◆塾長のつれづれなるままに塾長の近況を気まぐれにつづったページです)

『過去ログその5』(2000/4/7〜2001/5/31)

◎ (2001/5/31)

【我慢と謙虚さと自己反省】 もしかしたら「世相」かもしれませんし,もしかしたら「親」を含めた広義の「環境」かもしれませんし,もしかしたら「環境ホルモン」や各種の化学物質のせいかもしれません。

子供たちの中には,姿勢良く座って話を聞く態度に欠けていたり,友達(?)と話さずにはいられなかったり,例えば努力の『具体的実践』である英単語の勉強や,小テストの勉強ができなかったり,果ては「目の前の成績」(今年からは,「成績」という言葉を追放することにしていますが)の悪さを誰か(例えば塾!)のせいにしたりする子がいます。

「黙って座ればピタリと当たる」ように,「塾に来さえすれば,勉強ができる」ということはありません。日々の(場合によっては)苦しささえ感じるような積み重ねの上にしか力はつかないのです。そんな,少し考えれば自明ともいえるようなことにも気づかない。そう,考えれば。(それがかの「考える力」の帰結です!)

近年の「自己主張」できることが「一種の美徳」のような風潮の中で,一部の子供たちは,「わがまま」であることが認識できず,自己を省みることができない。

【小学生の英語】 各種の「商業的宣伝」に躍らされて,誤解を生んでいます。曰く,「来年から小学校で英語が導入される!」「英語と言う「教科」が始まる・・・」。

正確には,来年から本格的に始まる「総合的学習の時間」に,「国際理解」の一貫として,英会話を扱えるようになるだけです。「国際理解=英語」という見方そのものは,本当の国際理解から考えると程遠いものがありますが,皮相な観点からは「手っ取り早い」方法ということで,いろいろな小学校で,(すでに実験的にも)取り組まれていたり,これから取り組んだりするところがある,ということです。

本当の国際理解は,あるいは,国際でなくても自国の中での他者の理解は,自己認識を前提とすることは言うまでもありません。そして,自己認識は,自己を見つめ,自己を省み,そして,自己研鑽を経て初めて,やっとぼんやりと見えてくるものです。そうした流れに,「小学校英語」はない,と思います。

◎ (2001/5/8)

【時の流れは速いもの】ですね。「熱心な読者」の期待に背き,もう1ヶ月もたってしまったのですね。この間,決して「言葉をなくした」訳ではありません。「授業記録掲示板」にさえも一言(時には,殆どの人が気づかないような「辛辣な」内容を)書いたり,「みんなの広場」にも「過激な」提案をしたり・・・・。掲示板は簡単ですよね,いちいち「アップロード」しなくてもいいですから。

さて,例によって,1ヶ月という期間にはいろいろなことがありました。「退塾者」も出たし。そういう一種の事件を通して思うことは,やはり「世代の違い」としか言いようがないものです。昔は,(と言っても,ほんの6〜7年前の話),どうして,と思うくらいみんな仲がよかった。勉強でも遊びでも,謂わば『友達第一』のようなところが確かにあった。もちろん,そういう雰囲気が無くなっているとは思いませんが,最近は,「人のことなどかまっちゃおれない!」とでもいうような印象を持つ場面もあります。

【ネット整備をしながら】連休(と言っても,休塾にしたのは,5/4・5だけですが)を利用して,グラウンドのネット整備をしました。数カ月前から「ボロボロ」になっていて,いえ,正確には,ボロボロにされていて気になっていたのですが,時間がありませんでした。ウグイスの声を聞きながら(ウグイスは,ホントに「ホーホケキョ」って鳴くんですよ!),1日をグラウンドで過ごし,ロープを縛る握力の衰えも自覚しながら,周りを見回すと,通行量が少ないことをいいことに,完全に「車庫」になっているんですね,道路が。中には,その道路で洗車や車磨きや,整備までやりだす始末。道路を「車庫」に利用するなんてのは,論外ですが,どうやら車の「所有者」の自宅には十分な「車庫」がありません!ということは,「車庫証明」は「一種の偽造」ということになります。(車庫証明がなければ,車は所有できないはずですから)そういえば,ありましたね,高3でやった英文に。「日本には,そもそも公共という概念がなかったし,ない」という内容でした。

「善良な市民」という概念は幻想に過ぎないと,思ってきましたが,その一つの実例を見た思いがします!

【支持率の高さについて思うこと】新しい内閣がスタートし,その支持率の高さが話題になっています。「憲法改正」を堂々と公言しているのにもかかわらず,です。私が連想したのは,「ヒトラー」です。彼は,それこそ「極悪人」の烙印を押されていますが,その演説のうまさには定評がありますね。そして,まぎれもなく,「合法的に」,それこそ圧倒的支持を受けて,「総統」になったんですよね。それからどのようなことをしたかは,言うまでもありません。

今,この勢いで行くと,本当に「憲法改正」に着手しかねません。「自衛隊」が「違憲」のおそれがあるから,「憲法改正」をというのが「当たり前」のようになりそうな雰囲気さえあります。そして,その「当たり前」を,かの「善良な市民」が支えるのです。自らにしか(正確には自らの目先の利益にしか)目を向けられない人々が。問題は,そうした「流れ」に『棹差す』ことができるかどうかです。『抵抗する』人間を生み出せるかどうかです・・・・・。

