初めての方はトップページからお入り下さい。
From: Toach toach@mxa.meshnet.or.jp こんにちは。ノーニュークス・アジア・フォーラムのとーちです。 環太平洋反原子力会議を私たちが神戸で行ったまさに前日、台湾国会ではGE ・東芝・日立による第4原発受け入れを決議してしまいました。 この動きのため、予定されていた来日ができなかった台湾の施信民さんが、先日 来日しました。大阪でも集会を持ちましたので、その様子をホームページに追加 しました。ぜひ、ご覧ください。 Singer & Net Worker とーち toach@mxa.meshnet.or.jp NIFTY:JAE00462 被災地長田の現状をQV-10の写真でビジュアルに情報発信 http://www2.meshnet.or.jp/~toach/ No Nukes Asia Forum's page 最悪の公害輸出、原発輸出を止めなくちゃ http://www2a.meshnet.or.jp/~nonukes/
Subject: リンクよろしくお願いします From: Matsunaga Mikihiro heronet@mbox.kyoto-inet.or.jp フォームで送りました松永です。花山大吉のホームページもこの前リンクしてい ただきました。 予告していたnatural shopを11月13日からスタートしました。 菜花と一緒にしています。 こちらの方もリンクしておきますね。 よろしく。 --------------------------------------------------------------- Matsunaga Mikihiro heronet@mbox.kyoto-inet.or.jp http://web.kyoto-inet.or.jp/people/heronet/ --------------------------------------------------------------- Matsunaga Mikihiro様へ 話しがよく見えないのですがMatsunagaさんのホームページは別にあるのですか? 菜の花さんと御一緒になされているようですが、教えて下さい! 一応、花山さんのホームページにはリンクを張っております。 上のweb.kyoto-inet.or.jp/people/heronet/は花山さんのホームページですよね 、今も確認しましたが、素晴しいの一言です、うちのヴァーチャル百貨店より カッコいいよ、名前をナチュラル百貨店に変えようかな、意味もよく分かるし。 大西
From: n-shin@da2.so-net.or.jp (nakasima shinnitirou) 大西さんへ、メールありがとう。以前、新高松伝説をメールで読ませてもらいました 。高松での伊方に闘いは忘れられませんので、懐かしく読ませてもらいました。11 月20日から25日までフィリピンでのAPECの民衆フォーラム参加のためフイリ ピンに行って来ます。又、報告をメールで送るかもしれません。そのときは、よろし く。 人権尊重を求める市民の会 中島真一郎 〒862 熊本市帯山1-32-407 E-Mail:n-shin@da2.so-net.or.jp,HQM02037@niftyserve.or.jp 中島真一郎様へ サウンドが入っているのが分かりましたか?臨場感があっていいですよ、 本当はビデオを載せたいのですが。頂いたご報告は次回からはお便りコーナーに 載せますからね。 大西
Subject: 豊島ネット通信11月16日 Date: Sat, 16 Nov 1996 23:30:14 +0900 From: 安達 adachi@kagawa-net.or.jp 豊島ネット通信 速報 11月16日 豊島情報をいち早く知らせるため、豊島ネット情報を電子メールでお知らせする 宛先のアドレス、ご存知でしたら教えて下さい。 紹介いただいた方を電子メール送付先一覧に加えます。 また、何か補足する情報がありましたら、メール下さい。 11月20日(水)よりメーリングリストが使えるようになります。 