
8分という長いステージのため、アンサンブルコンテスト用に練習していた
「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」を急遽全曲演奏に切り替えて臨むことにする。
(コンテストは6分以内のため、後半の2曲のみの予定だった)
急に間近にステージが迫った事から多少の混乱は生じたものの、メンバーに緊張感が生まれて練習がはかどったのは望外の成果であった。
![]() |
当日、高松から参加する高松市民吹奏楽団、高松ウィンドシンフォニーの精鋭メンバー等と共に貸切バスで松江へ向かう車中。
初の県外遠征にも関わらず、リラックスした面々。ただ単に事の重大さを理解していないだけ。 ところで、そのバスのガイドが春に入社したばかりだという、いかにも元コギャルな娘(可愛いんだケドね)で、 その素晴らしい解説と「俺等は君の友達?」と突っ込みたくなるようなタメ口の口調に苦笑しながら怪適、もとい快適な旅を楽しむ。 尚、TopのS君がそのバスガイドをしきりに口説いていた事を特筆しておこう。 |
![]() |
会場に到着して懇親会が行われ、ステージの打ち合わせ、練習の後、いよいよ本番。
松江の方々の歓待を受けてさすがに事の重大さを理解したのか、控え室では「緊張してる。」とのセリフが飛び交うがもう手遅れ。 演奏会場となった松江市総合文化センター、プラバホールはよく響くいいホールであった。また築十余年になるにも係わらず、内装、 外装共美しく良くメンテナンスされており、松江市が芸術に力を入れている事が感じられる。 今回は、グリー最年長で高松市音楽協会の委員も務めている窪川氏がその強い責任感から自ら助っ人として演奏に参加して下さり、 SSの面々をグイグイ引っ張ってくれたので当初の予想以上の演奏になった。 |
演奏の後は松江市音楽協会の案内で松江観光。時間の都合で「堀川観光船」と市内をバスで廻ったのみであったが、
その「堀川観光船」が実に楽しかった。
松江城の堀が市内を縫うように巡っており、そこを屋形船で廻るのだが、普通では考えられないローアングルで見る市街、
水辺に憩う動物観察、場所によっては腹這いになり、
両壁まで10センチもない程狭い所をくぐるスリリングな橋くぐりと魅力いっぱいの観光。
それに加えて、紅葉の時期であったため岸や城の木々が様々な色彩で趣のある景色を見せていた。 |
|

当日まで
元々このイベントのために結成されたグループという事で、我々にとってのメインイベント、桧舞台である。
曲目はF.Poulancの「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」からV、W。目指すは金賞。
昨年までの不本意な成績に発憤して、良い結果を出せるようにと様々な努力を積み重ねてきた。
前年までは秋になってから曲目を決定していたため、どうしてもスケジュールに無理があったという反省から、
今回は前年のコンテストが終わる前に決定し、コンテストの翌週には楽譜を配布して練習を開始。二ヶ月後には音取りテープも配布。
それに合わせて、今回の曲が最大六声部になる事から、有望なメンバーに早くから声をかけて入団してもらう。
また賛同者も現れたため、グループは一挙に8人にまで膨れ上がる。(内7名オンステ)
この年に行われたグリークラブ香川イギリス演奏旅行の前半三日間は自由行動であったのだが、
その間自主計画でフランスに行っていた藤島氏が現地で思いついて、
アッシジのテキストを泊まったホテルの従業員に朗読してもらい録音して来るという、筆者が想像もしなかった行動をとる。
また、TBHは語学に詳しい母親から発音を学び、自身も研究をして積極的にメンバーへ発音練習を行う。
このようにして、フランス語の処理についてはむしろメンバーが率先して働きかけを行っていた。
なにより重要な事はこれまで希薄であった「共同作業による音楽創り」を行えた事であった。
純正律音楽構築のため、思い切ってHD-81を購入。
これを利用して様々な音を体感する事により、自分の考えて来た理論を体系的にまとめあげる事に成功。
そしてそれを生かして、純正律ハーモニー構築の目安を作るため、
純正律の理論値による旋律を音取りテープとしてHD-81で作成し直し配布する。
また、合わせの練習においては聞くポイントを2、3に絞り込んで、
お互いの声が醸し出すハーモニーを経験してもらう事に重点を置く。
「ハモるためには、そのための声も必要」という事で「ハモる声」を作るために秋から発声練習を強化。 「ハモる声」に関する僅かな資料と自身の体験を元に、思考錯誤しながら練習を行う。
果たしてその成果やいかに!?
