金沢−泉鏡花の生まれた街


2002(平成14年)9月4日〜7日にかけて
会社のご好意により能登の国、加賀の国、そして富山と
社内旅行に行ってきました。

いろいろと楽しいお話はあるのですが
今回はまず始めに今日は7日のお話を少ししたいと思います。

実は写真もまだできていません。
感想だけになってしまいますがご了承下さいね。




さてさて、7日の午前中、金沢市内フリータイム観光
ということで他の社員の方3人
中でもその1人の方は昨年金沢に訪れたこともあって
その時お知り合いになった観光タクシーの運転手さんを
紹介してくれて金沢市内のいろんな場所を案内してもらうことになりました。


そこで、ここはサクラ大戦歌謡ショウで以前演じられました
「海神別荘」の作者、泉鏡花の生まれた場所ということから
建てられている記念館に足を運ぶ…予定だったのですが
先に確認したら丁度次の特別展の入替の為休館中とのこと。


そんな情報を得ていたのでせめて泉鏡花の生まれた場所の近くへでも
行きたいと思い「梅の橋」そして和菓子屋「森八」さん
(この敷地内に泉鏡花の記念館があるので)
に案内してもらうことになりました。

で、まぁ行ってみたら…
一日、日を勘違いしちゃったみたいです(^^;;;
今日から営業再開。
うぇ〜んと泣きたい気持ちを押さえつつ
他にも見たい場所があった為に今回は記念館、外からだけの見学になりました。


鏡花の生家、残っていると思っていたんですけれど
実はその場所に記念館を作っただけで
生家の方は残ってなかったんですね。
ま、それが分かっただけでもまずはよかったかなって。


後は梅の橋。

金沢には二つの川があります。
室生犀星で有名な犀川。
そして浅野川。

梅の橋はこの浅野川に架けられた歩道用の木の橋です。
江戸の昔、芸子さんに会いに行きたくて
あるおじ〜さんが財を出して架けた橋。
当時は今よりもっと細い橋だったのですが
今では県の補助を経てしっかりした木の橋に生まれ変わりました。

この浅野川を挟んで東に広がるのが今では「ひがし茶屋街」と
呼ばれているお茶屋街。
と言っても上で書いたように芸子さんとのお遊びの場所。
但し一見さんお断りの高級なものだったそうです。


さて、この梅の橋の「茶屋街」側じゃなくて
西側の川に沿って作られている道が
今では「泉鏡花の道」と言われているそう。
昔は「滝の白糸碑」だけがあったそうですが
今は泉鏡花を愛する人達によってこのヒロインの像が作られているそうです。
この「滝の白糸」についてちょいと説明させていただくと
明治27年「義血侠血(ぎけつきょうけつ)」という名で発表された作品を
明治28年12月、駒形の浅草座で川上音二郎によって脚色され
上演されたものになります。
お話の方は…うわぁ、実は私まだ読んでません。
っていうのばればれになっちゃうな(^^;;;

芸子さんとある若い青年さんのお話なのですが
芸子さんが身を売って青年さんの勉学の為のお金を作り
最後にはその芸子さん、裁判にかけられるような
ことになってしまい、それを裁く側にいたのがその青年だった…
というちょっと悲しいお話なんだそうです。


とはしょってみましたが
詳しくはちゃんと読んでみて下さい。
それから説明間違えちゃってたらすみませんm(_ _)m



さて、ここで少し泉鏡花についても歴史を紐解きましょうか?


泉鏡花は明治6年生まれ
明治15年12月24日に母、鈴と死別します。
これが彼が生涯書き続けた作品群
中でも女芸人や花柳界を描いた巷談(こうだん)もの
に影響したのではないかと言われています。
また実際に彼の生まれた生家は
このひがし茶屋街から浅野川を挟んだ西にあったそうですので
その辺も影響があったのかなと。

もう一つ。
彼が幼少の頃よく遊んだ場所がすぐ近くにあります。
「乙剣(おとつるぎ)宮」という神社だそうですが
これが生家(現在の記念館)のすぐ裏側にあります。

神秘的な神社という場所。
女性達の多い茶屋街。
そして…
加賀友禅、九谷焼、和菓子等々とあらゆる様々な日本文化に囲まれた街。


そんな街で生まれ育った彼だからこそ
ああいった「海神別荘」というような作品を始め
様々な巷談物、または魑魅魍魎の出て来る神秘的な作品を
生み出すことができたのではないかと



そんなことを考えながら過ごした金沢の旅でした。


ちなみに泉鏡花についてもっと詳しくお知りになりたい方は
こちらをどうぞ。




金沢は現在NHKの大河ドラマ「利家とまつ 加賀百万石物語」で
大変人気のある場所になり観光客が大変多い街になっているそうです。

が、こんな風に一歩中に入れば
泉鏡花を始めとして、室生犀星、徳田秋声といった
三代作家の生まれた街としても有名だそうですし
煌びやかな加賀友禅、または九谷焼、大樋焼を始めとする様々な
日本文化に溢れた街です。
一日あってもまわりきれず、かといって観光バスを使うと
入りきれない場所も沢山あります。

タクシーを利用してもよし。
うまく使えばバスも結構役に立ちそうですので
路線図を調べて皆様それぞれの金沢を探して欲しいなぁと
そんなことを思いました。


実は第二次世界大戦中。
空襲に合わなかった街がありましたが
有名なのが鎌倉、京都
そしてこの金沢となります。

戦後の発展期の中、唯一発展の遅れてしまった北陸の街になっては
しまいましたが、今なお古い古い建物がそこここに残っています。
江戸の昔を懐かしむもよし、そんな街です。

もちろんお菓子を求めて走りまくるもよしなんですけれどね。
金沢は和菓子の街でも有名ですから。


と、まぁ、今日は喋りだしたら止まらなくなりそうなので
そろそろこの辺で


<今宵はここまでにしとうございます。>


な〜んて流行語が昔あったそうですね。


加賀観光のバスガイドさんのおねーさまに教えていただいた言葉を
思い出しつつ今日はそろそろばたんきゅーとしたいです。


旅の話、いろいろとありますけれどそれはまた日を改めて。