先見の明とはよく言ったもので,「戦争」は「政府の行為によって」引き起こされるものだということです。世界には軍隊のない国もあります。コスタリカでは,軍隊を廃止し,国家予算の21%を教育費に使い,中南米一の識字率を誇ります。そうした国に学ぶべきです。『改正』すべきは,「軍隊組織」です。例えば,「災害救助(援助)隊」にして,数百億円の戦闘機の代わりにブルドーザーを,・・・・・そして,災害には一番にかけつける。そうすることが一番の「自衛」ではないかと思います。これは,「憲法改正」しなくても,すぐにでもできますね。

◎ (2001/3/27)

【どう考えてもおかしい!】旧中3の高校入試の「点数開示」の結果(報告)が進んでいます。そして,入試基準に疑問が出てきました。内申が問題とはいえ,また,「面接」も合否の判定要素とはいえ,208点もとって不合格とは納得がいかないでしょう!もちろん,内申にそれほど問題があるとも思えません。???もう少し,点数が出揃ったら,細かく分析してみたいと思います。(しかしF中学は内申点を開示しません。???)

【どうして予備校へ行くの?】大学入試も終わり,不合格になった塾生の中には,「予備校」へ行く人もいます。結論的に言えば,私は,予備校へ行くのには反対です。どうしても,予備校へ行く「動機」に,『勉強は自分でするものだ』という原則に反する「におい」を感じます。不合格には,それなりの原因があります。もちろんその中で最も大きいものは「学力不足」である訳ですが,「学力」が本当に身に付くには,自分に対する厳しい反省が前提になります。決して,「素晴らしい講義」を聞いたり,(不合格者は決して前面に出さず,「合格者」のみを大々的に宣伝する)「予備校」に通うところからは生まれないのです。不合格の原因を「自己」に帰するのではなく,環境とか,学校とか,塾とか・・・そのような所に見つけようとする心は,克服すべき対象以外の何物でもありません。

【なぜ旧高3に怒るのか】大学の合格という観点だけから見れば,今までの彼ら彼女たちの学習姿勢から(もちろん学力から)考えて,そこそこの結果を生んでいると思います。私が「怒る」というより「空しさ」,いえ,正確には「悲しさ」を感じているのはそのことではありません。前期日程が終わり,「後期」に向けて,真剣に取り組まなければならないのに,受験報告や後期の相談がありませんでした!(これは初めてのことです。)

さすがに,合格して遠くへ行く子たちや,不合格でもきちんと「進路」を話しに来てくれた人たちも,そりゃいます。しかし,それは少数ですね。前期の試験前,あれほど「心配」をかけた子たちは,一体どうなっているのでしょう?もしかしたら,「世代」が変わってきているのだろうか,と思わないではいられません。

◎ (2001/3/21)

【高校の合格発表】今日は,公立高校の合格者発表があり,旧中3の諸君の進学先が決定しました。

旧中3,63名中の数字です。丸亀34名,坂出10名,大手前9名,丸亀城西3名,(あとは1名ずつです。)高松高専,詫間高専,善通寺第一,善通寺西,坂工,藤井,香川西

今年は,たくさんの諸君が「涙を飲み」ました。あえて書いておきますが,その結果はある程度予測されたことです。(2人程度を除き)しかし,最近はよく思うのですが,「挑戦」は決して悪くはないのです。可能性が低くても,力が及ばなくても,それはそれとして,その「現実」を真摯に受け止める勇気さえあれば。

高校入試は,「到着点」では決してありません。自らの力のなさを,謙虚に反省することができれば,それは,彼ら彼女たちの今後に大きな力となるでしょう。いえ,なることを願っています。苦しい思いの3年間を経て,大学合格の報告に来てくれた元塾生は一人や二人ではありません。今年の「涙を飲んだ」諸君が,そうした先達に続くことを期待します!(電話の向こうで「泣いている」かもしれない君!見ているかい?)苦難の中でこそ,人は鍛えられるのだよ!

【心の教育はしてはいけない】毎日新聞の香川版に,小柳さん(香川大保健管理センター所長)の書かれる「相談室の子供たち」というのが連載されています。その3月10日付けの記事の「結論」が,この表題です。「心の教育」は,実は「大人」側からの規範や「道徳」の押し付けであり,人の心は育つものであって,育ててはいけない,というものです。(※無断要約!)

「家庭」重視といい,道徳や倫理の押し付けといい,「奉仕活動」といい,文部(科学)省は,自らの反省もなく,また「新しい」教育を始めようとしています。そうした中で,この論文は,慧眼に値すると思います。

◎ (2001/2/20)

【超多忙】いつのまにか時間が過ぎて行きます。1日の休みもなく働いています。センター試験,入塾,新学期,・・・・・こうした忙しさは,果てるともなく続いています。せめて,数時間の休息を,と思っても,そうした時間さえありません。「×熊事件」もあって,その補いも大変でした。自分の責任を投げ捨て,自分の楽しみに生きることが人生だ,という考え(行動)には負けません!そう,たとえ倒れても。忙しさの具体例は,「Lesekreisの掲示板」に書いておきました。

