上で掛け布団にくるまるKくんがちょっと羨ましかった。
12月31日
朝、T氏がドンドンとドアを叩く音で目覚める。
T氏の部屋に行くと、うなだれるI氏とKくんがいたが、何があったかは一寸知ってるけど、知らない。
ほどなくNDCに向かう。
今日はショップの近くで2本潜る。
このときの海の中のことあんまり憶えてないんです。
ただ、1本目のときにエグジットを手伝って貰うことに不慣れで、水中カメラを水中落下させてしまって、拾ってもらったことと、2本目の直前に風と雨が猛烈に強くなって、どうなることかと思ったっていうことだけ、頭に残ってます。
それよりも、バンカーボートに初めて乗ったこと、周りの景色と海の色が良かったかな。
惜しむらくは天気が曇りがちで、照りつける太陽ってのが無かったことですね。
このダイブの後からだろうかT氏とKくんがお腹の調子が悪くなったのは。
結局、Kくんはとうとうダウンしてしまって、夕食はKくんを部屋に残してNDCのオーナーR氏の豪邸に向かう。
KくんやダブルHさんやI氏やTさんがさっそく子供たちと元気に遊んでいた。若いっていいねぇ。
暫くフィリピン版らんまを見てたけど、わかんないんで外でくつろいでたらNちゃんがやってきて腕を噛まれた。(^_^;
子豚の丸焼きも到着し、ガーデンパーティーが始まった。
弦楽器の生演奏を聞きながらの楽しい食事。
この生演奏で谷村新司の昴を歌ったけど、歌詞はごっつ怪しい。
とにもかくにも、ビールがうまい。
落ち着いたところで、残してきたKくんの様子を見にT氏とラジャタウンホームに向かう。
丁度80パーセントほど回復したKくんを乗せ、R邸に戻る。
暫くしてからセブの豪華ホテルであるシャングリラホテルに出掛ける。
さすが、五つ星のホテルだけあって豪華絢爛雰囲気抜群。
ロビーでマンゴジュースを頂いたがとても美味しく、椅子もふかふかでリッチな気分を味わったあと、広くてお洒落な庭を散策に出たらサマーベッドが置いてあったので、Hさんと飛び乗ったら雨で濡れていてお尻が濡れてしまった。
いいホテルやねんけど、カップルで来るべきとこですね。
ラジャータウンホームに帰る途中で日本時間の正午を迎え、車の中で新年の挨拶となる。
到着して暫くして部屋の外に出たら、フィリピンの正月を祝うべく多くの人が外にでて、大きな爆竹がそこらかしこで鳴らされていた。
そして24時。
爆竹とロケット花火などがいっせいに火を噴く。けたたましい音が夜空に吸い込まれていく。
ハッピーニューイヤー、僕の新しい年が始まった。
こんな正月もいいな。
初めて海外で迎える正月を体いっぱい受け止めて眠りについた。
1999年1月1日
朝、荷物をちょっとだけ持って出発。
今日はボホル島に向かうんだ。
NDCからバンカーボートでカビラオに向かう途中、呼ばれて船首に向かおうとしたとき、通路で寝ていたR氏と機材を飛び越えたときに、足を滑らして右足の先をタンクで強打してしまった。
激しい痛みが襲う。
心配するR氏に笑顔で大丈夫と答えながらも、やっとの思いでもとの位置に戻った。
次第に右足の先が熱を持ち始めズキズキと痛んだが、ここは気合いで乗り越えねばと、堪えた。
そうこうしているうちにカビラオ灯台前のポイントに到着。
ウエットに着替える。
右足を通すとき、激しい痛みが再び襲う。
奥歯を噛みしめ、痛みと闘いつつブーツを履く。
ブーツを履いてしまえばいくぶん楽にはなったが、やはり痛い。
カメラの予備のフイルムやデジカメの予備の単三電池を全部マクタンに置いてきたことに気づき、こっちも痛い。
痛い痛い痛すぎだぜぃ!(;_;)
でも、潜りたいので堪えてエントリー。
水中で冷える効果もあるのか、奥歯をちょっと噛んでおけば楽しく潜れる。
とりあえず、カメラを持って入るもののほとんど撮す気になれない。
でも、さすが南の島。透明度抜群、痛みなんて忘れてしまうほど楽しく潜る。
水深5メートルで待機の指示のとき、水面のほうで立ったまま動かないガイドのJ氏をちらちらと見つつ、珊瑚の庭を散歩した。
エグジットのあと、島での食事。チキンも魚も美味しかった。
浜辺で遊ぶみんなを眺めてるとじっとしてられなくて、ボートまで行ってマスクとスノーケルとフィンを取ってスノーケリングに出る。
ボート周辺の底はあんまり綺麗では無かった。
I氏が落とした眼鏡を拾ったり、またまたI氏が落とした眼鏡を探したり。(^_^;
次にボートが向かったのはバリカサグ。
R氏のガイドで楽しく潜る。
エグジット前の水深5メートル待機の頃、底に仁王立ちのR氏とKくん。
Kくんのエアー切れみたいだ。(バディーブリージングしてたのね。)
そんなとき、急に左足が軽くなった。
フィンが外れてしまった!