![]() |
演奏を終えて、燃え尽きたという風情の面々。実際、この一年の成果をすべて出し切って、心地よい疲労感に包まれていた。
わざわざデジカメを持って来ていたというのに、コンテストの時に撮った写真はこれ一枚のみ。この後で全員の集合写真を撮る予定だったが、
友人を送りに行ったメンバーがいたり、結果を見て盛り下がってしまったためメンバーがすぐに離散してしまい、撮らずじまいに終わる。 |
Single Singersではメンバーの親睦を図るため、月一回位の割合で飲み会を開いています。そのココロは、
普段集まりの悪いメンバーをヴォーカルアンサンブルコンテストに向けて「飲み会」という口実で集めて練習の進行を良くしようというもので、
昨秋から開始。
今回はアンサンブルコンテスト以来という事で、とりあえず皆で集まって楽しもうじゃないかと企画。
メールと電話でメンバーに周知するも、意外に忙しいのか集まったのはTBH、田中、Y.Hの3名であった。
特に、最近SS及びグリークラブ香川を休団状態になっているKには参加してもらいたかったが、
一週間前に「翌早朝より仕事のため、残念ながら不参加」との返信メールが返ってきた。
当日、先に会った田中と腹ごしらえを済ませてからPM10時ちょうどに会場である「C」に到着。
照明を落とした落ち着いた雰囲気と多彩なカクテルが評判で、グリーやSSメンバーの飲み会の定番である。
中に入るとすでにY.Hが先に来ていた。彼の陣取っているテーブルにつこうとしてふと隣のテーブルを眺めると、
そこにいたのはなんと、Kであった。
KがグリーT氏と女性2人と共に合コンに来ていたのであった。
なんでも、数日前にT氏から連絡があり、急遽決まったのだそうな。
そして、殊勝にも翌日の仕事をおして来ているのだと言う。
ほ〜〜〜〜###
その夜、Kが酒の肴となった事は言うまでもない。
「能登半島で知人が主催するイベントがあるので、余興だけでも参加してみないか?」
こんな話が田中克明から上がってきたのはまだ春頃であった。
「それは面白そう。じゃっ、行ってみよう。」
と、私が即決してしまったのには彼も驚いたようだったが、私としてはかつて学生時代の最後に車で海岸線を走破した事もある懐かしい地。
この機会に久しぶりに行ってみたくなったのが本音であった。
他のメンバーにも図り、TBH、Y.Hからは「行きたい」という回答を得るが、その後Y.Hは海外研修引率が決定したため不参加となる。
3名(それもバス系ばかり)では演奏にはならないから、打ち上げで田中さんの知り合いの方を交えた4名で1、2曲歌おうじゃないかという事で大筋決定。
とはいえ、TBHは元Topであったため、これらは音取りをし直さなければならない。
かく言う私も今回はSecで歌うため、結構厄介。
てなわけで10日に3人で集まって練習する。(そんな寸前になって・・・)
ところが、意外にもアッサリと音取り完了。返って時間が余ってしまったので、何か他に歌える曲はないかと考えて、
グリークラブ香川のエール「Land Hope and Glory」を加える。この曲、実は四声部になる所は意外に少ないので3人でも誤魔化しが利く。
それにTBHがTopを歌えるので、さらりと完成。
こう調子がいいと、後1曲位加えてまともなステージにしようじゃないかと増長が始まる。
結局、以前グリーの一部メンバーで行った幼稚園での公演時に歌った「さんぽ」(「となりのトトロ」挿入歌)を加える。
この曲もほとんど二声部しかないのでうってつけ。こちらもTBHが主旋律を担当。
練習していると、最後の和音(ド、ミ、ドの単純な和音)が見事にハモッて全員で驚く。
この調子なら結構イケるかも!?
