
11月12日
○張家港市との公式会談
18:00 国貿酒店(ホテル)の貴賓室
おもな内容
@沈 主任から歓迎のことば
・丸亀市議会議員の訪問団を熱烈歓迎する。
・倉本団長とは旧い友人である。再びお目にかかれてうれしい。
・95年に徐さんの紹介で交流がスタートし、98年には倉本氏とお会いした。99年に正式に交流が始まったが、これまでの成果は倉本氏のおかげである。
・ 今までは経済面など、「合作」してきたが、これからも経済、文化、教育面で交流を深めていけると思う。
・ 友誼を大切にしていきたい。
・ これからも永久にこの交流が続くことを心より祈っている。
・ 吉田議長より手紙をいただいた。吉田議長との再会を楽しみにしている。
・ 私自身、何度も日本や丸亀市を訪れ、経済、社会保障、まちづくりの面でいい勉強になった。
・ 今年1月から10月まで、まちづくりや生活、経済発展、人民の生活発展に向け、頑張っている。
・ 98年の訪中の時とは、張家港市は随分違っていると思う。体育館や図書館も建てた。
・ 訪問団の皆さんを拝見し、皆さん市政のベテランの人たちばかりと思う。いいご指導をお願いしたい。
・ 旧い友と再びお会いでき、本当にうれしい。これからも民間交流、まちづくりの「合作」を深めていきたいので、よろしくお願いしたい。
・ 周市長は、前にお邪魔したとき熱烈歓迎、ありがとうございました、と言っていた。今日は体調不良のために来れないが、よろしくとのこと。
・ 旧い友、新しい友も交えてお会いでき、ほんとうにうれしい。リラックスして、家に着いたような気持ちで、交流しましょう。
A所見
・ 会見場に準備された部屋は大変豪華なもので、地元マスコミのカメラも取材に来ていました。
・ 格式ばらないムードで、大変に歓迎されている雰囲気がしました。
・ 市の建設の熱気と自信があふれているようで、活気ある人たちでした。
・ メインの壁にはタイルの大きな絵で張家港市の全景が描かれていました。その中に、「振興港城 張家港市」とあり、発展している様子が力強く描かれていたのが印象的でした。
○18:30晩餐会
やりとりされた会話の抄録
・ 乾杯の酒は、今年、地元でできた新米を発酵させて作った酒。
・ 現在、張家港市の議員は309人、常務委員は22人。人口は95万人に達し、就職のチャンスは増えている。
・ 上海まで所要1〜1時間半で行ける高速道路が、2、3年後に完成する。
・ 質問 上海からの車中、張家港市に入ったところで看板に「張家港精神」とあった。これはどういう意味か。
・ 答え 96、97年にかけて、私たちはこの市の建設のためにこのスローガンを掲げた。内容は、団結、自分にプレッシャーをかける、常に1、2位を争う、ということである。このことから、全国が、「張家港に学ぼう」というようになった。しかしこれには、日本の努力と頑張りに刺激されたことが多い。
・ これからは議会同志も交流を深め、市民のために、市としてのパワーを強めて行くべきだ。それは議会の責任であると思う。貴市(丸亀市)の議会で、チャンスがあればスピーチをさせていただきたい。
・ 議会は「人民の代表大会」である。人民の利益は他の仕事を圧倒して優先しなければならない。それが議会の使命である。今回の訪問団についても、これは市民の利益のために、皆さんいらっしゃっていると言って過言ではない。私たちが会うことも、これは両市の市民の利益である、と申し上げたい。
・ 市民との会話、議論は、まだ実現していない。たとえば放送局が来て、市民に「満ち足りているか」など質問する、といった場面は、まだない。例えて言うなら、姉妹都市としていわば「結婚」した以上、夫婦喧嘩もあっていい。離婚の可能性だってある。そのくらい、親密につきあっていきたい。
・ 訪問側からの提言 高校生や子どもたち同志の交流はどうだろうか。
・ 訪問側からの提言 ホームページなど、インターネットを通じての交流はどうだろうか。
・ 答え 議会にもホームページがある。議会同志のIT交流を深めることも可能だ。姉妹提携は目的ではなく、手段である。高校生、子どもたちを含め、ホームページ上でQ&Aをやりあい、メール上の文通も可能だ。
・ 「ニーハオ、ニーハオ」のやりとりも否定できないが、これに終わらせず、その上に立って、いわば「恋愛」が始まる。そこで初めて、言いたいことも言えるようになるのではないか。
・ これまでビデオによる交流もあったが、以前のものよりも、より突っ込んだ内容にしてまいりたい。
・ 団長まとめのことば 市長には市長の考えがあろうが、種々の提案について、市長に進言はしていくが、今回は議員団として訪問している。われわれは議会人としての立場で、前向きにこれらの提案実現に向け、取り組んでまいりたい。
A 所見
・ 円卓を囲んで終始和やかなムードで会食が進みました。