11月14日 豊島内各地区座談会 11月15日 豊島内各地区座談会 11月16日 豊島内各地区座談会 豊島ネット全体会 13:30〜15:30(高松錦町会館) 豊島公民館祭り 11月17日 (日) 香川大学法学部豊島視察 教官10数名 豊島公民館祭り 11月20日(水) 公開講演会 有志スタッフへの説明(香川大学J1教室 12:10〜) 説明は村上博教授担当 13:30〜法学部教授会 11月22日(金)「瀬戸内海の%%%%%% 香川県連絡会会合」(いまだに名前が覚え れない〜、どなたか、安達に正式名称を教えてやって下さい) 11月23日(土) 環瀬戸内海会議主催 豊島交流会 担当 環瀬戸内会議 副代表 松本宣崇 電話 086―243―292 7 渉外(申込みなど) 藤原宏 電話 0869―67―0273 できるだけ多くの人が24日当日に参加されるよう豊島の人も希望し ています。 24日は高松からチャーター船が出ます。 詳しくは adachi@kagawa-net.or.jpへ 11月24日(日) ○環瀬戸内海会議主催 豊島集会 協賛 豊島ネット 午前中 記念植樹など ○豊島住民大会 午後 豊島小学校体育館 この日の日程は3:30まで頃には終わるそうです。 * 高松―豊島(家浦)港間 直行フェリー便運行 車17台積載可能 バイク 自転車OK 参加費(運賃)は、1隻まるごとチャーターしていますので、 たいへん割安だと思います。 詳しい問い合わせなどは、 環瀬戸内海会議 代表 阿部悦子 FAX 0898―23―9162 24日当日のチャーター船の申込みも$残り少ないので御早めに! 乗船を希望する方は 豊島ネット事務局 FAX 0878―21―801 0まで 香川大学教育学部「環境論」受講生17名も参加するそうです。 (引率 教育学部 村山教官muras@ed.kagawa-u.ac.jp) 11月24日 豊島裁判 高松地裁 11月25日 四国学院大学 豊島交流会and講演会 18:00〜 会場フリースペース「なや」(善通寺市) 11月30日(土)豊島ネット街頭活動 高松三越前12:30〜13:00 富士銀行前13:10〜13:40 内容 香川大学法学部豊島講演会のチラシくばり 詳しくは 香川大学法学部 安達 浩昭 adachi@kagawa-net.or.jp みなさんご協力よろしくお願いします。 12月1日 (日) 豊島ネット交流会(みかんがり、シンポetc) この日に豊島でシンポジュムが企画されていますので、現地での内容が 少し変わるかも。 直行便フェリーをチャーターしています。 9:00 高松東浜港 出発 10:00 豊島着 参加費(運賃)2000円 車・バイクも一律1人あたり2000円 申込先 FAX 0878―21―8010 * 高松〜豊島間のチャータの豊島フェリーは、50名分埋まっております。 (車は5台程スペースが残っております。車を運ばれる方は、まだ受け付けます。 人をほかの海上タクシーなりに振り分けます) 豊島フェリーの50人分がうまりましたので、別に海上タクシーなどをチャーターす ることになりました。 ○住民主催のシンポ 詳細は現在、急ぎ、組み立てているところのようです。 パネリストに筑紫哲也・植田教授(京都大学)など 12月4日(予定) 公害調停 12月8日 豊島講演会 13:30〜16:30 場所 香川大学法学部 J3講義室 講師 中地重晴さん(住民会議顧問) 岩城裕 さん (豊島弁護団弁護士) テーマ 豊島の産廃不法投棄事件の現状と法の役割 主催 香川大学法学部もしくは法律研究会 詳しくは 中山充教授 nakayama@jl.kagawa-u.ac.jp
Subject: Re:返信:おひさしぶりです! Date: Sat, 16 Nov 1996 15:11:56 +0900 From: VET河田vet.kawada@jsn.justnet.or.jp To: "ちろりん村 大西光明" chirorin@niji.or.jp VET河田 wrote: > > Attachment 1 Type: application/octet-stream > Encoding: base64 VET河田様へ 何も入っていませんよ〜!上の状態でメールが届きました。 もちろんAttachment 1をクリックしましたが何もありません。 ちろりん 大西
