青瓦台事件と日本共産党機関紙赤旗の報道

青瓦台事件と日本共産党機関紙赤旗の報道
以前、僕はJCPウオッチ(以下、JCPW)というHPで、「青瓦台事件における日本共産党の無責任な総括」という文章を発表しました。
JCPW掲示板が閉鎖された後、僕は様々なところで青瓦台事件の問題について、共産党の方と議論してきました。
僕も共産党の地方組織の公式HPなどでしつこく追及してきたので、ときには、「荒らし」などともいわれました。また「そんなに問題にしたいのなら、自分のHPで意見を主張したらいい」とも土佐高知さん(高知の共産党のエライ人)に言われました。
今回、JCPWで発表した先の僕の文章に加筆修正しながら、ここに発表します。

1968年、1月21日から22日未明にかけて、北朝鮮の武装ゲリラが韓国の大統領官邸を目指して攻撃を加えた事件がありました。いわゆる、「青瓦台事件」です。ゲリラは大統領まで500メートルのところまで迫りましたが、最終的には殲滅されました。
その頃は、北朝鮮による武装ゲリラ事件(要するにテロ)が頻発していました。ドサクサにまぎれて、暴力革命でもしようとしていたのだと思います。
いまや、青瓦台事件は、北朝鮮の仕業だということが世界の常識です。日本共産党も、『北朝鮮覇権主義への反撃』(赤旗編集局編、新日本出版社、1992年)のなかで、不破委員長(当時)が、青瓦台事件は北朝鮮ゲリラの仕業だと批判しています。
北朝鮮は、あの日本共産党も認めるテロ国家というわけです。

では、青瓦台事件当時、日本共産党はその事件について機関紙赤旗でどのような報道をしていたのでしょうか。
「勝共」というHPを見ると、「共産党は青瓦台事件について当初アメリカのデマ宣伝だと主張していた」というような内容の記事があります。まず、そのことについて、JCPWでクラッシャーカズさん(○○大学の先生)と議論をしました。
クラッシャーカズさんは、先に上げた「北朝鮮覇権主義への反撃」という本を持ち出して、「日本共産党は、このように青瓦台事件を北朝鮮の仕業だと当時から批判しているではないか。勝共とやらの記事に書かれているようなことは本当のはずはない。議論は当時の赤旗を君が読んでからだ」と主張されました。
で、僕は徳島大学の図書館に行って、当時の赤旗を調べてコピーをしてきました。
それから、僕は当時の赤旗記事の引用をJCPW掲示板に載せて、クラッシャーカズさんにもさらなる議論を促す直メルを2回ほど送りました。
クラッシャーカズさんは、その後、JCPW掲示板に登場しなくなりましたが、その代わり、クラッシャーカズさんは、「お笑い日本共産党なるものが迷惑メールを送って来るので困る」などとJCPW管理人さんに直訴される始末です。
多分、クラッシャーカズさんは、当時の赤旗を読んでなかったものと推察されます。それで、共産党の編集したあの変な本を読んで、捏造された日本共産党の立場を信じてしまったのでしょう。これは、日本共産党の側に立つ人がよく陥りやすい誤りなので、気をつけていただきたいものです。
クラッシャーカズさんは、大学の先生であり、朝鮮半島の歴史の専門家であられるようです。でも、日本による朝鮮半島侵略の歴史にやたらと詳しい専門家であっても、共産党が北朝鮮へどのような態度を取ってきたのかの過去については、専門ではなかったようですね。クラッシャーカズさんは、当時の資料に当たらず、思い込みにより共産党の後付の歪曲論文に騙されたということです。

それでは、当時の赤旗で、日本共産党がいかに北朝鮮の側に立ち報道していたかを振り返るとともに、後の92年に出版された「北朝鮮覇権主義への反撃」と比較し、日本共産党の不破さんがいかにしらじらしく事実を歪曲し歴史を捏造しているのかを検証していきたいと思います。

