「勇者様、どうか私をお供に連れて行ってくださいませ。私はあなたのお側にいたいのです。」
「姫さんよ、こう言っちゃあ何だが、あんたは足手まといなんだ。」
「そんな…私はきっとあなたのお役に立ってみせます、どうか私を…。」
勇者と呼ばれたいかつい男は、姫と呼ばれた女性の哀願を受け入れなかった。
国を追われたこの女性には、もちろんこの男に支払う報酬などない。
もはや頼るつてを失った女性は、俯いて泣きだしてしまった。勇者は我関せずといった表情で、宿場を後にした。
「…なにこれ?」
ミミナは目を覚ました。隣でせりなが眠っていた。せりなのベッドは少々大きめで、中学一年生の少女が寝た場合、かなりのスペースが余る。それを利用して、せりなとミミナは一緒に寝ているのだが、この場合、どうしても体の一部が相手に接触してしまう。ミミナには、接触によって相手の意志を読み取る能力が生まれつきあるので、本人にその気がなくても、相手の見ている夢が見えてしまう場合があるのだ。
今夜、せりなが見ている夢は、大臣のクーデターによって国を追われたお姫様が、旅の勇者に協力を求めるのだが、足手まとい、虫がいい、報酬を期待できない等の理由で、無下に断られるという内容だった。
ミミナは悩んでしまった。せりなの夢に出てきた勇者とお姫様が、まるでせりなと自分のように思えてしまったのだ。考えてみれば、せりなはよくやってくれている。自分は足手まといにしかならないし、自分達の星の都合に彼女を巻き込んでいるし、その上、彼女に対して何のお礼もできないというのに。
「…もう寝よう。明日が日曜日だからって、朝寝坊すると若葉ママに怒られるもの。」
ミミナは再びベッドに潜り込むと、目を閉じて、すぐに眠りに落ちていった。
「きゃーーーっ!」
怪物の触手が”姫”を捕らえた。”勇者”は光の剣を振るい、無数の触手と格闘していたが、悲鳴を聞いて”姫”の方へ振り返る。
「ちぃっ、姫さん、頭を下げろ!」
”姫”が頭を下げると同時に、”勇者”は剣で触手の一群をなぎ払った。先程は姫のお供になることを拒んでいた勇者が、何故今は彼女を守っているのか、その過程は不明である。
「ちぃっ、このままじゃらちがあかねぇ!」
勇者は縦横無尽に剣を振り、まとわりつく触手をなぎ払うと、開いたわずかな空間に突入し、触手を伸ばしていたナマコのような怪物の本体に深々と剣を突き立てた。形容し難い断末魔をあげると、怪物は泥のように崩れ去った。
「あ、ありがとうございます…。」
「…やっぱりお前は足手まといだ。帰れ。」
「そんな…。もう怪物には捕まりません、どうか…。」
「いいや、帰れ。」
「なによ、なんでこんな夢ばかりなの?」
ミミナはまた目を覚ましてしまった。隣でせりなが眠っている。またせりなの夢が見えてしまったのだ。ミミナはベッドから起き出すと、ぬいぐるみのような姿になって(こちらの方が本当の姿なのだが)休んでいるマルルを起こした。
「ねえ、マルル。ちょっと聞きたいんだけど。」
「マル?眠いマル…。」
「たとえば、たとえばよ。こんな夢を見ていた人がいるとしたら、どう思う?」
ミミナは、せりなが見ていた夢の内容を話した。もちろん、誰が見ていた夢なのかは話さない。眠っていたところを起こされたマルルは、早く寝たい一心で即答した。
「その夢を見ていた人は、身近に凄く足手まといな厄介者がいるマル。普段は気を使って口に出していなくても、夢に出てくるマル。おやすみなさいマル…。」
マルルは眠ってしまった。ミミナはマルルの言葉が耳に残って、とても眠れる気分になれなかった。
「私、やっぱり厄介者なのかな…。」
ベッドの上で小さな寝息を立てるせりなを見て、ミミナは小さく呟いた。
「せりな、いつまで寝ているの?」
若葉ママに起こされたせりなは時計を見る。時計の針は11時にさしかかろうとしていた。
「日曜日だからって、いつまでも寝ていると、ミミナちゃんに笑われちゃうわよ。」
気がつくと、ミミナの姿が見えない。マルルはぬいぐるみのような姿のまま眠っている。部屋に若葉ママがいるので人形のふりをしているのかと思ったが、本当に眠っているようだ。無理もない。昨夜遅くまで、緑のワクチンの補充をしていたのだ。
