「ふるさとづくり2004」参加報告
○催しのあらまし
タイトル ふるさとづくり2004〜「地域の『自立』『連携』『交流』」
日 時 2004年4月12日(月) 13:00〜17:35
会 場 イイノホール(東京都千代田区)
主 催 全国58新聞社 財団法人地域活性化センター
後 援 総務省 全国知事会 全国市長会 ほか
次 第
13:00 主催者あいさつ
朝日新聞社 取締役東京本社広告局長 佐藤 良逸氏
13:05 来賓あいさつ
総務大臣 麻生 太郎氏(代理 総務省政務官)
13:15 第一部 第8回ふるさとイベント大賞表彰式
13:55 休憩
14:05 第二部
基調講演 ジェームス三木氏(脚本家)
元気村からのメッセージ1
沖縄県東村企画観光課長 山城 定雄氏
元気村からのメッセージ2
NPO法人筑後川流域連携倶楽部理事長 駄田井 正氏
15:45 休憩
15:55 パネルディスカッション「地域の『自立』『連携』『交流』」
パネリスト
岡部 まり氏(エッセイスト)
片山 善博氏(鳥取県知事)
関 満博氏(一橋大学大学院教授)
ピーター・フランクル氏(数学者)
コーディネーター
野中ともよ氏(ジャーナリスト)
17:35 終了
○聴講内容
@基調講演 ジェームズ・三木氏
・「あいさつ」というものは太古より、「私はあなたの味方です」という意
思表示だった。したがってあいさつは命に関わるものである。
・「まち」は何故できたか。そのルーツはふたつ。
@食欲系
○防衛、軍事の目的から
○経済面の目的・・・交易に都合がいいから
A性欲系
○個体保存と種族保存の欲求から
雄と雌の出会い頻度を高める。若者はロマンを求める。
・「人は何故、ドラマを見るのか」
・昔から「芝居」とは、芝の上に座って見たからこの名がある。
・昔は一日がかり、仕事を休み、山を越え、木戸銭を払って芝居を見
た。そして泣かされたりして「よかった」と充足。
・ドラマはまず「対立」をまず見つけて作る。解決が難しいほどよい。
・対立、ジレンマがあるからこそおもしろい。
・ニュースで「人がさらわれた」後刻「無事帰ってきた」の報道に、
人間は物足りなさを感じる「悪魔的」な気持ちをも持っている。
・戦争を好きな人と平和を好きな人とは分けられない。みんなどこか
で戦争が好きである。
・出世欲、テリトリーを広げたい、支店を持ちたい、愛人を増やした
い…etc、人間はいつも心の中でせめぎあっている。
・戦争好きな自分とどう折り合いをつけるか、が大事である。
・ドラマにおいても、まちづくりと同じことが言える。
個体保存の本能…刑事ドラマ、医者のドラマ
種族保存の本能…恋愛ドラマ が、それぞれ見る人の本能を満たす。
・「芝居」の昔から、人間はドラマを見るようにできており、またまち
を作るようにできているといえる。
・「地方分権」は「幕藩体制」と同じ
・軍事目的での「まちづくり」をしなくてよい時代になったのに、ブ
ッシュによって後戻りさせられた。
・秀吉は7万5千人もの兵を朝鮮に送ったが、そのわずか9年後には
国交を回復している。そして500人もの朝鮮通信(信を通わせる)
使を呼んでいる。これは「文をもって武に報いる」ことである。
・このことから、まちづくりの基本は「文化」でなければならない。
・世界史上1回目の「情報化社会」は、グーテンベルグによる。
世界中が本だらけになった。どんなに情報化が進んでも、限られた
人生のなかで、どれだけ「有意義な」本を読むかが大事である。
・情報の錯綜。黒柳徹子さんの母は長年「コレステロール」と「コレ
クトコール」を混同していた(笑)。学生に「○肉○食」という問題
を出すと、最近の学生は「焼肉定食」と答える(笑)。「あたかも」
