今回はグリークラブ香川の公式行事という事で、団から旅行会社を通じてバス移動の旅程が組まれていた(三朝温泉と大山で宿泊)が、宿泊料金が\12,000〜15,000と高価であり、何よりも伯備線にも因美線にも乗らないなんて何のために倉吉に行くのか(何か違う)という思いから、団とは別行動を取る事に決める。また、宿とメシとフロは分けて考えようの精神にのっとり、宿泊先はビジネスホテルをネットで探した。
さて12日、早朝に出発すると「やくも1号」で米子に出て、とっとりライナーで倉吉に入る。団本体は午後にホール到着予定だが、私はその前に一足先に三朝(みささ)温泉で一風呂浴びて合流しようという算段である。
米子駅で列車待ちをしている間に駅弁ページのネタのために同駅の「大山おこわ弁当」を探すが、10時前ではまだ入荷していないようだった。後日、TVの駅弁特集番組で同駅弁が高く評価されていて悔しさ倍増。
11時頃に倉吉駅到着。ひとまず宿泊先の倉吉タウンホテルに行って荷物を預ける事にする。そのホテルは駅から中心街に続く県道をしばらく歩いた先にあった。手前にある倉吉シティホテルという似た名称のレンガ造りの洒落た建物を横目に雑居ビル風の建物に入る。一階は消費者金融等の無人営業所がいくつか入っており、ホテルは3階以上だという。ロビーに上がると、そこは無人で、「昼間は倉吉シティホテルで受付けております」の看板。つまり、ここは倉吉シティホテルの別館で、受付業務は概ね本館で行っているという事らしい。先に言えよ、そういう事は。
ともかく荷物を預けるとバスで三朝温泉に向かう。中心街へ向かう道との交差点を過ぎると天神川に寄りそって上って行く。河川敷は奇麗に整備され、道路も快適。晴れ渡った秋の柔らかい日差しを浴びて川面も木々も輝いて見える。
30分足らずで温泉街に到着。緑に抱かれて落ち着いた風情の町だ。温泉街の停留所のすぐ手前の橋の下に同温泉街自慢の河原風呂がある。今回の旅の目的の一つはここに入る事であった。思ったよりは小さく、5、6人入れば一杯になってしまうだろう。入口側には足湯もある。脱衣所には仕切りがあって比較的服を脱ぐのに抵抗は少ない感じ。下呂の時(仕切り等ないので周囲の温泉街から丸見え)は尻込みしたが、今回は大丈夫そうだ。
一旦温泉街のホテルで外来入浴を楽しんでから河原風呂に挑戦する。(事前に体を洗ってから入るのが礼儀だと考えているため。)橋から降りて行くと先客あり。金髪の若い女性と男性(こちらは日本人らしい)のカップルだ。期せずして初の混浴体験となる。入浴しようと近づいてみると、湯船が低い仕切りで二つに分けられているのに気づく。しかもその片側には源泉が流れ込んでおり、もう片方には水道の蛇口が付いていた。つまり、源泉の温度がやや高いため、源泉そのままとぬるくして入りやすくしたのと二種類用意しているのだ。心憎い配慮である。感謝しつつ、ぬるい方につかる。う〜ん、気持ちいい。ちょうどいい湯加減と頬をなでていく風、陽光に輝く緑と景観を崩さない配慮を感じる建造物。触覚と視覚を優しく刺激してくれる素晴らしい温泉であった。後で源泉の方にもチャレンジするが、やはり熱さに耐え切れず、数十秒で退散してしまう。
河原風呂を充分楽しんだ後、団本体と合流するためホールに向かう。倉吉未来中心ホールは鳥取県を代表する物産、「20世紀梨」に関する資料館やホール、遊技場等の集まった複合施設であった。最近建てられた施設らしく、意欲的なデザインと綺麗な設備が印象的。
ところで、朝から微妙に感じていたものの、ホールに着いた頃から持病の片頭痛が強く感じるようになる。前日の睡眠不足のせいか。本体が到着したものの、リハーサルまでは時間がある、というかこの日の用事は数十分程のリハーサルと代表者への説明があるのみで団員にとってはかなり暇であった。
