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○バリアフリー2014

 

 開催期間 201441719

    会  場 インテックス大阪

    ※滋賀県大津市での研修会のあと、3日目、19日のみ参加

 

1.開催の概要、視察意図

 

 毎年開催され、今回が第20回。「高齢者・障がい者の快適な生活を提案する総合福祉展」。数年前に出席し、最新鋭の福祉機器を目にして、今も強い印象を記憶しています。

 広い展示会場に各社、行政などのブースが並ぶ展示場。その会場内にいくつかのセミナー会場、ワークショップ会場が設けられていて、関心のあるものを聴講するというしくみ。

 展示場は15号館を用い、入浴、トイレ、介護予防、リハビリ、介護食と医療食、自助具、コミュニケーション機器、緊急警報・セキュリティ、各種サービス、ベッドマット、各種PCシステム、介護ロボット、福祉車両、車いす、住宅、リフト・昇降機などのほか補助犬ふれあい教室といったものまで、最先端の機器やシステムが展示されて賑う。

 

 

 

 

 ここからは聴講した講演について、詳述します。

 文責は内田にあります。

 

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2.受講①シンポジウム「地域におけるサービス付き高齢者住宅の役割」

        医療法人松徳会 松谷病院 理事長 松谷之義氏

        社会医療法人ペガサス 馬場記念病院 理事長 馬場武彦氏

        パナソニックエイジフリーショップス㈱ 部長 藤澤宏充氏

 

 ○堺市で事業展開している馬場記念病院での、救急、地域連携、継続ケアの一

体的な運営を紹介。個人病院60床でスタート。現在542床。602床を計画。

クリニック、グループホーム、訪問看護ステーション、療養通所介護、ケア

プランセンター、デイサービスセンター、サ高住、ヘルパーセンターを多角

的に営む。

 ○サ高住「ペガサスロイヤルリゾート」の入居費用、システムを紹介。

 ○救急患者を多く受け入れるようにするには、ベッドを出てもらう必要があ

る(出口の問題)。新幹線と在来線を併用してうまく使うことである。

 ○これらがうまく連携するための条件は、

  ①地域包括ケアシステムの有力なピースであること。

  ②急性期医療の後方支援ができること。

  ③看取りができること(病院で亡くなる)。

 ○パナソニックエイジフリーのサ高住のシステムをプレゼン。その強みは①

24時間365日体制でのサポート②救急搬送先との強固な関係の構築③看取

りへの対応、である。

 

3.受講②「福祉用具支援サービスの今後の方向性について」

        (社福)大阪市障害者福祉・スポーツ協会 大阪市援助

技術研究室 主任研究員 作業療法士

リハビリテーションエンジニアAT塾塾長 米崎二朗氏

 