Subject: お返事遅くなってすみません Date: Fri, 15 Nov 1996 03:20:43 +0900 From: watanabe yumiko js8t-wtnb@asahi-net.or.jp To: chirorin@niji.or.jp こんにちは、渡辺愉美子です。いつもお返事が遅くてごめんなさい。 じつは・・・ついにホームページを立ちあげてしまいました。 やりたいことは山ほどあるのですが、速くしろとの圧力が周囲からあったりし て、とりあえずという感じです。これからもっともっと充実させていく予定で す。でも、凝ったページをつくれるほどの知識と技術がないので、いろんな事 が出来ないのがちょっと寂しいです。ホームページの内容は「西洋占星術」で す。よろしければちょっと覗いてみて下さい。 URL:http://www.mmjp.or.jp/a.wakoh 前回のメールのご質問について。 実際に私も大地からちろりん村のホームページにこれるかどうか試してみました が失敗しました、大地はリンクのページがないのです。どうやって来たの? 大地の会にはリンクのページがあります。「食卓の向こうから」と言うコー ナーから小田々さんのページ(しまんとくじら)へ行くことが出来ます。そこ からちろりん村さんへ行きました。何となくページをめくっているうちに偶然 行き着いてしまいました。それでこうやってメールを送っているのですから不 思議なことですね。 渡辺愉美子 渡辺愉美子様へ そうか、食卓の向こうからにあったのか、ありがとう。 早速ホームページを見ましたよ、私は双子座ですから、やはり気になり 一番に双子座を見ました、結構希望者がありそうですね、頑張ってください。 大西
From: 安達 adachi@kagawa-net.or.jp 各位 平成8年11月20日 香川大学法学部 法律研究会(特別企画)のお知らせ テーマ 豊島の産廃不法投棄事件の現状と法の役割 ――望ましい解決策は何か? 二度と繰り返さないためにはどうするべきか? 日時 12月8日(日) 午後1時30分〜4時30分 場所 香川大学法学部 第3講義室 (法学部棟2階西隣) 第1報告 不法投棄現場の有害物の現状と今後の課題について 報告者 中地重晴氏 (環境監視研究所研究員、環境計量士、豊島住民会議顧問) 第2報告 報告者 岩城 裕 氏 (弁護士、大阪弁護士会、豊島産廃不法投棄事件住民弁護団所属) 講演の後に、参加者から質問や意見を出していただきディスカッションをします。 問い合わせ先 高松市幸町2―1 香川大学法学部 中山研究室 電話 0878-36-1828 E-mail: nakayama@jl.kagawa-u.ac.jp 法学部資料室 電話 0878-36-1837 FAX 0878-36-1845 安達様へ いつもご苦労様です、最近豊島の動きが早くて追いつけません、それで、 お便りコーナーを新にやり変えまして、その都度そこへ載せることにしました。 大西
Subject: 原子力とは From: kawrsky@mito.or.jp To: chirorin@niji.or.jp 大西様 私,インターネットを始めて五ケ月。すこし慣れて,サーフィンを楽しんでいるところです。 そんな折に,ミミズの大先生に見つかってしまったということです。 まだ,ホーム・ページを開くまでには至っていません。 旧制中学一年の時,第二次世界大戦(日本では,太平洋戦争という)が終りましたから, 年齢が分かるというものです。いわゆる還暦もとうに過ぎ,職場も離れ, 自由気侭な身分になりました。専門は,原子核物理で,原子力研究に携わってきました。 貴ホーム・ページの「原発ばいばい」拝見しました。面白い巡り合わせですね。 私は,極端な推進論者でもなく,また極端な反対派にも属していません。 原子力が社会に受容されるか,否かを,真面目に考える部類に属しています。 産業革命以来,指数関数的に増加している世界人口を,原子力なしで支え切れるか,どうか。 「もんじゅ」の事故で,原子力委員会でも政策決定のための円卓会議を開いています。 インターネットで,一部始終が閲覧できます(http://www.sta.go.jp から入る)。 反対派の人達も,やっと発言できるようになりました。 すこし離れた所からは,弁証法的過程のようにも見えます。 