第1話 朝霞せりな

「せりなー、遅刻しちゃうよー。」
「ちょっと待っててー。」
朝霞せりなの家は、閑静な住宅街の中に建っている。生活水準は、中の上といったところだろう。
「おまたせ、深森。ママ、行ってきまーす。」
「遅いぞ、せりな。」
「えへ、ごめんごめん。」
せりなは、東條学園中等部の一年生。遅刻の常習犯である彼女は、数日前から、親友の鶴瀬深森と一緒に登校することが、担任の先生に義務づけられてしまった。深森も決して優等生というわけでは無いが、時間には妙にきっちりとしている性格のため、この難役を仰せつかってしまった。
「まったくもー、あんたに合わせていたら、こっちまで遅刻しちゃうよ。」
「反省してまーす。」
「それ昨日も聞いたよ。その前も。学習っていうか、進歩ってものが無いのよ、あんたは。」
「ふみー。」
勝ち気な深森は、時折せりなをこのようにきつく言いのめすことがある。しかし、どうのこうの言いながら、しっかりとせりなの面倒を見ている。だからせりなは、どうのこうの言われながらも、深森の親友をやっているのだった。

東條学園の校門に続く遊歩道にさしかかると、登校中の2人の生徒と出くわした。
せりなの級友、瑞穂スヾキと新河岸須美である。
「おはよう、せりな。今日も遅刻しないで来れたんだ。凄いなぁ。」
何にでも目を丸くして感心する瑞穂スヾキは、そのどちらが姓だかわからない変な名前を嫌っていた。だから、友達は彼女を”瑞穂”と姓の方で呼んでいる。
「あたり前よ。無遅刻無欠席だ・け・がとりえの深森に付き添ってもらっているんだから。」
「なによ、それ!」
優等生の新河岸須美は、とにかく負けず嫌いである。負けず嫌いな上に一言多いので、勝ち気な深森と激突することがしばしばある。どうやら今回は、せりなの出迎え係に、先生が深森を選んだことが気に入らないらしい。無遅刻無欠席は私も同じなのに、なぜ自分より深森の方が選ばれたのだろう。それが、彼女の負けず嫌い精神を加熱させたようだ。
「やめてよ、朝からもう。深森もスーちゃんも、会えばいつもケンカごしなんだから。」
いつものように、せりなが割って入る。
「あの…。」
ケンカごしの二人を見て、おろおろしていた瑞穂が、言い辛そうに口を開いた。
「そろそろ、始業時間なんだけど…。」
「あ、いけない。」
4人は大急ぎで学校へと向かった。

「みなさんに新しいお友達を紹介します。」
せりなのクラスの担任・柳瀬川先生は、眼鏡をかけた、冴えない女性である。年齢不詳、独身。その柳瀬川先生が、黒板に二人の転校生の名前を書き出した。

 御月野マルル  加納ミミナ

「ミミナにマルルだって。カタカナの名前だよ。ガイジンかな?」
深森が、一つ前の席のせりなに小声で話しかけた。
「ささ、入ってちょうだい。」
柳瀬川先生が合図すると、教室の前のドアから2人の転校生が入って来た。2人の緑の髪と青い目が、生徒達の目を引いた。
「こんにちは、加納ミミナです。ロンドンから来ました。」
「御月野マルルです。よろしくマル。」
ミミナと名乗った少女にひじで小突かれて、マルルと名乗った少年は慌てて言葉を訂正した。
「マル…じゃなくて、…です。」
瑞穂は目を丸くして感心している。
「帰国子女さんかな、凄いなぁ。」
須美は腕を組んで考え込んでいる。
「緑の髪って、ちょっと見掛けないわね。最近のイギリス人はああなのかな。」
一方、男子の注目は、当然ミミナ一人に集中していた。特に寄居、玉淀、男衾の3バカトリオの浮かれようといったら無かった。
「まったく、うちのクラスの男どもときたら…。あれ、せりな?」
「え?う、うん、そうだね…。」
ミミナは、あきらかにこっちを見ている。せりなはミミナの視線が気になって、深森の言葉が耳に入っていなかった。
「(あの子がそうなの?マルル。)」
「(間違い無いマル。)」
ミミナとマルルは、この二人以外には聞こえない手段で会話した。当然せりなには、この二人が自分のことについて何か話していることなど、知るよしも無かった。