「そういえば、ミミナは?」
「もうとっくに起きて、出かけているわよ。」
「出かけているって、マルルを置いて!?」
「マルル?ああ、そのお人形ね。そういえばあの子、いつも大事に持ち歩いているそのお人形を、今日は持って行かなかったのね。」
せりなの眠気が吹き飛んだ。せりなに何も告げないのはともかく、マルルを置いて出かけるなんて。ミミナの身に何かあったのではないだろうか。せりなはマルルを掴むと、急ぎ足で部屋から出た。
「ママ、ちょっと出かけてくるから!」
「あ、ちょっと、せりな、待ちなさい。」
「何よ、朝御飯ならいらないから。」
「その格好で出かける気?」
せりなはすごすごと部屋に戻ると、服を着替えた。着替えながら、ミミナが持っているはずのレスキューベルが床に落ちていることに気付いた。ミミナはレスキューベルを持って行かなかった。これでは彼女を探しようが無い。
「むー、それがしはまだ眠いマル…。」
「起きてよ、ミミナがいなくなっちゃったんだから!」
その一言で、マルルも完全に目を覚ました。せりなは、ミミナに何か変わった様子は無かったか、マルルに問いただした。マルルは昨夜、ミミナから変な質問をされたことを思い出し、その内容を話した。
「それって…、あたしが前にクリアしたゲームのストーリーじゃない。」
「ゲーム?」
「うん。星空の野望IIIっていうタイトルで、国を追われたお姫様が、勇者を名乗る旅の賞金稼ぎに助けられるっていう内容で、4年くらい前に一作目が出てから、ずっとシリーズが続いているのよ。」
ミミナは一人で街を歩いていた。まだこの街に来て一週間しか経っておらず、また、用心のため、あまり外を出歩いていないこともあって、この街を歩いて回るのは初めてだった。道路の両脇には車道より一段高くなった歩道が設けられ、歩道の部分には、上に屋根がかけられている。日曜日の昼は街を行き交う人も多い。人々の幾人かは、ミミナに気を止めて注目した。髪も瞳も肌の色も日本人の色ではなく、お世辞でなく可愛らしい顔立ちをしていて、場所に不似合いなフリフリのドレスを着て歩くミミナは、人の注目を集めるべくして集めていた。洋菓子屋の前で足を止め、ウインドウに並ぶ色鮮やかなケーキやクッキーの類を眺めている。ミミナのその姿は、まるで写真パネルのように、絵になっていた。当の本人はまるで気にかけている様子もなく、つばの広い帽子の角度を改めると、噴水のある広場の方へと歩き始めた。
正直言って、ミミナは少しすねていた。昨夜せりなの見ていた夢が、実はゲームのストーリーだったことなど知る由もなく、せりなの本心だと思い込んでいた。
家を飛び出したはいいが、ミミナがどこへ行ってしまったのか、皆目見当がつかない。せりなとマルルは、玄関を一歩出たところで立ち止まり、左右を見渡した。
「こっちよ!」
「こっちマル!」
せりなは右へ、マルルは左へと走ろうとした。数歩走ったところで、お互いが逆の方向に走っていることに気付き、引き返した。二人は角を突き合わせる。
「こっちよ、もし私がミミナだったら、絶対こっちに行くから。」
「こっちマル、それがしの方がミミナ王女との付き合いは長いマル。」
二人はお互いに譲らず、しばらく角を突き合わせていたが、ミミナの残したレスキューベルの存在に気付いた。
「マルル君はこれを持ってあっちを探して。私はこっちを探すから。」
「了解マル。何かあったらこれで連絡するマル。」
広場では、子供たちがキャッチボールをしていた。ミミナから少し離れた所で、大柄な男が長い棒を抱えて噴水に腰かけていた。日差しが強い。白いコンクリートの照り返しから目を休めようとして、ミミナは薄茶色のサングラスをかけた。
「私、どうするつもりなんだろう…。」
ただ何となく一人で出てきたはいいが、それで何をしようという目的があるわけではなかった。せりなが心配しているかもしれない。もう帰ろう。帰りにあの洋菓子屋で、何か買っていこう。せりなは喜んでくれるだろうか。