という語を使って文章を作れと出題すると「…が、あったかも知れ
ない」などと答える(笑)
・いま世界史2度目の情報化社会であるが、すべてが正確に伝わると
は限らない。
・相手の身になることが大事、向こうに回って聞いてみる。
・伝え過ぎないことが大事、書き過ぎるとポイントがぼけてくる。最
近のテレビは「再現ドラマ」までして、わからなくしてしまう。黒
澤明監督「どんな映画でも、一言でしゃべれない映画はダメな映画」
・「文化に立脚したまちづくり、国づくりが大切」
・文化だけは、対立しない。
・100年後を考えて、人間は100年後に存続していたほうがいい
のか、していないほうがいいのか。存続していたほうがいいという
なら、今どうしたらいいのか、100年後の子孫にとってどんなふ
るさとがいいか、それを基礎にまちづくりを考えるべきである。
・「トラブル解決能力」と「教育」
・ドラマの主役の条件は
○「トラブル解決能力」を持っていること
○「人生」を持っていること だと思う。
・ドラマの進行につれて、困難がぶつかるシーンになる、そのときに、
トラブルを解決するのが主役、トラブルから離れていく人は通行人。
・人間、幸せであるためにはこの「トラブル解決能力」が欠かせない。
会社も、人生も、すべてトラブルの連続である。それを解決する能
力を身につけるために、「教育」がある。教育の過程で、子どもに「ト
ラブルを与えること」が大事である。たとえば野球のノックと同じ
である。全く捕れないようなノックをしてもいけない、すぐ捕れる
ノックをしてもいけない。トラブルをこわがらなくなってしまう。
本人に適度のトラブルであり、解決することで次への意欲がわく、
そういう適度なトラブルを与えてあげるのが教育である。
・今は親がすべて子どものトラブルを取り除いてやってしまう。そこ
で世の中でちっとも役に立たない若者が出来上がる。
・30年ぶりの同窓会で、あっと驚く変貌をしている人がいる。その
人はトラブルから逃げなかった人である。
・無分別な学問ほど危ないものはない。昔から学問は「善」と考えら
れてきたが、これも危ない。学問が人の命を縮めることになるかも
知れない。学問は「人間を高めるため」のものと考えられてきたが、
今は違ってきている。もう一度、「人間に向かって」ということをチ
ェックする必要がある。
・「主役の要件」ふたつめ「人生をもっていること」とは…。
江戸時代の文献を見ても、人は「人生いかに生きるべきか、死ぬべ
きか」を、それはもう真剣に考えていることがわかる。
・現代人は「タライの水を捨てて赤ん坊まで捨てた」ようだ。
かつて日本が海外に送った使節は、世界で大変称賛された。敗戦か
ら50年、日本のテーマは「生活の向上」だったが、それだけでは
主役にはなれない。
・人生とは個人の文化の集積である。
・日本人は「みんなといっしょ」でないと不安がる。これと対照に自
分流、自分のやり方、こだわりを大切にすることだ。自分だけの持
ち時間、一本の糸を何色に染めるか、自分は後々の人にどう語られ
るのか、を考えていきることだ。
・生活だけしてこの世を去るなら犬でも猫でもできる。「あの人は、ひ
とりだけうまいものを食っていたね」と語られるような生き方でい
いのか。
・日本全国一律に「いい生活」を目指した中で、いい親は、子に「い
い生活」を与えることのみ考えたが、これからはそれのみでなく、
子に「いい人生」を与えることを考えるべきだ。
・この2〜30年間、「いい生活」を終点に考えてきたから、日本人は
つまらない人間になった。
・遊びの中でこそ知恵がつく。
・総理大臣が代わるたびに皆「景気回復が一番」と言うが、そうでは
なく、一国の首相なら「哲学文化」を言ってもらいたい。生活は手
