そして、その後
秋風の吹く小高い丘の上に、シンジは立っていた。
頬を撫でる風が冷たく、まもなく、短い冬らしき物がやって来るのを感じさせる。
丘には、黒いプレートが整然と立ち並んでいる。
この世を過ぎ去った人々の、この世にいた事の証。
その一角で、シンジは髪を風に任せて立っていた。
「……全ては、彼女の手紙のおかげだったかもしれない……」
そういって、茜色に染まりつつある空を見上げた。
そうだった。僕はあの手紙を見た時、最初は戸惑ったんだ。
だって、あの後から、僕は生きているといえるような時間は過ごしていなかったんだから。
僕の周りにいた人達は、みんないなくなってしまったし、アスカもドイツに帰ってしまった。
『あたしはここにはいたくない!』
そう言って……。
一人になった僕は、とりあえず日々を過ごすだけだった。
生きる目的を持たずに、ただ漠然と存在する、そういう日々を過ごしてたんだ。
そんな時にあの手紙が来たんだ。
『僕には、マナに会う資格なんか無いんじゃないだろうか』
最初はそう思った。
でも、僕も結局寂しかったんだ。
結局、あの日僕は銀の鈴の下でマナを待っていた。
マナは僕を見つけると、真っ直ぐに僕の方に走ってきた。
戸惑っている僕にまっすぐに飛び込んできたっけ。
初めて会った時よりもずっと大人っぽくなって、抱き着かれた時、とてもドキドキした。
今考えたら赤面物だな。あの後、皆が見てるのにマナったら、キスまでするんだもんな。
『とっても、会いたかった。来てくれるか不安だった。』
そういって、僕を見つめるマナがなんだかとても奇麗だったのを憶えてる。
そして、マナはその夜僕の部屋に泊まった。
お互いに初めてだったんで、次の朝顔を合わせた時、二人ともすごく照れてた。
でも、この頃僕はマナを好きだったのかと言われると、自信が無い。
僕は、ただ寂しくて、誰か僕を抱きしめてほしいと思っていただけかもしれないんだ。
マナを、かけがえの無い存在として認識し始めたのは多分、あの出来事からだろう。
僕の部屋に泊まった日から、マナは僕に電話をしてくれるようになった。
『今からがんばって、いっしょの学校にいこうよ!私は一緒にいきたい!』
そういって、はっぱをかけられて、僕もそう言ってもらえるのがうれしくて、
やる気になって勉強した。
結構がんばったよ。
マナの願いをかなえるため、そう思うと不思議とがんばれた。
『このままだと、十分いけるね。』
『うん、約束するよ。絶対合格する』
試験の2週間前の電話で話した時は、お互いに笑ってたっけ。
でも、その三日後だった。
最初、その電話を聞いた時、僕は何を伝えられたのか理解できなかった。
『惣流・アスカ・ラングレーさんが亡くなられました』
アスカはドイツに帰ってから、エヴァのシステムを応用したATフィールド力場の研究を
大学で行っていた。
お互い連絡を取る事はなかったけど、元気でいる事は人づてで聞いていた。
『なぜ?、どうして?』
思わず聞き返さずにはいられなかった。
『自殺です』
僕はもう一度繰り返した。
『なぜ?、どうして?』
連絡してくれた人にいったわけじゃない。
あるいは、自分自身に問い掛けたのかもしれない。
『・・・・・・遺書があります。一言だけ・・・・・・・“寂しい”と・・・・・』
それを聞いたとたん、両目から涙が溢れた。
受話器を握り締めたまま、滂沱の涙を流し続けた。
その後、数日の記憶がはっきりしていない。
かすかに憶えているのは、不安と恐怖と後悔と……そして、………。
気がつくと、目の前にマナが立っていた。
『どうしたの?』
後から聞くと、その時の僕の姿は、やつれて頬はこけ、目は泣き腫らして真っ赤、
学校の制服姿のまま、電話機の横に座り込んで呆けた様に自慰をしていたそうだ。
そして、マナを抱きしめると、子供のように泣き続けた。眠ってしまうまで、ずっと。
記憶がはっきりするのは、目が覚めてからだ。
何かが、僕の顔をつたっている。水滴だろうか。でも暖かい。
目を開けると、マナの顔があった。
『……よかった……』
そういって、マナは顔をくしゃくしゃにして喜んだ。
涙が零れ落ちて、僕の頬を暖かく濡らしていた。
僕は、まだはっきりしない頭の片隅で、その涙の暖かさを心地よく思っていた。
僕は、二日間眠り続けていたらしい。
その間、マナは付きっ切りで僕の面倒を見てくれたようだ。
その後、もう一度眠って目を覚ますと、マナは、ベッドにもたれ掛かって眠っていた。
その寝顔を見つめているうちに、何かが心の奥で生まれたような気がした。
そして、その時初めて、アスカの死を受けとめられた気がした。
生まれたのは……多分、マナへの愛情。
そして、アスカという存在を、自分の内に認められるという事。
それと……アスカを好きだったという事実と、それを認める事ができた自分。