「あっ!」
子供の叫び声で我に返ったミミナは、目前にボールが迫っていることに気付いた。キャッチボールをしている子供の手が滑ったのだろうか。ともかく、とっさに回避しようという考えが浮かぶ余裕もないほどに、ボールは間近に迫っていた。ミミナには、顔面を強打することを瞬時に覚悟して体を硬直させることしかできなかった。
次の瞬間、ミミナの視界に横から棒が入って来た。棒はボールを正確に打ち返し、ボールは子供の方へ飛んで行くと、ミットにすっぽりと収まった。ミミナから少し離れた所に座っていた大柄な男が、抱えていた長い棒を驚くほど速くくり出し、驚くほど正確にボールを打ち返したのだ。男はミミナの方を向くと、唸るような低い声を出した。
「怪我はないか。」
「あ、ありがとう、おじさん。お名前は?」
言いかけて、ミミナは息を飲んだ。この男の顔には見覚えがある。ミミナが地球に定着して、あまり頻繁にクイーンアースには戻ってこなくなった頃に雇われた、流れ者の傭兵・セイバー。彼とはあまり面識が無かったが、その巨体と威圧感、そして左の頬に刻まれた深くて大きな傷は、見間違えようが無かった。
セイバーの数々の武勇は、ミミナも聞き及んでいる。彼の体の前面に刻まれた無数の傷が、その勇猛さを無言で示していた。傷は前面には無数に刻まれているが、背面には一つも無い。このような猛者と、よりによってせりなから離れて単独で行動している間に遭遇してしまった。ミミナは自分の浅はかな行動を後悔しつつ、ポーチの中を探った。
「(それにしても、セイバーが近くに座っていたことに気付かなかったなんて…。エンジェルハートカルテの故障かしら。)」
ポーチを探っていたミミナの顔が青くなった。無い。エンジェルハートカルテもヒーリングペンも無い。せりなを呼ぶのに必要なエンジェルレスキューベルも無い。アイテム一式を、全て忘れて来てしまった。いつもならマルルが忘れ物をチェックしてくれるので気にもかけなかったが、マルルにも内緒で行動したツケがこんな形で現れてしまった。
セイバーはミミナの顔を覗き込んだ。ミミナは視線をそらした。凄じい威圧感だ。
「俺はおじさんではない。」
「は、はあ…。」
身をすくませていたミミナは、いささか拍子抜けしたような表情になった。
マルルは駅の方へと向かっていた。ミミナが住み慣れた屋敷へと向かったものだと考えたのだ。
「ミミナ王女、お気持ちはわかるマルが、お一人で行動なさると危険マル。」
「あれ、マルル君じゃない。今日は一人なんだ、凄いなぁ。」
聞き覚えのある声がマルルを呼び止めた。せりな達の級友、瑞穂である。駅から出てきたばかりの瑞穂は、駅に向かって走ってくるマルルに気付き、声をかけた。マルルの方は声をかけられるまで気付かなかった。
「あ、瑞穂さん。僕に何か用ですか?」
少年の姿に変身して学校に通っているマルルは、ミミナとせりな以外の人の前では、語尾に「マル」をつけたり、自分を「それがし」と呼ばないようにしていた。最初はよく間違えて、ミミナに小突かれていたが、最近やっと板に付いてきた。
「別に用があるわけじゃないけれど、マルル君って、いつもミミナちゃんと一緒じゃない。今日は一人なのかなって、その、迷惑だったかなあ。」
瑞穂はマルルから視線をそらして下を向いた。その顔は微かに上気している。
「いや、そんな、迷惑だなんて…。」
「ほんと?よかったぁ。」
マルルは困ってしまった。かくして、マルルは不覚にも、ミミナの探索を忘れてしまった。
どうやらセイバーは、ミミナに気付いていないようだ。彼が雇われた頃には、ミミナは自分か姉の誕生日にしか戻ってこなくなっていたので、あまり面識が無い上に、ミミナは今、サングラスで目を隠している。恐怖で小さくなっていたミミナだが、相手が気付いていないと見ると、少々危険な行動に出ようと思った。上手くすれば、彼からいろいろな情報が聞き出せるかもしれない。
「あの、おじさん…じゃなくて、えっと…お名前は?」