段であり、目的たるものを語ってもらいたい。
・私たちは若い人たちに手段ばかり教えて目的を教えてなさすぎる。
たとえば野球の練習を頑張る。これは目的がはっきりしているから
である。
・ナポレオンとモーツァルトは、どっちが偉いか。今はナポレオンの
お世話になっている人はいない(ブランデーのみ)が、モーツァル
トのお世話にはなっている。まちづくりに際しては「文化」を大切
にすべきである。
A元気村からの発信1〜交流型農村 沖縄県東村
・市民参加の「つつじ園」づくり
・所得追求よりも生きがいあるふるさとづくりを目指した。
・小学4年生から老人までが参加。6年をかけて4.5haの手植え5
万本を行った。今もボランティアで年1回、作業を続けている。
・昭和58年から「つつじ祭り」を始めた。人口2千人の村が、祭り
の期間中3週間で6〜8万人の客を寄せ、1億円の効果がある。
・ダブルパンチ
・村の基幹農業だったパイナップルは平成2年のガット自由化で存亡
の危機に。
・大型リゾートのブームに乗ろうとした矢先、バブル崩壊。
・「身の丈に合ったまちづくり」
・平成6年、(当時企画課長)カヌーで地域活性化を企画したが、「企画
課長の道楽事業」と冷ややかに言われた。
・しかし現在ではエコツアーの時代なり、カヌー体験がツアーのメイ
ンになった。
・自然を資源ととらえ、自然体験型ツーリズムを提案したが、これに
対し村民は「農業を捨てるのか」と反発。しかしマングローブは都
会人に「癒し」を提供、脚光を浴びる。
・修学旅行の受け入れは平成15年度230校に伸びた。
・地域資源を資源を住民が見つめなおすことで、老人にも生きがいが
できた。
・普通の観光だけではわからない、交流型、農業体験、畑を都会人に
貸してアグリネット、パインツアー、エイサー体験などが人気に。
・そうした交流を通じてカップルも誕生。みんなで手作りの結婚式を
した。
・「つつじエコパーク」
・都市住民の滞在の場として計画。また村民雇用の場としても機能。
・セカンドスクール「生きる力」
・去年から開始。2泊3日で農漁業体験をしてもらう。
・県下一のダム湖を利用しての観光船も検討中。
・持続可能なエコツーリズム。行政と住民とが連携することで、世間から
高い評価をいただいている。
・「ニッポンの元気はイナカにあり」
B元気村からの発信2〜筑後川流域の連携 駄田井 正氏
・元気な村とは、元気な人がいる村。元気な人が楽しくやっているところ
だと思う。活動がおもしろくなければ、明日から誰も来ない。
・元気で活躍している人とは、遊び、仕事、学びの3つが一体となってい
る人。活力ある場所とは、この3つが揃っているところだと思う。
・近代、この3つを分けるようになってきた。(組織の分化によって)
・筑後川流域一体化では、その3要素を結びつけ、観光資源のネットワー
ク化をねらった。
・博物館…学び
・リバーパーク…遊び
・リバーマーケット…仕事(地場産品久留米絣など販売。ネット販売も)
これらはすべて「民」の発想であった。
・昔から、日田で取れた材木を筏で流し、河口の大川で家具産業が栄えた。
これが40年前にダム建設によって分断された。それを復興すべく企画
された(当初1回限りとして開催された)「筑後川フェスティバル」をル
ーツに、各町が輪番で持続して開催、平成15年度で17回めとなった。
継続発展のために新聞も発行している。
Cパネルディスカッション
ピータ ハンガリーから昨日帰国。ふるさとであるハンガリーの小学校で
ー氏 百周年記念の講演をしてきた。ふるさとでは父母がユダヤ人ゆえ
に殺された。しかし日本は私を受け入れてくれた。
ツーリズムのよさは「人を楽しむ」ことだと思う。しかし日本の
旅行は、食べ物、地酒…。この国のよさを楽しむ旅と言えるか。