 ○氏の福祉機器への思いの原点。ある16歳の少女が骨肉種に。きれいな足を

やむなく切断。その時、目覚まし時計を投げられた。この気持ちを忘れない

で福祉用具に携わろうと決意。

 ○家族の中で、車椅子を使っていた人が亡くなった。家族はその車椅子を見た

くない。苦しみの記憶が残る。寄付したいと申し出る家族。

 ○われわれは福祉用具の利用者を「障がい者」とか「ハンディキャップ」と表

現しない。「コンシューマー」すなわち福祉用具の「消費者」と呼ぶ。

 ○コンシューマーに来てもらうのでなく、資材を持って出向いていく。

 ○欧州では、景観を壊さずにバリアフリーを実現する。その結果、観光収入を

崩さない。消費者団体と協議をする中で進める。またその方面を専門的に研究する研究者がいる。

 ○世界25カ国を巡った体験より。スロベニアでは、テレビ番組はほとんど手

話つきで、びっくりした。

 ○アジアの福祉制度。上海では、国家に貢献した官僚や教育者への福祉制度は

手厚く、農民は悲惨でおむつも買えない。

 ○アフリカ。用具の品質は向上したが支援者の技術は上がっていない。偏って

いる。

 ○本人は歩きたい。が、その心を理解せず、車椅子を与えている実態がある。

しかたなく車椅子を利用している人をリハビリし、歩けるようにした。自立

支援の福祉用具が一番にされなければならない。

 ○どこに相談したらいいのかもわからないのが実情だ。

 ○マラウイ共和国で2年ボランティア活動をした。日本では昭和から平成に

移る時代。2年後に帰国すると、日本にはCD、プッシュ式電話があった。

 ○長細い国。国道1本のみが舗装されている。大統領のみが通れる道。バス停

の表示がない。住んでいる村からそこまで3時間。そこでバスを2時間待

つ。舗装のないこの国にも車椅子がある。バスは満員で天井にまで人が乗る。

それでも、車椅子の人が乗ろうとすると、乗っている男が「先に行って」と

自分が降りる。日本より〝福祉〟はよほど進んでいると感じる。

 ○マラウイ共和国の大統領はライオンと格闘し、腕を失い、足を骨折し、両眼

とも失明しているという人。村の人にも象に踏みつけられた子がいる。骨折

したが、痛み止めしか支給されない。抗生物質は有料。切断しかない。しか

し金持ちにはベッドもある。

 ○麻薬中毒の母から生まれた13人目の子は生まれつき手足がなかった。真夜

中に、母に捨てられた。その泣き声を聞きつけ、探し当てた。現地ではハエ

が体内に卵を産む。一度だけ、幼虫が皮膚から出てくる。それで体内に引っ

込んだらもうおしまいで、その人は死ぬ。この手足のない子からも11匹の

幼虫を取り出し、命を取りとめた。またエイズで3日間気を失っている子

がいた。寝かせることができない病気。3日後、気がつくと、抱いていた私

を「お父さん」と呼んだ。こうして、いまこの国には「ヨネザキ」姓の子ど

もが100人いる。

 ○障がい者のためにある道具を発案し、このことで大統領に招かれることが

あった。そこで「学校を作ったらどうですか」と提案した。ダメかなと思っ

ていたら、翌日、「リハビリテーションアカデミー」の建設が始まった。「学

校長に」と推されたが、固辞。しかし学校名は「ジロー・ヨネザキ・アカデ

ミー」になった。

 ○アカデミーでは聴覚障害の人とポリオの人がカウンターパートに。スタッ

フ全員が障がい者で構成されている。「障害のない人などいない。障害のあ

る人はこの国を一番理解している。大統領を含めて」

 ○日本に帰国するときに飛行場まで見送りに来てくれた村人たち。お礼にと

ニワトリを2羽。でもそれは持ち帰れない。私には迷惑だが、それはその人

の財産の半分なのだった。空港の近くで、皆で食べた。結果、飛行機に乗り

遅れ、私は映画〝ターミナル〟の体験をした。空軍機に、ロープで身を縛っ

て乗せてもらい、帰国できた。

 ○この国の言葉。

100年経っても、この国は何も変わらない。

   変えないのが、正しい国づくり」

 ○まとめ。これからの福祉用具支援サービスのあり方。技術屋さんはプライド

を大切に。車椅子を作るために、溶接技術も習得した。一番のものを作って

もらいたい。本人そっちのけの福祉用具にならぬよう。

 ○SIVAはユーザーがそれをチェックする制度。厳しさが必要。

 ○障害は個人に帰属しない。「したい」ことができるようにするが福祉用具。

 
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4.受講③「認知症(予防)のために配慮すべきバリアフリーな居住環境」

         NPO法人福祉・住環境人材開発センター理事長

         一般財団法人日本認知症コミュニケーション協議会理事長

                          渡辺光子氏

 

 ○10年前に母が認知症を発症。これを契機にオーストラリアで調査研究。

 ○現状。2010年をピークに人口減少、高齢者増加。2035人には3人に1

が高齢者。2042年以降は高齢者人口も減少するが高齢化率は上昇。2060年、

2.5人に1人が高齢者、5人に1人が75歳以上。→老老介護と認認介護、

単身高齢者の増加が課題に。

 ○軽度認知症400万人、認知症予備軍800万人。日常活動活性化と認知症進

行防止のため、アクティビティ・ケアが重要。園芸や回想法など。それを行

う人材(認知症ライフパートナー)が重要。

 ○認知症の原因となる主な病気①アルツハイマー型②脳血管性③レピー小体

型(虫やヘビを幻視)④その他(ピック病=「万引きは自分の仕事だ」と思

い込む、など)