忘れてはならないと思うので,書いています。

【人の価値】すぐに忘れてしまう「国民性」からか,最近の新聞紙面にも関係記事が掲載されることはほとんどなくなりました。そう,あの「新大久保」での,「転落者」を救うために犠牲になった人達です。彼らを「政治的に」利用しようとする動きは,論外にして,あの行為が,なぜ,人に感動を与えるのかは,考えてみなければならないでしょう。それは「自分の楽しみこそが人生だ」の対極にあります。そして,人の持つ『崇高さ』を教えてくれます。もちろん,彼らは「救う」ために,線路に入り(新大久保駅は記憶にあります。小さなホームですし,高架上だし・・・・),結果的に自らの死を招いた訳です。「死」は予測していたのでしょうか?仮にその「危険性」を察知していたとしても,目の前の「確かな死」に手を差し伸べないではいられなかった!その『精神性』に,まさに『神的』な何かを感じるのでしょう。生き物として最大の価値を持つ「自らの生命」を犠牲にして。きっかけは,ささいなことだったかも知れません。しかし,その『ささやかさ』の中にこそ,実は人としての大切な価値が現れるものです。更に,いかに「ささやか」であっても,最大限の犠牲を伴うことはあるのですね。

◎ (2001/1/1)

【新世紀】みなさん新年あけましておめでとうございます。12月30日と1月1日がどう違うのか,と問えば,違いはもちろんないでしょう。あるとするならば,「新年」あるいは「新世紀」になったことでの心的な状態でしょうか。『これではいけない』という意欲があれば,その意欲が燃える契機にはなるでしょう。しかし,(少々の腰の痛みと視力の衰えを除けば)無事に21世紀に遭遇していることを素直に喜びたいと思います。

書かなければ,書かなければと思いつつ,あれも書こうこれも書こうと思いつつ,更新する時間を惜しんでいました。でも書き続けなければなりませんね。(読者もいるし,「塾通信」にも困りますから。)

【天神さん信仰】には根強いものがあります。私たちも31日の深夜には,滝宮天満宮と黒岩天満宮を「はしご」するのが年中行事の一つになってしまいました。(今年の滝宮の混雑は例年以上だったように思います。)そこで,絵馬を買って,今年のセンター試験の塾生平均を予測することも行事になってしまいました。実は。黒岩は小さな天満宮で,近くにあるのですが,実は,私が大学受験のとき,(後で知ったのですが)祖母が『願をかけ』に通ったそうです。(その祖母ももう90歳を越えました。)ですから,行かざるを得ないのですね。そしてそれぞれの子が実力通りの力を発揮するよう,願うのです。実は,こうした行為は,そのような一種の『自己暗示』的な意味を持っているように思います。それもまた,人間の人間らしいところ,という解釈をするのは,年齢のせいかも知れません!

◎ (2000/9/20)

【2ヶ月ぶりの更新です】掲示板には,比較的頻繁に記述していたので,アクセスしていた『有り難い読者(?)』の人たちは,この間のいろいろな行事等をお分かりでしょう。下の記述(7/10)後,合宿準備に入り(今年は,何と「(クーラー付きの)保健室」を新設しました。),合宿が7/31〜8/17まで。18日からは,坂出・丸亀とも授業再開。中3は診断テスト(これが近年では稀に見る「難問」の連続でしたが)に備えて,高校生は,学力テストや模擬テストに備えての授業(従って,山ほどのテスト作り)が8月末まで続きました。その後,高校の第4期(9月〜1月)前半の授業体系作り,その間に,合宿の「ビデオ編集」,そして,写真の整理。第4期(つまり「センター試験対策」)の開始が9月12日。開始すると,「マークシートリーダー」は不都合をきたすし・・・・!半年余りごまかしてきた「歯」も,遂にごまかしが効かなくなり,9月からは「歯医者通い」も始まりました。ふー!(と,やっと2ヶ月間を振り返りました。そうそう,甲子園もあったんですよね。)

【何の為に学習するのか-その1-】合宿後には,『合宿の反省』という感想文を,全員に書いてもらいます。(過去の反省文もすべて保管してあります。その反省文からの抜粋を中心に作ったのが,昨年『発行』した『合宿の歩み』です。)その中で,たまたまめくった(まだ,全部読んでないんですー!)ある子の文章の中に,こうした一節を発見し,当該学年の授業でも話したことを記録しておきましょう。(以下,「授業風」に。)『これは,あくまで「私」の考えですけど。人間が人間である限り,一人では生きられませんよね。物質的な意味でも,精神的な意味でも。言わば,人類の一員として考えたとき,勉強できる境遇にある者は,勉強する責任があると思います。その境遇とは,経済的な意味でも,そしてもちろん能力的な意味でも。そのことが,一人一人が全体の中で生きるということと違うやろか?だから,「やる気が起こらない」とか「部活」とか,そういう「言い訳」は,単なる「わがまま」に過ぎない,と思います。』とまあ,こういう調子です。これには,「ネアンデルタール人の社会保障」(ネアンデルタール人の「社会」でも身障者が,老齢まで生きられた,という英文。)という「下敷き」があるのですが。つまり「責任」とは,いわゆる「国家」や「一般的社会」に対するものでなく,ネアンデルタール人が,(恐らく)「その身障者」のために,食料を確保してあげていたという意味合いにおいての『責任』なのですね。

