現地調査費は1994年12月12日の事務次官等会議で、国の予備費から支出することで合意。翌日閣議決定された。「2億3600万円の予算がついた」
豊島住民会議の安岐正三は、弁護団の岩城裕から電話を受け、調停委員の南博方に心の中で手を合わせ、仲間の努力に感謝した。「南さんは約束を果たしてくれた。島を上げての立ちっぱなしの成果が実った」
南は5月末に島を訪れ、公害等調整委員会(公調委)として最大限の努力をすることを表明、県庁前の住民の立ちっぱなしを中止するよう要請、住民はそれを信じて抗議行動をやめた。
前例のない高額
それまで公調委が使った調査費の最高は新幹線騒音のスポット測定で数百万円。前例のない高額に島民だけでなく、県関係者も驚いた。岩城が公調委事務局にいきさつを尋ねると、担当職員はほぼ1週間徹夜状態で資料を作り、大蔵省と折衝したという。
公調委関係者の話では、県と住民の間で産廃の有害性についての認識が違い過ぎ、調停を進める基礎データが必要だった。ただ、公調委には恒常的な予算がなく、自由に使えるのは500万円が限界。専門委員3人に調査の基本方針を議論してもらい、事務局で計画を作ったが、費用は2億円余もかかることが分かった。早急な実施のためには予備費しかない。ネックはその必要性と実施の時期。大蔵省にはかなりの有害産廃が放置され、野焼きの影響で猛毒の化学物質、ダイオキシンが含まれている可能性も指摘。緊急性をアピールして要求通りの額が認められた。
公調委の審査官、小池勝雅(43)は同月19日、県庁で記者会見、「県調査の補完的色彩はない。住民の間には、県の調査に対する不信感が強く、一から行う」と断言。よく20日から、約20ヘクタールの現場全域で、ボーリングマシンなどが唸りを上げた。
調査を担当したのは、東証一部上場で地質調査などを手がける「応用地質」(本社、東京都千代田区)。全国の自治体から廃棄物処分場の設計や測量、環境アセスメント、災害復旧調査などの委託を受けている。
国の最高レベルで決まった調査は万全のものに見えた。が、住民らは果たして公正に実施されるのか、疑った。県の調査に立ち会えなかった不信感が背景にあった。初日から3人交代で作業を見守った。
真冬の監視
毎日、午前8時から午後4時過ぎまで。悪臭。舞い上がる粉塵。昼食がまずく感じる。厳冬の北風は肌をさす。住民らは防寒服に身を包み、タオルで鼻や口をふさいで耐えた。手には日報。作業員数から、主な作業内容、作業地点、特記事項などを克明に記入、サンプルが採取される度に、写真撮影した。日報は、大阪市港区の民間研究所「環境監視研究所」の環境計量士、中地重晴(39)のアドバイスを受けて作った。研究所は市民運動に信頼される分析機関として、88年4月、衆院議長土井たか子らが呼びかけ人になって設立された。
中地は当初からの研究員。環境計量士は大気や水質の汚染を測定、計量証明書を出せる国家資格。廃棄物関係では全国数十箇所の処分場などを調べ、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の調査経験もある。
調査決定後、弁護団は科学的知識のある味方を求めていた。94年10月、住民会議の石井亨が持っていた研究書の機関紙「環境監視」に中地が産廃の連載をしているのを見た岩城が「この人だ」と直接あって協力を要請。中地は「自分の経験や知識が役に立つのなら」と快諾、調査に対する要望項目を検討したほか、現場に何度も足を運んだ。
95年1月17日の阪神大震災は豊島でも塀が倒れるなど大きな揺れとなったが、作業は順調に進んだ。住民にとって被災地の兵庫県警は処理業者「豊島総合」を摘発してくれた<恩人>。犠牲者を悼み、50万円の義援金を送った。
一月下旬、掘り返された産廃内部から、モウモウと水蒸気が上がり始めた。安岐が温度計を見ると53度。へしゃげたドラム缶も出てきた。同社が創業をやめて4年以上。一部は覆土され、草も生えているが、内部はドロドロ。安岐の胸には「想像以上の有害物質が埋っている」との確信が高まっていた。 (敬称略)
おいしい有機野菜の八百屋
安全食品の店
全国宅配(通販・通信販売)有り
(有)ちろりん村 代表 大西光明
ちろりん村宅配本部 〒760-0080 香川県高松市木太町5区4637-3
営業時間 9〜18時(定休日は日曜日)
TEL 0120-374-568 or 087-837-4568
FAX 0120-919-084 or 087-837-2977
ちろりん村栗林店 〒760-0073 香川県高松市栗林町3-10-24
営業時間 10〜19時(盆正月以外は年中無休)
TEL 087-837-2976
このページは、 1996.7.20
にアップデートされました。
Last up date
2002.7.22