レーニッシュピアノについて

ヨハン カール ゴットリーブ レーニッシュは、1814年11月28日、シレジアのゴールドベルクの貧しい家に生まれた。

10歳で機械工場の見習いとして働き始め、木工及び旋盤の技術を学ぶ。16歳から20歳の間、ライプチッヒの近くナウムベルクにあった、有名なピアノ製造会社ハナルでピアノ作りを学んだ。 1834年の後半になると、カール レーニッシュは、ゴールドベルクとオーストリアのウイーンの旋盤工場で、更なる経験と知識を積む。 1843年29歳になった彼はザクセンのルーバウのピアノ会社に雇われ、ピアノ業界に戻る。その後首都のドレスデンに移り、ローゼン クランツ ピアノ社の職長となる。

1845年の始めになると、カール レーニッシュは自分の工房でピアノの製作を始め、偉大なピアノレーニッシュが誕生した。 1857年にはザクセンで最初のベビーグランドピアノを製造。3台のグランドピアノをザクセン王の宮殿に届けた後、1859年に王室御用商人に指定される。

成長を続けたレーニッシュは、更に大きな工場が必要とされるようになり、1873年にドレスデンのノイシュタットの新工場で製造を開始した。 1884年、カール レーニッシュは王室通商議員に指名され、1890年にはスウェーデンとノルウエーの王室御用達になる。

カール レーニッシュは、1894年に80歳で没する。 この時までに、彼の工場では年間1500台のピアノが製造され、250名の従業員を抱えるようになっていた。会社の経営は息子達に引き継がれ、アルバートは経営を、ハーマンが製造を責任担当した。

1893年シカゴ万博で、 1900年パリ万博で、レーニッシュは再び金賞を獲得する。1898年に息子達は年間1000台の製造力を持つ支店工場をロシアのサンクトペテルブルクに設立していた。

20世紀に入るとレーニッシュは世界にその名を知られるようになる。著名な音楽家では、ハンス フォン ビューロー、リヒャルト シュトラウス、エドヴァルド グリーク、ジョコモ プッチーニ、アントン ルービンシュタイン、セルゲイ ラフマニノフ等、多くの音楽家にグランドピアノもアップライトも愛用される。

レーニッシュとセルゲイ ラフマニノフとの関係は長く、彼は1906年から1908年の3回の冬を家族と共にドレスデンで過ごす程密接であった。ラフマニノフの愛用した製造番号 59183のピアノは、ロシアの一族の故郷であるイワノフカにあるラフマニノフ博物館に所蔵されている。有名なピアノコンチェルト3番(1909年作曲) を筆頭に、多くの作品がレーニッシュピアノで作曲された。

30年代の経済恐慌と第2次世界大戦が、ピアノ製造をほぼ壊滅させる。1945年2月13日、ドレスデンのレーニッシュの工場も爆撃 により失われ、再建されることはなかった。ライプツィッヒ郊外のフップフェルトの元々の工場は、幸いにもほとんど無傷で戦火を逃れ、レーニッシュの新しい ホームとなる。

1948年にようやく13台のピアノ製造をもって再開され、ライプツィッヒ貿易フェアで 戦後初めてレーニッシュピアノが展示された。1949年10月戦後初の輸出として、メキシコに5台ピアノが送られた。1952年に は初のグランドピアノを10台製造。2年後の1954年には年間720台のピアノ製造に至るも、まだ主たる製造ラインは学校及び一般家庭用の家具であっ た。本来のピアノ製造が再び主たるものとなるに1960年まで待たねばならず、やがて年間生産台数が2000台を達 成する。

1964年、大量生産が始まり220台扱うことの出来るピアノの組み立てラインを導入、4170台のアップライト、144台のグラン ドピアノの生産が可能となる。1967年に二つのピアノ工場が合併、さらに鍵盤と アクション製造の2社が融合されて "VEBドイツピアノ組合ライプツィッヒ"が誕生する。 3300人が雇われ、組合は13の工場でヨーロッパ最大のピアノ製造業者となる。 1986年にレーニッシュは年間8600台のアップライトを240名の従業員で生産、その9割は世界中に輸出された。

1990 ドイツ再統一 かつて州に所有されていた集合体"VEB ドイツピアノ組合ライプツィッヒ"は解散する。元来のレーニッシュの工場及び本社はライプツィッヒピアノ製造株式会社と再び名前を改め、全く異なる条件の 自由な企業システムの元、ゆっくりと困難なスタートを切ることになるものの、何とか乗り越え、何十年も続いた量産体制から、本来の品質と創造性を重視する 製造に戻る。

1992年に生産工程を再編成すると共に、製品のラインナップの改善が完了する。 革新的なアイデアは成功裏に開発、実現された。然し乍ら、2008年の世界金融危機にレーニッシュも打撃を受ける。

1年後世界的に有名なライプツィッヒのもうひとつの素晴らしいピアノメーカーである ユリウス ブリュートナーピアノ製造株式会社と提携。 2009年10月、カール レーニッシュピアノ製造株式会社はライプチヒ郊外のグロスシュペスナのブリュートナーの工場の中に設立された。生産工程は再編成、製造設備も再設計され組織構造が強化される。 現在ブリュートナーとレーニッシュは同じ屋根の下で、共に高品質なドイツ製ピアノを製造している。


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