現在の日本の政治・社会の問題にも同じ様な動きが見られます。 今度の総選挙が楽しみです。 自己紹介にしては,固すぎました。悪しからず。それではこの辺で。1996.10.3 ご無沙汰してしまいました。 原子力について少々考えていたことを添付の形でメ-ルいたします。 これは4 年ほど前に雑文のかたちで書いたものの一部です。 プリントしたものしか残っていませんでしたので,スキャナで取り込み、 文字認識させたものです。 誤字があるかも知れませんが,ご了承ください。続きは,後程,読み取り・ 文字認識後メ- ル致します。 原子力とは何物だったのか 1.ピカドン 二発のピカドンで日本は太平洋戦争に負けた。この表現は多少なりとも誇張されて はいるが、反面、象徴的にすべき理由はある。1945年(昭和20年:筆者が旧制中学に 入学した年)の8月のことであった。ピカドンとは、いうまでもなく原子爆弾のこと である。8月6日朝8時15分に広島でウラン爆弾が、そして9日午前11時2分に長崎でプ ルトニウム爆弾がさく裂した。日本は最初にして最後の原爆被爆国になった。第2次 世界大戦以後、現在までのほぼ半世紀の間、実戦では只一度も原・水爆の使用はなか った。ただ、核保有国の実験として核爆発が繰り返されてきた。これが原子力の一面 であろう。と云うよりは,‘原子力’より開発が先行していた‘核’の姿であった。 アメリカは、マンハッタン計面で原爆を完成させた。時代は前後するが、真珠湾奇 襲攻撃を受けた米国は、この戦争に勝つために必死で核開発に取り組んだ。1938年、 ドイツの化学者O.ハーンらはウランの核分裂を発見した。このことはすぐに、コペ ンハーゲンのN.ボーアに伝えられた。年が明けて、1939年1月、ボーアはアメリカを 訪れた。このビッグニュースはたちまちアメリカの物理学者のあいだに広まった。そ の頃、アメリカには、E.フェルミをほじめファシズムによって生命や自由をおびや かされた多くの学者らが亡命してきていた。その年(昭和14年〉9月、ドイツ軍のポ ーランド侵入によって第2次世昇大戦の火ぶたが切って落とされた。米国では多くの 科学者を集め、ばく大な予算を投じて原子爆弾の研究開発が進められた。 二つの方法が採用された。一つは、ウラン235を天然ウランから分離することであ る。もう一つは、原子炉を組み立てて、プルトニウムをつくる方法である。1942年12 月、E.フェルミたちのグループはシカゴで世界最初の原子炉で連鎖反応持続に成功 した。いずれの方法でも1945年までには原爆製造に成功したわけである。舞台はロス ・アラモスであり、オークリッジであり、アラモゴードの砂漠であった,よくも、こ んな短期間に、このような計画が完遂されたものだ。マンハッタン計画は多くのエビ ソードを生んだ。 2.原子力科学革命 科学・技術は、自然と同じように、いつも2つの顔をもっている。科学・技術が自 然と異なるのは、科学・技術が人間の意志と方法(利用法次第)で制御可能であると 云う点である。20世紀前半、世界は2度もの大戦争を経験した。貴い人命は失われ、 国土は荒廃し、経済は疲弊した。世界史のテキストによると、第一次世界大戦では、 推定870万人の戦死者を出した。さらに、歴史上最大の惨禍をともなった第二次世界 大戦では、死傷者の数が最低でも5000万人と推定されている。同時に、戦争は最大の 自然環境破壊行為でもある。にもかかわらず、何故これほどまでに科学・技術が発達 したのだろうか? 国家にとって、科学・技術は軍事力、経済力したがって国際的政 治力を増強させる殆ど唯一の分野であると信じ込まれていたに違いない。富国強兵策 として、最も効率的な方法なのだ。18世紀のイギリスに始まった産業革命がそれを端的に 証明しているように思える。同じ世界史テキストは、次のように記している。 1712年、ニューコメンが蒸気ポンプを開発し、1769年になってワットが蒸気機 関を発明した。従来人力だけに頼っていたものが機械の発明によって動力を使うよう になり、生産力ほ飛躍的に増大した。これと呼応するように、紡績機関連では、1733 年ケイが飛び梭(ひ)を、1764年頃にはハーグリーヴスがジェニー紡績機を発明して いる。1769年にはアークライトが水力紡績機を開発し、工場生産化の礎を築いた。