関氏 富山県出身。中国の大連で母のお腹の中にいた。私に母は大連の
話ばかりしてくれた。
そうした背景から、日本の大学生は縮こまっているように思える。
日本人はこれから、アジアのどこでも住めるようにと願い、大学
生を中国に行かせ、中国の工場労働者と一緒に働かせている。
中国では一生懸命働いても月1万円。日本では、役に立ちもしな
いのに20万円くらいもらう。このことを知ってもらいたいと願
う。環境の厳しいところで自分は「なんぼ」の値打ちと知れ。
この体験を経た大学生はその後、大きく二つの方向に進路が分か
れるようだ。ひとつは、アジア規模で働くようになる人。もうひ
とつは、わがふるさとで村長になる人だ。どちらも、「人生の目的」
が見えていて、いいと思う。
片山氏 中央が発して地方が受け止める、というこれまでの仕組みのおか
げで、この国は便利になり、モノが増えた。しかし何か物足りな
い。空虚感がある。「大切なもの、一流のものは東京にある」とい
う観念ができてしまった。東京にある、だから東京に行こう、の
悪循環ができている。
最近、中央政府は当てにならない。これまでは中央が親切、ある
いはおせっかいだったが、地方はそれを「縛り」と感じ始めた。
いろんな方向性を試みることができるのが地方自治のいいところ
である。選挙も、いろんな選び方があっていい。たとえば、地方
で議院内閣制、村長スカウト(シティマネージャー)制などの並存
があっていい。
市民の代表というなら、議会だって老若男女のはずなのに、実際
には老男である。彼らは子育て、教育に関心があまりない。
TTは苦手、と言って、今大切なものは議会で語られず、やたら
建設工事のことばかり議論している、ということになっていない
か?こういうことも、制度を変えて試みられていいのではないか。
岡部氏 私たちの育った時代は、何もかも受身で、困ることのない時代だ
った。ダムができ道路が広がり、それらは良いことなのだと、何
も疑問を感じずに育ってきた。ところが、自分が広がってみると、
「世界の中の自分」というものが見えてくる。「疑問視する」から
こそ見えてくるものもある。
関氏 昔は子沢山だった。イナカにいると親からたんぼももらえない。
東京へ行こう、となった。今は長男長女の時代。東京から帰るイ
ナカはあるはずだ。仕組みは大きく変わっているけれども、どう
やっていいかわからないのが今の時代だ。だから帰ってくるべき
「地方の自立」が大事だ。
昔は、イナカには「産業政策」という概念すらなかった。「人の顔
が見える」のが地域というものだ。大学生と語らいながら、「次の
ふるさとを作る、これ以上の行き方はないぜ」と言ってやる。ポ
ンと背中を押してやると、動き出す若者が増えてきた。
ピー氏 ヨーロッパでは、13世紀、城壁の中が運命共同体だった。その
中で自分たちで法律を作り、人を裁く、それらはすべて「自分た
ち次第」という発想があった。
地域の自立ということを考えるとき、「何が幸せなのか」を問うこ
とが大切だ。何が幸せなのか。30万円のバッグを買うことが幸
せなのか、友達と語っていることが幸せなのか。3万円の懐石料
理を食べることが幸せなのか森の中でお弁当を食べるのが幸せか。
それを「お上」が作るのでなく、自分たちで作る。地方間の連帯
感、連携が必要ではないか。
そこで提案@国内交歓留学を提案したい。A県対抗クイズ番組、
クイズバトルがハンガリーでは好評。地元図書館で数百人が集っ
て開催している。それぞれ地域のいいところをアピールしなけれ
ばならない。地域を知り地域を愛する心を養う。B音楽の授業で、
教科書どおりのほかに地元の民謡を歌わせる。「郷土はいいとこ
ろ」ということを伝えることができる。
