「自立フォーラム」
と き 平成15年10月11日(土)14:00〜16:50
ところ 鳥取市 ホテルニューオータニ鳥取
○会議の概要
地方分権の中で、中央からの自立に向けて、全国で先進的な取り組みを行っている市・
町長を招いて、自立のあり方についてディスカッションを行う。
問題提起 片山 義博 鳥取県知事
パネラー 福島 浩彦 千葉県我孫子市長
穂坂 邦夫 埼玉県志木市長
河内山哲朗 山口県柳井市長
坂本 昭文 鳥取県西伯町長
コーディネーター 片山 義博 鳥取県知事
○各市町の「自立」に向けた取り組み(当日のレジメから要約)(以下、文責内田)
・千葉県我孫子市
☆単独の補助金を一度全部白紙にし、公募制にして、市民の検討委員会で審査
→「既得権」にモノを言わせない。
→市民と行政、市民と市民のあり方を変える。「欲しい」「出さない」の対立でなく、
市民の幸せのために税金を使う、という土俵でいっしょに考える。決定は「補助
金等検討委員会」という第三者機関が行う。「審査は市民、権限と責任は市長」。
・埼玉県志木市
☆構造改革特区として、「シティーマネージャー制」を提案、大胆な改革。
→市町村長を廃止、代わりを議員から選ばれたシティーマネージャーがつとめる。
→公務員の勤務条件を弾力化
→複数年度予算の導入
→義務教育におけるカリキュラムの弾力化
→教育委員会の廃止目指す。教育長と事務局のみを残し、権限を教育長に。
☆「地方自立計画」による「21世紀型地方運営システム」を目指す。
→国の交付税に頼らない自治体。
→市民との協働による「市政運営基本条例」「行政運営推進条例」の制定。
→これに基づき「市民委員会」を発足。委員はすべてボランティアで、まちづくり
を目指す「第二の市役所」を構成している。
→役所の仕事の9割は、市民に委託することのできるものと考える。残り1割の守
秘義務、専門性要するもの、税金徴収など市民がいやがるもののみを公務員が行
えばいいと考える。結果、市税のみで行政サービスが運営できることを目指して
いる。
☆全国初「25人程度学級」を導入
☆全国初、不登校の児童・生徒に対し有償ボランティア教師を派遣。
☆ほかに「駅型民間保育施設認証事業」「自然再生条例の制定」「公共事業市民選択
権保有条例の制定」など
・山口県柳井市
☆「ふるさとの道づくり」事業
→市内に市道は400km。道路を早く広くしてもらいたいというところには、設計
は市がやる、土地は無償提供してほしい、機械は貸すが、地域のみんなで汗を流
して作ってもらう。
☆「牛の放牧によるうつくしいまちづくり」事業
→耕作放棄地で牛を放牧。人間の草刈よりもきれいに食べてくれる。
☆「庁内起業制度」
→職員のアイデアを積極的に採用する。
☆「ハウス14001」事業
→環境問題へ、市民が目標をもって取り組む。
・鳥取県西伯町
☆「百人委員会」で福祉への住民参加
→介護保険制度スタートとともに、公募に応じた約百人の、肩書きのない住民の手
により、介護福祉の計画、管理を行うことから発展、「西伯いきいきまちづくりの
会」として、町長への提言報告を行う。
○パネルディスカッションでの発言要旨
@「自治から自立へ」
・我孫子市長
補助金を市が市民に出すことが「協働」ではない。行政と市民がそれぞれ自立、
お金を出し合って事業をする。
職員採用では5人の試験委員のうち1人は必ず民間人。透明性を高め、「聖域」と
言われるところにこそ、市民に介入してもらう。
3年前にNPOサポートセンターを発足。「コミュニティ・ビジネス」を徹底的に
発展させようとしている。東京のベットタウンである本市には、今の働き盛りがや
がて定年を迎えることを考えると、今の高額納税者は近い将来、高額年金受給者に
なる。しかしこの方々はノウハウの豊富な人材である。それらの方々の活躍の場と
しての「コミュニティビジネス」を支援するシステムを作る。SOHO合同オフィ
スを整備し、これらの方々に期限付きで低家賃で提供する。
・片山コーディネーターから短いコメント
職員採用に関して。最終段階で甲乙つけがたい2人から1人を選考しなければな
らないといった場合には、「備考欄に議員紹介の記事がない方を選びなさい」と言っ
ている。(笑い)
・柳井市長
(同市長は(財)松下政経塾2期生として、10年の入塾経験を持つことから)今
のシステムは、日本の良さを伸ばせないシステムなのではないか。
人間の力を行かせる方法を用いる組織や会社と、人間の力を疎外する方法を用い