【携帯電話考-その1-】携帯電話の普及は止まるところを知りません。最近では,「iモード」とかで,メールを送ったり送られたり・・・・。(合宿中にも数台「お預かり」しました!隠れて,メールを送っているんですね。)確かに便利にはなりました。電話ボックスまで行かなくても,「もう試合が始まるでー,はよ起きんかなー!」ということも可能になりましたから。しかし,(電磁波の「脳」に与える影響のとりわけ年少者に対する危険性の指摘は,別にするとして),この機械は,ほぼ完全に(特に精神的意味合いにおいて),各種の共同体,中でも家族関係に根本的な変革を迫っているように思います。「コラー,長電話するな!」とか「また,彼氏(彼女)とおしゃべりかいな」とか,「何と礼儀正しいお友達なの」(逆に,「あいつは誰だ!あの礼儀知らずは!」)とかの出来事を,ほぼ完全に消し去ります。何らかの集団を形成し(例えば合宿を考えてもらってもいいでしょう。),そうした集団で,色々な行事や生活を送ろうとしていても,その中の「だれか」は,他の「だれか」と話しているのです。(実際の「声」でなくても,文字で。しかも文字は,往々にして,表現力のなさとも相俟って,誇張された形をとりがちです。)それは,単に,生徒だけの問題でなく,スタッフ間でもそうです。あの子は・・・,とかこの子は・・・とかの議論は,「メール」によって,意識の拡散を産みます!更には,ここには,「持てる者」と「持たざる者」との格差(単に「情報」量の差だけでなく,なにがしかの「優越意識」のようなもの。…実は,ちーっとも「優越」していませんが!)も生じ,精神的な断絶をも招来します。従って,観察していると,「持っている高校生」の方が「落ち着き」がありません!(あくまで,一般的な話ですよ。)結論的に言えば,ことが商業的利益とセットになっていることから考えても,これを「文明の利器」などと呼ぶことはとてもできません!

◎ (2000/7/10)

【高校の学力テスト結果】すっかり忘れていました。ある人の指摘で思い出したので,第一回の学力テスト結果を簡単に記録しておきましょう。丸高1は,1・3・5・6・7・9・12・・・・・・ということで,100位内人数は32名。丸高2文系は,1・2・4・5・5・・・・・・・ということで,50位内人数は18名。丸高2理系は3・3・6・9・11・13・・・・・・ということで,50位内人数は15名でした。もう一息という諸君もたくさんいますので,第2回(8月末)に向けて,合宿も経る中で,頑張ることでしょう。(そういう雰囲気があります!中には,3・4期通して合宿に来る子もいそうです。)例年,第2回には,学習面で,いろいろな記録が生まれます。今年はどんな記録が生まれるでしょう。楽しみです。ただ,そこまでの苦労は大変ですが・・・。

【ついでに中3の診断テスト結果】も記録しておきましょう。坂出・丸亀を合わせた66名の平均点は181.3点でした。問題が難しかったとも言えるのですが,ほんの数人の不出来が大きく影響したようです。「学校採点」ですから,一律に点数比較はできないのですが,最高点は231点(満点250点)。坂出・坂出東部・白峰・丸亀西で1位でした。附属は2・3位と並んでいるのですが,惜しかったですね!もうすぐ,「部活」も終わりますから,今まで「部活」に精力を注いできた諸君の,(やはり合宿を契機にした)頑張りを期待しましょう!(次回の「診断テスト」は,8月末です。)ただ,この学年は,例年に比べ,「不真面目さ」もありますから,どうなることやら・・・・。

☆くどいようですが,中には「悪意」を持って誤解する人がいるので,念のため。上記の結果は,あくまで,(『原則的学習』を行った)単なる「結果」でしかありません。これらや,進学結果をもって,いわゆる「実績」という言葉を用いたことは一度もありません。なぜなら,それらは「実績」とは思っていないからです。100歩譲って,何らかの価値判断や価値基準や(偏見に近い)「観念・思想」の下に「実績」という概念が成立すると仮定するならば,それは,むしろ,大学進学後や,大学(院)卒業後の,元塾生の『生き方』の中に必然的に現れてくるでしょう。(大学生・社会人諸君,そうした一種の『責任』を感じていますか?)

◎ (2000/7/8)

【世間では夏期講習と騒いでいるけれど】新聞の「折込チラシ」やDMなど,最近の「夏期講習」への勧誘は激しいようです。一人でも多くの塾生を獲得しようと,経済活動に勤しんでいるようです。そうした動向へのささやかな抵抗の意味と,レーゼクライスの存在意義をかけて,『夏期合宿』を行います。例年(それも最近ですが),合宿前には,さまざまな問題が起こります。なぜなら,「合宿に参加しないこと=退塾」だからです。私たちが,完全必修にしているのは,一年365日のうち,中学生なら3泊4日,高校生なら4泊5日のこの合宿だけです。そのわずかの時間さえとれないというなら,そのわずかの時間にも「部活」があるというなら,それはしかたがありません。そのわずかな『クーラーもテレビもないしかも回りにたくさんの人がいる共同生活』を我慢できないのなら,それはしかたがありません。私たちは,それこそ「旅行」に行く事もなく,「法事」に参列することもなく,しかも金銭的利益は限りなく0に近い(もしかしたらマイナス!)という状況の中で,生活することの中から学習の契機と意欲を掴み取るために行っているのですから。しかも,去年,『合宿の歩み』という小冊子を刊行し,全員に配布しています。その中には,ここに書ききれないくらいの私の考えと歴史と何よりも,塾生自身の(もちろん手を入れていない生の)文章があふれています。合宿への想いが綴られています。そして,(恐らく)「退塾」を選ぶ諸君(むしろ親)は,それすら読まない!もしかしたら,読んでも理解できない。正確には,理解しようとしない!

