最初に自覚症状に気付いたのは、平成4年の初夏だった。右手の握力がどうも弱くなった。今にしてみればそれからは症状があっという間に進行し、3年の間に両手両足はもちろんのこと全身の筋肉が全く動かなくなった。そしてその1年後には、しゃべることもできず、食事も喉を通らなくなり、ついには呼吸すらしにくくなった。
平成8年の春に人工呼吸器を取り付けることになった。それでもこの病気の進行はとどまることをしらず、僅かに残されている筋肉の動きさえも奪おうとしている。瞼や眼の動きが悪くなったのもそれである。
こんなふうに、発症以来次々と悪化する病状のなかで”あれもできなくなった、これもできなくなった”と、お先真っ暗な状態だった。その頃は「何故私が」と、持って行き場のない怒りや憎しみを抱いて悶々としていた。そんな私を支えてくれたのは、妻をはじめとする大勢の人達だった。
私にひとすじの光を与えてくれたのがパソコンとの出合いだ。これまで何もできなかった私にもできることがあったのだ。それは僅かに残されている顎の動きを感知する特殊なスイッチを操作して絵画や文章を打っている。それは普通の人がパソコンを操作するのと違い、何倍も、何十倍も手間暇がかかる。
それでも私にはどんなに時間がかかろうとも大好きな絵が描けることで大満足である。だから今の自宅での療養生活は寝たきりの身でありながら充実している。毎日のパソコンの時間が楽しみでならない。この情け容赦のない病と闘いながら、いつまで続けられるのかわからないが、パソコンを使えればと願っている。 |
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