という訳で、急遽林氏に連絡をとりステージに加えてもらう事にする。
12日朝7時、いよいよ出発。
海岸沿いに鳴門まで出てから明石大橋経由で神戸に出て、山陽、名神、北陸自動車道へと繋ぐのが予定のルート。
ところが、名神が渋滞しているというので急遽高槻から一般道に降りる。しかし、所詮は逃げ道のない京阪間の事、
動かない車の列に閉口しながら京都に入り、やや北のルートで峠を超えてようやく琵琶湖の西岸へ出る。
そこからはほぼ順調に敦賀に出て、北陸道を快走し、今夜泊めて頂く野々市町の(有)林農産へは午後7時到着。
ちなみに、淡路までがTBH、そこから近江今津辺りまでが私、野々市町までは田中が運転を担当。
距離は一番短かった筈なのに、6時間と約半分の時間を運転していた私はすでにグロッキー。
(やはり当初の予定通り、舞鶴ー敦賀経由で行くべきだったと心底思う。しかし、その結果は帰路に表れる。)
会社で、林氏を交えて少し練習を行った後、魚料理の大変美味しい店でご馳走になる。 TBHはテンションが高く、皆さんと盛り上がり楽しかったが、私の方は頭痛と運転疲れのためビール1杯であっさりダウン。 結局、早い時間でお開き。事務所に戻ると早々に休ませてもらう。
8時出発。昨夜、林氏に教えて頂いた通り、能登道路から珠洲道路を使って曽々木海岸へ向かう。
TBHは昨夜飲み過ぎたために二日酔いでダウンしているため、田中さんと二人で運転して行く事になる。
結局、TBHは3時頃まで後部座席で横になっていた。
特筆すべきは珠洲道路でしょう。途中の看板に「珠洲−金沢 2時間」と大きく書かれていたが、正に看板に偽りなしで、
非常に整備された道路が続き、実に快適なドライブが楽しめた。まだ珠洲市に入る寸前辺りが工事中であったが、
一行は途中で北上するので問題なし。
昼前に到着。ひとまず昼食を済ませてから、田中さんと私は会場設営の手伝いをする。
今回のステージに参加するアマチュアバンド「バレンタインズ」の皆さんや、その応援の方々等と材料を運搬し、組み立てる。
高さ2M位のステージを組むために、足場をならしてその上に板を敷いて足場を組んで行く訳だが、
実行委員長の林氏を始めとする参加者の実行力には目をみはった。
おそらく、土木、建設関係者がいたのだと思うが、足場をならすのにはブルドーザーを持ち込んでガンガン動かし、
見る見るうちに終わらせ、野々市町からはるばるトラックに積み込んで来た足場の材料を組み、
慎重に水平を計ってステージを作り上げていった。
1時間余りでステージは組みあがり、林さん達は公衆トイレの掃除に向かう。田中さんは気を使ってくれたので休む事にしたのだが、 やはり手伝っておくべきだったと反省。「志の会」のインパクトのある活動と言えば、なんといってもこのトイレ掃除であり、 その様子を間近で見て参加しておく価値はあったと痛感する。後で利用してみると、 何をどうすればこれほどキレイになるのか!と驚く程キレイになっており、その徹底ぶりに目をみはった。
その後は暇になったので、海水浴に興じる。その頃にはTBHも復活した。私にとっては、実に5年ぶりの海。
スッカリ泳げなくなっており、二人が自在に泳ぎ回っているのを横目に、波と戯れるのがやっとであった。
結構小石が多いので、波に揺られるうちに、時折それらが足のマメに当たって、痛みに顔をしかめる。
空はどんよりとした雲に覆われ、切れ間に青空が覗くという状態で、開催を危ぶまれていた。
実際、この日県南部の方は雨に見舞われており、いつ雨が降ってもおかしくなかったのは確か。
もっとも、私自身は楽観していた。私が参加したイベントは大抵晴れる事が多かったので、
「自分は結構晴男なんじゃないかな」という自負があったから、今回もタカをくくっていたわけである。
(そりゃ、香川は元々雨が少ないのだから、イベントの日が晴れ易いのは当たり前だ。)
4時頃にあがり、コンサートに向けて調整をする。音響担当の方には無理を言いました。6時からコンサート開始。私達がトップバッターという事で会場の人影もまばら。 ちなみに、写真の左にある岩には、波風が長い年月をかけて、あたかも窓のように50センチ四方の穴がポッカリと開いており、 そのため、この岩は「窓岩」と呼ばれ、この辺りの地名にもなっています。 |
田中さんの司会の元、まずは「Land Hope and Glory」を演奏。それから、林浩陽氏の協力を仰いで、
「いざ立て戦人よ」、「故郷」を演奏。故郷は林氏に旋律をお願いして私達はハミングで伴奏したのだが、
これは余り聞こえなかったようだ。最後は「さんぽ」を演奏して終了。外で歌ったため、周りの声が余り聞こえなかったので、ハーモニーが作りにくかったのが残念。 |
ところで、この「海辺のコンサート’99」のメインイベントは滝沢組というプロのバンドと御陣乗太鼓。
(御陣乗太鼓というのは、戦国時代にこの地方が上杉謙信の軍勢に攻め込まれた時、黒い面と装束を身にまとい、
太鼓を打ち鳴らす事により、大軍が存在するように見せかけて撃退する事に成功したという故事に始まったこの地方の伝統芸能。)そして、
