1950年 香川県坂出市に生まれる。
多摩美大(インテリアデザイン専攻)卒業。
家具販売業を営む
1973年 妻(美代子)と結婚。家族は両親、妻、娘2人。
1992年 筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断される。
1996年 気管切開術、人工呼吸器を装着、寝たきりの生活となる。
秋より人工呼吸器装着状態で自宅療養を続け、現在に至る。
1997年 パソコンを使用し、下顎のわずかな動きで療養日誌、手紙、絵画製作に没頭する。
1998年 4月、仲間達の協力により第1回の作品展を地元坂出駅開催する。
2000年 5月に第2回作品展の開催を高松にて開催する。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)という大変厄介な病にとりつかれてもう8年になる

                  
 最初に自覚症状に気付いたのは、平成4年の初夏だった。右手の握力がどうも弱くなった。今にしてみればそれからは症状があっという間に進行し、3年の間に両手両足はもちろんのこと全身の筋肉が全く動かなくなった。そしてその1年後には、しゃべることもできず、食事も喉を通らなくなり、ついには呼吸すらしにくくなった。

 平成8年の春に人工呼吸器を取り付けることになった。それでもこの病気の進行はとどまることをしらず、僅かに残されている筋肉の動きさえも奪おうとしている。瞼や眼の動きが悪くなったのもそれである。

 こんなふうに、発症以来次々と悪化する病状のなかで”あれもできなくなった、これもできなくなった”と、お先真っ暗な状態だった。その頃は「何故私が」と、持って行き場のない怒りや憎しみを抱いて悶々としていた。そんな私を支えてくれたのは、妻をはじめとする大勢の人達だった。

 私にひとすじの光を与えてくれたのがパソコンとの出合いだ。これまで何もできなかった私にもできることがあったのだ。それは僅かに残されている顎の動きを感知する特殊なスイッチを操作して絵画や文章を打っている。それは普通の人がパソコンを操作するのと違い、何倍も、何十倍も手間暇がかかる。

 それでも私にはどんなに時間がかかろうとも大好きな絵が描けることで大満足である。だから今の自宅での療養生活は寝たきりの身でありながら充実している。毎日のパソコンの時間が楽しみでならない。この情け容赦のない病と闘いながら、いつまで続けられるのかわからないが、パソコンを使えればと願っている。

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