まずは、当時の赤旗から。

1968年1月24日。
「ソウル市内で銃撃戦」−武装部隊かいらい警察署長ら射殺
ソウルからの通信報道によれば、21日夜から22日未明にかけ、ソウル市内に多くの人員からなる武装小部隊が出没し、かいらい警察部隊と激戦を繰り広げました。この武装小部隊は21日夜10時ごろ、ソウル市郊外、洗剣亭の方向から市内の中心部に向かって来ましたが、青曇洞の慶福中学校裏門にいたり、そこにあるかいらい警察派出所の警察官が前に立ちふさがると「我々は機関員である」と答え、そのまま進みました。武装小部隊は朴正○(漢字が分からない。以下同じ)一味がねじろにしている青瓦台から500メートルの地点まで進出し、ここで朴一味が急遽出動させたかいらい警察部隊および特殊部隊と銃撃戦をくり広げました。戦闘は22日未明まで数時間にわたって激しく続きました。武装小部隊は、かいらい警察部隊を指揮していたかいらい○路警察署長を射殺したのをはじめ、かいらい警察および、その手先数十名を殺傷し、動員された軍用車両4台を手投げ弾で破壊しました。
あわてふためいたアメリカ帝国主義と朴正○一味は、22日未明から数回にわたってかいらい軍部隊の頭目どもの緊急集会を召集する一方、「緊急動員令」を発動し、いわゆる「掃討作戦」を繰り広げ、ヘリコプターをソウル市内に飛ばし、「空中捜査」を行うなど、狂奔しています。
(中略)米日反動派に国を売り渡している売国奴朴正○一味を打倒しようとする南朝鮮人民の英雄的闘争は日増しにいっそう力強く、繰り広げられています。

このように、テロ部隊の英雄的活動が赤旗で書かれています。日本共産党は、この頃すでに日本における暴力革命を自己批判しているはずですが、お隣の韓国では暴力革命イケイケというわけですね。
また、かいらい(傀儡)という言葉も、しつこいくらいに使っています。よほど、韓国政府を否定したかったのでしょうね。

25日の赤旗にも関連記事があります。見出しだけを書くと、「米第2師団を襲撃」「広がる武装遊撃隊の闘争」「朴一味人民弾圧を強める 武装遊撃隊の襲撃事件を口実に」などがあります。
ちなみに、青瓦台事件当時の日本の一般新聞は朝日新聞も含めて、事件は北朝鮮のゲリラ活動だと報じていました。

そして、1月31日の赤旗には、「北朝鮮の経済停滞全然見当はずれ 米朴の支配こそゆらぐ 事件をめぐるデマ宣伝」という見出しが付いています。そして、そのなかに、「立ち上がる朝鮮人民」という記事があります。一部を引用します。

次に、「北朝鮮ゲリラ侵入」のデマ宣伝の問題です。今、南朝鮮の各地で南朝鮮人民が武器を取って立ち上がり、アメリカ占領軍と朴かいらい政権を震え上がらせていることは事実です。しかし、この南朝鮮人民の愛国闘争を、「北朝鮮のゲリラ侵入だ」と言っているのは、アメリカ帝国主義と反動主義がねじまげたデマ宣伝です。(以下略)

このように、赤旗では、相次ぐ武装ゲリラ(要はテロ)事件を南の人民がやむにやまれず立ち上がったのであって、北の仕業だというのは、デマ宣伝だと主張していることがわかります。
まあ、他にも詳しい記事があるのですが、当時の赤旗の論調はこれくらいで分かってもらえたかと思います。
では、次にいよいよ、「北朝鮮覇権主義への反撃」の中で、不破さんがこの事件をどう捉えているのかみていこうと思います。

相次ぐ南朝鮮での「武装遊撃隊」の報道

南朝鮮で「武装遊撃隊」などの「武装闘争」が始まったということは、1967年の夏ころからしきりに報道されるようになっていました。「革命的大事変」を「主導的」に迎えようという金日成の呼びかけが、南に「革命的大事変」が勃発する日が近いとう判断を示すと同時に、そのときには「大事変」を南だけの成り行きに任せることはせず、「北が主導的に介入するぞ」という意思表示だとしたら、それを転機として、南朝鮮の「武装闘争問題」が、アジアの平和全体にかかわる、いっそう危険な展開を見せるだろうということは、当然、予想されたことでした。

・・・だって。先にも挙げたように、当時の赤旗では、南朝鮮の武装闘争イケイケ記事を書いていたのに、不破さんもよく言うよね。
上の引用の次のページには、当時の朝日新聞のコピーが載ってあります。
「ソウルで市街戦 北朝鮮武装スパイ 不審尋問の警察官を銃撃」「韓国姿勢を硬化 米軍と協力 大捜査網」という見出しが見えます。
繰り返しますが、これは赤旗ではなくて朝日新聞です。
僕はこれ、最初ぱっと見たとき、一瞬赤旗の記事かと思いました。だって、当時から自前の党の機関紙があったわけですから、参考資料として載せるのであれば、当然赤旗でしょう。でも、下の注を見ると、「朝日新聞」と書いてある。当時の赤旗の北朝鮮寄り記事なんて、とても人様に見せるようなものではないから、載せられなかったのでしょう。