セイバーはしばらく考えた後、大山大輔と答えた。おそらく即興で考えた地球人名だろうが、その巨体を実によく表している名前だった。ミミナも即興で偽名を考え、菜花と答えた。お気に入りの少女漫画家のキャラクター名である。
それっきり二人の会話が途絶えた。とにかくセイバーが無口なのだ。どれくらいの時間が経過しただろうか。セイバーからいろいろ聞き出そうとしていたミミナだが、相手がこうも無口ではきっかけすらつかめない。セイバーの巨体は座っているだけで威圧感があり、普段はお喋りのミミナもただ沈黙していた。
目の前にクレープの屋台がある。ミミナはベンチから立つと、クレープを二つ買った。路銀にはまだ余裕がある。これくらいの贅沢は許されるだろう。
「はい、これあげる。」
ミミナはクレープの一つをセイバーに差し出した。セイバーは数秒間ミミナの顔を見た後、クレープを受け取った。
「…甘い。」
「贅沢を言わないの。この私がおごったんだからね。」
甘いと言いながらも、セイバーはミミナの5倍早いペースでクレープを平らげた。ミミナは唖然として豪快な食いっぷりを見ていたが、次第に笑いがこみあげてきた。
「ねえ、おじさん。私ね、家出してきちゃったんだ。」
しばらくの沈黙の後、ふいにミミナが切り出した。
「例えばね、いつも優しくしてくれる家族が、内心では自分を厄介者扱いしていたら、他のみんなだったらどうするのかしら。ちょっと怒って、凄く寂しくなって、、、」
「何にせよ、家族に心配をかけるのは良くない。早く帰ることだ。」
あまりに単純明解な答に少々面食らったミミナだが、彼の言うことはもっともだ。
「そ、そうよね。話を聞いてくれてありがとう。」
何となく後ろめたさを感じて帰りあぐねていたミミナも、ようやくせりなの元へ帰る決心ができた。セイバーから情報を聞き出すつもりで話を切り出したミミナだが、何だか妙な展開になってしまった。
「あの、こういう娘、見ませんでした?」
せりなは市街地を行き交う人達にミミナの特徴を話して、その行き先を聞きまわっていた。ミミナの容姿は特徴的なので、比較的早く足取りが掴めた。噴水の広場に辿り着いたせりなは、何やら大男と話し込んでいるミミナを見つけた。
「ミミナ!」
せりなは大声でミミナの名を呼んだ。ミミナは声の方向へ振り向いて返事をした後、事の重大さに気付いた。
「み、ミミナって誰かしら。私は菜花よ。」
「何言ってるの、ミミナ。一人で出かけたりして、マルル君が凄く心配していたよ。」
ばれたかもしれない。ミミナは恐る恐るセイバーの方を向いた。セイバーは素早く手を伸ばし、ミミナのサングラスを取った。ミミナは凍りついたように動けなくなった。
「お前を間近で見るのは初めてだが、なるほど、綺麗な目は姉譲りだな、ミミナ王女。」
このやりとりを見て、せりなはようやくこの大男が一般の人間でない事に気付いた。だとしたら何故、エンジェルハートカルテは何も反応しなかったのだろう。せりなは、ミミナが忘れていったアイテム一式を持って来ていた。その中の一つ、エンジェルハートカルテは、黒のワクチンに侵されている者を感知するはずなのに、この大男に対しては何も反応していない。
「あなたは誰?ミミナから離れて!」
セイバーは、驚くほどあっけなくミミナから離れた。
「お前がナースエンジェルだな?俺はセイバー。わけあって茨十字に飯を食わせてもらっている流れ者だ。」
セイバーはミミナの方を向いた。
「無論、お前がミミナ王女であることなど、とっくにお見通しだったさ。俺はそこまで間抜けじゃない。菜花とは傑作だったがな。」
とっくに気付かれているとも知らずに演技を続けていたことを知らされたミミナは、真っ赤になって聞き返した。
「なら、何故ずっと気付かないふりをしていたの!?」
「お前と一緒にいれば、すぐにナースエンジェルが現れるからだ。」
セイバーはせりなの方を向くと、棒を突き出してせりなを指した。
「ナースエンジェル、これまで幾人もの刺客を撃退した腕前は聞き及んでいる。わかるな?勝負したいんだよ、お前と。」
「受けて立つわ。」
せりながあまりに簡単に勝負を受けたので、ミミナは慌ててしまった。