る組織や会社がある。悪循環システムを善循環システムに変えていくことが市長の
仕事。
人間が草刈していたのを牛の力で文句も言わず、きれいに食べてくれることに転
換したことは、善循環システムへの転換と言える。結果、雑草を気にして下を向い
ていた農民が、元気に前向きになった。
資源が見えない、という人は、挑戦する心を失いかけている。
「ベンチャー自治体」と胸を張るべきだ。そして資源が見えるようにする。挑戦
する心に火をつけることが大事だ。
・西伯町長
「公民」という言葉。権利も行うが義務も果たす。そうした住民が力を発揮した
ら日本はやっていける。
平成8年に「きらきら輝く住民」とのスローガンを掲げ、介護保険百人委員会、
環境に関するワークショップ百人、教育改革懇談会など、次々と住民参加を計画実
行。さらに予算編成時期には地域代表に参加してもらい、理解を求めた。
ボランティアを点数化して、銀行のように運営。これが世代間の連帯をも生んだ。
そのメンバー数は最初150人から現在500人になった。
特別養護老人ホーム建設に際しては、市民に公募債を呼びかけた。
・片山コーディネーターのコメント
介護保険について。事業者は市なのに事業者を監督する権限は県にある現行制度
はおかしい。権限を市町に移す。国はこのことに反対し、全国でまだ2県しか実現
していない。
鳥取県では、できるだけ市町に権限を委譲している。その結果、委譲を受けない
市町もあるから、「まだら模様」の権限委譲となっているが、それでいい。
3年前の鳥取地震では、家が押しつぶされ、もう高齢者だけでは家を建て直す元
気もない、町を出て行こうとする人が多いなかで、行政は道路を復旧させようとし
ていた。しかし、誰も住んでないところに道路を作ることになる。そこで、国の反
対を押し切り、県では人口流出を止めるため、被害を受けた人に新築300万円、
修理に150万円上限で補助金を差し上げた。
Aどうやって市民の力を引き出すか、議会との関係はどうなのか?
・西伯町長
百人委員会設立では条例制定段階で議会からクレームが出た。「自分らが代表」
と。しかし、十分、住民と意見交換をし、議論に耐えるものにしている、と議会
に説明し、理解を得た。
・柳井市長
若い市長に対し、議会人は「オヤジ級」。
議会は、相談なしでやったら、やっつけようとする。市長が市民と直接話をす
るのを、議員は嫌う。工業団地をやめる、というとき、議会を後回しし、先に市
民と話したところ、怒られた。
「議会は足を引っ張るもの」と考えないで、理解者、と捉えることだ。
ネット、HPが発展し、市民の声を聞くことはいわば「ヨーイドン」になった。
・我孫子市長
議会に常々、怒られている。(笑い)
市民からの参画は、市長のやることだ。市長の権限の中で参画してもらってい
る。議員も、もっと市民と協働し、市民の知恵を借り、議員立法すればいい。逆
に議員こそ、市長部門に介入して仕事をし、自分の得票を誘導するということな
ら、それで市民参加が自分の権限を食われているような気がするのだったら、む
しろ市長部門は、それを取り返すしかない。
・片山コーディネーターのコメント
権限を濫用するのをチェックするのが議会の本来のあり方。なのに現実は行政
が議員に「根回し」をして賛成を確保しようとしている。
「成誅(せいちゅう)」を加えないようなシステムは・・・近くの国にある。
「根回し」はチェック機能を奪う。議員にも市民にも首長にも不幸だ。
また発表は議会が先か、報道が先か、議論があった。報道を先にして、反発も
あった。しかし議員は最終決定者だ。流れとして、
記者会見→市民の反応あり→修正→本決定→議会上程 こうあるべき。
議案は、無傷では通らない、と思っている。
議員にも公聴会をやっている人がいる。日野市では、議案を「継続審議」とし
ている間に、議員が公聴会を開いている。議員立法もしている。結構なこと。
議会と行政は距離感と緊張感が大切。根回しはやめたほうがいい。
・我孫子市長
東京のベッドタウン我孫子には「寝に帰る」だけの「パートタイム市民」が多
い。これがやがて退職し、「全日制市民」になる。地域活性化を考えるとき、それ
らの市民の活躍の場を設けること、ここにしか活路は開けない、と考えている。
男性は職場で「偉い人」でリタイアする。住んでいる地域で「軟着陸」に成功
するかどうかが後半の人生にとって大切。男性の難点は、「役員にはなりたがるが、