【塾は学校の下請けじゃない!】中には,部活も含め,「学校行事」を持ち出して,合宿に「対抗」しようとする人もいます。常日頃,学校のひどい状況に文句を言い,簡単に学校を休むのに。更には,「学校成績」,それも「〜番」だとかにばかり執心する人もいます。「内申点」は,「〜番」と関係がないことはありませんが,それが全てではありません。(私は,もちろん「内申」は廃止すべきだと思っています。それをすれば,「学校はもたない」ことが明らかでしょうけど。)学校への「提出物」や「授業姿勢」やそういうものを総合した学年の最後の,いわゆる5〜1が内申点であることもかの「執心する人」は知らない!そして,挙句の果てに「成績」が上がらない!などと言うのです。その「成績」とは一体何でしょう?それは単に「〜番」を声高に叫ぶ勢力に洗脳されているに過ぎないのに。私たちは,日々の学習姿勢を最も重視します。塾内のテストも努力さえすれば必ずできるものが殆どです。その努力もせずに,「上がる」はずがないことは自明でしょう。塾に対して,「学校成績」をのみ上げること,そのための「道具」として塾を使おうとする人はまだまだ多いのです。たくさんの塾や家庭教師がそうした見方を助長しています。そうした狭い見方を越えて初めて,本当の力がつくことが理解できない人はまだまだ多そうです!

◎ (2000/6/28)

【一喜一憂資本主義】最近は,メールを出すことも多く(と言っても,「若者」のように,iモードじゃありませんよ),すでに書いたものと思いこんでいました。この言葉は,最近,いろいろな場面で活躍の目立つ経済評論家の内橋克人さんが,朝日新聞に書かれていました。少し引用しましょう。『その日その日の株価や,・・・国内総生産の成長率など,経済の数値に振り回される「一喜一憂資本主義」のなかに私たちは取り込まれ
ている。』というものです。そして,いろいろ述べた上で,結局『どのような時代にあろうと,社会でごく普通に暮らすものの日常性を破壊することが,「改革」の本意であるはずがない。一喜一憂資本主義を超えるために・・・』と結んでいます。
私が,これを「面白い」と思ったのは,そうした社会の現状を子供たちの世界に移してみたときです。子供たちは,日々の点数等に一喜一憂する「親」のもとで暮らし,自らも「一喜一憂」していると。そう見てくると,
子供たちの世界の出来事が「一喜一憂資本主義」の中で起こる様様な事件と重なってきませんか不正をしても,「暴力」を使っても,「目先の利益」を追いかける。まさに,子供たちの世界は,大人世界の反映という古くて新しい指摘が当てはまりそうです。『超える』のは,大変ですね!

◎ (2000/6/27)

【保護者懇談会に思うこと】今年の小学部(小5・6)の保護者懇談会を,従来のやり方を変えて(みて),個別懇談の形で行うことにしてみました。従来,個別懇談は,ほとんど行っていませんでした。私は,以前から,仮に何か問題があるにしても,多くの場合は,そうした問題(ないし,悩み)には共通性があり,そうした問題や悩みを,みんなで話し合うことで,解決のヒントや気付かなかった視点を気付くことになるものと考えてきました。最近の個別化の流れ(この「流れ」には意図を感じますが)の中で,今までの「全体会」という形を変えてみたわけです。そうすると・・・・,驚くほどたくさんの出席(懇談)希望者が出てきました。実のところ,予想外です。もしかしたら,『共同性』という考えは,時代遅れなのかも知れませんね。

【成績記述について】世の中には,「奇特な人」もいるもので,このホームページを宣伝(「悪意」を持って!)する人がいます(もちろん,「匿名」で)。最近,そのような事件がありました。現代の教育状況や「学校成績信仰」を否定しているのに,進学先や成績を(かの「奇特な人」は「実績」などと言っていましたが)記述しているのはおかしい,とかです。それを直接こちらに言わずに,知りもしない「掲示板」に記述するのは,言うまでもなく,「卑劣な行為」ですね。もちろん,何でも「直接抗議」というのが,すべてよい訳ではありません。相手が圧倒的な力(「権力」と呼んでもいいですが)を持っている場合等,特殊状況は存在しますから。話しがずれたようですが,(今まで何度も書いてきているのですが)改めて立場を明確にすると,私は,今も,「学校成績至上主義」には,断固反対しますし,「成績」のみを目指した通塾や,そのためだけの行為には賛同できません。確かに,多くの人(子供も親も)が(それは,レーゼクライスでも),いわゆる「成績を上げるため」という観念に囚われていることは分かりますが。しかし,如何にそうしたことを主張しても,「現実」に対して,何の有効性も持ち得ないようでは,存立基盤そのものも揺らいでしまいます。更には,せっかく集ってきている『感性の鋭い,矛盾を喝破でき,自己の利益のみで動かない多くの子供たち』の居場所がなくなってしまいます。レーゼクライスが,本当に有効であったのかどうかは,そうした子供たちが,「現実社会」に出て,その中に山ほどある「矛盾」をどう解決するのかにかかっています。あるものの否定は,他のすべての面も否定することには繋がりません。そして,分かりやすく言えば,私たちが,そうした立場で現に塾を運営していても,多くの塾や多くの人が「切望」する「成績」を克服できるということです。(100%とは言いませんが。)そもそも「成績」とは,その程度のものであって,どういう立場で,どのような目的意識を持って取り組むかこそが問題であるはずです。

