セントポーリアの歴史
1892年 ドイツのウオルター・フォン・セントポール・イレーイエ男爵が当時ドイツ領であった
タンザニアのウサンバラ地区でセントポーリアを発見、苗をドイツの父の元に送り、
それがハノーバーのヘレンハウゼン王立植物園長ヘルマン・ウエンドラントにより
発見者の名前を取ってセントポーリアと名づけられた。
(ただ実際にはそれより早く1884年にはイギリス人のジョン・キルク男爵に、1887年には
テイラー牧師がそれぞれ標本をイギリスに送っていた。)
イオナンタ
1893年 ベルギーのゲント博覧会でウエンドラント園長によりセントポーリアが発表された。
1894年 ニューヨークの花屋であるジョージ・スタンプがドイツから2本の苗を買い求め、販売を
開始した。
1927年 カリフォルニアのアーマコスト&ロイストン社がドイツのベナリー社とイギリスのサットン社
から種を取り寄せ、その中から100種を保存した。
1936年 アーマコスト&ロイストン社は100種の中から優れた品種10種を選び国内での販売を
始めた。
この時売り出された品種がオリジナル10として有名になりアメリカ全土に広がるきっかけ
となった。
また、このときにできたブルーボーイは後に多くの突然変異を起し品種の広がりに大きく 貢献した。
アドミラル (オリジナル10の1種)
ブルーボーイ (オリジナル10の1種)
この品種からピンク、ダブル、ガール葉などが突然変異で生まれた。
1939年 ブルーボーイから突然変異でダブル咲きができた。シングルとダブルの
違いは花弁が5枚から10枚であった、これにより落花しない長く咲く種類が
作られるようになった。
1940年 ブルーボーイから突然変異でピンクの花”ピンク ビューテイー”ができた。
1941年 ブルーボーイから突然変異でガール葉ができ、”ブルーガール”と名づけられた。
1942年 ピンクとブルーの花の交配から純白の花ができ、”ホワイト レデイ”と名づけられた。
1950年 ジェネバナーセリーにより白にブルーのエッヂの入った”レデイー ジェネバ”が発表
された。
1950年 ジェネバナーセリーからミニチュア”ミス リバテイ”が発表された。
1950年代 ミセス バリンの交配によりクラウン斑葉の品種が登場する。
1952年 ロバートクレイグカンパニーより最初のスター咲き”スター サファイア”が発表された。
1954年 リンドンライオン氏によりダブルでピンクの花が咲く”オハイオ ビューテイー”が発表され、
センセーションを巻き起こした。
1954年 アン&フランク テイナリにより最初のトレイラー”スカイ トレイラー”が発表された。
これは原種のグロテイと普通種の交配により生まれた。
1954年 フランク ティナリ氏によりクラウン斑の銘品”フロステイ”が発表され、後に
ミセス チャンピオンにより多くの交配に使われる。
1957年 ジミー デート氏によりワスプ咲き”ピンクワスプ”が発表された。
ブルーテールフライ
ワスプ咲きの代表的品種
1957年 ミセス オデンの所で偶然によりホワイトプライドから斑入り葉の品種が固定され、
”トミールー”と名づけられた。
ナンシーリーガン
トミールーを使った初期の交配種
1958年 グリーンエッヂの花”ドロシー グレイ”がグレンジャーガーデンより発表される。
1960年代 ドイツのハーマンホルトキャンプ社からシングルで落花しないラプソデイーシリーズが売り 出された。
ラプソデイー コーネリア
日本でもラプソデイーシリーズが1970年代から作られ、これによりセントポーリアの一台ブームが一挙に高まった。
ラプソディーシリーズは主に一般市場へ出荷する為に作られ大量生産に向く様、落花しない、1度に揃って咲くという
特徴がある。
ラプソディーシリーズを元に1980年頃にはアメリカのサニーサイドナーセリーがメロディーシリーズを、
また、ホルトキャンプ社はアメリカに進出し、オプチマラシリーズを発表した。
メロディー スペアミント
1964年 モザイクバリエゲーションの最初の品種であるリリアンジャレットが発表された。
1972年 最初のキメラである”ピンホイール”が発表される。
サーカスボーイ
初期に作られたキメラの一種。
1989年 ミズーリ州のノーランブランジット氏が黄花のヒズプロミスを作出。
1992年AVSAのセントポーリア発見100周年記念大会で正式に販売を開始した。
レモンクリーム
ヒズプロミスを使った交配種。リンドンライオン作出。
黄花といってもまだまだ中心にうっすらと入る程度で、
今後の改良が期待される。
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