社員にはなりたがらない」ところ。退職してみると、これまで「○○部長の奥様」
と、奥さんが呼ばれていたのが、逆転して「○○さんのご主人」とご近所から呼
ばれるようになる。こうした人材をコミュニティで活用しない手はない。
・柳井市長
「まちなか」では、リタイアした男性に知識はあるが手足がない。「いなか」で
は、年寄りには手足がある。芸予地震のとき、「瓦が落ちたから何とかしてくれ」
と電話をかけてきたのはすべて「まちなか」の人だった。ここから、「ふるさとの
道づくり事業」を着想した。
・志木市長
本市は「シティマネージャー」「市民との協働条例」を作った。市職員は現在の
530人を将来50人にする構想である。職員は1割でいい。あとはシティマネ
ージャーと市民に委託する。
国、県、市が役割分担を明確にし、国は口出しを控えるべきだ。そうでないか
ら自立できない。地方分権一括法は、いわばボールペンをもらってもキャップだ
けしかもらえないのと同じだ。芯がなくて書けないだけでなく、置く場所にも困
るものだ。
教育委員会の廃止を目指している。現行の教育委員会の制度は、権限はあるが
責任者がいない制度だ。
利害調整も市民ができるクセをつけなくてはならない。
予算づくりにおいて、170億の総予算中、投資的部分の10億円に関しては、
市長も作る、市民も作る(250人会を発足)。だから議会も作ってはどうですか、
と申し上げたが、議会がまずやめてしまった。
・片山コーディネーターのコメント
教育委員会に関して。市立小学校なのに教員の人事権はない。教科書の選択権
もない。昭和20年までは、教育長は選挙制だった。これは米国の制度を習った
ものだったが、やめて間接選任となった。名誉職的で、非常勤の教育委員となっ
ている。そうでなく、体を張ってやってもらいたい職務であるが、そうはなって
いない。
・我孫子市長
介護保険の要介護度の判定において、厚生労働省の指導の判定ソフトを改変し
た。「けしからん」と言われた。寝たきりの痴呆と動ける痴呆とで、後者を重くし
た。これには市民の同意を取っていたので、もし国から「けしからん」と言われ
て元に戻すなら、今度は市民から「ちゃんとやってない」と非難されるだろう。
介護は自治事務なのだ。国に従う、という態度をやめ、自立の精神をもつことだ。
市長が国に向けば、それは市民に向いてないことになる。市民に向いた姿勢で、
判断をしていこうと思う。
・柳井市長
地方分権一括法について。法は「かたち」である。これを有意義あらしめよう
とする市であるか、そうでない市であるかで、結果が分かれると思う。
特区の構想は大きな機会だ。「エネルギーの地産地消特区」の構想を持っている。
・片山コーディネーターのコメント
かつて「砂丘でコンサートを」と企画したところ、「国立公園」の縛りがあり、
膨大な資料書類を提出させられたことがあった。また今日5年リース契約は日常
的にあるが、自治法上の単年度会計の原則があり、毎年債務負担行為を起こす必
要がある。改革特区で企てたが、先に自治法を改正されて、それは解決した。
いま、「議会特区」の構想を呼びかけているところだ。
・西伯町長
介護保険導入に際し、本町の「百人委員会」で、受益者が負担を覚悟した、そ
の矢先に、当時の亀井政調会長が「負担はさせない」と判断を示した。これに対
しては強く抗議を行った。
保育園の入園に際しては、おじいちゃんがいるため「保育に欠ける」と判断さ
れない、そこで、おじいちゃんを「要介護にしよう」というおかしな動きがあっ
た。
長い間続いたシステムを打ち破る気持ちを持たないといけない。そのためには
住民の力、住民参画がてっとり早い。介護保険、こんなむずかしいモノは、市民
にはわからないだろうと最初は考えていたが、百人委員会を通じ市民は理解した。
行政の限界を破るのは市民参画である。それが自立へとつながる。
・志木市長
市民252人による「第二の市役所」構想を進めている。市の施策については、
市役所とまったく同じ構造を持つ「第二の市役所」に必ず諮る。
国保の保険証には細かい字で説明がある。誰が読むか。こんなことまで、市は
国に縛られている。
○参加しての感想(内田)
この復命書の作成が遅れたことにより、明16年度の国家予算のあらましが示され、
いわゆる「三位一体の改革」は、現在のところ地方の財源を削除するということのみ
が明確にされ、今回フォーラムの席上でも話題となった地方分権は、まだまだ理想の
