9-0 似島、広島取材記録(2006.05.04)
9-0001 丸亀から新幹線で広島駅前に移動(9:30頃)
9-0002 広島電鉄で宇品まで移動
9-0003 宇品港にて打ち合わせ
9-0004a 似島 安芸小富士(10:30頃)
9-0004 
似島略年表(似島学園 荒木先生の資料より)
1888年(明治21年) 広島鎮台を第五師団と改称
1889年(明治22年) 宇品築港工事竣工(5年余の歳月)
1894年(明治27年) 山陽鉄道が広島まで開通。(広島〜東京連結)
日清戦争始まる。1895年4月終わる。
広島駅〜宇品港へ軍用鉄道敷設(20日間で敷設−5.9km)
広島城城内に大本営を設置。
1895年(明治28年) 日清戦争が終わる。
似島に陸軍検疫所を設置。(現、似島学園)
1897年(明治30年) 陸軍中央糧秣廠宇品支廠、宇品海岸通りに設置。
砲兵工廠広島派出所設置。
広島陸軍幼年学校開校。
1900年(明治33年) 第5師団、宇品港から義和団鎮圧を名目に中国へ出兵。(北清事変)
1902年(明治35年) 宇品に陸軍運輸部(後の暁船舶隊)設置。
似島に馬匹検疫所が設置される。
1904年(明治37年) 陸軍被服廠広島派出所を設置。
日露戦争宣戦布告。
陸軍運輸本部を宇品に設置。(後の暁部隊)
第二陸軍検疫所を設置。
1905年(明治38年) 露国の捕虜数千人を収容するため、似島捕虜収容所が開設される。(現、似島学園)(ロシヤ兵捕虜2391人収容)
1906年(明治39年) ロシヤ兵捕虜約7万2000人を似島をはじめ全国24ヶ所に収容。
1914年(大正 3年) 第一次世界大戦始まる。(第五師団青島へ)
1917年(大正 6年) ドイツ軍の捕虜を似島に収容。(545名)
1918年(大正 7年) 第五師団宇品港から出兵。(シベリア出兵)
第一次世界大戦終わる。
1919年(大正 8年) 似島に陸軍弾薬庫を設置。(現、似島学園)
ドイツ人捕虜と高師・県師サッカー親善試合。
1927年(昭和 2年) 宇品港から第一次山東出兵。
1931年(昭和 6年) 満州事変始まる。(日中15年戦争)
1932年(昭和 7年) 上海事変始まる。
1937年(昭和12年) 日中全面戦争始まる。
(宣戦布告なし、第五師団出兵)
1938年(昭和13年) 陸軍検疫所に陸軍専用の海底電線が引かれる。
1939年(昭和14年) ノモンハン事件起こる。
第二次世界大戦始まる。
1941年(昭和16年) 太平洋戦争始まる。
1945年(昭和20年) 6日午前8時15分、史上初の原子爆弾が広島市相生橋上空付近に投下される。
陸軍検疫所が臨時救護野戦病院となり、被爆者の収容所となる。
8月6日〜25日までの収容者数は、約1万人と推量される。
9月17日枕崎台風により被爆後の広島は大被害を受け広島県を中心に死者3700人余りを出す。似島では17日午後10時過ぎ大風と水害に襲われ、大出水・土砂崩れ により民家浸水・倒壊など大混乱となる。この長雨を通称「流れ」と呼び記憶されている。
1946年(昭和21年) 戦災児教育所似島学園開設される。
1947年(昭和22年) 第二検疫所辺りの防空壕などに埋葬されていた遺骨を集め、似島供養塔(千人塚)が建てられる。
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9-0006 似島学園前 
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9-0008 火葬場の煙突 
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9-0014 陸軍石碑 
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9-0020 旧第1検疫所の場所 
9-0021 似島より広島遠景 
9-0022 名物 あなご弁当で昼食(12:00頃) 
9-0023 通路用トンネル 
9-0024 弾薬庫跡 
9-0025 弾薬庫の歩哨所 
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9-0027 似島学園の荒木先生と


−くすの木じいさんの話−

自然の家の公園には、百才をこえる「くすの木」があります。このくすの木は、100年もの長い間生き続け、いろいろな事を見てきました。

家族や恋人と別れ、外地へ出兵した兵士たち・・・。
病気になり、ケガをして外地から帰ってきた兵士・・・。
ロシア兵士やドイツ兵の捕虜もいました。

1945年の8月には、広島に落とされた原子爆弾に焼かれた人々が送り込まれてきました。
太陽にでも焼かれたような全身大ヤケドの子供や大人が、ぞくぞく運び込まれてきたのです。
顔のひふがとけてずれ落ち、まんじゅうみたいにふくれた手の子供。長い美しい髪をちりじりに焼かれた娘さん・・・。
この時、くすの木じいさんは悲しくて悲しくて大つぶの涙をぽたぽたと流しました。

似島に来たら、くすの木じいさんのいる臨海公園に来てください。そして、今は平和だよー!ぼくらが平和を守っているよ−と、呼びかけてください。

『ふるさと似島−(平和学習参考資料)』より


荒木先生から、原爆当時の広島の様子、その当時の似島の様子を写真等で教えてもらいました。
9-0028 当時の似島の様子 
9-0029 当時の似島の様子 
9-0030 似島に隠蔽されていた軍艦の大砲
9-0031 連絡トンネル  
9-0032 海軍石碑 
9-0033 似島学園遠景 
9-0034 宇品停車場プラットホーム
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9-0042 将校の集会場跡 
9-0043 当時の桟橋 
9-0044 宇品港へ帰る(15:30頃)
9-0045 戦時中の宇品港の様子1 
9-0046 戦時中の宇品港の様子2 
9-0047 広島旧被服廠跡を見学
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9-0051 原爆の爆風で歪んだ鉄扉 
9-0052 御幸橋を見学
9-0053 原爆当時の御幸橋の様子 
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9-0055 バスセンター近くのお好み焼き屋で夕食(18:30頃)
お疲れさん!たのしかった、広島 高速バスで丸亀に(赤垣)



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