10-6 日柳燕石
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日柳燕石は讃岐の生んだ勤王家であり文化14年象頭山の麓榎井村字旗岡の米質商「加島屋」に長男として生れた。幼少の頃より学問に志し和漢の書に通じ 詩を作ること巧みであり、数多くの詩を残している。

日本に聖人有り
其の名を楠公と日う
誤りて千才の世に生れ
                剣を提(ひっさ)げて英雄と作(な)る

燕石の傑作右楠公の詩は長州人士の間で愛唱せられ今尚吟詠愛好者に引継れている。高杉東行逃避の咎により囚われて獄に投ぜられ、獄中生活4ケ年、 この間も燕石は志を曲げず、国事の憂之世を思う切々の情を詩文に托した。

明治元年出獄し、北越征討の途に上ったが不幸にも8月25日柏崎にて不帰の客とをった。(52才)
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呑象楼は一名皆宣楼ともいい琴平町榎井(旧横井村)の西端にあり、天保年間に建築された維新の奇傑、日柳燕石が中年後の最も活躍時代の住居であり、 史蹟として指定されていたが、建物の腐朽がいちじるしく、昭和29年燕石の遺徳に心うたれた有志の方々により現在の場所へ修複移築し郷土の記念館 として保存しています。

呑象楼北側春日神社境内には燕石会発起の日柳公之追思碑があり、庭園に燕石翁胸像が設置(四国先賢顕彰会)され、燕石翁の遺影を偲び近在多くの人々が 訪来している。


(10)-04-1 日柳燕石 略年表



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