見上げると水面に浮かんでいる。
痛い右足だけでもコントロールできるので、取りにいこうと思ったけど、勝手に浮上すると怒られちゃうかもしれないので、R氏にフィンが浮かんでいることを告げ、水深5メートルで待機することにした。
T氏が寄ってきて、珊瑚を指さすのでてっきり写真を撮るように指示してるのかと思ったが、そんなに撮るような珊瑚でもなく、T氏にカメラを渡して砂地を探して、持って来てくれたフィンを足に着けようとしたら留め具がなくなっていて、それを見たT氏が足にくくりつけてくれた。
3本目はナイトダイブの方々の水面休憩時間がとれないということで無くなり、ボホールのダイバーズロッジに入る。
ここはダイバーたちの集う村みたいな感じで、雰囲気がすごくいい。
財布をT氏に預けた記憶が全くなかったが、預けてないという記憶もなく、とりあえず預かってないということなので、マクタンにあることを祈りつつ、ナイトを潜らない僕とI氏とTさんは、出店を一通りまわったあと一足お先にレストランで食事。
I氏がトマトが苦手なことを知る。(トマトって美味しいのにねぇ)
料理の味はまぁまぁといったところか。(ガーリックライスが美味しいとのこと)
子犬が突然けたたましく鳴き始めたと思ったら、カウンターと壁の隙間に頭が挟まって苦しんでいた。
黒い大きな犬が助けにきて無事にはずれたが、のちにまた別の場所で同じように挟まって鳴いていた。
そんなお馬鹿な犬は、体が白く頭だけが真っ黒な妙な犬だった。
隣のI氏の黒い半ズボンは、黒ネコに気に入られたようで、とうとう膝に飛び乗ってしまったりした。
I氏の、近づく動物はライターの炎で追い払う作戦は、ことのほか効果的であったが、中には間抜けな奴もいて、近づいて髭を焦がしてしまったのがいたそうだ。
やがて、ナイトを終えたメンバーと合流。
彼らはデザートから始めているように見えたのだけれど。
デザートのファイヤーバナナは見た目に面白かったが味はいまいち。
Kくんはファイヤーマンゴというものを考案したが、すこぶるまずかった。(^_^;
食事も終わり、くつろいでいると痛めている足を見せるように言われたので見せたら、氷水で冷やして安静にするよう言われたので、そそくさとその場を逃げ(^_^;、I氏と卓球したり、みんなでビリヤードしたりした。
ビリヤードのナインボールは、順当に僕がウイナーとなる。ま、至極当然ではあるが。
ボホルの砂浜に出て空を見上げたら、ヤシの木の向こうにまあるい月が浮かんでいて、なんだかすごく心地よい景色。
サマーベットに寝ころび、ぽぉーっと見入ってしまった。
その後、みんなで砂浜で砂遊びとなり、夜に元気なTさんを砂に埋めてオブジェを作ったりして楽しい夜を過ごした。
1月2日
朝、ボホルを出発。
バリカサグで2本。
カビラオで1本潜ってセブツアーのダイブを終える。
ギンガメアジの大群を見たとか、ハンマーヘッドを見たとか聞こえてきたけど、僕はどちらも見ていない。残念。
もしかしたら、あのハンマーヘッドに追っかけられとったのかもと平然と言ってのけるT氏は、やはりすごい人だ。
夜は豪華客船の見えるレストランで食事。
土産もの屋で買い物をしてラジャータウンホームへ。
買ったものは、タマゴ型の白い大理石(何に使うん?)
アコヤ貝のスプーン(3つの内、1つはその日に踏んで折った。(^_^;)
Tシャツ。(いかにもセブに行って来たぞぉ〜ってやつ)
木彫りの熱帯魚のマグネット。(んなもん何処でも売ってるぞ!)
木彫りの熱帯魚のキーホルダ。(フグのかわいいの。でも、何処でも売ってそう)
最後の夜を惜しみつつ、I氏とKくんの部屋に集まって備え付けの飲み物を全て飲み尽くし、楽しい夜を過ごした。
ビールがちょっと足らなかった。<おいおい(^_^;
1月3日
朝、とうとう帰国の日、帰りたくないという気持ちを胸の奥に閉じこめて空港に向かう。
フィリピンに残るT氏と別れ、搭乗手続きをすます。
免税店でドライマンゴーを買っていたら、飛行機の飛び立つ時間が迫って焦ったが、足が痛いながらも必死で走って無事に乗れた。
飛行機はあっけなく関空に到着。
入国手続きを終えて外に出たら、そこは寒い冬の日本だった。
関空から湾岸を通り、明石大橋のSAでヒレカツ御膳で日本のごはんはやはり旨いことを認識して、鳴門から徳島道で土成ICから白鳥へ出て、津田の松原で缶コーヒーを飲んで五色台を越えて帰るという妙なルートで、午後8時にショップに到着した。
ショップで今回の旅行のことを話していたら、いつのまにかエピソードナンバーワンのKくんの話が中心となっていて、やけに盛り上がった。
楽しい楽しいセブツアーが、気が付くとあっというまに終わっていた。
次の日、近くの病院で足のレントゲンを撮って貰ったら、右足の薬指が見事に骨折していた。
正式には右足第四基節骨骨折全治一ヶ月。んなもん、2週間ありゃ〜十分十分。
雪が積もってSKIに行くまでに治ればいいなぁと思っていたのは、言うまでもないですよね。
まぁ、治ってなくても滑りにいくけどね。
骨折くらいで死にやぁせんでしょう。ほほほ。 <懲りてないし(^_^;
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