 ○認知症の治療とケア。できるだけ外出。コミュニケーションをとる。40

代から趣味。散歩、調理、洗濯など。調理と庭いじりは特に有効。五感で考

えるから。

 ○最期まで感性は残る。本人は混乱している。回想が有効。いちばん良い時代

を回想。演歌、クラシック…当人を理解することが大切。

 ○わが国の住宅の特徴と安全への工夫。2006年、住生活基本法が制定。人生

8090年を見越した住宅のチョイスを。庭、花、収穫が認知症予防に有

効。外に出るための住宅の工夫も。自立のキーワードは〝移動できること〟

だ。

 ○家庭内事故での死亡者数では、浴室内が最多。次がスリップ、つまずき等「同

一平面上(じゅうたんでも)」での転倒。

 ○床暖房で、トイレの回数を少なくする。

 ○ヒートショック対策。深夜のトイレで血圧上昇、排泄で急降下。

 ○ある施設では、トイレを表示するのにA4の紙にやたらと「トイレ」「トイ

レ」「トイレ」と。デザインにも工夫を。

 ○認知症高齢者への環境支援指針

  ①「見当識」(いまどこにいるか、どこで電車を降りるのか、いま何時か、

   など)への環境支援。画像で示すなど。

  ②「機能的な能力」(洗面など)では何でもしてあげないで自分でさせる、

使い慣れたタオルを使うなど。

  ③「生活の継続性」。皿洗いなど見守る。表彰状を懸ける。家族写真、故郷

の写真など、家庭的で懐かしいものを工夫。「ゆ」という表示はどちらか

も見える。このようなサイン計画、色彩計画。居場所がわかるよう、「こ

ののれんをくぐると食堂だ」と認識できる表示。視界の確保。話題のきっ

かけづくり。

  ④「ふれあい促進」。認知症どうしの会話は、成り立っていないができてい

る。家族と話せるコーナー。背後に人がいると不安。背後は壁に。

  ⑤「自己選択」。居場所を選択できる。園芸などができるように。

  ⑥「プライバシー確保」。一人になれる。入り口にのれん。ついたてなど小

道具を多用。

  ⑦「刺激の質と調整」。アロマセラピーや化粧療法。五感を刺激。音楽、園

芸、調理、散歩。

  ⑧「安全と安心」。見守れる角度。バリアフリーの風呂。沈みすぎないソフ

ァ。ひじ付き椅子なら自分で立つことができる。障子からの採光も良い。

通路に若い頃の写真など。

 ○居住環境に愛着のあるもの、思い出のあるものを。直覚的に「押す」「引く」

などの単純動作を。

 ○自分で役割を持てるよう工夫。手を出さず助言を。

 ○特に調理は、段取りを考え、良い匂いがし、味覚も必要、刻む音など五感を

使うので良い。

 ○記憶に配慮した空間づくり。短期の記憶は失われても長期のものは残って

いる。「盗った」「盗られた」でなく「いっしょに探しましょう」。「それ昨日

も聞いた」でなく「お茶にしましょう」。

 ○生活への参加。入居者が分担して料理している施設もある。調理を体が覚え

ている。おいしいものができる。自信と誇り。洗濯物をたたむ。

 ○「傾聴技術」。いかに良い聞き役となるか。豊かな会話。花をつんだら「押

し花にしましょう」。

 ○オーストラリアの施設にはバス停がある。「帰ります」という入所者には「バ

ス停まで送ります」と対処。外気に触れると気が晴れる。これをオーストラ

リアでは「気晴らし療法士」と呼んでいる。

 ○オーストラリアの施設に学ぶ。ブルーの床、えんじ色のベッドなど、センス

が良い。壁には「思い出コーナー」。家から思い出の品を持ち込める。

○施設を評価する機関があり、そこから「×」を4つもらうと施設への補助金

がストップする。評価ではアクティビティ・ケアを2人置いているかチェ

ック。ランチョンマットやテーブルクロスまでチェックされる。

 ○しゃれたインテリア、一人で過ごせる空間、美容室ではマニキュアも楽しめ

る。ボランティアで高齢の美容師がやって来る。どちらが美容師か?