中略して、「北朝鮮覇権主義への反撃」を引用します。
 
こういう状況(武装ゲリラの出没)は、多少の波はあっても、その後、ずっと続きました。この「武装遊撃隊」が、南での闘争の必然の産物ではなく、きわめて人為的色彩の強いものであったことは、当時の状況からも容易に推察されることでした。後日のことですが、青瓦台を襲撃した部隊が北から送られた特殊部隊であったことは、ただ一人生き残って逮捕された隊員が裁判で証言した内容からも明らかになったことです。(内は僕による)

何が「容易に推察されることでした」でしょうね。このHPを読んでくれている人は、すでに当時の赤旗にも目を通しているはずです。恥を恥と思っているならば、とても不破さんの文章を擁護する気にはなれないでしょう。
当時の赤旗の論調をそのまま押し通したとしたら、「北朝鮮覇権主義への反撃」の文章は、「アメリカ帝国主義と反動主義がねじまげたデマ宣伝に相乗りした」ということになって、批判の対象となることでしょう。
共産党はいつから、青瓦台事件が北朝鮮の仕業だと公式に認めたのでしょうか。
少なくとも、当時の記事に対して、「お詫びと訂正」はこれまでのことろありません。
不破さんの「北朝鮮覇権主義への反撃」が赤旗に掲載されたことで事実上の訂正記事だと主張する人がいましたが、こんな歪曲的な「訂正記事」なんて見たことないし、まずは「お詫び」をするべきでしょう。
「北朝鮮覇権主義への反撃」は、訂正記事ではなくて、新たな歴史捏造の記事です。不破さんの問題の本をそのまま信じてしまったクラッシャーカズさんの不幸な例を見れば、それが分かるでしょう。
また、共産党は事件のあった年の夏に、訪朝をしています。当時の赤旗記事を読むと、記念行事に訪朝して、親睦を深めたということです。北朝鮮をヨイショする記事はあるけれど、批判する記事はどこにもありません。要は、金日成にご機嫌伺いをしたということでしょう。
ところが、「北朝鮮覇権主義への反撃」によると、そのときの訪朝では、北朝鮮のゲリラ事件について率直な批判をしたということになっています。
でもね、ソ連が崩壊して世間で共産主義陣営に対するイメージが決定的に悪くなった90年代になって慌てて「実はこうでした」と今更そんなことを言われても、にわかには信じられません。もし、本当に批判したというのならば、何故、当時の赤旗にそれを書かなかったのか。なぜ、その後20年以上も取り上げなかったのか。当時取り上げなかったことをひとつ取っても批判の対象になるのではないかなどと僕は思います。また、本当に当時批判したのであれば、その当時の公式文章はどこに公開されているのでしょうか。後付の言い訳なんて、なんとでも言えます。

では、これまで赤旗の青瓦台事件の報道について、僕と共産党支持者の方とでどのような議論があったのか、まとめようと思います。

支持者の言い訳
1 68年の夏に、共産党は訪朝して南進について釘を刺した。
2 当時の赤旗記事は、いっときの間違い。本当は当時から不破さんも北朝鮮のゲリラだと正しく認識していた。
3 青瓦台事件の問題は解決済み。
4 赤旗記事が公式見解ではない。
5 同一人物が同一記事で書いた文章ではないので、矛盾も問題もない。
6不破さんの文章の中で、「当時」というのは、後日の裁判当時ということだ。


それに対する僕の批判
1 後付けの言い訳だ。68年夏当時の赤旗にその記事がない。あるのは、共産党の訪朝団が訪朝して北朝鮮をヨイショしている記事だけ。南進について釘を刺す記事がないことが問題だし、そんな共産党の証言の信憑性が疑われる。
2 当時の党の機関紙に書かれた事実のほうが、資料としては後付けの言い訳より重い。なぜ、こんな記事を許したのか?
3 強引な言い逃れ。拉致は解決済みという北朝鮮と同じレベル。
4 赤旗は党の機関紙です。機関紙の解説記事が党の見解でないと党員が主張すれば、それこそあなたは党で問題になるでしょう。機関紙に党の見解と異なる記事が載っているということを認めることになります。党の公式見解と違った意見が党内で公然と存在し、その存在が機関紙でも追認されていることを露呈するようなものです。だから、自分の立場を守りたいのなら、この言い訳は使いたくても使えないということです。
それに、赤旗のことは「唯一の正論を伝える新聞」と以前ポスターに書いて宣伝していました。(笑)党機関紙の記事は、そんなに軽いものですか。
5 それらしく聞こえる一般論に置き換えて誤魔化されないように。例えば、ある新聞が、「Aさんが殺人犯人というのはデマで、真相はBさんが殺人犯人だ」と報じて後に、Bさんが冤罪でAさんがやっぱり真犯人だと明らかになったとします。その後も、「同一人物が同一記事で書いた文章でなない」という理由で誤報を出した組織の責任は問われないということですか。「わが党においては、当時からAさんが殺人犯だということは明らかでした」と言えば事実上の訂正になるのでしょうか。他所の党や新聞が同じことをして許されるのかを考えてほしいです。
6 引用を良く読んでください。小中学校の作文や国語のレベルの問題でしょう。「当時の状況」というのが、後日の裁判のはずがありません。裁判が「状況」なんですか。ちなみに、ある共産党の掲示板で僕と論争した管理人の土佐高知さんも、当時を事件当時と認識しています。

