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 自己紹介 

馬鹿灯台

四国高松港の赤灯台

バナナボート見聞録

バナナボートの話をしよう!約1985年頃、当時は大地の徳江さん、夢市場の小野さん、徳島暮らしを良くする会(現在オルター大阪)の西川さん達が、全国に呼びかけ豪華客船をチャーターして「10万円で石垣島の国産バナナを1本食べよう10日間の船旅」(嘘です、本当は日本の有機農業をどうする!でした)を企画!

加藤登紀子さん、筑紫哲也さん、山本コータローさんをはじめグリーンコープの行岡さん、当時は国会議員の高見裕一さんなど錚々たるメンバーだった。私はその他大勢の一人というよりは厄介ものだったようだ(もちろん今もそうだ)朝から番まで一日中酔っ払っていた、しかし俺だけジャーねえぞ!誰とはいわないが、九州のあるコープの専務理事なんかはパネリストとして壇上にあるにも拘わらずロレツが回らずアーウーと昼寝をしていた。行岡さんごめんなさい(笑)

その後2・3度九州の本部へおじゃましたがやはり朝から酒臭い、私のように気の小ささを誤魔化すために飲んでる酒じゃない、(ただのアル中かもよ)うるさい!男が男に惚れたんじゃ!(いやねえ、男って)アンタだって女が女に惚れるっていうの有るでしょう?(・・・そうねえ・・)もっとスピード出ませんか、このままではこのコーナーが終わらない!(・・・?・・・)あなた飲んでますね!(エッ〜!どーしてわかんのよ)それですよ、それ、その言葉遣い!いくら私がバナナボートで酔っ払ってみんなに迷惑かけたからといってこれはないでしょ、(タタリよう!)あなた美川憲一さんでしょ?サインください!
メール下さい

『オイ!大西君、何やっとんかね!』アッ徳江さん!チョちょっと取り込んでまして『君はそういう趣味があるのかね?』ハイ!イ!イヤちゃうちゃう!そ!その趣味とかそうゆんちゃいますウ、行きがかりですウ『今度はジミー大西かね?』同姓ですから似ちゃうんですウ、顔はちゃうちゃう!「徳江さん放っときなヨそんな奴!」『そうだな我々はこれから日本の有機農業運動を推進しなければならない、可愛そうだが置いていこう』

置いていかれたのを幸いに私は独り地下に潜る(船だから船倉か)あるわあるわ秘密の地下に宝の山、バナナボートじゃなくて宝船じゃ、ビール、酒、ワイン何でもある、全て無添加!2・3本失敬して船室に戻って酒盛りを始めたら何処からともなく人が集まる、まだ空になってない酒をネコババする奴はまだいい、誰だ!失敬してきたばかりの新品をネコババした奴は。

仕方がないのでまた失敬にいく、そんなことを繰り返しているうちに私からネコババした酒がなくなると「大西さん!(さん付けである)お酒あります?」と来る、何があります?だ、自分でやれ!うすうす知ってる癖に!しかしそんなことを言っちゃあおしまいよ、知らぬ顔の半兵衛に申し分けない、船内私の行く先々で、尾行がいたのは知っていた。お巡りさんではないよ、たぶん船員でしょう。私が失敬した酒を売ってるわけじゃない、皆に配ってるだけだ、どうせ皆で飲むために積んでいる酒だからと大目に見てくれたのかな?

一方ホールでは加藤登紀子のコンサートが始まる時間なのに揉めている、自然保護、NGO、第3世界、有機農業、環境、正食、リサイクル、自然食メーカー、八百屋、生協、百姓、生産者、消費者、の各グループ、個人、が発言するのだからまとまらない、時間が足りない、テーマ毎に小ホールに分かれてやる予定だが、西川さんがこのままこの会場で続行しようとして激しくポケットの萩原氏と対立!全共闘世代である(俺はヘルメットを隠しもってる奴を見た!ほんとだぜ)いつヘルメット部隊が登場するかとワクワクしていたらグゥワラグゥワラゴロゴロゴロッと巨大なPAが運び込まれた、もう西川さんの声は聞こえない。