その前座として(有)林農産社員の有志等で結成している「バレンタインズと今本健夫Withサンフラワーズ」が出演。
私達はさらにその前座を務めたのでした。
そのため、本来ならば、ここでそのメインイベンター達の様子を紹介するべき所なのですが・・・。
実はほとんど聞く事ができなかったのです。というのも、元々コンサート開始前に宿舎で夕食を済ましておく手筈だったようですが、
私達は「演奏直前に食事をしては声が出なくなる」という事で、私達の演奏後に延ばしてもらったのです。
そのため、宿舎側としても遅くまで食事をそのままにしておく訳にもいかないので、
残念ながら他の出演者の方々の演奏中に宿舎で食事をしているという事になった訳です。
私達が会場に戻ったのはトリを務めた滝沢組の最後の曲の頃。 客席の後ろではカクテルバー「Barカーズ」が営業していて(こちらもこの日に作った模擬店)、 こちらのマスターは若いがかなり勉強されている方らしく、美味しいカクテルを格安で提供してくれました。
コンサート終了後は、やはり皆さんで撤去作業。滝沢組の持ち込まれた高価な機材を足元の悪い中運ぶのは緊張しました。
その後は楽しい打ち上げ。関係者の皆さんで飲めや歌えやの大騒ぎ。私達も滝沢組のボーカルの方と一緒に歌ったりしたのですが、
私自身が早くから酒が回ってしまい、余り覚えていません。う〜む、年々酒に弱くなっているような気がする・・・。
という訳で、二人には悪いが、早めに宿舎に戻って休ませてもらう事にした。TBH曰く、
「『先に寝るわ』の言葉の後、布団に転がったかと思うと、すぐにスゴイ鼾をかき始めた。」
との事で、二人や、隣の部屋で寝た林氏達の寝付きを邪魔してしまったようだ(^^;)
私の学生時代の最後に、青森県の大間岬(本州最北端)に行き、そこから日本海側をほぼ海岸線に沿って鳥取県まで走破した事がありました。
その中でも、約1日がかりで一周した能登半島はもっとも印象に残っています。そして、もっとも鮮明な記憶である軍艦島と、
元々能登半島行きを決行した原因である恋路海岸にもう一度行ってみたい、というのが動機です。なかなかここまで来る事はないでしょうからね。
当時は恋路海岸から北上して走る車の窓から右手に浮かぶ軍艦島を遠くに見て、細長い形と島上部が四角い艦橋のように見えた事から、
「おお、確かに軍艦のようだ。でも、戦艦というよりは巡洋艦のような大きさかな。」
と思いました。
しかし、今回は北から珠洲市内を抜けて近づいて行く。角を曲がって急に開けた視界に飛び込んで来たのは、
木々をその身一杯に繁らせた巨大な島影でした。記憶に残る印象とのギャップに目を瞬かせながら、キャンプ地とおぼしき敷地に乗り入れ、
海岸まで行き、間近で眺めて見ました。
・・・大きい。視界一杯に広がる軍艦島は英国で見た巡洋艦よりも遙に大きく、
正に「戦艦」と呼びたくなるような雄々しさを見せつけていた。
改めて訪れて正解だった。軍艦島の勇姿に満足して、さらに南下して行く。やがて恋路海岸へ到着。
まだ時刻が早い(9時)せいか人影は少なく、朝日を浴びて輝いて見える。そういえば、以前来た時も朝であった事を思い出す。
・・・ここは余り変わってないな。海岸は観光地らしく整備されているが、メンテナンスがキチンとなされているのか、
6年前と変わらぬキレイな設備状況であった。
TBHが呟く。
「ここに来れば、恋人のいない俺達にご利益があるかな。」
ん〜、でもここって名称はあれだけど、悲恋の伝説の場所だからどうだろう?
そうなのだ。知らない方は名称にだまされないように。 ここは、愛し合う男女が横恋慕する男の策略によって亡き者にされてしまったという悲恋伝説の地なのである。 ・・・かくいう私も初めて来た時に同じボケをかましたのだが(^^;)
恋路海岸から軍艦島をバックに写真を撮り、ようやく帰路に着く事にする。迷いながらも珠洲道路に出て、
やはり快適なドライブを楽しみ、能登道路に乗って金沢へ戻る。北陸道に入ってからは二人に任せて後部座席で眠る。
北陸道の混み具合等からUターンラッシュを警戒し、敦賀で降りて国道27号線を舞鶴へ向かう。
あ〜、ついに来たか。厚い雲に覆われていきながらも何とか保っていた空であったが、とうとう大粒の雨が降り出した。
時折、ワイパーを最速にしても追っつかない程の大雨に視界を遮られ、
また、市街地を抜けて行く道では渋滞に遭ってノロノロ運転を強いられる。全体に交通量も普段より多いようだ。
考える事は皆同じか(^^)
東舞鶴インターの前が最も渋滞する。それでも、このインターができたおかげで舞鶴市内に入る必要がなくなったのだから、
かなりマシな筈。舞鶴道に入ってからは快適。播但道経由で山陽自動車道に出る。上り線の渋滞情報を知り、
帰りは瀬戸大橋を使う事にする。大正解。山陽自動車道を下る傍ら、見事に駐車場と化している上り線を見る。
二人を送って自宅に帰りついたのは、そろそろ日付も替わろうかという頃。さすがにグッタリ。 しかし休む暇はない。明日は日立で学生時代の友人達と飲み会だ。金がないので、 「青春18キップ」を使い、始発に乗って各停を乗り継いで行かなくては(涙)
| 戻る |
|---|