| @外国人の墓のなぞ |
皆さんご存知ですか?土器町東五丁目・駒ケ林にある軍人墓地に、
外国人の墓碑が建っていることを。一基はロシア人キリール・ブーズ
ニコフという人のもの。もう一基はドイツ人アマンドゥス・テ
ンメの墓だそうです。墓地は今では松喰い虫にやられ、裸同然の松
林となっていますが、かっては隆々と枝を伸ばす松の大木で、昼な
お暗く、うっそうとした雰囲気を醸していました。隣接するうぶす
な園や駒ケ林自治会館の建つ場所は、青ノ山に移転する前の保育所が
あったことから、広いこの軍人墓地は付近の子供達の絶好の遊び場
所でした。丸亀歩兵十二連隊の墓地は、戦前、あるいは戦時中の就
学児童なら、誰でも一度は清掃奉仕や遠足で訪れたことのある、年
配の方々には懐かしい場所でもあります。それでは何故、二人の外
国人の墓がここにあるのでしょうか。ロシア人ブーズニコフについては今
現在、資料が手元にないので詳述は避けますが、もう一人アマンド
ゥス・テンメの場合、数々のエピソードと共に私たちに埋もれてし
まった地域の歴史の一コマを興味深く教えてくれています。以下に
ご紹介することにしましょう。
(ブーズニコフとテンメ) ブーズニコフもテンメも共に20世紀に我が国との戦争で犠牲になった人 達でした。 ブーズニコフは日露戦争(1904〜1905、明治37年〜38年)、 テンメは第一次世界大戦(1914〜1918、大正3年〜7年) 当時、俘虜となって丸亀で収容中に亡くなり 陸軍墓地に葬られま した。 −墓碑名の記録− HIER RUHT IN GOTT DER SEES. (SEESOLDATの略) AMANDUS(AMMANDUSが正しい) TEMME 2. KOMP. (KOMPANIEの略) V. S.B.(SEEBATAILLONの略) AUS GERSENKIRCHEN (GELSENKIRCHENが正しい) GEBOREND (GEBORENが正しい) 25/2 93 GESTORBEND (GESTORBENが正しい) 6/6 15 (ドイツ語の訳) 「ここに海軍歩兵第3大隊第2中隊・2等歩兵アマンドゥス・テン メ眠る。ゲルゼンキルヒェン出身、93年2月25日生まれ、15年6月6日死去」 |