・ 姉妹都市提携の立役者である徐氏も積極的に発言し、両市の交流の深まりに熱意ある姿勢の発言をしていました。
・ ここでも、歓迎側の諸氏はまちづくりの意欲と自信にあふれているように感じました。そして双方対等の立場で、今後も深く交流を望んでいることが強く感じられました。
・ 会食後、少し離れている新設なった繁華街の散策を、議長ら自ら先頭に立って案内してくれました。
・ 道幅は広く、歩行者だけの歩道であり、禁煙が徹底され、ゴミがひとつも落ちていませんでした。買い物や散策に集まってくる市民の主な足は自転車で、そのため駐輪施設が整っており、徒歩でゆったりと散策できるようになっていました。
・ 古い建物が取り壊しの途中であったり、まだまだ建設のさなかという印象でしたが、以前にも訪れた議員からは、「以前と全く違う町のようだ」との声が聞かれました。全体に真新しい町のようで、フレッシュな、清潔な印象が強く持たれました。
・ バスでホテルに帰る際、夕方にも通った市役所前には、ライトアップされた大きな看板が浮かび上がっていました。そこには毛沢東の筆跡で金色に「為人民服務」とありました。「ウイレンミンフーウー」と読みます。市民の為に尽す、との、市役所の心意気が、強く伝わってきました。
11月13日
○体育館を見学
@施設の概要
・ 1.8万uの敷地。7000万元を投じ、本年5月28日に竣工。
・ 4000人収容の大アリーナ。
・ 開館以来、オーストラリアのバスケット大会など、国際的な催しも数々開催されている。またそれ以外に、国内の有名な歌手のコンサートなども行われている。
・ 体育館は試合の区域と訓練(トレーニング)の区域に分かれていて、後者は市民に広く開放されている。
・ 明年は世界の女子バスケットの試合が予定されている。
・ 館内の体育器具については、張家港市内の業者を利用し、納入した。
・ この一体は「新世紀広場」といい、スポーツ施設が集合する場所となる。体育館正面の噴水公園をはさんで、向側に「水泳館」10レーンを建設中である。また、体育館裏側には、テニス、ゴルフ練習場を計画。隣接地には、今年12月末、12万人を収容できる陸上競技場が着工される。
○博物館、図書館
・ バスで移動する車窓からの眺めは、道路といい「箱モノ」といい、あちこちに建設途中の姿が見られ、すさまじいエネルギーで町が建設されている、という印象をもちました。
・ 博物館、図書館についても、そのようななかに、ぽつん、ぽつんとできあがっている、という感じでした。しかし博物館は広い花壇の公園を挟んで学校と向かい合っており、その中間には「児童館」が建設され、計画的に文教地区を形成していることが伺われました。
・ 博物館では、市の産業、経済をパネル展示で学習できる部屋や、市民の作品を展示する部屋、さらに古代の当地の模様や出土品などを展覧したコーナーも大規模に設けられており、時間をかけてじっくりと、張家港について学べる施設となっていました。
・ 図書館ではエレベーターで4階まで案内され、ゆっくりと階下に降りながら説明を聞きました。今年9月28日にオープンしたばかりの、真新しい建物です。
・ これまでに6万人が来館、1日当り2000人の来館者。
・ 閉館時刻は24時、とありました。訪問した時刻は午前でしたから、まだ人影はまばらでしたが、午後からは大変に混み合うそうです。
・ 開架書棚はまだゆとりがあるようで、蔵書を今後増やしていきたいとのことでした。現在の蔵書は28万冊、収容能力は50万冊です。
・ その中で、以前、丸亀市長が「日本語図書贈呈を約束してくれた」との話がでました。「あれからどうなっているのか」と、催促されたように感じました。図書による交流、図書館同志の交流も、今後可能性があるのではないか、という話もでました。
・ そうした話の中で、外国図書のコーナーもあり、この一角に「丸亀コーナー」を設けることも考えられる、との意見もでました。スペースは十分と思われました。説明によると、大阪コーナー、横浜コーナーはあるそうです。そうしたコーナーを設け、定期的にリフレッシュしたい、とのことでした。しかしまずは、どんな形にもせよ、スタートさせたい、とのことでした。
・ 1階まで、各フロアを回って降りてくると、お茶を案内されました。図書館のビルの中、玄関を入ってすぐのところに、広い面積で喫茶コーナーが設けられています。これは喫茶というより、ラウンジであり、グランドピアノがあり、カウンターの向こうにはずらりと酒のボトルが並んでいます。バーテンがおり、チャイナドレスの女性がお茶を運んでくれます。これが図書館なのかと思いました。先述のとおり、図書館のオープン時間は午前0時までであり、このことと考え合わせると、図書館という場所の市民の利用の仕方が、なるほどと想像されます。くつろげるスペース、肩の凝らない歓談の場が、こうして図書館と一体となっているというのは、お国柄なのか、ユニークな工夫なのか、わかりませんが、市民が図書に親しむという点では、むしろ合理的なのかも知れません。
