瀬戸大橋完成後の沙弥島・坂出
中井久勝 浅野恵


なぜ調べようと思ったか?

 私たちの住む沙弥島は、昭和40年に坂出市と陸でつながりました。ですが、市外から観光でおとずれた方の中には、「沙弥島って、瀬戸大橋ができた時に陸とつながったのですね」とおっしゃる方が少なくありません。そこで、私達のすぐ間近に見える瀬戸大橋は何年にでき、それによって島の様子がどのようにかわったかを知りたくなり、このテーマについて調べることにしました。


瀬戸大橋が完成 1988(昭和63)年4月10日

瀬戸大橋完成の日、橋は歩行者天国となり、たくさんの人が橋上ウォークを楽しみました。参加者には、メダルがおくられたそうです。
またこの年、開通記念の500円硬貨がつくられました。

橋の完成によって、日本列島の四つの島(北海道、本州、四国、九州)が陸続きになりました。
そして、瀬戸大橋記念博覧会が行なわれました。その跡地は、記念公園として今も残っています。

瀬戸大橋の開通式の様子です。

瀬戸大橋ができてから坂出駅の利用客は、1日1万2千人と大はばに増化しました。
そして、調べていくなかで3つの問題点をみつけました。

1.島の暮らしがどのようにかわったか?
2.坂出や香川県、四国をおとずれる人数は変化したか?
3.その他に、便利になったことはどんなことか?

 わたしたちは、これらのことについて調べていきました。


問題1.島のくらしはどのようにかわったか?

 沙弥島に古くから住む人にインタビューをしました。

おばあちゃんに聞いたこと
「瀬戸大橋ができて、船で岡山までいかなくなったよ。沙弥島は、博覧会場ができてたくさんの人が来ていたよ。あと地には、記念公園として遊び場ができているよ。
でも、瀬戸大橋ができてから、潮の流れが速くなり魚が少なくなった。それから、沙弥島のせみが少なくなったのがざんねんだ。」



問題2.坂出や香川県、四国をおとずれる人の数はどのように変化したのか?

(1)観光地の集客数の変化

 瀬戸大橋が開通する前後の年で、4月から8月までの観光地の集客数は次のように変化しました。
場所 1987(昭和62)年 1988(昭和63)年 伸び率
栗林公園
屋島
琴平
小豆島
五色台
47万5461人
56万1088人
114万5000人
59万6646人
36万5761人
116万5169人
110万4949人
217万4000人
68万0439人
55万2863人
245.1%
196.9%
189.9%
114.0%
151.2%
314万3956人 567万7420人 180.6%
『瀬戸大橋架橋記念博覧会 四国 公式記録』
(発行・財団法人 香川県瀬戸大橋架橋記念博覧会協会)より抜粋

 瀬戸大橋の開通によって、四国各地の観光地には、たくさんの人々がおとずれました。香川県でも、栗林公園・屋島・琴平・小豆島・五色台の五大観光地では、前年よりも80.6%増の567万人の人がおとずれました。とくに栗林公園では、例年観光客が減る7月が前年の4.3倍もの集客を記録しました。

(2)JR瀬戸大橋線のにぎわい

 開通の1988(昭和63)年の4月10日から8月末までの利用客数は518万人
 1日平均の利用客数は約3万6000人、これは岡山と高松を連絡線でつないでいた当時の3.13倍です。


問題3.その他に便利になったのはどんなことか?

 さかんになる農業や漁業

 瀬戸大橋やまわりの道路ができたことにより、新鮮さが大切な野菜や魚などを、天候にあまり左右されないで、各地の市場へ運ぶことができるようになりました。


感想

 私たちは、このテーマを調べてたくさんのことを知りました。その中でも、瀬戸大橋ができてから島の人のくらしや坂出の町がかわったということがわかりました。それと、本州との交通きかんがフェリーだったころに比べて、たくさんの人が瀬戸大橋を通って行き来するようになったことです。私たちが生まれた時から瀬戸大橋ができていて、本州といききできるようになっていたので、フェリーだけでいききしていたころと比べてびっくりしました。
 ですが、瀬戸中央自動車道は通行料金が高いため、開通当時から不調だということです。最近は通行料金の見直しという声が高まっていますが、なかなか実現が難しい問題のようです。わたしたちは、これらの問題が早く解決し、これからもたくさんの人が瀬戸大橋を通って、私たちのふるさと沙弥島・坂出におとずれてほしいと願っています。


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このページの写真は香川県瀬戸大橋記念館ホームページから許可を得て使用しました。