昼休み。転校生二人は、クラスの生徒達の質問攻撃を避けるように、早々に何処かへ消え去ってしまった。教室では、3バカトリオが井戸端会議に花を咲かせている。
「俺が思うに、あのマルルって奴、ミミナちゃんの家来か何かだな。」
「家来?なんだそりゃ。」
「イギリスにはまだ貴族だとか、そういうのが残ってるんだろ?だから、それさ。」
「うーん、確かにあの二人の態度って、ほとんどお姫様と執事みたいだよな。」
「だから、まずはあいつを俺達の仲間に引き入れるのさ。そうすれば、直接ミミナちゃんに接近するより、容易に仲良く慣れるんじゃないか?」
「さすが玉淀。将を射んと欲すればまず馬からってやつだ。」
「それ、違うと思うぞ。」
離れた席でその話を聞いていた深森が、ほとんどため息に近い言葉を吐いた。
「ぶぁーか。直接本人にいいなさいよ。」
「あら、珍しく意見が合ったわね。」
須美が言葉を挿んで来た。二人はしばらくお互いの顔を見合わせた後、
「ふん。」
互いにそっぽを向いた。瑞穂は二人の様子を見て、おろおろしている。
「こんな時せりながいれば、すぐに仲裁してくれるのに…どこへ行っちゃったんだろう。」
気まずい雰囲気は、須美が不愉快そうに教室から出ていくことによって解決した。

校舎の裏にある古いベンチの上に、せりなは横たわっていた。深森のおかげで遅刻をしなくなったのはいいが、やはり慣れないことをするものでは無いらしい。とにかく眠い。ここなら誰にも邪魔されないだろうと、せりなは目を瞑った。こんな場所で眠ってしまえば、午後の授業が始まっても、誰も起こしてくれないことは容易に想像できるはずだが、今の彼女には、眠さの解消が全てに優先していた。
しかし、約2名、せりなの安眠を妨害する者がいた。
「人間の姿でいるのは疲れるマル。」
「何度も言うけど、私以外の人がいる時は、語尾にマルって付けちゃだめよ。」
ミミナとマルルの声が聞こえて、せりなの目は一気に覚めてしまった。ベンチの上にせりながいることに気付かずに、2人は秘密の会話を始めていた。自己紹介の時に、ミミナは自分の方を見ていた。午前の授業中も、頻繁にこちらを見ていたような気がする。いったい何のつもりなのだろう。少々気になっていたせりなは、ベンチの影に身を隠して、二人の会話に耳を欹てた。

「今日のことを報告するマル、ミミナ王女。」
「(王女?王女って、ミミナのこと?)」
ミミナは緑色の宝石をはめ込んだ指輪をはめると、一人で喋り始めた。
「朝霞せりなを見つけたわ、お姉様。」
「(お姉様?あの子とマルル君の二人しかいないのに?)」
せりなにわかるはずは無い。ミミナは左手の指にはめている指輪と会話していたのだ。指輪からの返事は直接ミミナの精神に伝わっているので、傍から見ると、一人で喋っているように見えてしまうのだった。
「第一印象は、ちょっと、というか、全然たよりなさそうだったわ。………ええ、そうね。今はあの娘を信じて、全てを託すしか無いのね。………ええ、わかっているわ。………ええ。」
「(何、何を話しているの?全然わからないよ。)」
せりなには、指輪がミミナに何と答えているのかわからない。そもそも、ミミナが指輪と会話していること自体、気付いていないのだ。
「………ええ、わかっているわ。だけど…。」