片山氏 20世紀梨の原産地は、実は千葉県松戸市。そのご縁で交流をし
ている。佐渡ケ獄部屋は倉吉市とゆかりがあり、武蔵野市と親子
交流を行っている。海、山、バーベキューで、都会の人は強い魅
力を感じてくれる。また一方地元の人たちもあらためて自分の土
地を再認識することになる。「お米がおいしかった」と、武蔵野市
から今年の秋の米を買いに来る人も多く、その地域では休耕して
いる土地がなくなった。県庁に「国内交流課」を。
岡部氏 自分の身の回りをよく思わなくなった日本人。
エッセーを書く仕事をしていて、自分は標準語をしゃべっている
と思ってもちがうことに気づく。昔は方言が恥だったが、方言が
うまく作動している。今日、方言を作動させて交流ができる時代
になったと思う。「標準化画一化」を進める中だったが、方言が恥
の文化でなくなり、「ちがう」ということのすばらしさに着目する
時代であり、「変わってなければ値打ちがない」という時代だ。
片山氏 鳥取県庁では退庁時に必ず一回、方言で庁内放送をしている。「は
よ帰りんさい」など。これを始めた当初はみんな笑った。しかし
今では当たり前に。
ところで大阪の地下鉄アナウンスは関西弁にするべきだ。自分の
方言を恥じないことが始まりだ。「ライフ イズ ビューティフ
ル」という映画は、全編フィレンツェの方言であった。インド人
の英語はわからない、と言われるが、そうであっていいと思う。
関氏 どこからブレイクするのか。
中国に行き、財界の人と会う。トップは75歳、次が65歳、私
は56歳で、彼らより若い。ところが市役所を訪問すると市長は
40歳。私は年寄りとなる。
片山氏 政治も経済も、日本はアジアでトップの老齢化だ。若い人が出て
くるシステムになってない。鳥取県庁では年功序列をやめた。や
めた当初は軋轢もあり、無念さもあった。しかし今はそんなこと
はない。いい仕事をしようとしたら、若返りを図ることだ。
関氏 この国は、上から変わることは難しい。30くらいの市町村と関
わっているが、40歳以下のイキのいい職員とつきあうことにし
ている。そして私塾を作る。こういうメンバーが5人いれば、役
所は変わる。この場合、長老の気に入る突破口も設けておくこと
だ。
片山氏 いま3000の自治体がある。そのうち、動いているのは30ほ
どである。2010年までにこれを300にしたい。1%を10%
にするのはしんどい。しかし10%からは一気に100%に進む
ものだ。かつて自治省時代に、「活性化センター」という組織その
ものを「活性化」したことがあった。
岡部氏 個人の意識を共通の意識にすることだ。「探偵ナイトスクープ」を
見ていて、ひとりが思うことはみんなが思っていることなのでは
ないか。そこに共通のものを見出さなければならない時代だと思
う。またそれができる時代ではないか。
市町村なら、歩いて行ける範囲だ。自分の足で確認できる地域。
地に足をつけて、「自分の」何かを進めていくことだ。
自分の国だけで幸せになれる時代ではないことを、住民はもう知
っている。優劣ではない、「ちがい」の時代に、100年前不可能
だった情報の時代に、今こそそれが可能になっていると思う。
ピー氏 「幸せとは何か」を考える。マダガスカルの新聞が今日、届いて
読んだけれども、この国ではまだ「幸せとは何か」とは言えない。
そこではまだ衣食が足りていないから。
民宿に泊まって全国を歩いている。その方が一生、記憶に残るか
らだ。
ところで鹿児島空港への途中の高速道路上の表示に「Kagos
hima Airport 」でなく「Kagoshima K
uko」とあった。道路公団の仕事か。外国人が読めない。
県から始めるのでも市から始めるのではない。個人から!