『遅かったかもしれない。でも、気付かなかったよりは、ましだよね。』
眠っているマナの髪を撫でながら、虚空を見つめ、誰にともなく僕は呟いた。
そんな事があったせいで、本番の試験は実力の半分も出せずに終わった。
結果発表の日、マナと二人並んで掲示板を見上げていた。
マナの番号は、あった。
僕の番号は、なかった。
『ごめん』
僕は、約束を守れなかった。
なんだか、とてもやりきれない気持ちだった。
僕がうつむいたままでいると、マナは、下から覗き込むように僕の顔を見ていった。
『すべりどめの推薦は合格したんだよね。』
『うん。』
『じゃあ、これはいらない。』
そういうと、自分の受験票を細かくちぎって空に振り撒いた。
『な、なにをするんだよ。そんなことしたら……』
『これな〜んだ?』
そういって、マナが目の前に差し出したのは、僕が推薦で合格している大学の合格通知だった。
『シンジの実力疑ってたわけじゃないんだけどね、念の為に受けておいたの。』
『でも、マナここが目標だったのに……』
『いいの。私の目標はシンジと同じ学校にいく事だもん。』
『マナ………』
『シンジ………』
またしても、衆目の監視の中で僕達はキスをした。
恥ずかしながら、前回よりも長く熱いキスを。
春が来ると同時に、マナは第三新東京市に越してきた。
僕の部屋に、である。
同棲生活、というよりは新婚生活だった。
でも、お互いにその先はどうしようという話はしなかった。
一緒にいるだけで幸せだった。
あっという間に大学4年目を迎えるのだが、思い出しても照れくさい日々だった。
ミサトさんと加持さんの大学時代の話をリツコさんから聞かされた時は、そんなものかな、
程度にしか思わなかったのだが、自分達も似たような結果だから、笑ってしまう。
五月晴れの良い天気のある日、学校へ行こうと支度をしていると、
マナがもじもじしながらいった。
『あのね……シンジ……あのね……できちゃった!』
『……え……』
『私、生みたいの。ううん、生むの。』
『え、えーと……』
情けない話だけど、僕は少なからずパニックになっていた。
でも、目の前で、頬をほんのり染めながら真っ直ぐに僕を見ているマナを眺めているうちに落ち着いていった。
そして、今更ながらの言葉をこの時に言うのだった。
『あの、その、えーと旨く言えないけど……結婚しよう!』
この時ほど、父さんが財産を残してくれてて良かったと思った時はなかった。
でなければ、僕達は学校を中退して生活を優先する事になっただろうから。
おなかが目立たないうちに、ということで二人きりで町中の小さな教会で式をすませた。
お互いに身寄りはなく、知り合いも近隣にはいないのでささやかな式だった。
もっとも、その後の生活になにか変化があったかというと、もともと一緒に暮らしていたし、しいてあげれば、マナの体を気遣う事が増えた事ぐらいだろう。
そして、卒業も間近に迫った二月だった。
まもなく出産予定日だというので、卒業も就職も決まった事もあって、僕はここ数日、
マナにつきそって一日中家にいた。
マナは、キッチンで夕食の支度をしていた。
僕は、ダイニングでニュースを見ていた。
そして、……………
マナはキッチンで倒れた。
救急車を呼んで病院に着いた。
医者は行った。
『妊娠中毒症です。このままではお子さんか奥さんか、どちらかが危ないかもしれません!』
『お願いします!なんとか助けてください!』
『最善を尽くします。が、覚悟はしておいてください。』
風は、相変わらずシンジの髪をもてあそんでいる。
だいぶ、日が落ちて肌寒さを感じる。
「あれから、五年たったよ。」
シンジは、目の前の墓碑に向かって話し掛けた。
「パパー」
栗色の髪の幼稚園ぐらいの女の子がシンジに向かって駆けてきた。
シンジは女の子を抱き上げると、墓碑に向かって続けた。
「ルリももう五才になった。」
墓碑の前に、菊の花が揺れている。
「ねえ、パパ、お腹空いたよ。」
あどけない顔をしかめてルリがシンジに不平を告げる。
シンジは顔を崩して笑うと言った。
「よし!じゃあ、そろそろ帰ろうか?」
「うん!」
「じゃあ、最後に、おじいちゃんにご挨拶して帰ろうね。」
「うん。おじいちゃん。バイバイ。またね。」
そういって、ルリは小さな手を墓碑に向かって振った。
「父さん、また来るよ。」
シンジは墓碑に向かって頭を下げた。
「パパ、今日の晩御飯何かな?」
「さあ、お母さん、何作って待ってるんだろうね。」
「早く帰ろ!」
「よーし、じゃあ、肩車してやろう!」
シンジはルリを肩車すると、丘を下る坂道を駆け下りていった。
空は、もう茜色一色に染め上げられていた。
そして、風はまだ、墓碑の前の菊の花を揺らしていた。
終り
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