◎ (2000/6/6)

【余り更新しないと,それに慣れてしまいそう】何かと「事件」が続き,新しい体系や授業準備やらで,あっという間に日にちが経ってしまいました。今もまだ,厳しい忙しさが続いています。その一つに原因である丸亀高校の学力テストですが,そのテストを前にして,テスト範囲に関係の無い莫大な宿題を出す教師がいます。殆どの者が,先日終わった「総体」に懸命に取り組み,やっと「テスト勉強」(主に復習になりますね)も真剣にしなければならないと思い始めている矢先にです。(テストは13日)その教師は,かつて,「宿題の提出」を(恐らく)意図的に出さず,試験で100点をとった子の点数を「通知表」に50点と記載した「前歴」があります。復習するときにこそ,初めて力になるということが分からず(恐らく考えもせず),ただ教師の権威にあぐらをかいているのです。(しかし,かつてのその50点にされた子は,東大へ行きましたが・・・)

【ついでに英語のひどさも】丸亀高校では,ここ数年,「英語構文150」という美誠社の本を1年生から与え,試験範囲にします。今回の学力テストでも範囲になっているのですが,その中の例文には,分詞構文・強調構文・仮定法という,1年生には未習の内容を含んだものが多々あります。さて,子供たちはどうするでしょう?多くの子は,ただ「日本語訳(それも「解答」などという名の)」を見て,それを覚えたりするのです。そうした「無駄」な学習(?)がまかり通っています。しかも,「計画的に学習しよう」と言いながら,テスト範囲は,なかなか発表されないばかりか,年間計画も示されず,しばしば,直前に範囲が変わります。しかも,今年の1年生には,新版のものが出ているにも拘わらず,旧版(もしかして「在庫処分」?)のものを買わせています。ただでさえ,中高一貫校に遅れているのに,こうしたやり方は,「邪魔」ないし「妨害」としか言いようがありません!

◎ (2000/5/15)

【昨日の縦割りについて】昨日は,丸亀の5号館での丸亀高校生の『縦割り学習』の日でした。今年の「異変」を記録しておきましょう。従来,ごく一部の諸君や,やむをえない病気などでの欠席はありましたが,どう考えてもおかしいと思われる欠席がありました。特に高3は,その割合からしてひどく,それがまた,現在の高3の状態を物語っているように思います。一種の「閉じこもり症候群」(他人がいると,集中できないとか,授業が無いなら,出なくてもよい,とか,下級生への関心のなさとか・・・)が加速度的に,蔓延しているように思います。そう言えば,高3は,ほとんどが17歳なんですね!高2や高1にも少々。縦割りなど,いわゆる『他人との関係性の構築』は,一種「面倒な」ものかもしれませんが,その面倒くささを越えなければ,いくら「お勉強」してもしかたがないように思うのですが。

【その17歳について】15日付けの「四国新聞」に教育評論家の尾木直樹さんが,《崩れた 先生と生徒の関係》という一文を書いています。少し引用しましょう。「今の17歳は,先生と生徒の関係性が壊れた中学生時代を送った世代だと思う。現場を歩いた経験から言えば,1997年ごろから高校の先生たちが「1年生がおかしい」と言い始めた。これは93年に高校入試が偏差値重視路線から内申書重視路線に大きく転換したことが背景にある。内申書重視路線というのは,学習に対する「関心・意欲・態度」,部活やボランティアの状況,人柄までが全部評価の対象になったということ。・・・・・・・」この事態については,すでに指摘したことがあるのですが(「教育状況」について参照。),要するに,子供たちの日常をすべて「管理」し,「評価」すること,そして,教師の前だけでの「いい子」を生産するということが始まった世代なのです。今回の「バスジャック」にしても,愛知の刺殺事件にしても,そして,かつての神戸の事件(今の17歳は彼と同じ年齢)にしても,バブル崩壊後の社会状況とも重なり,学校におけるこうした状況,そして,莫大な「利益」をあげている,「ゲームメーカー」に代表される,いわゆる「バーチャルな世界」の日常化の中で,「事件」は起こっている(これからも)のです。

