シーズーの愛犬ジャッキー日記 

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2012年 9月 

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  以前から探し求めていたこの記事のコピーと、写真が出てきました。
 2008年の5月に死んでしまった、グレートピレネーのイヴの記事と写真です。
 徳島県警の警察報の記事にも書いてありますが、香川県のペット繁殖業者が、大型犬ばかりを24頭遺棄した時のことでした。その時に警察と保健所、犬訓練所に分けて一旦保護されていたのですが、全国からの問い合わせで、次々と引取先が決まっていって居たので、心配しながらも安堵していました。
 しかし、最後の二頭の引き取り手が見つからず、毎日、確認の電話を入れていたのですが、このままでは殺処分されると思い、慌てて預かりに行きました。
 それから、丁度一年後のその日に、警察署を訪れて、イヴの近況報告をしてきました。その時の様子が、この記事と写真なのです。
 NHKの「クローズアップ現代」で、2009年8月5日(水)放送の「 ペットは泣いている 〜激安競争の裏側で〜」でも取り上げられていましたが、多くの方々がこの様な飼育放棄や悪徳繁殖業者の事をご存じ無いと思います。 
 この様に、私達の目に触れない所で、年間に何十万頭にも及ぶ犬達が、殺処分されています。この現状を皆様に知って戴きたいと思って「僕たちを判って!」を書き上げて、発表した訳です。この、エッセイの第4話に登場するのが、このイヴで、他にも不幸な一生を終える犬達や、幸せに一生を終えることが出来た犬達を描きました。
 このブログを読んで下さっている方々には、必要の無い本ですが、犬のことを知らずに安易にペットショップで購入し、要らなくなったからとゴミのように棄てる人達に是非読んで貰いたいと願っています。
 この本は電子ブックですので、ご購読戴くには電子書籍をダウンロードして戴く事が必要となります。また「でじブック形式」はでじブックリーダーのインストールも必要です。PDF形式は殆どのパソコンで読める形式ですが、パソコンによってはアドビのリーダーが必要になります。
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今まで、記載致しておりました医薬品は、私のブログで
引き続き掲載致しております。どうぞ下記のブログで
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2012/ 9/ 1

思わず噛り付いた僕









空の食器の前で待っている僕 
僕の食生活は?

 こんにちは、ジャッキーです。

 今朝、僕はちょっと寝坊をしてしまいました。
 と言っても6時前には起きて身繕いをしていたのです。
 お父さんが部屋に戻って来て直ぐに出て行ってしまいます。
 「どうしたのかな?朝の用足しはまだ?」
 と思いながら僕は一生懸命に身繕いを続けます。
 ふと・・・・甘い匂いが・・・。
 でも、僕は「ほっこまい」なので、その匂いの元を探すより身繕い・身繕い!

 暫くすると、お父さんが部屋に入って来て僕を抱き上げて食堂へ。
 すると僕の鼻先にさっきの甘い匂いが・・・。

 僕は咄嗟にそれに噛み付き一口で食べてしまいました。
 お母さんが焼いてくれたパンケーキです。
 さっきは、お父さんお部屋で身繕いをしていた僕の後ろに、そのパンケーキを僕の食器(小)に入れていたのに僕が食べなかったので、食堂に移動させられたらしいです。

 いつもだったら、お母さんが焼いて呉れたバターロールか市販のトーストを目覚めに食べるのですが、今朝はパンケーキで僕はとてもご機嫌になりました。

 さて朝ごはんの時間です。僕はお母さんに、
 「お母さん、朝ごはんはまだ?」
 「えっ!さっきパンケーキを食べたでしょう?」
 「さっき食べたのはパンケーキで朝ごはんじゃないよ!」
 「・・・・・・」
 僕はそれから自分の食器(大)の前でじっと待ち続けます。

 しかし、いつまで経っても・・・・。
 これは・・・・帝国軍側に付いた一般民衆(お母さん)の反撃かな?
 僕は帝国軍兵士(お父さん)の陰謀に注視しなければと思い込んでいます。