ミミナと指輪の会話はまだ続いていたが、突然、マルルが声を上げた。
「ミミナ王女、危ないマル!」
見つかった!一瞬、せりなは身を縮めたが、マルルが声を上げたのは、せりなのことでは無かった。突如、上方から降ってきた鎖が、蛇のようにうねって、あっという間にミミナを縛り上げてしまったのだ。
「あうっ!」
「あはははっ、いい格好ね、王女様。」
いつの間にか、塀の上に、仮装大会から飛び出たような格好をした少女が立っていた。彼女の手には、ミミナを縛っている鎖の一方が握られている。
「ショーテル!ミミナ王女を放すマル!」
「そうはいかないわ。ふふ、哀れなものね。頼りのナースエンジェルも見つからず、異郷の地に果てる、か。ここでクイーンアース王家の血筋は絶えて、新しい時代の幕開けになるのよ。」
ショーテルと呼ばれた少女が指を少し動かすと、ミミナを縛っている鎖がきつく絞まっていくのが目に見えてわかった。ミミナの体が締め上げられる。骨の軋む音が聞こえてきそうだ。
「やめて!」
せりなはベンチの影から飛び出してしまった。
「何よ、あんたは?」
ショーテルに睨まれて、せりなはすくんでしまった。
「ひ、人を呼ぶわよ!」
「呼べば?来た人が死ぬだけよ。」
どうすればいいかわからず、ただあたふたするせりなだったが、彼女の姿を見て、ミミナの目に勝機の光が宿った。
「マルル!」
「はいマル!」
ミミナは、わずかに動く手首を振って、指輪を落とした。マルルは手際よくキャッチして、せりなの方へと走って来た。
「あ、こら!その指輪をどうする気!?」
ショーテルの左手から怪光線が放たれ、走るマルルを後方から襲う。マルルは寸前でそれをかわし、せりなの元へ辿り着いた。
「これを指にはめるマル!」
「こ、これを?」
せりなは恐る恐る指輪をはめてみた。
「!!」
せりなの精神に強い衝撃が走った。一瞬、目の前が暗くなり、再び視力が戻った時、せりなは何もない空間に立っていた。

「ここは…どこ?」
せりなは周囲を見渡したが、自分の手足以外、何も見える物は無かった。
「せりな…せりな…。」
背後から声がする。せりなが振り返ると、先程まで何も無かった空間に、一人の少女が立っていた。
「あなた…誰?」
「私はヘレナ。地球の姉妹星、クイーンアースの王女です。」
せりなは超能力とかUFOの話をわりと信じる方だが、普段の彼女なら、こんなうさんくさい話には耳も貸さなかっただろう。しかし、今現在、彼女は普通じゃない環境にあったし、不思議とクイーンアースという名前をどこかで聞いたことがあるような気がしていた。
「クイーンアース…どうして…憶えがあるような気がする…。」
「それは、あなた自身も気付いていない、遠い過去の記憶のためです。」
ヘレナはせりなの側に寄ると、彼女の額に手を当てた。
「ごめんなさい、これからあなたの戦士としての能力を、記憶の底から呼び覚まします。こんな乱暴な方法は使いたく無かったのですが、今は緊急時です。どうか、妹を助けてください…。」

ヘレナとの会話が終わった時、時間はわずか数秒しか経っていなかった。数秒の間に、電撃のように精神を駆け巡った一連の会話で、せりなは今、自分のなすべきことを理解していた。
「マルル君!」
「はいマル!」
マルルは、小さな青いナースキャップ・エンジェルキャップを取り出すと、せりなに手渡した。
せりなは腕を振り上げ、エンジェルキャップを天に掲げた。
「裁きの力、癒しの心、今!」
せりなの体が光に包まれる。着ていた制服が消え去り、変わってエンジェルキャップから放たれた光が、光の帯となって彼女の裸体に何重にもまとわりつく。光が消え去ると、光は青いコスチュームへと変化していた。看護服に似た戦闘服に。

「やったわ…せり…な…。」
ミミナの意識がもうろうとし始めた。いよいよ鎖の締めつけがきつくなってきたようだ。
「へ、変身した?」
ショーテルは驚き、鎖の方への注意がおろそかになっていた。
せりなは左腕を天に掲げて叫んだ。
「エンジェル・セェット・アーップ!」
右腕に光が集まり、小さな盾が装着された。エンジェル・バックラーである。せりなは右腕をショーテルの方へと伸ばし、叫んだ。
「エンジェルビィィィーム!」
バックラーの先端から熱線が放たれ、ミミナを縛りつけていた鎖を断ち切った。ミミナは地上に倒れこみ、激しく咳込んでいる。思わぬ邪魔に、ショーテルはせりなの方へ向き直った。
「やってくれるじゃないの。まずはあなたから始末してあげる。そぉれっ!」
ショーテルの左腕から怪光線が放たれた。せりなは右腕を構えてガードの姿勢をとった。
「エンジェル・ディメンションシールド!」
せりなが怪光線をバックラーで受けると同時に、ショーテルの後方の空間に裂け目が生じ、そこから怪光線が飛んで来た。ディメンションシールドは、相手の飛び道具による攻撃を、別の場所に移動する技だ。別の場所へと移動した怪光線は、後方からショーテル自身を直撃した。
「きゃぁぁぁっ!」
ショーテルは塀の上から転落し、地上でもがき苦しんでいた。今のは真剣に効いたようだ。
「くっ、私達に刃向かったことを、いずれ後悔するわよ!」
ショーテルは起き上がると、戦闘の続行を断念して、いずこかへと消え去った。