姿から程遠いものであるという印象を強くしています。
しかしながら、この日全国から集ったパネラー各位は意気軒昂で、地方自治から地
方自立へという時代の潮流の中、まさしくこの国のシステムの悪弊に風穴を開けるべ
く、時には国と対峙し、また議会と対決をしながら、住民の幸福、次世代の自治体の
あるべき姿を模索して、飽くなき試みを行っています。
いっしょに参加した同僚議員も「こんなに啓発を受け、充実していた出張はなかっ
た」と、帰途洩らしていましたが、わたくしも同感で、日常の中で「当たり前」「しか
たない」とすませていたことも、取り組みを変えれば、また視点を変えれば解決策が
見出せる、そんな思いに満ちさせてくれる、得るところの多いフォーラムでありまし
た。
まず、この国はこれまでにない大きな転換期にさしかかっていて、国と地方のあり
方も、その例外ではないことを、あらためて痛感させられました。
それは「国が決めていることだから」という「あきらめ」は、もはや「甘え」でし
かない、ということです。それは市長、議員には、これまで以上の重責があるという
ことを意味します。まずは何から手を染めるべきか、議員として今、取り組むべきは
何なのか、改めてしっかりと、考えをめぐらさなければならない、そんな気持ちにさ
せられました。
このことに関連して、表現は悪いですが、地方はもう何十年もの間の現行のシステ
ムに「飼いならされて」しまい、従来の発想の仕方に馴致してしまって、ある種「萎
えて」しまっているのではないか、と思っています。
先日読んだ本の中に、外国のことわざで、
「新しい箒は、よく掃除できる」とありました。
人間、だれしも、いつまでも発想をみずみずしく持ちたいものですが、議員にせよ
職員にせよ、なかなか難しいことでもあります。
市のトップを始め、幹部職員が発想、意識を転換することにも意を配りつつ、ここ
では、われわれ年齢に関係なく期の若い議員がフレッシュな発想で市の改革をリード
していくことの必要性を、確認しておきたいと思います。
パネラーの首長各位は、ほんとうに「若い」、と感じさせられました。
次に、住民参画ということが地方の自立にどれほど重要であるかということを学び
ました。
わたしは現場、市民との最前線にいるという自負を持っていますが、そうであれば
あるほど、日常、この「住民参画」ということほど手ごわいものはない、そう実感し
ています。
「それは役所のやることだ」という発想から、市民はどうやって意識を変えてもら
えるでしょうか。現実に立ち返って思うとき、それは本当に、なまやさしいものでは
ありません。
投票率の低さに始まり、嘆くべき市民の意識の低さは多方面で指摘できます。
「公民」という言葉があるパネラーから使われていましたが、まさしく「公」とい
う住民感覚の欠如はいちじるしいものがあると感じています。むろん、コミュニティ
活動に熱心な大勢の方々もおられますし、子どもたちの教育環境を憂慮する声もあり
ます。しかし、それをどう有機的に結び、市民の声を市政に反映させていくところま
で高めていけばいいのか、その具体論で、正直申して、いつも頭を抱えるのです。
そして多数の、自治会にも加入されない市民、ごみをポイ捨てする市民、選挙に行
かない市民を、どう巻き込むのか。暗澹たる思いさえ抱きます。
しかし、このフォーラムに参加し、それが全国どこでもなされてないのではないこ
とを知ることができました。たくさんのヒントをいただいたと思います。
先進地の実例をそのまま「マネ」してすむことではありませんし、ここが知恵の出
しどころでしょうけれども、決してあきらめてはならないことを教わりました。
次に、この「住民参画」ということに際して、行政と議会のあり方、そして議会は
どうあるべきか、ということについて、行政の首長であるパネラーの皆さんからの発
言はそれぞれ示唆に富んでいました。
「議員の行動は自分の得票増のための内政干渉だ」こんなに激しい口調ではありま
せんでしたけれども、わたしには衝撃的なものの見方と映りました。
もとより、われわれ議員の行動というものは結局は、自分の得票増のための行動と、
言ってしまえばそれまでかも知れません。しかしこの発言内容は決して議員の行動を
牽制するような意図で発せられたのではありません。得票マシーンに成り下がるので
なく、住民の付託を受けたリーダーとして、高い手腕や資質が求められているのだと
わたしは受け止めました。