 ○動物との触れあいもあり。日本の30人まとめてカラオケでは、まるで幼稚

園だ。会話は、通じていないけれど楽しめている。個人に合わせて行われて

おり、相手のことを知ってこそのケアができている。

 ○ペンキを塗って作品制作。作品は近くの障がい児にプレゼント。

 ○マルチセンサリーガーデン。匂いや触感のつるつる感などを楽しむ。カエル

やトンボがいる。施設には必ず畑がある。

 ○日本でも、茨城に国土交通大臣賞を受賞した施設では模範例がある。コメが

獲れる、歩きながら風鈴を見つけて楽しむ、などの取組み。

 ○まとめ。「私たちのほうがバリアになっている」。私たちもいずれ認知症に。

まず私たちの気持ちをバリアフリーに。そのために認知症をきちんと学び

理解しよう。

 

5.感想

 高齢化の急速な進展と働き手の不足で、この国の様相は劇的な変化を余儀なくされています。

 この国の発展のために汗水たらして働いてきたのに、年寄りには死ねと言うのか、との憤りも聞こえてきます。

 給付、あるいは「措置」をしていれば福祉は万全、万人がシアワセ、という時代は、不可能だし、そしてそれは正しくないことが明らかにされつつあると思います。

 日本が何かにつけて先進国であるという〝思い込み〟が、大なり小なり、誰の心にもあるのではないでしょうか。しかし米崎氏の講演でマラウイ国のことを、「湖が国の3分の1」との美しいスライドを示されながら紹介してもらうとき、福祉の機器や制度では先進国でも、〝心〟としてどうなのか。深く、深く考えさせられました。村から3時間歩き、バス停で2時間待ってようやく来たバスは天井まで人がしがみつく。けれども一人の車椅子の人に、さっさと降りて場所を譲るという、この国の人々。エイズのほか、私たちの知らない猛毒や猛獣と共生しながら、学校帰りに象に踏まれるというようなありさまの社会に、それでも、というよりはそれだからこそ、「福祉」は100年前も100年後も生き続ける。それでこそ国家だ、との達観には、胸を打たれました。

 しかしまた、熱から覚めるまで3日間、不眠不休で抱き続け、目覚めた子から「お父さん」と呼ばれた日本人がそこにいたことも事実。

 このバリアフリー2014に参加し、最大の収穫でありました。展示されているあらゆる最新鋭の機器よりも強烈に、私の心に残りました。この見聞がただちに丸亀市政に反映されるものでないとしても、いつか、その言葉が私から市民のだれかに、議会かどこの席かで語られる日が来る。そのように思い、心に温めたいと思います。

 また渡辺氏は実母介護の体験を経てオーストラリアで実見聞。そのスライドも説得力に満ちていました。

 我が家にも昭和ひとケタ生まれの両親がおり、そして等級1級の障害を持つ娘がいます。だから障がい者や高齢者気持ちが理解できる、というのではそうでない人には分かってもらえないことになりますが、その心を、エレベーターですれ違う一人の人にも向けられる、そんな一人ひとりになることだろうと思います。それが、ほんとうに、国を挙げて、必要とされている時代が来た。繰り返しますが、それは悪いことではない。給付や措置よりももっと高度で豊かな国に、これからすればよいのだと、そう思うことにしたいと思います。

 「私たちこそ、バリアになっていないか」との問いかけとともに。

 数年前にこのバリアフリーフェアを初訪問したときの印象と、最も異なっていたことは何かというと、それは車椅子などでの、障がい者ご本人たちの来訪がとても多いという光景でした。

 皆さん関心深く、興味深く、触ってみたり食べてみたり、車に乗降してみたりしていました。

 同時にまた、前回もそうだったのでしょうがことさら今回気づかせられたのは、若い人たちの来場でした。ビジネスシーンとして、また学校の学習、職場現場からの勉強に、来ている人も多いのでしょう。この人々に未来がかかっている、との感慨を持ちました。

 最後に「サ高住」。何のことだか、ここで初めて知りました。そしてこの感想を書いている今、それは国策の上でメジャーな用語となり、さらに、そこに潜む課題点も昨今新たに浮かんでいるようです。

 展開著しいこの世界。業者も次なるシーンを模索して大いなる競争をしていますが、行政もまた、ニーズと、開発と、法的整備で大わらわだと思います。

 しかたがない。受けて立つしか、しかたがありません。

 先進とか後進とかの判定は別に、いま、「普遍」へと道を開く、そんな作業が進んでいるのだろうと思いました。

 どこまでつかめているのか、見渡せているのか自分でもわかりませんが、こういう機会を捉えて参加し、勉強させてもらって、自分の広げた知見を、議会で、市民へ、最大にお返しすることだと思っています。車椅子を押し付けて〝事足れり〟とするな。この足で立ち、歩きたいのだ。「したい」ことができるようにするのが福祉用具だ。「本人そっちのけの福祉用具」との、厳しい警句をかみ締めます。まさに、行政や政治にこそ、それはあてはまる言葉でしょう。

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