 ところで僕は食堂でお昼前まで朝ごはんを待っています。
 お父さんは隣の居間でテレビを見ながらパソコンに向かっています。
 テレビからは賑やかな囃子の音が聞こえてきます。
 NHKの「しこく8」と云う番組で「阿波おどり2012」のタイトルで阿波踊りの様子を放送しています。

 お父さんが、
 「阿波踊りも変わったな!昔はもっと型にはまった踊りばかりだったのに・・・。」
 僕はもちろん阿波踊りを見に行ったことがありません。
 お父さんは大昔に見たそうですが、実は阿波踊りも好きならしいですが・・・高知の「よさこい踊り」が好きなんだそうです。
 お父さんは施設訪問ボランティア活動で高知県の土佐山田の養護施設へ行って、ちょうど一週間のワークキャンプが終わる翌日を「よさこい踊り」に合う様にしていたそうです。
 炎天下での辛い作業に耐えて、ボランティアの活動が終わって「よさこい踊り」へ行くのを楽しみにしていたそうです。

 「讃岐男に阿波女」と云う言葉があるそうです。
 これは「東男に京女」と同意語の言葉で、ベストカップルの意味らしいです。
 でも、讃岐男のお父さんは・・・伊予女のお母さんと結婚して居ます。
 さっきの阿波踊りよりよさこい踊りのほうが好きだって言っているぐらいですから、たぶん「讃岐男に阿波女」とは関係の無い讃岐男なのでしょう。

 今日は昨日から降り続いた雨のお蔭で、本当に涼しく僕はハァハァと言わずに快適に暮らせています。
 早く涼しい毎日になって欲しいですね!

代筆者:お父さん

注)ほっこまい:讃岐の国の丸亀藩の方言で標準語にしたら「馬鹿者」、関西語にしたら「アホンダラ」・・・でも丸亀のこの言葉の意味は「一つの事に集中して他の事が判らなくなってしまう人」です。
  僕も研究者の一人なので、遣り掛けた事に集中してしまいます。
2012/ 9/ 4

作品(題名:早く!!)を彫刻中の僕


僕の作品(題名:自由への壁)


僕の作品(題名:外の世界への憧れ)


作品製作でお腹が空いた僕 
僕の実体?

 お早う御座います、ジャッキーです。

 皆様は僕の事をきっと・・・研究者(犬)だと思われていらっしゃると実感しています。

 僕の実体は・・・・!!
 研究者でありながら、芸術家(彫刻家)なのです!

 今朝も僕は居間のふすまのサンに僕の芸術感性をぶつけています。
 題名は「早く!!」
 どうですか?早くこの居間から出たいと云う気持ちが表現出来て居ると思われませんか?
 食味学研究で忙しい僕ですが、このように芸術の才能が溢れています。
 我が家には至るところで僕の作品が出来ています。

 今朝はそのご案内を致したいと思っています。

 この作品は食堂のドアに刻んだ題名「自由への壁」で、お庭に出たい僕の切なる願いが如実に描かれていると思いますが、皆様にはどのように見えていますか?
 先程のふすまのサンのように柔らかい素材で無いので、この作品を刻む時は僕の爪の減りが早いので困っています。
 しかし、前作のような「深い縦筋」の思いの爆発ではなくて、この作品は心の奥底に潜む願望が上手く表現できたと自己満足しています。

 これは玄関ドアに作った僕の作品で題名「外の世界への憧れ」です。
 このドア一枚で、僕は自由な世界に出られると云う感情が、これまでの作品より少し高い位置に刻み込まれています。

 如何ですか?
 「栄光への脱出!」のテーマで僕は芸術作品を作成しています。

 このように僕は食味学研究者として研究に邁進しているだけでなく、芸術家として作品製作にも多忙を極めています。

 朝早くから作品製作のために体力を消耗したので、いつものように五枚切りトースト一枚を食べた後に、僕は自分の食器の前で朝ごはんを出して貰えるのを待っています。
 でも、僕が好むトッピングをご飯(ドッグフード)の上に載せてくれないので、僕はストライキ決行中です。