「ありがとう、さっきは助かったわ。」
放課後、ミミナがせりなにすり寄って来た。
「助かった…って、何かあったの?せりな。」
「ごめんね、深森。今日はちょっと用事があるの。」
「ふぅん、じゃ、また明日ね。」
深森は一人で帰って行った。
「あの転校生、せりなとだけ仲良くなってるんだ。そういうところが、せりなのいいとこなんだけどね。」

「ねえ、加納さん。それともミミナちゃん?」
「ミミナって呼んでいいわ。私もせりなって呼ぶから。その方が手っ取り早いでしょ。」
「じゃあミミナ、説明してくれる?さっきのあれは何?」
「何って、ヘレナお姉様から説明を聞いたでしょ。その通りよ。」
ヘレナには、遠い昔の記憶の一部を呼び戻された。自分が伝説のナースエンジェルの力を受け継いだ者の一人だということも、その時にわかった。だがしかし、せりなにはどうしても納得がいかなかった。
「私がナースエンジェルだということはわかったわ。でも、何で戦う必要があるの?あなたを襲っていたショーテルって誰?私達にって言っていたということは、他にもああいうのがいるの?」
一度にいろいろな事を聞かれて、ミミナは混乱気味だ。
「えーっと…、お願い、お姉様。」
ミミナは先程の指輪を取り出すと、せりなの指にはめた。せりなの精神に、直接ヘレナの声が伝わる。
「私から説明します。私達の星クイーンアースで反乱が起き、私達王族の者は…」
ヘレナが言い終わらないうちに、せりなは声をあげた。
「反乱?誰かが反乱を起こして、あなた達王族を追放したって事?」
「ま、まあ、そういうことです。」
「それで、また自分達が王座に戻るために、私に協力しろって言うの?冗談じゃないわ。反乱が起きるのは、王様が悪いことをしていたからでしょう?そう習ったばかりだもん。」
その言葉を聞いて、ミミナが割って入ってきた。
「お姉様のことを悪く言わないで!」
せりなはヘレナとの会話を中断して、ミミナの方を見た。ミミナは両目に今にもこぼれ出しそうな涙を貯めていた。せりなは、つらい思いをしてきたであろう姉妹に対して、容赦の無い一言を言ってしまったと後悔した。
「…ごめん。ても…やっぱり、協力はできないわ。」
せりなは後味の悪さを感じつつ、教室を後にした。今日の出来事は夢だったんだ。早く忘れてしまおう。

「ミミナ王女、大丈夫マルか?」
せりなの退出後、床にへたり込んで泣きだしてしまったミミナを、マルルが気遣って言った。
「う、うん、大丈夫。私は大丈夫。でも、お姉様が…。」
ミミナを元気づけるためには、根拠の無い虚勢を張る必要があると、マルルは判断した。
「大丈夫マル。ナースエンジェルを頼らずとも、それがしがヘレナ王女を元のお姿に戻してさしあげるマル。」
ミミナはマルルに、笑顔を作って答えた。
「ありがとう、マルル。」
「マル…。」
この笑顔を見せられると、マルルでさえも照れてしまう。

下校途中、ミミナとマルルは今後の事を話しながら歩いていた。
「とりあえず、白鳩学園に戻ろうと思うの。一度みんなに会って、それからどうするか考えるわ。」
「それがいいマル。もうこの街に長居は無用マル。」
二人の前に、招かれざる客が立ち塞がった。
「ところが、貴方にはこの街で最期を迎えてもらいますよ、ミミナ王女。いや、元王女とお呼びした方がよろしいですかな?」
「あ、あなたは!?」
「茨十字の戦士、フランベルジュです。短い間ですが、お見知りおきを。」
「私を消しに来たのね。」
「さすが、お察しが早い。」
とっさに、マルルがフランベルジュに飛びかかった。
「ミミナ王女、今のうちに逃げるマル!」
しかし、一撃で殴り倒されてしまった。フランベルジュはいやらしく笑った。
「我が同志ショーテルが負けて帰って来たので、何か強力な防衛手段でも身に付けられたかと思ったのですが…、どうやら期待外れだったようですね。」
ミミナは後ずさりする。フランベルジュは歩み寄って来る。
「お覚悟を…!」
フランベルジュが手を伸ばす。しかし、背後からの声が、彼の手を止めた。
「そこまでよ!」
フランヘルジュが振り返ると、そこにはナースエンジェルの姿に変身したせりなが立っていた。
「闇を貫く一条の光、その名は希望、ナースエンジェル!希望の光の名の元に!」
ミミナは歓喜の声を上げた。
「せりな!来てくれたのね!」
「ミミナ…さっきはごめん。私、反乱とか、そういうのってよくわからないんだ。でも、一つだけはっきりとわかることがあるの。」
せりなは険しい目付きで、フランベルジュを見据えた。
「それは、女の子の命を狙うなんて、そんなこと、絶対に許しちゃいけないってことよ。」