また「議会報告が先か、記者発表が先か」という問題では、なるほど整理して考え
れば、片山知事のおっしゃるとおりではないかと思いました。
のみならず、日常の「当たり前」の観点が、見方を変えれば逆にも見えるものか、
との思いにさえもいたりました。「新聞を広げて、初めて知った、議会には相談がなか
った」、そのようにクレームをつける場面にもこれまでたびたび遭遇しましたが、それ
は市民から、「議員なのにそんなことも知らないのか」とのご批判をいただくことにな
ることを思うからだったと思います。それはまた事実なのであって、市民も、「議員は
記者よりもよく知っている」という前提を持っていると思います。思うに、これから
「住民参画」ということが当たり前になっていくことを願えば、議員は、行政が記者
発表の前に議員に耳打ちしておかなければ後がまずい、などという発想にいやしくと
りすがるのでなく、議会人も毅然として、住民との語らいの場が持て、意見を集約し
ていくことができるところまで、ステータスを高めなければなりません。そうするこ
とで、住民は議員というもののあり方、議員に働いてもらうことの中身、そして何を
期待すべきかというところまで、時間はかかっても、やがて認識していただけるよう
になる、と考えられます。
そこで、フォーラム席上で示された図式をわたしなりに解釈すると、
@記者発表はまずパブリックコメントの発表とする→
A市民の意見が寄せられる。ここでは議員にも住民意向をすばやく集約する能力と
ネットワークが要求される。住民団体と、いい意味での競争となる。→
B行政への発言。これも住民団体や市から委嘱された委員からの提言と、議会での
議員の発言との「複線構造」となる。→
C行政が適切な修正をし、公式発表と議会への上程。→
D議会では、原案修正、を覚悟する。また議員立法も当然あり得る。
このようになるのではないでしょうか。
ただ、これを書きながら考えるのですが、もしも市が、パブリックコメントの手法
をさらに徹底し、日常化したときには、そもそも議会が先だ記者が先だ、というトラ
ブルは起こり得ないのではないでしょうか。
そのためにも、新聞テレビなどのマスメディアへの発表はやはり決定的な発表と受
け取られがちでありますので、ことの最初にまずパブリックコメントありき、その手
法は諮問委員会、またはネットでの意見集約、このような姿が定着することが望まれ
るのではないか、と考えています。
地域の自立、自治体の自立ということは、もはや時代の流れが要求するものとなっ
ています。大いに啓発を受けた今回のフォーラム。しかし、出張先から帰れば、もと
のままの市役所と市民が待っていました。
「なんでもかんでも市役所に要求してくる市民」、
「『できない』一点張りの市役所」。
議員はともすれば、ある意味で熱心に動けば動くほど、その両者のはざ間で前に進
めず立ち往生してしまうのです。
だが、そこで悩むのが議員だ、と、このフォーラムは励ましてくれたような気がし
ます。要は、そこでどう悩むのか、が議員の資質を決める、と、考えました。
「だめでした」というのは、下。
「そこをなんとか」と、ゴリ押しして実現するのは、中。
(見方によっては、下よりも下、とも言えますが)
そして、自分の悩みをのちに悩む人のために道をつけてあげるべく、研修を積み交
渉を重ねて、システムをつくり、また既存のシステムを改革していくのが、理想の議
員の仕事と言うことができるでしょう。
そう考えると、今回のフォーラムのテーマ「自立」ということは、自治体の自立、
ということからさらに、われわれにとっては議員自らの改革と自立、そのようにも受
け止めることができるのではないかと考えました。
自立といっても、市民の意識が一足飛びに変化するわけがありません。
さりとて、行政の職員が、そう簡単に従来の「殻」を脱却できるとも思えません。
ときあたかも市町合併の取り組みが佳境に入っている本市の状況下、市民の目線を
常に忘れず、しかも住民参画の新しいまちづくりのしくみを高いレベルで考え創出し
ていくという労作業は、議会人たるわれわれに課せられたやりがいのある仕事である
と言えます。
このたびのフォーラムに参加して啓発を受けたもの、個々具体的な先進事例からそ
うした大いなる発想の転換という視座にいたるまで、わたくしどもはしっかりと吸収
し身に体して、何度も反芻し、これからの難局を見事に乗り切っていくための糧とし
たいものだと感じています。