 こんなに研究と芸術作品製作でお腹を空かせた僕に美味しい物を食べさせないのは・・・帝国軍(お父さん)の陰謀だとはっきりと判って来ます。
 ジャッキー将軍は、帝国軍が無条件降伏した事に安堵せず、領地内(お家の中)に目を配って不測の事態に対処出来るように不眠不休(お昼寝と夜寝)で頑張る所存です。

 ところで新作の小説を書き始めているお父さんですが、お母さんに、
 「鬼ヶ嶋の製作を止めて、崇徳上皇の小説を書こうかと思う」
 って言っていました。
 本当に書きかけの作品を放り出すお父さんには困ってしまいます。

代筆者:お父さん
 
2012/ 9/11

相手をして貰えないので詰らない僕


行儀良くお座りをして食事中の僕


お母さんの焼いたパンに噛み付く僕


大雨洪水警報の最中にお外パトロール中の僕
毎日が面白くない!

 お早う御座います。ジャッキーです。

 ここ数日毎日のように雨が降り続いている讃岐の国です。
 お庭にも出られず、お家の中で悶々とした毎日になってしまって居ます。

 お父さんは小説の執筆に夢中になって(←ほっこまい)、僕の相手をして呉れません。
 NHKの大河ドラマ「平清盛」に登場した「崇徳上皇」を描いた小説に狂いだして居ます。

 このドラマの中でも崇徳上皇は崩御なさる前に怨霊になったように描かれていますね?

 江戸時代後期に上田秋成が書いた「雨月物語」の一巻(白峯)に、崇徳上皇は怨霊と描かれています。
 これはドラマにも出てくる僧西行が崇徳上皇の御陵に参った折、
 「松山の 浪のけしきは かはらじを かたなく君は なりまさりけり」
 と歌を詠んだそうです。
 すると、
 「松山の 浪にながれて こし船の やがてむなしく なりにけるかな」
 と返歌が返って来たそうです。
 それでその声が崇徳上皇だと判った西行法師。

 そして西行法師と崇徳上皇との論争が始まったと描かれています。
 そのうちに異形の姿になってしまった崇徳上皇の姿を西行法師は拝謁することに・・・。
 尊敬し慕っていた崇徳上皇が怨霊になってしまったと嘆きながら、西行法師は歌を詠みます、
 「よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは 何にかはせん」
 その歌に慰められて、崇徳上皇は異形の顔からあの優しき凛とした竜顔に戻られたとの事です。

 また同じく江戸時代の「椿説弓張月」(ちんせつ ゆみはりづき){曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本}には、主人公の鎮西八郎為朝(実名:源為朝)が窮地に陥った時に、かつての源為朝の主だった崇徳上皇が怨霊として助けに来ると云った内容です。

 お父さんも崇徳上皇のことをこの記事に書くときには「日本最大にして最強の怨霊」と記載していますが、本当は怨霊なんかでなく優しくて長歌が好きな上皇だったと思っているそうです。
 ですから今、お父さんが書いている小説には、上皇が決して怨霊ではなく、優しいけど周りの空気が読めなかった方として描こうとしているそうです。

 その為に古気象学や歴史学を考察して、その結果を小説に反映するつもりらしいです。

 毎日面白くありませんが、僕は行儀良く暮らしています。
 前回の記事では、僕がふすまやドアを壊している様な記事だったらしいですが、この写真がどっちが正しいか判って戴けると思います。 純粋に芸術に没頭する彫刻家ジャッキーの作品に対して、悪意を持った帝国軍兵士(お父さん)は僕に対するネガティブ・キャンペーンを貼り続けています。
 僕は決して「ハカイダー」ではありませんので、自己弁護しておきます。