【讃岐うどん】ちょっと,「暗い」話題が続いたので,ガラッと話しを変えて,ちょっと自慢の(きっと,K多君もよくご存知の)「うどんやさん」を紹介しましょう。飯山の『木村のうどん屋』と言えば,この辺りでは,結構知られた「セルフ」の店です。最近では,「セルフ」の店も多くできましたが,「セルフ」にしている理由が,「経費削減」がミエミエの,そのくせ,「儲けたい」という気持ちが前面に出ている店が多いんですね。何がかと言えば,木村のシステムを見てみれば明らかでしょう。もちろん,できるだけ「ゆで立て」を食べられるようにしている(つまり,あらかじめ作っておかないということ),従って,常に,「打つ」作業と「ゆでる」作業が行われており,その結果「おいしい」ことは当然です。(もともと製麺所ですから。というのも最近は,「まがいもの」の「打ち立て」が多くて困ります!)では,入店してみましょう。《カウンター(幅約2m)のところで大か小か特大か,熱いか「そのまま」か注文する→しばし,列を作って待つ→出されたうどんの入った丼に,好きな「てんぷら」やコロッケ(その辺に積んでいる!)をのせる→席に着き,自分で生姜をおろして,入れ,「土瓶」に入った「だし」をかける→ひたすら食う。おにぎりが欲しい場合,その辺に置いているケースから,あれば,自分でとってくる→食べ終わったら(私たちは)丼等を重ねて,最初のカウンターの横の幅約1mの出入り口に持って行く→そこで,うどんの大小とてんぷらやコロッケの数を自己申告して,お金を払う。》さて,気付きましたか?そうです。混み合っていれば(昼時などは,むちゃくちゃ混みます),そのまま立ち去ることも可能ですし,てんぷらの数を「ごまかす」ことも可能でしょう。きっと,そういうのもあるに違いないのですが,木村はずっとこうなんですね。しかも,無茶苦茶安い!これは,意図的なのかどうか分かりませんが。セルフではありませんが,以前,皿(おにぎりやいなり)の数やおでんの本数が自己申告だった(よく行っていた)ところがあるのですが,あるときから,変わりました。今でもたまに行くのですが,味も落ちている気がします。

◎ (2000/5/9)

【暑い日が続きます】もしかしたら,このまま「夏」になってしまうのではないかと思わせるような,暑い日が続きます。一昨日,少し雷雨があっただけで,その雷雨も,「声」の割には,ほんの「おしめり」程度でした。明日は,丸高生の運動会だそうです。みんなバテルなよ!運動会もいつのまにか,「紫外線」の強いこの時期に行われるのが普通になりました。共通一次,センター試験の導入で,試験時期が早まり,従来のように秋に行うことが難しくなったのですね。今,議論されているように,12月にも「センター試験」が行われることになると,そして,週休2日(?)(実は学校5日制)になると,一体どのようなことになるのでしょう?もしかしたら,いわゆる「少子化」,大学ビッグバン(定員と受験者数とが同じになる!)とリンクしているのかも知れません。でも,そのころには,「大学院大学」構想がきっと本格化して,「新たなピラミッド」ができあがるのでしょう。

【高校入試の得点開示】今年から,「画期的」なことが始まりました。入試の際の,個人の得点を,個人の請求で開示するという制度です。新高1クラスのほとんどの諸君の得点と,不運にも不合格だった数人の得点が分かりました。「内申点」をすべては把握していないので,(作成しているはずの)「相関表」の作成には至りませんが,大体のことは分かってきました。本当に「数点」で合否が分かれること,決して入試の点数通りには合否が決定されないこと,もちろん,科目毎の出来不出来など,興味あることが随分分かってきました。あとは「内申点」ですね。もっともっと『透明性』を増せばいいんですが・・・。

◎ (2000/5/3)

【今日は憲法記念日】もしかしたら,あと何年くらい「この日」を迎えるのだろうかと思わせる「議論」が続いているようです。そして,それは「政治家」のみが主導しているように思われがちですが,実は,そうでもないようです。いかに『理想』を掲げていても,結局,その理想を現実化するのは,人の作業ですから,人の日常の中に,「改憲の潮流」を見ないわけにはいきません。自己の「利益」(それも「拝金主義」に基づいた)のみを強固に主張し,他者の痛みに鈍感となり,モラルの喪失は眼を覆うばかり。そうした「人」の増加の一因となっているのが,「現代教育」にあることも,ほぼ自明でしょう。『流れに棹差す』ことができるだろうか?

【若者の犯罪】いまもまだ,「バスジャック」が続いている。昨日は,「愛知の管理教育」で有名な,あの愛知で,高校生の犯罪。このような若者の増加は,何を意味しているのだろう?そしてまた,「少年法」の強化が叫ばれるのだろう。それは,上で述べた「改憲」への流れを(感情的にも)加速することになるに違いない。問題は,そこにはないのに!

【5号館の調整】しばらくの間,「予備校室」として使用した5号館の512教室を,教室として使用することにしました。今までも,教室は不足していたのですが,しばらく「無理をして」部屋設定をしていた訳です。予備校部諸君の学習スペースは,学習室の一角に移動しました。大変な作業でした。

◎ (2000/4/26)

【宗教とヒトラー】おもしろい題材ですが,最近「誇大広告」の一種として,「脅威の・・・・」とか「奇跡の・・・・」とか,「秘伝・・・・」とかの「宣伝・広告」が氾濫しています。共通しているのは,そうした,一種の「キャッチコピー?」を何度も何度も繰り返すことです。(実に様様な場面で。)そのような実に根拠のない抽象的な言葉を繰り返すことによって,それらが,まるで真実かのような錯覚を起こさせるという手法です。それらは,かつてのヒトラーのやったことと同じですし,また,昨今問題になっている,「宗教」にも当てはまります。(「超能力」とか「天声」という類)そのように考えてみると,たかが塾の宣伝とはいえ,空恐ろしいものを感じますし,もしかしたら,そうした一種の思いこみ(?)やそのような手法を考え付くということは,人間にもともと具わっている(遺伝子に刻まれた)能力かも知れません。ただ,そうした能力が,だれにもあるとして,問題は,その性向を克服できるか,というところにあることも言うまでもありません。