日本は江戸時代からの「3つのサルの呪い」から解放されてほし
い。地域は運命共同体、との自覚を持ってほしい。
関氏 アジアは広い、日本は深い。日本は今こそ世界的テーマにさしか
かった。世界に例はない。人間、世界的テーマにめぐり合うこと
なんかそうあることではない。それでエネルギーが出ないはずは
ない。出ないのはまだわかってないからだ。
片山氏 「自立」へ、意識を変えていくことだ。市町村がいまいちばん大事
である。イキがいいこと、ずれてないこと、スピーディであるこ
と、透明性、説明責任…そうしたことが大事だ。
県民には常々「かかりつけの医者ならぬかかりつけの議員を持て」
と言っている。
高齢化を心配しているとするなら、歳をとって住む地域を、自分
で能動的に作っていく、という時代。その意味で「自業自得の地
方自治」という言葉を使っている。これからの時代は自分で作っ
ていく時代。
岡部氏 自分のことをなんとかしていこう、と、子どものことは頑張って
きたと思う。今、オトナになって、自分は自分、人は人、になっ
てないだろうか。
われわれはふるさとを「時間が止まったもの」と捉えてしまいが
ちである。これからは「ふるさとは動いている、生きている」、そ
ういう時代だ。
○参加しての感想
@基調講演 ジェームズ・三木氏
脚本家としての視点からユニークなまちづくり論が展開されました。
「人はどうしてドラマを見るのか」「ドラマの中で主人公というのはトラ
ブル解決能力のある人」など、まちづくりもまた人間が行うものであり、
その究極は人づくりであるとの論点は、人のドラマを扱う氏ならではの造
詣に裏打ちされたものであり、説得力がありました。
まちづくりと言えばハード面の整備を連想しますが、氏はあくまでも
「人」にこだわり、時折、話題が脱線したかに思えるような飄々とした語
り口のなか、ソフト面としての「人づくり」の観点から、現在の教育や子
に対する親のあり方にまで言及、いまの社会が抱えている教育の問題に鋭
くメスを入れるもので、教育という人づくりの原点からの見直しがまちづ
くりの原点、というところで、講演は締めくくられました。まちづくりを
テーマとした催しでの基調講演としてはユニークと言うべきですが、フォ
ーラム全体の中で個性ある位置を占めていました。
また一面、情報化社会ということにも論及され、便利なことが幸せなの
ではない、テレビ番組でのドラマ仕立ての「現場再現」に象徴されるよう
な何でも「与えすぎ」の風潮の中で、判断する人間の力も失われていき、
人と人とのコミュニケーションが下手になっていく傾向に警鐘を鳴らして
おられましたが、まさしく共感するところでした。相手の身になることが
大事、まさしくそれこそが「まちづくり」の基点でもあると思いました。
戦後50余年、「生活の向上」を至上目的として走ってきた日本という国
に、大きな転換点が訪れていることを氏は力説。文化の力を重視して、自
分流を確立しつつ、親は子に「個の文化」を確立させるような育て方を提
案していました。
こうなるともはや「まちづくり」は市役所の機構で言うところの「都市
計画」部門にとどまらず、教育の分野その他にも及ぶものとなります。ま
さしくまちづくりとは、そうしたものなのだと思います。哲学のない、ま
た他者へのいたわりのない都市環境の整備だけがまちづくりではない、そ
のことを深く認識させられた講演でありました。
余談ながら、氏のお話の中にあった言葉「30年ぶりの同窓会で、あっ
と驚く変貌をしている人がいる。その人はトラブルから逃げなかった人で
ある」との一節に強く惹かれるものがありました。実は私も今年が高校卒
業30年。夏には記念の同窓会が予定されています。私も、30年ぶりに
再会した友から「あっと」驚かれる変貌をしている側でいたいものだと思
いました。
A元気村からの発信1〜交流型農村 沖縄県東村
B元気村からの発信2〜筑後川流域の連携 駄田井 正氏
先進地の報告を聞いていつもながら痛感するのは、失敗を恐れない、反
対派にくじけない、オリジナリティのために苦闘する、持てるものを深く
観察している、次の時代のニーズや人々の潜在的なニーズに敏感である、
などといったことです。今回の2つの報告も、まさしくそれらの要素に満
ちたものであり、直接にまねのできるものではありませんが、常々日常に
埋没して新たな瑞々しい発想を枯渇させようとしている日々にあり、元気
と啓発をいただく内容でありました。
こうして東京に出張させていただき、勉強をさせていただいた限りは、
