3_マスメディア・ジヤーナリズムの社会的使命


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現在日本で一般に放送といわれる電波媒体は、第一、受信料によって経営・維持されるNHKと、第二、番組を提供する企業や諸団体からの収益、あるいはその間にはさみこんで放送されるスポットの広告宜伝からその対価を得る、もしくは有料契約者からの受信料を取得することによって経営される民間放送とに分かれる。

これら二者をその放送する番組内容の違いという観点から見れば、前者のNHKは通常の番組(放送法第三条二のAは、番組を教養・教育・報道・娯楽の四種に分頬する)の他に、日本人の暮らしの維持と向上のための、お知らせや災害警報などの広報をまじえた放送をしている。この広報はもちろん番組の一種で、台風や地震・津波などの情報、その他の緊急情報の提供などをふくむものであり、広義の「報道」に人ると考えられる。

それにたいし、民間放送はそうしたNHK的番組に加え、その営業上、先述した広義の広告を放送することによって企業利益をあげ、その業を維持成立させている。もちろん、この広告も放送番組の一種であリ、正しい情報の伝達ということで「報道」番組とすることができるであろう。

この点に関して、民放連の放送基準第一三章「広告の責任」の第八四項はつぎのようにのべる。「広告は真実を伝え、視聴者に利益をもたらすものでなければならない」

さて、放送は今やジャーナリズム、マスメディアの最有力ジャンルである。すくなくとも一般市民への影響力の大きさに関してそのことを疑うマスメディアの研究者はいないといってよい。また、今回の事件で被告となっている(株)瀬戸内海放送は民間放送であり、当該媒体はテレビであるから、以下そのような枠組みにおいてテレビ媒体に焦点をしぽりその社会的位置づけをしておこう。

周知のように、放送行為は一般の商業新聞や週刊誌などのように、法的にも政府からも比較的自由に常業行為のできる印刷媒体とちがって、電波法(1950年制定)の第六条から一三条までの規定にしたがって、郵政大臣から免許を受けてのみ営業できる免許事業である。そしてその前に、放送それじたいそれにかんする唯一の詳しい法律である放送法の総則第一条にあるように、社会原理として「公共の福祉に適合」しその経営をおこなうという使命を与えられている。つまり、放送は公共の財産(人びとの社会的共有財産)である電波を割り当てられてはじめて成立する強い「公共性」をもった、あるいはもたなければ困る事業なのである。この社会的定位があるからこそ、それらの法律条項は多くのマスメディアのなかでもとりわけ放送媒体にたいし、法的・倫理的にその社会的責務として放送事業をとおしての公共の福祉への貢献と社会的公共性の維持を要請するのだ。

それでは、放送、とりわけテレビに要請される社会的使命とは何か。

マスメディアを社会的伝達機関としてのジャーナリズムの立場から考察すれば、その社会的機能は、

@正しい情報の正確な伝達、

A社会的事象の論評と解説、

B市民による議論の場の提供、

C社会改革(社会改良事業)への連携、

D人間社会の潤滑油としての娯楽の提供、

の五つに大別される。

当該「バイパイCM」はこの中でも、商品広告という観点からは、@の「正しい情報の正確な伝達」の項に関連するとすれば、電力会社等による原発推進コマーシャルが許されているとき、それだけをこれに抵触するということには無理がある。たしかに、その「原発バイバイ」の部分だけに着目すれば、たとえそれが広告であるとはいえ、社会的問題や政治報道、教育・教養番組的主張にも関連しているという見方も可能であろう。つまり、そうした観点からの検討が可能だとすれぱ、@、A、B、Cの基準からの広範な分析が必要不可欠である。しかも、放送という物理的にきびしい時間制約の中で完了しなければならないものにおいては、前述の放送法立法の精神からも、アメリカにおいて健康被害を防止するという立場から放送によるタバコの宣伝・広告ができなくなった経緯がしめすように、とりわけCの「社会改革への連携」という視点からの情報の選択と番組の編成が放送事業者の最垂要の社会的責務となるはずである。

それが実現されてはじめて、受け手としての市民からのマスメディアへの信頼の醸成が可能になるのであり、それは正確な情報が歴史の検証に耐える形で、かつ市民が正しい日常的社会判断ができるような資料を提供するという角度から伝達されることによってのみ生まれる。

現代社会は対面コミュニケーションの範囲をはるかに超えて動いており、マスメディアの提供する情報そのものが私たち現代社会の市民の共通の社会認識になっている。このことはマスメディアのもたらす情報の内容と傾向がいかに大きな影響を人間社会にもたらすかを示唆している。つまり、何ごとも報道されてはじめて「社会的事実」となるかのような、マスメディアそのものが社会であるという今日的状況では、ジャーナリズムが市民の動向を決定する主要因だとさえいえるのである。

だから、この第一、社会における機能的側面と、第二、個人の知的認識構造面において、マスメディアの持つ重要な役割を把握しておくことが、この「バイバイCM」にたいする社会的諸権力の干渉の理由・背景を考えるにあたっても欠かせない前提となる。またそれがあるからこそ、マスメディアジャーナリズムの情報提供は、日本国憲法の前文に刻まれた精神である地球的規模のよリよい市民中心社会、平和な民主社会の建設という方向でおこなわれなればならないし、現に放送法も第一条で「放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」と規定しているわけである。

こうしたあるべきジャーナリズムの社会的位置づけからは、一方で電力事業体(個別九電力会社やその連合体である電気事業連合会、など)の原発推進コマーシャルを許しながら、他方で本件「バイバイCM」の、提供者の合意を得ない放映中止をするというバランスを欠いた一方的措置の正当化など出てきようがない。

つざに、現代日本における放送についてもう少し法制面に踏み込んで考えてみよう。


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