「ほう、勇ましいですね。しかし邪魔はさせませんよ。そぅれ!」
フランベルジュは光弾を放った。せりなは咄嗟に右腕を構えた。
「エンジェル・ディメンションシールド!」
せりなは右腕のバックラーで光弾を受けた。直後、フランベルジュの背後から光弾が現れ、彼をかすめた。
「くっ、なかなか味なまねを!」
フランベルジュは剣を抜いた。せりなは右腕をフランベルジュの方へ伸ばした。
「今度はこっちの番よ。エンジェルビィィィーム!」
「甘いっ!」
フランベルジュはジャンプして熱線をかわすと、空中で剣を上段に構えて、着地と同時に振りおろした。
「くぅぅっ…!」
せりなはバックラーで剣を受けたが、その衝撃は半端ではなかった。
「それそれ、もうおしまいかな?」
フランベルジュは剣に体重を乗せる。彼の剣を受けている右腕の力は、もう限界だった。せりなは左手の拳をフランベルジュの胸に押し当てた。
「エンジェルリング・ナックルスパァーク!」
激しい閃光の後、フランベルジュは衝撃で後ろに吹き飛んだ。左手のエンジェルリングにパワーを集中し、相手の体に直接流し込む。間合いが近い時の緊急回避技、それがナックルスパークである。

「もうミミナを狙わないって約束するなら、見逃してあげる。」
ナックルスパークで手痛いダメージを受けたフランベルジュの姿に、せりなはこれ以上攻撃を加える気になれなかった。
「わ、わかりました、約束しましょう。」
「だめよ、信用しちゃ!この人達、黒のワクチンに侵されているのよ!」
「え?黒のワクチン?」
一瞬、せりなはミミナの方を振り返った。フランベルジュの目が光る。
「もらったぁ!」
せりなに向けて光弾が放たれる。しかし、せりなは素早く反応して、バックラーでそれを受けた。
「…どうやらあなたには、本格的なお手当てが必要みたいね。」
せりなは右腕を伸ばし、バックラーをフランベルジュに向けた。
「エンジェル・ボウガン!」
バックラーの両側に弧が突き出し、ボウガンの形になった。弓には光の弦が張られている。左手で弦を引くと、左手のエンジェルリングから光が迸り、矢の形になった。
「キュアー・クリティカル・ウゥゥーンズ!」
放たれた光の矢は、フランベルジュの体を貫いた。
せりなは左手の親指を立てると、
「お手当て…」
立てた親指を下に向けた。
「完了!」
それと同時に、フランベルジュの体は、音を立てて大地に倒れ伏した。

「あの人、大丈夫かな。」
「大丈夫。気がついた時は、黒のワクチンの支配を受けていた時のことを忘れて、普通の人になっているから。エンジェルアローは人を物理的に傷つける武器じゃないのよ。」
「いや、フランベルジュのことじゃなくて…。」
「あっ、マルル!ごめんね、忘れてたわ!」
ミミナは、まだ気を失っているマルルを助け起こした。
「…ごめんね、せりな。こんなことに巻き込んで。」
「いいわ。私が決めたんだもん。あなたを守ってあげるって。」
せりなは微笑んでみせた。
「ありがとう、頼りにしているわ。私のナイト様。」
ミミナも微笑み返した。ミミナの笑顔を見て、この笑顔を守れるなら、とせりなは感じていた。
この時、確かにせりなは、これから訪れるであろう戦いの日々を甘く見過ぎていた。

第1話:終

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