・ 前日の議長に代わり、この日は副議長が終始案内をしてくれました。私たちの訪中の間、ちょうど、中国がWTOに加盟することが決定しましたので、副議長にその感想を聞いてみました。答え。張家港市は、主に輸出産業を中心としている。先を考えれば、大変にメリットの多いことだと思う。世界各国の500社が張家港にあるが、そのうち7社が、ここに本社を置いている。マイナス面はないばかりでなく、地元工業をこれからさらに推し進めることができることになると思っている。張家港は日本と似ている。それはまず、原料がないことであり、次に客が外にいることである。それで国外や市外にマーケットを求めようとしている。経営方式は日本と似ている。それはまず土地が少ない(そうは感じなかったが)ことと、それに比して人口が多いことである。900平方キロの中に、80万人余りが住んでいるのだから。以上副議長の答え。
11月14日
○僑誼(きょうぎ)幼児園
・ 1980年設立。華僑が資金を提供してできたもの。職員86人、児童755人、ほぼ10人に1人の職員ということになります。
・ 朝6時半から夕方6時まで開園。
・ 保育と教育の両面を行っています。
・ 国の方針に基づき、徳育、知育、体育をスローガンとしています。
・ 医務室も完備し、医師もいます。
・ 教師はほとんどが専門科出身。60%は4年制大学出身、10%は院生。
・ 児童は一人っ子であり、幼児園に入れると費用はかかりますが、その半分は勤め先の会社が負担するシステムであり、医療費は全額、国が負担します。
・ 入園料は3年間で1万元を一括払い。これは普通程度の生活レベルではなかなか入れない額だそうです。
・ そのほか毎月100元が必要。1日1食、2回のおやつで、食事代としてこのほか65元を支払います。
・ 泊りの施設もあり、24時間体制である。教師、医者もこれに対応しています。
・ 園長談。園児は一人っ子であるから、わがままです。当園では「人をどう愛するか」を教えるのに力を入れています。
・ 1クラスに3人のスタッフでやっています。
・ 親、家庭との連携について。幼児園側から家庭に、教育指導をしています。新学期が始まると家庭訪問を行い、毎月、教育計画を家庭に渡し、親はこれにサインをして、同意をとりつけることになっています。
・ 幼児園の人事権は市の教育委員会にあります。人事異動もあります。また教師には、毎年、資格のテストがあります。
・ 幼児園の教師となるには、さまざまな資格が必要です。英語は4級、パソコンも有段者、踊り、運動、音楽面など、さまざまな技能が必要とされます。
・ 教師は公民(国民)のモデルとされます。16条のルールというのがあり、これを率先して遵守しなければなりません。
・ 教師のための研究の学校があり、現場の仕事もしながら、ここに入って260時間の研究をすることが課せられています。
・ 質問 園長先生の悩みはなんですか? 答え 自分の家庭には4歳の孫がおりますが、家庭人としては、孫たちと接する時間がとれない、というのが悩みです。
○ 崇安区敬老院
・ 1999年12月に完成したこの敬老院は、繁華街を少し入った住宅街のまんなかにあります。入所する老人が隔離されたような思いにならないよう、5階建てくらいのアパートが林立するなかに、建てられています。
・ 以前は託児所だったところで、これも少子化により、敬老院となりました。250万元のお金を区が拠出して建てました。
・ 現在65人が入所しており、年齢は70歳から90歳です。
・ 夫婦二人でいっしょに入っている人もおります。
・ 老人が入所することにより、現役世代の人たちは安心して働くことができます。家族が来院することは多く、時には家に連れて帰り、一泊外泊します。
・ スタッフは現在14人です。院長のほか、ドクター、看護婦、門番も含めての人数です。
・ この施設は入所施設である「敬老院」と、通所施設である「福楽院」との併設です。通所施設には、入所がいやな人などが通っています。
・ 無錫市人民政府が経営しています。
・ 入所65人中7人がいわゆる「三無人員」です。すなわち、労働力がない、子がない、収入がない、の三無です。こういう人は、「基本生活保障金」制度によって、生活費用が賄われています。
・ 希望者に対し、まだ施設が足りません。現在、政府はこのことに力を入れています。政府が600万元のお金を出し、小学校を買い取って、敬老院にする計画が、現在進んでいます。
・ こうした敬老院のほかに、「老年公寓」(老人アパート)という施設もあります。
・ 敬老院の入院料は不要で、食事代含む経費として、一律毎月600元が必要です。ただし、要介護の人は、月800元です。