また、党員の方からも、「確かに不破さんの文章は誤解を与える不十分なものだ」という指摘がありました。
ちなみに、共産党の方は、上級機関が決めた方針には従わないといけません。もしくは、態度を保留するかです。だから、不破さんが「青瓦台事件では当時から北朝鮮の仕業だと認識していた」と公式に決めてしまえば、真偽がどうあれ、党内ではそういうことになります。バカボンのパパじゃないけど、「黒いカラスも白いのだ。これでいいのだ」ということになります。
だから、党員の方で、共産党の出した見解に反する意見を言うときは、注意をしましょう。

それと、僕も以前にJCPWに書いたことがあるけれど、共産党は「自己肯定」というキーワードで論ずることが出来ます。要するに、立場とかメンツをすごく重んじるんですよね。だから、素直に謝れずになんとか言い訳をしようとする。ソ連が崩壊すると、正確なタイトルは忘れたけれど、「ソ連覇権主義と戦って30年」という本を出します。この「北朝鮮覇権主義への反撃」もそういった種類の本でしょうね。
僕は何も、事件当時の赤旗記事の誤報を責めているのではありません。誤報はどこの新聞にだって多かれ少なかれあるでしょう。大事なのは、そういった誤報を出した後の対応です。お詫びと訂正を出すのであれば、問題ないでしょう。
黒を白というような歴史歪曲をするやり方だけはしてはいけないことです。共産党はメンツを守るあまり、やってはいけない歴史捏造をしているのです。

ところで、青瓦台事件における不破さんの嘘についてこういう言い訳をする人もいます。「確かに不破さんの言っていることは問題だが、国民の暮らしを守る共産党としては、今それどころではない。青瓦台事件の問題は、問題の優先順位が低いのではないか」という方がおられます。
共産党はご存知のように、「民主集中制」という政治制度をとっています。要するに、これは党首を頭とした一部の幹部による独裁体制のことです。そのまま独裁制と言えば言葉に毒があるので、「民主」というソフトな言葉を頭に付けて誤魔化しているだけです。でもなぜ、そういった独裁制が共産党に限って許されるのかというと、「権力を預けてもこの人なら安心」という倫理的にも政治的にも優れた偉大なる指導者同志が独裁をするので、問題はないということです。「我が党だけは他の独裁体制とは違う」という独りよがりの論理でしょう。要は、独裁をするための方便ということでしょうが、党はそんなことを認めるハズもないでしょう。。
でも、一応、共産党の言い分を認めるとしても、偉大なる指導者同志を信用し権力を委託するというのであれば、その指導者の一つの嘘でも致命傷になるハズです。すなわち、青瓦台事件の対応に関する不破さんの嘘一つに、それこそ日本共産党の体制が崩壊してもおかしくないくらいの重大な過ちがあると思います。だってそうでしょ。嘘をつくような人物が党首として存在すること自体が、民主集中制のそもそもの前提に反することです。
もちろん、どの政治家も嘘をついたことには責任が問われますが、特に「民主集中制」なる制度を掲げている共産党の党首がつく嘘ほど衝撃的なものはないでしょう。
そういうわけで、この問題は優先順位が低い問題では決してありません。共産党が崩れてしまうくらいの問題がこの中にあるはずです。
でも、これだけ言っても、共産党の党員および支持者のみなさんにおかれましては、まだことの重大性がよく分かっていないようですね。
青瓦台事件における不破さんの嘘に声を上げて、この問題に関して自己批判させることが僕の夢というか望んでいることです。そういった過去の不始末について共産党が正面から取り組むような体質になったときこそ、また新たな評価が生まれるのではと僕は思います。


追伸 青瓦台事件については、別に僕が発見したといういうわけじゃないです。先に述べたように、「勝共」のHPに既に載っていましたし、黒坂真さんもHPで取り上げて別のアプローチで追求しています。また、最近、公明党の新聞でも触れているようですね。(僕は創価学会のことでちょっと不愉快なことがあったので、公明党もあまり好きではないのですが)
でも、まあ、しつこさでいうと、僕が一番かなあ、と思います。



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