2_「原発バイバイ」についての広告論


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このCMについては、(株)瀬戸内海放送もその放映中止の理由として、テロップ文字、しかもそのほんの一部にすぎない「原発バイパイ」という表現部分だけを放送法第三条の二、および三、に基づく放送基準(第四六項)に抵触するから、としたのであった。また、高松地方裁判所にたいする(有)ちろりん村によるこのCM放映継続の仮処分申請とその後の裁判についての報道をした新聞等も同様にこの「原発バイバイ」の部分だけを取り上げ、それを重点的に論評したから巷間、この広告が全体として「政治的社会的に過激な」偏向コピーであると受け取られてきた傾向がある。しかし、このCM(以下、誤解を増幅しないために「パイバイCM」)の訴えの仕方と内容は、前掲のテロップからわかるようにありふれたものであり、世論へのアピールという点でもこの程度のものなら、たとえば公共広告機構の「よびかけ」諸広告のように放送をふくめ現代日本のどのマスメディアにも散見されるものである。

現在、日本語でいう広義の広告・宣伝には、第一、商品の販売促進に直接、間接に結びつくいわゆる狭義の「広告」(advertisement)。第二、商品販売を直接の目的とせず主として情報を周知させるためになされる「広報」(publicity)。そして、第三、市民生活の円滑化のための「公告」(public announcement)等がある。本件で問題にされる「パイバイCM」は自然食品販売業者である広告主の営業活動の宣伝であり、ここでいう狭義の広告に区分されるものといってよい。

さて、第一の狭義の広告は何をそこで宣伝するかによって、1商品広告、2イメージ広告、3意見広告、などに分類される。この「バイバイCM」の場合、(有)ちろりん村がその販売商品と商行為この場合は、直接的には牛乳パックの回収とそれに共鳴する人たちへの来店の誘い)の宣伝(商品広告)、および他と自らを区別するその事業姿勢の提示(イメージ広告)をしているものと考えるのが妥当であり、それが被告のいう意見広告(前記3)とする主張には無理がある。しいていえぱ、それは企業としての姿勢を宣伝する、2のイメージ広告的色彩を色濃くあわせもつものだといえよう。

つまり、問題にされたこの「原発バイバイ」の部分だけを(株)瀬戸内海放送の主張のようなコンテキストで取りあげたとしても、「原子力発電」は人間の健康と地球の保全、ならびに(有)ちろりん村のあつかう自然食品にとって「好ましいものでない」ことを捕強するかたちでやわらかくのべているだけである。

今回のこの「パイバイCM」の放映中止は、ときとして個別の用語だけをとりあげて糾弾し、結果として差別の構造をより陰微なかたちで温存してしまいかねない一部による差別用語糾弾運動と、方向はちがうが構造的には似たところがある。ことばによる作品の評価とその理解には、そのなかのほんの一部のことばづかいよりも、そこでいったいなにが訴えられているのかを全体として把握することがより重要なのである。つまり、言語表現である放送番組(広告もその一種だし、テロップの絵も言語)については、全体としてなにが訴えられているのかの理解がまず大事なのである。だから、他の条件をいっさい無視して当該CMの「原発バイバイ」という表現部分だけをとりだし、それに一般の注意を向けさせ、それをもって意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」という放送法第三粂二の1、ならびにそれに準拠する民放連放送基準第四六項の規定に抵触するというのは、いうまでもなく「ためにする議論」であるといえよう。それは現在の社会的諸権力によって日常的におこなわれている公衆にたいする情報操作」と、放送事業者にたいする「自主検閲強制」の一手法で、あるべき市民中心社会におけるジャーナリズムにおいては許されるものではない。

この私の考え方は他の先進諸国のメディア関連法においても常識となっている。たとえば、イギリスではそのメディア法立法の精神は、第一、政治的に公平であること、第二、公序良俗をおかさないこと、を基本とし、その放送法(90年改定)の第八条二項で商業放送における広告について以下の三つの原則を定めている。

1その目的が「政治的、あるいは主として政治的」もしくは「政治的目的をもっている」組織・団体による広告を取りあつかわない。

2ある特定の広告主に賛同したり、反対したりするかたちで広告の受け入れにおける「非合理的な差別」をしてはならない。

3ITC(独立テレビ委員会、民放を統括する)規定によってその製品やサービスが広告できない会社にITCの承認なく番組をスポンサーさせてはならない。

アメリカの場合には87年レーガン政権の時代に、多チャンネル時代にはいったメディア規制の緩和ということでFCC(連邦通信委員会)が「公正の原則」を用語としてはなくし、印刷媒体とおなじような理解のされ方になったとはいえ、放送に使われる電波は社会的公共の財産であるという理由で、放送における「公正の原則」は反論権の保障や放送における時間配分の平等性といったかたちで実質的に今も存在する。メディア史の中では社会的に重要な事例(issues of public importance)に関する政治的公正さについて、すでに連邦ラジオ法(1927年成立)によって29年につぎのような判定が出ている。「番組が公的な問題の議論に関するときには、公衆の利益という観点から対立する意見が自由に交換されることが必要である。よって本連邦ラジオ委員会は社会的に垂要な問題に関する議論のすべてにこの原則を適用すべきであると考える」(連邦ラジオ委員会、l929年報告)

この判定はその後テレビ時代になっても当然受け継がれ、現在のFCCにおいても垂要な放送理解になっている。そしてこの姿勢が放送における広告の内容規制の原則のひとつとなっていることも自然なことである。

これらイギリスやアメリカの放送における広告の原則に照らしても、この「パイバイCM」は意味論的に一方に偏った政治的主張をしているわけでも社会的な公序良俗をおかすものでもない。また、その提供者である(有)ちろりん村は実質的な自然食品販売業者であり、政治団体でも、主として政治活動をおこなう組織でもない。「原発バイバイ」というコピー部分でさえ、自然食品の販売姿勢を強調したものにすぎないといってよい。つまり、当該広告が「健全な社会生活や良い習慣を害する」(放送基準第八六項)、反社会的なものであるという見解もその他の放送基準に抵触するとの解釈も、ともに出てきようがないのである。

くわえて本件に関係する広告企業、(株)KSBウオークなどが所属する社団法人日本広告業協会の「広告倫理綱領」(71年5月25日制定)にはつぎのようにあり、それは電力事業界の原発推進コマーシャルのあり方についての検討に、より必要な項目だといえよう。「広告は、真実をかくして、あいまいな用語や内容で、誤解を招くような表現をしないようにしよう」


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