 昨日の夕方にお母さんが僕の大好きなバターロールを練り始めて居ました。
 僕はその時、夕ご飯を食事中だったので、いつもだったらパンが焼き上がるまで待っているのですが、食事も済ませたし良い子なので僕はお父さんお部屋に行って寝てしまいました。
 今朝は目が覚めた直後に、昨晩焼いて呉れたバターロールを要求したのです。
 勿論、僕の頭よりちょっとだけ小さいなパンを一個全部完食しました。
 お母さんは食べ過ぎだって言いますが、讃岐生まれのシーズーらしく「うどんは別腹=美味しいものは別のお腹に入る」を実践しています。

 昨日も今日もこれまでの雨とは違って、「大雨洪水警報」が出ている雨らしいです。
 勇猛果敢なジャッキー将軍は、危険な中をパトロールに出掛けました。
 「へっぴり腰」になっている!って・・・。
 いざと云う時に、咄嗟に退避行動が取れる体勢で居るのが基本です。
 大雨洪水警報って云う警報が出ているので危険が迫ってきても、僕は直ぐに対処できるように心掛けています。

 今日もお父さんに相手にして貰えそうにありませんが、僕はしっかりと諸任務を誠実に果たしていきたいと思います。

代筆者:お父さん
 
2012/ 9/14

こそっとお父さんのそばへ行って寝ている僕








パンを噛み切った僕
柔らかいティッシュ・・・。

 こんにちは。ジャッキーです。

 今朝から真夏のように暑くなっている讃岐の国です。

 相変わらず僕はお父さんに相手にされません。
 でも・・・・。

 一人で居るのは寂しくて・・・・。
 いえ!!帝国軍兵士(お父さん)を収容している俘虜収容所所長の職務として、帝国軍兵士を常に監視しています。

 ここ最近の俘虜の帝国軍兵士は大人しく、一階のパソコンを巡り回っています。
 保存しているデータや写真データなどの確認をするためにパソコンを渡り歩いているようです。
 だから俘虜監視の責務が重要だと思っているジャッキー将軍は、俘虜の後を付いて廻るしかありませんでした。
 この様に毎日多忙なジャッキー将軍の日課です。

 お母さんは忙しい毎日なのに、僕が大好きなパンを焼いてくれる時が多くなりました。
 昨日も勿論、目覚めて良い香りのする食堂へ入ると、僕は迷わず「パンを食べたい!」と要求します。
 僕の顔の前にパンが来たら大きな口を開けてパンに噛り付きました。

 若い頃は一個のパンを噛み付いて、お父さんの手からパンを貰うと、そのまま噛み千切って食べていました。
 でも栄養士のお母さんの支持で、お父さんが一口で食べられる大きさに指で千切って呉れる様になったのです。
 やはりワイルドな獅子犬(シーズー)なので、噛み千切って食べたいのですが・・・・。
 昨日の朝は無意識に噛み千切って居ました。
 勿論、パンはお父さんに持って貰って居ましたが、それでもパン一個を噛み付きながら食べれたのがとても嬉しかったです。

 お父さんはテレビを昔から見なかったのですが、今朝はどう云う訳かテレビを見ていました。
 今朝の日本テレビ系列の「ZIP!」を観ていると、日本のティッシュは素晴らしいと外国から来られた方々が感じられていると放送されていました。
 僕は食後にティッシュで口の周りを拭かれるのが苦手ですが、ですからティッシュが柔らかいのを知っています。
 外国のティッシュは、ごわごわしていて手触りも固く日本のような柔らかい感触ではないそうです。

 番組で外国の人たちが気に入ったのは、香りが付いたティッシュとか可愛らしい絵柄が印刷されたティッシュ。
 それらは外国には無いとのことです。

 その放送を観ていてお父さんの心に浮かんだのが、戦国時代末期の「天正少年遣欧使節」の事らしいです。
 4人の少年使節と印刷技術を学ぶ二人の少年、そして随行の大人たち。
 ヨーロッパ各地では、彼らが盛大に歓迎されたと歴史書にも記載されて居るそうです。