蒸 気機関はまた交通革命を引き起こした。このような技術革命が産業革命となり、発祥 国イギリスは大英帝国黄金時代を築いたのである。科学革命が技術革命、ひいては産 業革命の導火線であった。18世紀の産業革命の前の、16、17世紀にかけては、コペル ニクス、ガリレイ、ホイエンス、二ユートンらが目ざましい活躍をし、各国には、科 学アカデミーが設立ざれ、科学に対する評価は非常に高まってきていた。いわゆる“ 科学革命の時代”である。ここに、科学=技術=産業の三位一体が確立した。この間 、16世紀から18世紀までの3世紀以上の年月が経過している。 20世紀初頭も科学革命の時代であった。原子力が技術・産業として成熟する以前、 その基礎となる科学(原子核物理学など)上の発見・発明の数は非常に多い。原子力 科学革命と云ってよいほどだ。原子力科学革命は、19世紀から始まる電磁気力の科学 ・技術・産業革命の成果を栄養としている。と云うのは、原子力に関係した発見・発 明に必要な測定器や加逮器の基礎は電磁気学であるからである。そして、原子力の科 学=技術=産業の三位一体は、ほんの半世紀足らずの内に確立してしまったのである。 ここで、上記した産業社会の革命的変化を、自然界の力(相互作用)と対応してみ るのも面白い。これまでに、重力、電磁気力と原子核の内部で働く核力(強い相互作 用と弱い相互作用〉が知られている。最近(1980年代)では、原子核を構成している 陽子や中性子は、さら基本的なクォークから成っていることが判り、クォークを緒び 付けている力(グールオン)まで議論されてはいるが,18世紀の産業革命は、極く大 雑把にいえぱ、最初の挙げた重力に関係している,19世紀には、電磁気に基礎をおく 多くの発明・発見がなされ、ある意味で産業革命が行われた。そして、最後は、核力 による原子力産業革命である。もっとも、後の二つは、先行している技術を利用して いるので、最初の革命ほど際だってはいない。原子力に関係深い科学上の発見・発明 を理科年表より抜粋すると以下のようになる(19世紀後半を含む)。 1895年 レントゲンによるX 線の発見 1896年 ペクレルによるウラニウムの放射能、 1898年 キュリー夫妻のラジウムの発見、 1900年 ラザフォードらによる放射性元素の崩壊説、 1905年 アインシュタインの特殊相対性理論と光量子仮説、 1908年 ラザフォードとガイガーによる計数管の製作、 1908年 ラザフォードとロイズによるアルファ粒子=ヘリウム原子核の実証、 1910年 ソデイーの同位体の概念、 1911年 ラザフォードの原子核の存在、 1919年 アストンの質量分析器による同位体の研究、 ラザフォードのアルファ粒子による原子核破壊、 1925年 ハイゼンペルグの行列力学、 1926年 シュレーディンガーの波動力学、 1927年 ハイゼンベルグの不碓定性原理、 1928年 ガモフのアルファ崩壊の理論とトンネル効果、 1930年から32年にかけて ローレンスとリビングストンのサイクロトロン、 1932年(昭和7年〉チャドウィックの中性子の発見、 コッククロフト・ウデルトンの高電圧加遠装置での原子核人工転換、 アンダーソンの陽電子の発見、 ユーリーの重水素の分離、 1933年 フェルミのベータ崩壊の理論、 1934年 ジョリオ・キュリー夫妻の人工放射能、 1935年 湯川秀樹の中間子論、 1937年 アンダーソン・ネッダーマイヤーの宇宙線中間子、 1938年 ハーン・シュトラスマンのウランの核分裂、 1939年 ベーテの核反応による星の熱源の説明、 ペレイの87番元素(フランシウム)、 1940年 マクミラン・アベルソンの超ウラン元素(Np)の創製、 セグレ・コルソンの85番元素(アスタチン)、 マクミランらの93番元素ネプツニウム、 シーボルグらの94番元素プルトニウム、 1941年 カーストのベータトロン製作、 1942年 フェルミらの核分裂連鎖反応の持続、 1944年 シーボルグらの95番元素アメリシウム、96番元素キュリウム、 1945年 マクミラン・ベクスラーのシンクロトロン、 1946年 ガモフのビッグバン理論、 リビーの炭素14による年代測定法、 ・・・・・・・・・・・ 相対論と量子論は、20世紀前半の理論物理学の花形である。 