新旧のリーダー
豊島住民会議の安岐正三は1995年12月13日夕、島内の老人ホームを訪ねた。20年前の産廃もちこみ反対運動のリーダー石井友蔵(84)が入所していた。ベッドで寝ていた石井は付き添いの妻に支えられ、身体を起こした。安岐「シンポジウムを開いたら、いろんな人が集まってくれ、なんとか光が見えてきた。昔、一緒に苦労した石井さんには、報告しようと思って来たんや」
石井「ご苦労さん」
安岐「国が調査してくれ、産廃の量が日本一多いことが分かった。昔、県庁にデモに行ったことなんかが実を結んできた。豊島からゴミを出す一番船が出る時は一緒に見に行きましょう」
石井「無駄やなかったね」
安岐「ほんまにえらい目したけど、もうちょっとや。頑張らにゃ」
石井「楽しみや。あんたらご苦労さんやけど、頼むで」
新旧のリーダーは両手でがっちりと握手を交した。
住民会議と弁護団主催のシンポジウム「有害廃棄物を豊島に放置してよいのか」は三日前、豊島小学校体育館で開かれた。日本最大の産業廃棄物不法投棄事件を国民的課題として受け止めてもらおうとの狙いだった。
弁護団長、中坊公平はフロアいっぱいになった約550人の聴衆に交じって座った。熱心にメモをとり、壇上にのぼる発言者の言葉を一つ一つ、心に刻んだ。
調停申請直後の93年12月に島民の意思統一をするため開いた住民大会と同じ会場。だが、当時と違ったのは東京、静岡、熊本などからもゴミ問題に直面している人達が集まったことだった。
現地報告をした安岐は言葉を詰まらせた。
「(豊島総合観光開発の)刑事公判記録を読み、事実を知った時、怒りで身が震える思いがしました。・・・・・県は・・・・・最初から(同社の)不法行為を知っていたのです。産廃処理業と金属回収業の二足のわらじを履かせたのは、県だったのです」
パネルディスカッションで京都大経済学部教授、植田和弘(44)(環境経済学)はこう指摘した。
三つの感想がある。一つは大量消費、大量生産、大量廃棄が容認されている社会の矛盾が象徴的に豊島に噴き出した。もう一つは廃棄物は過密から過疎地への一方的な流れ。最後に、我が国では原状回復を図る法が不備で、行政がきわめて無策であること。これまでは廃棄物のことをあまり考えずに生産や消費が行われてきたから、大量の廃棄物、有害物質が出た。これからは、出てきたものを再生する循環型社会、リサイクル社会を目指すべきだ。
豊島のケースは原因を作った処理業者はもちろん、不当に安く、悪い処分をうすうす知りながら委託した排出業者にも環境復元の費用負担をする責任がある。さらに、処分の過程で野焼きが容認され、有害産廃に変わった。これは行政(県)が適正に処理させる管理責任を果たさなかったため。廃棄物行政は国の機関委任事務。撤去せざるを得ない産廃をどこに持って行くかは国と県が責任をもって探す必要がある。
また、東京都の西のはずれ、日の出町で一般ゴミ処分場建設に反対している住民団体「日の出の森・水・命の会」代表・中西四七生(49)は「豊島の廃棄物は、安楽な社会生活を営み、適正な処理の監督さえ忘れていた行政の前に突き出し、こういう負荷が、危険があったとはっきり分からせることが正しい解決策ではないか」と話した。
豊島と同じ離島の愛媛県中島町などでゴミ持ち込みに反対している住民の声も紹介された。
大量消費に原因
中坊は総括に立った。トーンの高い声を一層、振り絞った。「処理業者の共犯者の第一は県。もっと監視しなければならないことを学んだ。産廃は過密から過疎地へ一方通行。大量生産、大量消費という私たち全てが持っている生活用式の中に根本の原因があることが分かった。全国民が真正面から考え、取り組むべき問題だ。過疎地からの反乱を起こす時期である。豊島の問題を筋の通らないムニャムニャの解決にすれば国民の損害になる」
「産廃を完全撤去すれば、受入先が困るのではないか」という迷いは吹っ切れていた。 (敬称略)
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