「パイパイCM」の放映中止で問題にされたのはテロップの図柄でも音声アナウンスメントでもなく、テロップ上の文言、それもただ単に「原発バイパイ」という字句だけであった。
「原発」とは@原子力発電所という施設、あるいはA原子エネルギーによる発電という発電の方法、あるいはBその両方、のことである。「バイバイ」とは英語の「グッドバイ」のややくだけた言い方で、英語でも日本でも「じやあ、また」ぐらいの意味あいで日常的に使われている。だから、これは第一、その文字通りの意味において「原発よ、さようなら」ということである。また原発の社会的意味論からいえば、公共広告機構などがつくる「台所と水源」、「実庭排水と人魚」などのコマーシャルと同じ種類、程度の意志表明で、原発の現場実態と電力会社の情報操作による事故かくしが公然とした問題になっている今日時点において、それを一方に偏った意見と解釈するのは不自然である。否、むしろそれは社会的にのぞましい情報提供なのである。第二に、それは現在の日本のほとんどの放送局からひんぱんに放送されている巨大な予算に裏うちされた電力事業者等による原発推進コマーシャルとの相対性において一方的に中止されるいわれはないものである。
まず第一点から。問題にされたこの「原発バイバイ」の字句はせいぜいのところ、「原子力発電」は人間の健康と地球の環境保全、ならびに(有)ちろりん村のあつかう自然食品にとって「好ましいものでないことをやわらかくのべているだけである。たとえていえば、キャンプ場や林間学校、などの宣伝に「受験勉強だけで青春を過ごさずに緑の森で遊ばう」などといったものがまま見受けられるが、(有)ちろりん村のこの広告もその程度の、そしてそれと同種の効果をねらったコピー、つまり、それは自社の商品販売の哲学と思想に原発推進の動きと実態がいくらか合わないことを表現している文言にすぎない。
また、いかなる表現も全体のコンテキストの中で理解されるものであり、この「原発バイバイ」という広告コピーも「バイバイCM」全体のなかで理解されなければならない。現に茶の間の視聴者はそうしている。その場合には、このCMが(有)ちろりん村の営業姿勢をあらわしたものにすぎないことがよりいっそうはつきりしてくる。さらに、このCMを一つの放送番組として見た場合でも、どの放送「番組」(=情報)も全体の枠組みの中でのみ正しい意味伝達と受容がなされるから、そのなかの一言一句だけを文脈から離れてとりあげて批判するのは妥当ではない。さらに語句内容の絶対的意味論からいってもこのCMには社会道徳的に否定されるべき内容、あるいは偏った内容はひとつもふくまれてはいない。
第二点について。
じっさいテレビCMのなかにはつぎのような電力事業者等の提供するコピーがあふれている(原告側準備書面より)
「明日を支えるエネルギー、原子力発電」
「原子力発電は安全第一に取り組んでいます」
「電気の40%は原子力です。原子力発電は安全を第一に取り組んでいます」
「僕のお母さんは僕達家族の事をチェックしてくれます。お母さんがいるから毎日安心、原子力も常にチェックを重ね安全運転に気を配っています」
「伊方発電所で働く女性は130人みんな元気な仲間です。私達も支えています。伊方原子力発電所」
これらのコマーシャルは、いずれも原発の安全性、そしてその結果としての原発推進を訴え、原子力発電の維持と新しい原子力発電所の建設のための世論づくりに貢献するコピ−である。が、それらが日本の放送事業者によって局内の考査会議をパスして堂々と放映されているとき、その一方で(有)ちろりん村の「パイバイCM」の「原発パイバイ」程度のコピーだけが批判的にとりあげられ、しかも(株)瀬戸内海放送はじっさいそれを二回も放映しておきながら、考査会議を形式的に開いたとしたうえで、原告がその部分を「原発を考えよう」などという語句への被吉による修正要望に応じないという事実までつくりあげ、その継続的放映を中止したのは著しくバランスを欠いた判断であるといわざるを得ない。
もしそうでなければ、前記コピーの例示第一をもじっていえば、(有)ちろりん村による「原発パイパイ」が駄目でも、90年8月18日付の朝日新間「CM天気図」で天野祐吉氏が主張するような「明日をおびやかすエネルギー、原子力発電」もしくは90年7月19日付の朝日新聞で「かたえくば」氏がいうように、逆説的にその反対の「原発倍倍」というコピ−なら許されるということになってしまうが、どうであろうか。
被告側は、90年6月25日の考査会議のあと、原告側にたいし、先にのべたような字句修正の提案を広告会社(株)KSBウオークをとおしておこなった。しかし、これでは、たとえぱ「老後について考えよう」という言い方から受け取れる語調とおなじように、その文言では「原発について考えるようにしよう」との意だけである。したがってそれでは(有)ちろりん村の自然食品販売事業の広告意図にそぐわないとして、原告が即座に拒否したのは当然であろう。また、その前に(株)KSBウオークは考査会議における当該CMの拒否決定のあと、独自に「原発パイパイ」を「放射能バイパイ」にしてはどうかと原告側に提案して拒否されている。語意として原発はより大きな意味をもつもので、単なる原発悪の一つにすぎない放射能とは次元がちがうものである。よってその拒否はこれまた当然であろう。
つまり、この「バイパイCM」の放映中止は、その@絶対的意味論、A社会的意味論、そしてB原発推進側のCMとの相対論、ならびにC考査会議とその後の修正案の拒否にいたる事実経過、のいずれからも不当である。
|