自らが血肉として、うまく「丸亀型」にコーディネートしていくのがわれ
われ議員の仕事であると思っております。
「ニッポンの元気はイナカにあり」まさしく至言であり、議員たる私も
さらに汗をかき、元気を出していかなければなりません。
「元気な村とは、元気な人がいる村」「元気で活躍している人とは、遊び、
仕事、学びの3つが一体となっている人。活力ある場所とは、この3つが
揃っているところ」これからまちづくりを考える上で、これは基本として
身につけておこうと思います。続いて報告では「近代、この3つを分ける
ようになってきた」との指摘もありました。国家主導で進んできたこれま
での道筋が「組織の分化」の悪弊を生んだとすれば、これから地方がまち
づくりの主役を演じるに当たり、これは忘れてはならない点だと思いまし
た。
Cパネルディスカッション
片山氏については昨秋、鳥取での「自立フォーラム」でも聴講する機会
に恵まれ、今回が2回目でしたが、それ故に以前にも増して、氏の言説に
引き込まれました。
関氏の中国の体験に基づく実践報告は説得力に満ちていました。その経
験の上で、今の若者をまちづくりにどう関わらせていくか、さらに、今、
市役所で勤めている若者をどう活かしていくか、ここには大変啓発されま
した。役所の中に「5人いれば、市は変われる」との力強い発言。私はそ
の5人を、早くわが丸亀市役所の中に見つけ、糾合したい気持ちに捕われ
ました。
ピーター氏は母国ハンガリーとの比較や、日本全国を歩いての経験に基
づくお話で、今の日本人が見えているようで見えてない、逆にまた、感じ
ていないようでうっすらと感じている、そんな日本の現状と将来への見通
しを、明らかに示してくれたような印象でした。
世界が見えてこないと、日本の国づくりはできない、また、地域のまち
づくりもできない、それはほんとうにそのとおりと思います。市役所とい
う小さな世界にいて、どうやってそれを実現するのか、ここに私の関心が
あります。それはまず何よりも本人たちの自覚であり自己啓発の問題であ
りますが、同時にまた、彼らを引き伸ばしてあげられるほどの上司の器で
はないかとも思います。そしてその上司の器というものもまた、上司本人
の自覚ではありますが、私たち議員はその上司たちと対峙し、彼らにより
大きな展望や啓発を与えてあげられるような、大いなる論客であらねばな
らないと思っています。その意味で、地方の時代は地方議員の時代である
と、私は覚悟を新たにしております。
片山氏が、鳥取県庁では退庁時に方言で庁内放送をしている、という話
をしていました。「はよ帰りんさい」と。最初は職員が笑ったけれども、今
では当たり前になったとのことです。大阪の地下鉄のアナウンス関西弁に、
との提言もありました。方言を恥じない、というささやかなエピソードで
はありましたが、これは象徴的に、地方にあるものに自信を持っていくと
いうことを表現しており、そこに単に方言放送にとどまらず、職員に何か
しら、与えるものがあるのだろうと想像します。壮大な長期の都市計画も
さることながら、こんな日常の転換から、何かを芽生えさせていく、とい
う観点も忘れてはならないと思いました。
また片山氏は「かかりつけの医者ならぬかかりつけの議員を持て」とも
言われていました。私の琴線に触れる言葉でありました。私も頼りになら
ぬ「ヤブ議員」であってはならない、内科も外科も小児科もこなせる、市
民に安心をしてもらえる、頼りがいのある議員とならなければ、と、意を
新たにしました。
片山氏は「自業自得の地方自治」なる言葉も使われました。果てしなく
独創力、造語力のある県知事だと脱帽しながら、また常々、知恵を働かせ
て、県民のこと日本の将来を考えておられるのだろうと敬服しました。氏
が使われた言葉の意味とは少々異なる受け止め方で言わせてもらいますが、
まさに、丸亀市はこれまで50年、競艇収益に支えられながら、ある種、
改革ということをどこかに忘れているのではないかと、ここ最近考えてい
るのですが、ついに来るべきものが来た、来るべき時が来た、という思い
です。ここで改革に成功しなければまさに「自業自得」。私は今こそ、「来
るべき改革の時が来た、来るべき議員も現れた」とならなければとの思い
を抱いています。
老後が心配、というなら、老後も安心な地域を、住民自らが能動的に作
っていく時代(片山氏)。元気のある市民の声にしっかりと耳を傾け、議員
も懸命の汗を流して、改革の時代の旗手として、地方議員が働かなければ
ならない時だと、決意を固めさせてもらえた内容でありました。