 その中の話で、彼らは当時から有った「桜紙」を使っていたそうです。
 ヨーロッパ人は日本の少年が使ったその桜紙を不思議そうに眺め、我慢しきれずに触るとその柔らかさに吃驚したと記録に残っています。
 そしてその捨てられた桜紙を拾うと、彼ら少年の後を付いて廻ったとの事です。

 上記の番組の中で多くの外国の方々が、かの大昔に西欧各地で見られた日本の紙への驚きと同様な仕草をしているとお父さんが言っていました。

 日本人は西洋人より皮膚の角質が薄いとはいえ、柔らかい紙が必要だったのですね!
 僕も固いティッシュより柔らかいティッシュが良いです!

代筆者:お父さん
 
2012/ 9/15

お父さんの相手をしない僕

お父さんの相手をしない僕

 今朝はジャッキーが相手をしてくれず・・・(ジャッキーは「逆だ!」と言っていますが)・・・。
 そこで今日はジャッキーの日記ではありません。

 昨日に続いて今朝もテレビを観ていました。
 何気なくパソコンに向かいながら観ていると・・・。

 銀座の「熱帯魚ショップパウパウアクアガーデン」が出ていました。
 実は私の最初の銀座での買い物が・・・・熱帯魚ショップパウパウアクアガーデンで実験用のメダカを買ったのが最初でした。
 東京へ行くと、高校生の頃から秋葉原しか行き先はありません。
 学会やセミナーなどの出張へ東京へ行くと、お隣の県に有る某ディズニー・リゾートへ一人で遊びに行っていたものでした。

 研究開発した「生物センサー」の研究発表と展示説明の為に一週間の出張で東京へ行った折に、現地まで実験用のメダカを連れて行けないので、現地調達しようと考えていました。
 研究発表会場のビッグサイトから一番近いメダカを売っているお店が上記の熱帯魚ショップパウパウアクアガーデンだった訳です。

 人生最初の銀座での買い物が・・・・メダカ二十匹・・・・。
 ちょっとと云うより物凄く複雑な気持ちで買ったメダカをビッグサイトまで連れて帰ったのを思い出しました。


 他の番組で「ハーフ美人」のテーマの番組が有りました。

 その中でフィリピン人と日本人とのハーフの方が出ていたのですが、ふと「Sister婆ちゃん」を懐かしく思い出してしまいました。

 「Sister婆ちゃん」はカトリックの修道女(シスター)で、フィリピン人のお婆ちゃんでした。
 ご存知のように司祭(神父)は聖職者なので独身、そして信者の一形態の修道者(男性;ブラザー、女性シズター)たちも修道誓願の中に「童貞」の誓いが有るので、一生独身を貫きます。
 我が家は某修道会とは家族付き合いが深く、そのフィリピン人のシスターは独身時代の私を子供のように可愛がって呉れていました。
 そしてその独身から嫁はんと結婚すると、シスターは孫(つまり私の子供)が生まれるのを楽しみにしていました。

 長男、次男、長女と生まれ、彼女は自分の事を「Sister婆ちゃん」と名乗って、子供たちのお婆ちゃんとして収まってしまったのです。
 独身時代から良くお昼前や夕食前になると「今から食事に来ない?フィリピン料理を作るから。」と電話が掛かります。
 黒板の私の欄の要食事マークを消して、私は遠慮もせずに修道院へいつも出掛けていました。

 子供が出来てからは、それは大変なことに・・・。
 呼び出される回数が半端でなかったのです。
 お婆ちゃんとして孫に美味しいフィリピン料理を作らなければと、腕によりをかけて料理に励んでいました。

 その彼女も修道院が変わって、それまでのように我が家族を気楽に呼べなくなりました。
 そこで今度は私たちが進んでお隣の県の修道院まで行くことに。

 Sister婆ちゃんは大喜びで長男を修道院の庭に連れ出し、
「お婆ちゃん、お魚!」
「Oh!Fish!]
「可愛いね!」
「Lovely Fish!]
 通訳に慌てて庭に出ると、こんな感じでお互いの言葉で話しています。