加藤登紀子『どお?元気?今日は飲みましょうね、でも私のコンサートは何処でやってもお客さんの顔ぶれは同じねえ、そこのお髭のお兄さん、この前のコンサートでもお会いしたわねえ、うれしいわ!ありがとう』「いよーお登紀待ってました!」嵐のような歓声と拍手!そして静寂『じゃーいくわよ!その前にちょっとイーイ?』と、お酒を一口!・・・〜♪独りで寝るときはよ〜オオオ♪〜
ちょうど台風に向かっていた船はエアーポケットに入ったジェット機の様に上下していた

コンサートが終わり分科会の部屋に行くと10数人が畳の上に車座にすわっていた、全員目が据って、真ん中にはニュースキャスターの筑紫哲也氏が困った顔で小さくなっていた。『いったい私に何をどうしろと言うのかね、これでは司会をする自信がない!』と、あくる日に途中の島で降りて帰ってしまった。話の中味は知らない。ああもったいない、生筑紫だぜ。

奄美に上陸した我々は映画で見るベトナム民族解放戦線の部隊のようだった(違いは銃の代わりに1000mm望遠レンズ・・・あるはあるはニコン、キヤノン、ミノルタカメラを首に下げ、対戦車砲のようなビデオカメラを肩に担いでいた)あとにも先にも生の山本コータロー氏を見たのはこのとき1回だけ!我々は無農薬のバナナを発見すべく何時間もジャングルの細い道を汗まみれ泥まみれになって彷徨い歩いた、一列になってくねくねと、そのときである軽の箱バンに乗せられてコータロー氏が通り過ぎたのは、彼はおんぼろ箱バンの窓から我々を見て不思議そうな顔をしていた、と言うよりオドオドしていたというべきか(ベトコンにつかまったアメリカ兵の捕虜のようだった)!彼の理解を超えていたのだろう、そりゃーそうだ10万も払って1本のバナナを食べに来た1000人もの集団だ、しかも日本一の豪華客船に乗って!このミスマッチが面白い。

石垣島に着いた(時間軸は無視しています)叔父の戦友の弁護士に合った、彼は空港賛成派である、叔父の伝言だけを伝え別れた。遅れて空港建設予定地に行くと交流会が始まっていた、獅子舞が素敵だった、子供に見せてやりたかった、お酒を少し飲んだ後はリーフまで2キロをプカプカとクラゲやマンボーのように浮かんで遊んだ、そこだけだったのかもしれないが珊瑚も魚もあまりいなかった、浜に上がると誰もいない、服を着たまま泳いだので、裸になって服を搾り、もう一度着て体温で乾かした。寒いのでじっと砂浜にうずくまっていた。・・・ゆかりさんごめんなさい(なぜか突然なのだ)・・・

獅子舞で思い出した!奄美のカケロマ島の祭の踊?だったと思うけどスゴイの一言です、言葉では表現不可!私にとってバナナボート1等賞!です。(フン!殊勝なところがあるかと思ったら性懲りもなく、ジャー私はいったい何だったの?私が1等賞だって言ったくせに!)アッ!ゆかりさん、そっ、それはですねアカデミー賞でも部門があるでしょう?それですよそれ!誰が見てるかもワカンないんだからサア何もこんなところで出てこなくったってサア「チョットちょっと何やってんの」アッ!妻の佐和子、『そうよそうよ!』ゲッ!桃子に由美子!『佐和子さん!私達は呼び捨てよねえ、もう別れチャイナサイよ』「そうよねえ」・・・[とうちゃん!かあちゃんが可愛そうや!]ギョ!王仁、夏子、良実、海薫、晴子!(アハハ!それみんなアンタの子供?私知らないっ!サヨナラッ!)と、白い珊瑚の砂浜を素足で駆け出し頬の涙が風に千切れて飛んだ。追いかけようとしたが包囲されていた。多勢に無勢じゃ、今日の所は退散しよう、しかしカケロマの舞踏もすごかったけれどそれ以上だワイ。・・・許してくれよ、ゆかり殿・・・

続きは乞う御期待!

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