◎ (2000/4/16)

苦労して植えたチュリーップが,満開の時期を迎えようとしています。季節は確実に廻っているようです。今日は,桜の花びらの舞う中でソフトボールをしました。いつも合宿で使うグラウンド横には,結構大きな桜の木があるんです。その木から,春風に乗って,桜の花びらが舞ってきます。周りの山は萌黄色!その中に,山つつじの赤が混じって見えます。夏になると,「抜く」のが大変な「あの草」も,今は,芽生えたばかりの新鮮な緑で,外野は,まるで芝生です。(これは恐ろしいことになると思いながら)K西君は,ノックを受けつつ,草をむしっていました!

確かに,最低でも週に1回は更新しないと,忘れられそうですね。

【英検を推奨することに】しました。高2のときに,2級を,そして,高3で準1級を,というのを目標に,励まして行きたいと思います。やっぱり,英語は鍛えておかないといけませんから。これが実現できれば,英語の受験勉強などは,簡単ですから!

【誇大広告と改正訪問販売法】どういうわけか,今まで法的な規制のなかった塾に「訪問販売法」が適用されるようになりました。もともとは,電話等も含めた「訪問販売」の悪質なものを,『消費者保護』の観点から,取り締まれるようにする趣旨らしいのですが,文言に「学習塾」を入れたため,ややこしいことになっています。いろいろな団体や「業者」が「自主規制」のようなものを作成し,いわゆる「法にふれない」活動を模索しているようです。ただ,例えば,チラシや勧誘について,その内容,金額,責任者名の記載,また誇大広告の禁止などは,当然と言えば当然のことが多すぎますが。そうした中で,「合格おめでとう」なる大きな掲示板を設置している塾があります。それは,大学入試に関するもので,この時期ですから,今年の合格者を掲示しているものと誰もが考えます。しかし,そこには,去年や一昨年の人の名前が入っているのです。かなり多数!また,「合格者名」に掲載するのは,受験期の半年前の少なくとも3ヶ月間の「指導」というのが,各種の「自主規制」の標準,つまり「誇大広告」として「法に触れない」範囲のようですが,・・・・・!ただ,問題は,そのような宣伝につられる方にあるのかも知れませんが,そうした「宣伝姿勢」が規制を生むということでしょう。残念ですね。

◎ (2000/4/7)

【高校入試と大学入試の結果】

《旧中3生63名の進学先

丸亀高校46名,坂出高校6名,丸亀城西高校2名,善通寺第一高校1名,高松高専1名,高松工芸高校1名,大手前高校2名,尽誠高校特進2名,誠陵高校1名,藤井高校1名。

《旧高3(丸亀58名,坂出17名)生及び塾予備校部生(6名)の進学先

京都大2名(経・農),大阪大5名(工4名・経),神戸大4名(発達・経・農・法),横浜国立大1名(工),東京学芸大1名,千葉大1名(法経),大阪外語大1名,広島大1名(学教),岡山大3名(教・経・医保),奈良女子大2名(理・生),徳島大4名(医・薬・工・医保),山口大1名(工),愛媛大1名(理),鳴門教育大1名,香川大11名(経3名・農4名・工2名・法・教),香川医科大2名(医保),大阪市立大2名(商),会津大2名(コン),慶応大3名(法・商・理工),同志社大4名(文・工・法・商),中央大1名(法),立命館大1名(経),関西大1名(経),近畿大2名(農・薬),四国学院大1名(社)

すでに掲示板等で書いてきたように,高校入試では,丸亀高校の(定員減による)難化が著しかった。(320名の定員に404名もの希望があり,各中学でもかなりの不合格者を出しているようである。)大学入試では,東大・京大が2勝10敗という今までにない厳しさだった。それら以外の大学については,ほぼ順当な結果と見てよいだろう。来年度の挽回を期待している!

【小6に初めての3クラス編成】新高1の募集に合わせて,小6の「編入」も行った結果(編入は,原則として学力試験である),坂出の小6の人数が膨れ上がり,とりあえず算数は3クラス編成ということになった。また,従来合同で(つまり全員で)行っていた理科・社会の授業も2クラスに分割することにした。(これには,強力なメンバーの加入という幸運もあった。…「スタッフ紹介」参照。)

【この間】更新が遅れ(正確には更新する時間がなく)たので,この間の主な出来事だけでも整理しておきましょう。3月19日は,小雨の中,今年度最初のソフトの公式戦!(市の春季大会)10数年来勝てなかったチームに勝ち,決勝で敗れたものの準優勝!高校入試の合格発表が21日。その日から新高1と編入生(小5〜中1)の受付(3日間)。ということは,21日の前には「募集広告」を作り上げていた訳ですね。それから入塾試験。もちろん平常授業をこなしながらです。そして,26日には甲子園!29日はソフトボール大会。ということは,メンバー(チーム)分け等を作らなければなりませんでした。30日は予備校部の3号館から5号館への引越し。31日,4月1日は新学期の授業体系の完成とか花壇の手入れとか,各部屋の調整とか。2日は3日の大掃除の準備。・・・こうした作業が乗り切れたのは,たくさんの大学生諸君のヘルプによります。感謝感謝!


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