〇マギーズ東京「暮らしの保健室」 東京都江東区豊洲
視察日時 令和5年11月15日 午後4時~5時
視察場所 マギーズ東京
1.視察意図
9月16日にひまわりセンターで講演会が開かれました。高齢者ががんになって病院へ、要介護になって施設へ。そうでなく、住み馴れた町で「最期まで」という考え方を取り入れた「暮らしの保健室」を日本で初めて展開、その一環で「マギーズ」というイギリスの方式に習った「マギーズ東京」を本拠地として活躍される秋山正子さんが当日の講師でした。
ご自身、身内の方をがんで亡くされ、いまの日本の「老後」のあり方に一石を投じた活動を展開し、全国に「暮らしの保健室」はすでに30ヶ所を超えているとのこと。これを丸亀でどう実現したものか。その手立てを伺いに、前述の「キッザニア東京」から偶然にも歩いていける距離にある「マギーズ東京」を訪問、秋山正子さんに親しくお話を伺いました。
2.視察の詳細
これまでの氏の活動の足跡については、講演内容を私なりに抄録して私のブログに掲載しています(9/16付「うちだの出没日誌」)。「病院や施設に入ったらそれで最後まで看取られる」という日本には流れがある。家庭で死を迎えると警察が来て死因を調べたりすることになると誰もが思っているが、そうではない。緊密にまちのドクターなどと連携を取っていれば、警察のお世話になることはない、との講演でのお話に驚きました。また「お腹に穴を開ける」というドクターの説明を、当人の娘さんが聞いて、その理由はよく理解できず、「母の体に穴が開けられる」とだけの説明でふさぎ込む娘さんの相談を受けた秋山さんはドクターに、「なぜ穴を開けなければならないのかをもう少し丁寧に説明してあげてもらえませんか」と。結果、「お母さんがまだ胃ろうの手術をして胃に届けられる力がある今のうちに処置するほうがいいです」との説明を改めて受けて納得した、というエピソードを通じ、まちのドクターと日常、つながっていることの大切さを教わりました。かかりつけ医をはじめ看護師、臨床心理士、役所の包括支援センターなど地域の機関が緊密に連携を取るしくみの構築によって、一度施設から戻ったお母さんは自転車でデイサービスに通えるまでになり、最期を迎えるまでの期間を家族に囲まれ、病室のベッドの管からは解放されて幸せに過ごした、との詳細なお話は、3年前に私も母を見送った経験も思い出されて、胸に迫るものがありました。
さてそれでは誰もが気軽に相談したり、立ち寄って時間を過ごせる「暮らしの保健室」はどのようにしたらできるのか。
これまでの足跡を一冊の本にまとめた、秋山さんが総編集に当たったものを教えていただきました。残念ながらまだ四国と沖縄にだけはできていないのが実情だが、それぞれの施設にはまことに多彩な設立までの経緯がある。そのことを事例ごとに並べられたレポートで詳細に知ることができます。
秋山さんご自身がまず新宿区に立ち上げた「第1号」は高齢化の進む都営住宅を抱える地域の空き店舗の一室を貸してくれることになったことからスタート。そこでの活動はNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも紹介されました。このように固定した場所で営むことに限らず、出前型のものもある(草加市)。人も建物もお金もない状態である看護師経験者が市役所に相談したところ、「そうかリノベーションまちづくり」の構想に行き当たったところから話が前に進みだした、とのこと。駅前の喫茶店を拠点に「出前型」の展開をしている。
マンションの公開空地で体操をするというスタイルの渋谷区の例、大学が主導で展開する大田区の例、多職種連携で「おでかけスタイル」の保健室(川崎市)、カフェと連動する横浜市、そして行政主導型で設立した北海道沼田町。診療所の中に設けたのは由利本荘市。ここではまちのドクターが「治す医療」とともに「支える医療」を目指しているとあります。駅前再開発と連動させた秋田市。場所はなくてネットでつながる山形市の例。団地の保健室を産官学連携で運営する豊明市。特別養護老人ホームの中に位置づけられたり、社協「ふれあいサロン」と連携している福山市。さらに古民家の活用、お寺とのコラボなどまことに多彩な、それぞれの「持てる資源」「人脈」をフルに発揮したスタイルが網羅されていることを学ばせてもらった一冊でした。