「ちょっとせりな、大丈夫なの?あいつは…」
「ミミナ、私があいつを引き付けておくから、その間に逃げて。」
せりなは青いエンジェルキャップを取り出し、空にかざした。
「裁きの力、癒しの心、今!」
せりなの体が光に包まれ、青いナースエンジェルへと変化した。
「闇を貫く一条の光、その名は希望、ナースエンジェル!希望の光の名の元に!」
噴水の広場には、少数ではあるが、一般の人々がいた。彼等は突然の閃光に驚いて、一斉に同じ方向を見た。青い看護服を来た少女と棒を構えた大男が向き合っている。
「何だ、特撮モノの撮影か?」
人々の注目が集まる。セイバーは不快そうだ。
「ここでは目立ち過ぎるから、場所を変えるわよ。」
「そうだな。」
せりなとセイバーは高くジャンプして、茂みの中へと入り込んだ。その時、せりなはミミナに視線で合図を送った。今のうちに逃げろ、と。ミミナはしばらく躊躇していたが、向きを変えて、一目散に走り出した。セイバーが相手では、せりなが勝利することは難しいだろう。せりなは自分を逃がすための時間稼ぎをしようとしている。ならば、自分が早く逃げれば、せりなは戦闘を止めて離脱することができる。
「せりな…ごめんね。いつも私のために危険な目にあって、なのに私…勝手だよね。」
広場の南側には市街地が広がっているが、北側は未開発になっている。広場の北にある林の中が戦いの場となった。
「エンジェルビィィーム!」
せりなはいきなり熱線を放った。セイバーは棒を素早く突き出して、熱線を正確に”突き”で防いでしまった。熱線は、鋼鉄の棒の先端を数センチ蒸発させただけだった。
「エンジェルリング・スプレッドフォース!」
左手のエンジェルリングから、緑の光の細かい粒が雨の様に降り注ぐ。セイバーは目にも止まらぬ速度で棒を回転させ、光の粒のことごとくを打ち落とした。
せりなはバックラーを水平に構えると、その上にライドルを取り付け、さらにライドルの後にエンジェルリングを押し当てた。ナースエンジェルの三つのホーリーアイテムが重なった時、ライドルの先端が緑色に光った。
「行っけえ、エンジェル・キャノン!」
激しい閃光と共に、緑の光弾が放たれた。セイバーは棒を鋭く一閃して、光弾を打ち払った。棒の先端で光弾が炸裂して爆風をまき散らしたが、セイバーは全く意に介していない様子で、爆風を避けようともしなかった。
「どうしたナースエンジェル。俺のリンドブルムに恐れをなして、飛び道具を撃つことしかできないのか。」
リンドブルムとは、セイバーが愛用の棒に付けた名前である。幾多の修羅場を乗り越えてきた彼にとって、唯一心許せる相棒が、このリンドブルムであった。
ミミナが逃げるための時間稼ぎをしていることが露骨になるといけない。せりなは誘いに乗るように、ライドルを棒に変化させた。
「エンジェルスターッフ!」
「ほう、俺に棒で勝負しようというのか。面白い。」
鋼鉄の棒をあれほど素早く正確に振り回すセイバーの腕力は、尋常ではない。彼の棒をまともに受ければひとたまりも無いだろう。せりなは打ち込むことが出来ずに躊躇した。
「そっちが来ないなら、こっちから行くぞ。でぇい!」
セイバーは踏み込むと、素早く棒を繰り出してきた。せりなはエンジェルスタッフで受けた。凄じい衝撃が、棒を通して手に伝わってくる。せりなはスタッフを落としそうになったが、なんとか踏みとどまり、距離を開けようとして下がった。しかし、セイバーは下がる間を与えずに二撃目を繰り出してきた。せりなは両手でスタッフの両側を掴んで、セイバーの棒を防いだ。正面からでは防ぎきれない。せりなは払うようにして受け流したが、それでも凄じい衝撃に両手が痺れてしまった。セイバーの猛攻は止まらない。続けて三撃目が来た。せりなはまたスタッフで受けた。しかし、とうとう衝撃に耐えられず、スタッフを落としてしまった。
「もらった!」
