香川県内では、日露戦争時(明治37年〜38年:1904〜1905)の明治37年7月から仲多度郡六郷村(現丸亀市塩屋町)の塩屋別院(現本願寺塩屋別院)に丸亀俘虜収容所が
設置されました。
翌年の5月には、同郡白方村(現多度津町)海岸寺北海岸に俘虜収容所が設置されており、これは一般的には、白方俘虜収容所ですが、善通寺師団の管轄にあつたため、 善通寺俘虜収容所が正式名称です。満州(現中国東北部)などで捕えられたロシア兵俘虜が、松山俘虜収容所を経て、それぞれ、350名、1,000名収容されており、 戦争終結後の明治39年(1906年)1月に、松山に向けて移動するまで設置されておりました。 俘虜に対しては、国際法による人道的な処遇をしており、また、地域住民との友好的な接触・交流などもあり、健康、食事への配慮、さらに面会、郵便等が許可され、 収容所外への散歩、酒保(売店)の開設が認められていました。,また、クリスマス会、演芸会などもありました。 丸亀市土器町駒ケ林にある陸軍墓地に、外国人の墓碑が二基建っており、一基はロシア人のキリール・ブーヅニコフの墓で、もう一基は、ドイツ人のアマンドクス・テンメ の墓です。ブーヅニコフは日露戦争、テンメは第一次世界大戦の俘虜として丸亀俘虜収容所に収容され、異国の地で病死した人物であり、彼らの墓は、地域の人達の手に よって今も大切に守られています。(2007.4 丸亀ドイツ兵俘虜研究会) |
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3-0501 丸亀陸軍墓地に今も残る香川にある唯一の露国兵士の墓。 墓碑正面には「露軍歩兵卒キリールブーヅニコフ之墓」 右側面には「明治38年11月3日死亡」とある。 |
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3-0502 丸亀俘虜収容所として使用された本願寺塩屋別院。 本堂は100年前とほとんど変わっていない。 |
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3-0503 善通寺陸軍墓地に残る合葬の墓碑。 ロシア兵の墓を探したが発見できなかった。 上の墓碑にロシア兵のものも含まれているのであろうか? この墓地にあったロシア兵の遺骸3体と丸亀のロシア兵の遺骸1体は、 明治42年7月28日に掘り出され、長崎に改葬された。 |
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3-0504 「日露戦役俘虜収容所記念松」石碑。 ここ海岸寺には、善通寺収容所があったことをうかがわせるものは、これだけである。 |
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3-0505 善通寺(白方)俘虜収容所があった場所。 今は海岸寺の海水浴場になっている。 |
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