秋山さん自身がこの本の中で述べているのは、訪れる人の特徴として「地域とつながっていない」「孤立している」こと。設立に当たっては「それは行政がやることだ」と冷たい批判もあったが今では「住民になくてはならない場所ですね」と評価も一変したとあります。
「ここができていない、これが足りないという引き算の保健指導」ではなく、できていることを認め、自信を取り戻してもらい、自分のこれからをきちんと設計していける、それこそがこれから求められている保健指導ではないでしょうか、と。
今までの人生経験をよく聴き取り、少しの情報を足すことで、自分で決めていくことのできる一人暮らしの高齢者たちや、病気と共に生きていける人々を見るにつけ、まだまだ人間の持つ力を引き出し切れていなかった自分に気づかされます、とも。
「暮らしの保健室」が標準として掲げる「6つの機能」というものがあります。
①相談窓口 ②市民との学びの場 ③安心な居場所 ここまでが基本的な機能。ここからさらに ④交流の場 ⑤連携の場 ⑥育成の場 と活動内容を充実させていくという方向です。「自宅で最期まで暮らし続けたい人々を、たとえ一人暮らしであっても支え続けられるような地域になれたら」。秋山さんはじめ「暮らしの保健室」の設立と運営に汗を流す方々の思いがここに集約されています。
「マギーズ東京」の内装は木調で、くつろげる空間、大きなテーブルを囲んで静かに語らえる場所が演出されています。そこでプロスタッフがさまざまに得意部門を発揮しておられる。秋山さんの広い人脈力で、この土地や建物も快く寄付、協力してくださった人がいた。一方で、部屋の一隅にはロゴマークをつけたグッズの販売もしており、シビアな運営感覚も垣間見えます。もの静かななかに、人を呼び込む人間力と行動力を秘めた秋山正子さんでした。
3.感想
看護師など専門職で働いてきた。それも大切だが、地域で最期を迎えようとする人に自分の持てる力を今一度、注ぐ。そうした心ある人々を糾合し、うまくネットワークをつくり上げて「最期までこの町で」の願いを実現させる。人間性の発露そのもののようなこのような活動を教わりました。
行政という、既存の組織、財政ルールのもとで合理的に組み込まれて仕事をしていく。そういうあり方とはある意味で「真逆」な、人間力だけで勝負する世界と、私の目には映りました。行政は国の省庁のそのまま下位に位置付けられる。2000年の地方分権改革で、そうではないとはいうものの、この年を期に、法律は変わったかもしれないが人はまったく去年のまま。どうしてそんなに簡単に自治体改革、職員の意識改革など果たせるものでしょうか。わが町の高齢者施策はこうありたい、こうあるべきだ、と、行政職員が腕まくりをして街をかけずっている、などという姿が期待できるでしょうか。国の財政という縛りのもと、去年までと変わらない市役所のサイズと人と発想。そこに、秋山正子さんのような斬新で人の暮らしと心に光を当てる人物が何かを企てようとしたときに、周囲の人々、行政の人々がどう反応するか。そこに、個人の人間力ひとつを武器にここまで歩まれた秋山さんの偉大さを見る思いです。
讃嘆ばかりはしておられません。得てして、講演会は開くが「良いお話を聴きました」で終わりがち。たまたま、視察出発前にと事前学習にネットを検索していたら、かつて丸亀市にも「まちづくり」をテーマに招へいした山崎亮さんと秋山正子さんとの対談のYouTubeに出くわしました。山崎さんの時も記憶しています。招へいを当時の部長に提案したのも私でしたが、講演を聴いておしまい、の感が今もあります。同様なことが、ここで起きなければよいのですが。その思いから、今回の上京を思い立ちました。
しかしながら、私に看護職の免許も経験もないばかりか、ドクターや市当局の地域包括などの活動への十分な理解などの知識面でも人脈面でもこれ以上、私にできることが思いつきません。ただひたすら、12月定例会でこのことを報告しつつ、本の設置例の中にあった「行政主導スタイル」の道筋を、どなたかが「よし」と引き受け開拓してくれないか、それを願うしかありません。
12月、全国の人口減少や高齢化の見通しが改めて発表になりました。本に「これからの超高齢時代および多死時代という「専門職だけではどうしようもない時代」がやってきます。そのことへの住民の意識も薄いのですが、”住民力”を高めた「お互い様のコミュニティ」が必要になってくると思えるのです」と。引き続き、意識を持って取り組んでまいります。