セイバーは棒を激しく振りおろした。せりなはとっさに身を屈めてスタッフを拾おうとしたが、セイバーの棒の方が遥かに速かった。せりなは右手のバックラーで棒を受けた。エンジェルバックラーは聖なる力で守られている。いかなる力自慢であっても、物理的に破壊することは難しいだろう。しかし、打撃系の衝撃は、バックラーを通して、それを装備している者の腕に伝わる。
「あああああーーーっ!」
激痛に、せりなは悲鳴を上げた。さすがにバックラーは傷一つついていなかったが、異様な角度に曲がっていた。バックラーが曲がっていたのではない。せりなの右腕が曲がっていたのだ。激しい痛みに襲われているせりなだが、腕の骨折を気にしている場合ではない。セイバーが立て続けに棒を振りおろしてきたのだ。
「これで終わりだ、ナースエンジェル!」
せりなは後に飛びのいて棒を避けようとする。セイバーはそう予測した。その時は、飛びのく速度よりも速い突きで仕留めるつもりだった。しかし、せりなは逆に間合いに飛び込んできた。
「ナックルスパーク!」
「ぬるいわ!!」
せりなはセイバーに左手のリングを押し当て、ナックルスパークをお見舞いした。しかし、セイバーにはまるで効いた様子が無い。せりなを片手で軽々と掴み上げ、放り投げた。地面に落下する際、せりなは折れた腕で受け身をとってしまった。せりなは激痛に身を屈める。ナックルスパークでセイバーの服の一部が焼け焦げ、その下から傷だらけの体が見えた。この程度の火傷は、彼がこれまで受けてきた数々の傷の中では、物の数にも入らないのだ。
「強さは期待外れだったが、この俺の勝負を逃げずに受けた勇気は称賛に値するだろう。戦士の魂に敬意を表して、一気にとどめを刺してやろう。」
セイバーは空中高く飛び上がると、棒に気合を込めた。
「豪旋一発!グラビトン!!」
セイバーが空中で凄じい勢いで棒を振ると、棒から目に見える程の気合が渦を巻いて迸り、地上で身を屈めているせりなに襲いかかった。せりなは素早くジャンプしてかわした。殆ど本能だった。せりながジャンプした直後、先程まで身を屈めていた場所にセイバーの気合が落下した。轟音と共に地面がめくれ上がり、周囲の木々が薙ぎ倒された。ジャンプで逃れたせりなも、激しい衝撃波に押されて、墜落するように地面に叩き付けられた。起き上がって見ると、気合の落下地点を中心にクレーターができている。あれをまともに喰らっていたら、ひとたまりもなかっただろう。
もはやせりなは、立っているのがやっとの状態だった。
「ミミナ、もういいよね。もう限界よ…。」
せりなはあり得ない角度に曲がっている右腕を左手で支えると、バックラーの表面をセイバーの方に向けた。
「エンジェルフラーッシュ!」
バックラーが激しい閃光を放ち、一瞬、セイバーの視力を奪った。閃光が消え去った時、せりなもいずこかへ消え去っていた。
「逃げたか、ナースエンジェル。いや、あの男が小細工でも弄したのか…?」
セイバーの言った「あの男」とは、彼と共に地球に来ていたクレイモアのことだった。策士を自称してこざかしい細工を弄するクレイモアを、セイバーは毛嫌いしていた。
走り疲れたミミナは、立ち止まって広場の方向を振り返った。
「ここまで来ればもう大丈夫ね。せりな、無事でいればいいけど…。」
「ところが、全然大丈夫じゃないのですよ、ミミナ王女。」
驚いて振り返ったミミナの前に、クレイモアが行く手を遮るように立っていた。
「力馬鹿のセイバーめ、所詮あいつは道化だ。だが、あの道化がナースエンジェルとの勝負にこだわっているおかげで、こうしてミミナ王女をたやすく捕らえることができたのだ。少しは感謝しなければな。」
ミミナは逃げ出そうとしたが、見えない壁に遮られてしまった。向きを変えて走ろうとしたが、またも見えない壁に遮られてしまった。別の方向を向いても、また別の方向を向いても、見えない壁のために進めない。ミミナは見えない檻に捕らえられてしまったのだ。
「ミミナ王女は私が捕らえた。私の実力を思い知ったか、私を認めなかった能無しどもめ!」
クレイモアはミミナを、見えない檻ごと隠れ家へ転送した。
「お姉様、私、どうしたらいいの…」
檻の中で、ミミナは呆然と、ポケットの中に入っていた指輪に語りかけた。
第5話:終