・ これまで国営が中心でしたが、これからは民間化も進みます。
・ 1日のカリキュラムは、特に決まりはありません。娯楽の時間も、寝たい人は寝ている、といった状況です。
○その他の視察
@鑑真和尚ゆかりの東渡寺
・ 当時、この地から遠い日本に向けて出帆したといわれる場所は、これを記念して東渡寺という寺院が建立され、鑑真和尚がまつられているとともに、その奥には、まさしく港であったことを思わせる石積みが残されており、記念碑が建てられています。
・ 現在は見渡す限りの平地であり、ここが岸辺であったことは一見、想像しがたいものがありますが、張り巡らされた水路が、わずかに、船による盛んな交通の足跡をほうふつさせます。
・ バスを降りてから約100メートル程度の参詣路があり、ここに渡日にちなみ、丸亀市から桜並木を寄贈してはどうか、との発案が、訪問議員のなかから起こっていました。
・ たまたま同寺の住職もおられ、親しくあいさつを交わすことができました。
A張家港市内の改良住宅
・ 図書館敬を訪問した後、バスで数分の距離にある土地改良区ともいうべき地区を訪問しました。
・ 計画的な住宅立地がなされており、その中に建つ、実際の民家の内部を見学させてもらうことができました。門扉をくぐると、素朴な庭になっており、玄関を入ると左右に居間、ダイニングがあり、靴を脱いで2階にあがると寝室、子ども部屋、書斎があります。
・ 一人っ子政策により、多くの家では部屋が余っており、物置に使われている、とのことを車内の案内で聞きました。
視察を終えて
@ 張家港市の議会の要人の方々と親しく意見交換することができ、これまで数度の訪問議員から初訪問の議員まで、それぞれに感動を新たにするとともに、こうした姉妹交流が財政逼迫の中においても、やはり存続されることは意義があると痛感しました。
A 建設の槌音がそこここに響く張家港のまちでしたが、日本と異なり、道路工事ひとつとっても、ユンボとかブルドーザーとかいった機械による作業がほとんどみられず、失礼かもしれませんが、久しぶりに、人間がスコップやつるはしをふるっている姿に接しました。人件費の安さや機械化の遅れを指摘するのは容易ですが、しかしそれ以上に、このように果てしない広がりの大地を、人間の力で開拓しようとしている姿は、どこか神聖な感じさえ受けました。機械と動力に頼ってしまう現代の日本に暮らしていて、何か思い知らされたような気持ちでした。
B 張家港市で視察した繁華街も市の諸施設も、まだできたばかりのもので、光り輝いて見えましたが、それ以上に、建設に携わる人たちの表情や言葉は、自信と誇りに満ちて、輝いていたように思われました。日本という国情も、丸亀市の財政状況も、逼迫した状況にあると言わざるを得ませんが、姉妹都市との交流で、私たちはこれから啓発を受けるものがたくさんあるように思えます。
C 意見交換のなかで、われわれ議会は議会の責任として、人民のため、人民の代表として、議会独自の交流を深めることには大いに意義がある、という旨の対話がありました。子どもたち同志の交流、ITを利用した交流、図書館をはじめ文化芸術における交流、さらに民間人同志の交流など、手法や可能性はさまざまに語られましたが、それは今後、市長をはじめ理事者と協議を重ねて実現すべきものとして、私たち議会として、議員としての交流も、確かに意義深いものがあろうと感じました。
D 今回は張家港市だけでなく、無錫市の施設、上海市内なども巡り、また上海空港から各地に赴く車中から、現代の中国のさまざまな側面を、短時日ではありましたが、目の当たりにする機会に恵まれました。ちいさな日本という国の、また小さな地方に位置する丸亀市というところに生活しながら、こうして遠く離れたところに営まれる生活や自然、文物を体験する機会を得るということは大変にありがたいことであり、海外旅行がポピュラー化した今日ではありますが、単なる観光旅行ということでなく、政治や経済や文化、そして人々の生活にまで立ち入った交流こそ、本当の意味での国際化ではないかと、あらためて痛感しました。私たちはこうした体験をこの復命のほか、できるだけ多くの機会を通じて市民に紹介するように努めたいとともに、今後こうした機会がより多くの市民に得られるよう、心から望みます。とはいえ、いくら世界が小さくなった現代とはいっても、また、関西空港からわずか2時間の旅とはいえ、8万市民があまねくこうした機会を得ることは不可能です。そこで、せめて可能なことから、市民に「行ってみたい」「来てもらいたい」という関心を起こしてもらえるよう、市や議会は今後さまざまな機会を通じて交流推進に意を注ぐべきであると思います。本当の意味での国際人を丸亀市民からより多く輩出するためにも、これは市や議会が取り組むべき、大きな「服務」であると強く感じた次第です。