それに、当然、実験物理としての原子核物理学を付け加えなければならない。 細かくいえば、物性物理学なども加えなけれぱならないであろうが。 これらは、ともに当時の思想界などの知的分野に大変革をもたらすに充分なほど、 これまでの日常的な常識とかけ離れている。ニュートンに始まり19世紀未に大きく 開花した決定論的な思想に大打撃をあたえた。 特殊相対性理論は、光の媒質としてのエーテルの存在を否定し、光速度がすべての 観測者に対して同じ値をもつとし、また自然法則は互いに一様に運動する観測者に対 して同じ形式を保つという原理をもとに組み立てられている(広辞林)。この理論の帰 結の一つに、有名な“質量とエネルギーの等価”があり、E=m C**2 と表わされる。 E とは、エネルギーのことであり、m は質量を表し、C は光速度である。原子力の基礎も、 ここから発する。つまり、ウラン-235 が核分裂を起こすと、2つの原子核に分裂し、 同時に2, 3ケの中性子が放出される。この時、初めのウラン-235 の質量と、 分裂後の原子核と中性子全部の質量の和を較べると、前者すなわちウラン-235 の 質量の方が大きい。無くなってしまった分だけがエネルギーに変換したのである。 この原理の上に、原子爆弾があり、現在、わが国の電力の30% 近くをまかなっている 原子力発電がある。 逆に、二つの原子核が、くっつき合った方が前の状態の総質量より、後のそれの力が 小さい場合がある。重水素などを利用する核融合である。太陽のエネルギー源は、 まさにこの核融合反応によっている。だから、核融合には、“地上にミニ太陽を!”の キャッチフレーズが付く。 同時に、水素爆弾の原理にもなっている。 何故このような事が起こり得るのか?これが、原子核物理学の魅力であり、面白さで あった。原子核の奇妙な性質を調べて行くと、さまざまな新事実が判ってきた。 地球上におけるミクロな現象だけでなく、宇宙のマクロな現象の説明への武器にもなり、 さらにエキゾティックな世界へまでも勧誘している。 実は、質量とエネルギーの変換は、これまでの化学反応においても起きていたのである。 ただ、化学反応においては、そのエネルギーは大変小さく無視しても一向に差し支え なっかっただけだ。原子核反応のそれに比べて、百万分の一(10-6)程度しかない。 我々の日常的感覚からすれば、物事、例えば自動車や汽車・電車の速度でもよい、 それが10倍ないし100倍に増加すれぱ、量の増大というより、質の変化として認識される だろう。化学反応から原子力に移行する場合、そのような質的変化を3 回から6 回も 起こしたことに相当する。勿論、質的変化のような計量不能な事象を同時に複数回経験 するという表現は比輪的ではある。 一方、量子論は、原子、原子核、素粒子などの微視的物理系においては、物理量は 、ある最小単位(プランクの定数)をもとにした不連続な値だけしかとることが出来ず、 またそれらは粒子性と波動性の両性質を兼ね備えているという原理をもとに組み立てら れている。このような対象物を、量子となずけている。光すらこの量子である。 このことから、不確定性原理が導かれる。それは、量子の位置と運動量を同時に正確に 決定することは出来ない、ということである。奇妙なことではあるが、その正当性が 実験的に確かめられ、量子論の成果は、半導体素子や超電伝体のなかで生きずいている。 同時代性(Comtemporaneity)と云うべきか、同じように奇妙なことが、数学・論理学の 分野でも現れた。K.ゲーデルが1931年に不完全性定理なるものを発表している。 これは、ある公理に矛循がなくても、真であるか偽であるかを正しく決めることが 必ずしも出来ない、と云うものである。つまり、ある前提で正しく論理推論を 推し進めていっても、Aという結論と非Aという結論が出てしまう、というものである。 この定理は『自分が正しいか、どうかぁ O!"<+J,$G$O>ZL@$G$-$J$$!Y$H$$$&8@$$J}$,$5$l$k!#7hDjITG=$J$$$7$OHs7hDj$G$"$k!#J*M}3X$O?t3X$N=u$1$rかわらさき ゆうき様へ
最後は文字化けになっておりました、お便りコーナーに載せましたのでよろしく。 大西