 出番が無いと感じた私は、他の修道女と話をするために修道院へ戻りました。
 手作りの料理を食べて、おやつやお土産に手作りのフィリピンのお菓子を出して呉れます。

 さも自分の実家へ里帰りするように、我が家はSister婆ちゃんが居る修道院を巡って何日も泊まらせて貰っていました。
 子供たちも時々この頃のことを懐かしそうに話しています。

 彼女はもう既にこの世に居ませんが、とても懐かしく暖かい思い出に浸った時間でした。

代筆者:お父さん

2012/ 9/17

お父さんの相手をしない継続中の僕

お父さんの相手をしない継続中の僕

 お早う御座います。再び亀山築城です。

 今朝もジャッキーが相手をしてくれず・・・(ジャッキーは「絶対に逆だ!」と言っていますが)・・・。
 そこで今日もジャッキーの日記ではありません。

 9月15日に前回の記事を書いてから、パソコンに向かったままテレビが点いていました。
 教育テレビ(現在はEテレ←?)が延々と放送を続けています。

 お昼も過ぎて13時になると、ふと懐かしい顔が!!
 こころの時代「”ふがいない自分”と生きるシスター渡辺和子
」・・・・。
 学校法人ノートルダム清心学園の理事長で、私が接していた頃は岡山の
ノートルダム清心女子大学の学長でした。

 前回の記事では懐かしい「Sisterお婆ちゃん」を思い出して記事を書きましたが、同じ日に図らずも懐かしいシスターの顔を見るとは思っていませんでした。

 今から約三十五年前の頃ですから、当時と比べるとお年を召されているなと感じました。(私も同様に年をとっていますが)

 ノートルダム清心女子大学とは私だけでなく、私の姉も在学していたので関係の深い修道会です。

 フィリピン人のシスターお婆ちゃんにとても私と家族たちを可愛がって貰ったと前回の記事で書きましたが、シスター渡辺和子(私たちは彼女を「シスター・セント・ジョン」と呼ぶ)にも私は大事にして貰っていました。
 或る時、大学の女子寮と接続している大学学舎の階段を上っている時、男性の教授とすれ違いました。
 「ここは男性は入ったらいけないところです!直ぐに退去して下さい!」
 と血相になって私に言って来ます。
 「クビリー修道院長=シスター渡辺和子と岡山修道院長=シスター??から許可を貰っている○○です。」
 私の返答に、ふと私の名を思い出したのか、
 「ご無礼を申し上げ大変失礼致しました。」
 とその場から去って行きます。
 当時の私は、カトリック教会の中で特殊な地位に居ましたので、シスター渡辺和子やシスターお婆ちゃんからも大事にされて居たのです。

 いろいろと大病を患われたのか、薬の副作用で背が14cmも低くなったとの事、知らなかったとは云えお見舞いに行っていないのを悔やみました。

 そう云えば、カトリック教会の中で一番権威のある修道会が、聖ベネディクト修道会ですが、その中の厳律シトー会(トラピスチン)の大院長様にも子供のように可愛がって貰っていたのを思い出します。
 独身時代も何回も修道院へ行っては、一週間ほどの観想(カトリックの修行の様な行為)を行っていました。
 新婚旅行の時に嫁はんを連れて行くと、大院長様は本当に大喜びをして歓迎して呉れました。
 信者でも入ることが出来ない「囲い」の中へも、私が独身時代の時のように入れて貰えました。
 嫁はんは成人洗礼組(大きくなってから洗礼を受けた)ので、「囲い=禁域」の中へ入れることがどのような事かも判っていないようでしたが・・・。
 嫁はんにとっては最初の大修道院での宿泊とそこでの生活になります。
 大院長様も・・・この世に居られませんが、きっと私の家族、特に子供たちの為に天国で祈って下さっていると思います。

 一昨日はひょんな事から大昔の懐かしい思い出を次々と懐かしく感じていたのでした。

代筆者:お父さん


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