そこで、Singleのメンバーは演奏会間近なので、その暇を利用してゲリラ練習を展開する事になった。屋外テント下を皮切りに、ホール脇の通路、ホール裏手のわずかなスペース等、この日のみならず、当日にも続けられた。メンバーの士気が高いのは大変良い事ではあったが、頭痛に悩まされながら指揮を振り続けた私は完全にグロッキー。5時に解散すると早々に本体とは別れ、近場で適当に食事を済ませるとホテルに戻り、ベッドに転がった。
この倉吉タウンホテルは先に雑居ビル風と書いたが、実際そうだったようだ。部屋は事務所用(だったであろう)のスペースを改造してバストイレを設置し、ベッドを置いている。ズキズキする頭を抱えて眠ろうとするのだが、なにやら廊下を走り回る足音が低く響き、それが頭痛を刺激してなかなか眠れず苦労させられた。(ザッピングポイント)
13日、早めに起床し、駅前の喫茶店で朝食を摂り、不要な荷物をコインロッカーに預けると会場に向かう。幸い片頭痛の方は概ね治まっていた。
本番当日という事で倉吉駅から会場まで無料のシャトルバスが出ているので乗り込んで待っていると、バスターミナルの向かいにあるホテルから茶色がかった紫色の服を着た男性の一団がゾロゾロと現れ、ホテル前に止まったバスに乗り込んでいる。何となく違和感を感じる顔立ちから、今回の国民文化祭にゲスト出演する韓国の春川(チュンチョン)男性チェンバー・クワイアのメンバーではないかと直感した。
会場に到着、本体と合流すると多少の練習の後、本番。・・・記憶がないので割愛(オイ!)。
そして控え室に戻り、弁当が届けられる前に再びSingleのゲリラ練習を展開。他の出演団体に見つかってちょっと恥ずかしい思いもする。
弁当の配布時間を見計らって控え室に戻ると、Palinkaのメンバーが私を訪ねて来たとの言。申し訳ない事をした。彼らの演奏後に会いに行く事にする。
さて午後の部に入り、いよいよ期待のPalinkaや春川男性チェンバー・クワイアの演奏である。私やグリークラブ香川S氏の盛んな宣伝で団員にもPalinkaは「是非聞くべき!」という空気が広がっており、本体の移動時間の関係で聞ける男声合唱団はここしかないという事もあり、多数の団員が会場で待ち構えていた。
午後の部、最初の団体が春川男性チェンバー・クワイアで団の説明が入り、メンバーが入場する。やはり今朝の彼らであった。演奏評はすでに書いているので割愛。その後3団体ほど演奏があり、いよいよ合唱団Palinkaの演奏である。(以下ザッピングポイント)
武満徹の「手づくり諺」を精緻な音程と作りこまれた表現で好演。正直、それまでの団体の演奏でかなりストレスが溜まっていたので、この演奏を聞いてスッキリした。やはりPalinkaは違う。まあ、後の「斎太郎節」等はもう一注文つけたい所ではあったが。
演奏終了を見計らって「ブラボー!」をかけようと狙っていると、先に別の場所から「ブラボー!」のかけ声。どうやらグリークラブ香川のMのおやっさんのようだ。気勢を削がれつつも続いてかける。
演奏終了後、ロビーに出るとちょうどPalinkaのメンバーが出て来た所で、グリーの団員と交流が始まる。私もようやく以前からメールをやり取りしていたHP管理者のH氏と話す事ができた。また、賛助出演されていたSue Sea FourのI氏、指揮者のT氏らと旧交を温める。
15時を回り、グリー本体、Palinkaが相次いでバスで会場を後にすると急に閑散となった気がする。山口県の男声合唱団メール・ソレイネの演奏が残っていたが、ステージが押しているらしく演奏が何時になるのか分からない状況。私には倉吉に来た第二の目的である倉吉鉄道記念館に行くという使命があった。ここは5時に閉場となるため、涙を飲んで演奏鑑賞をあきらめ、レンタル自転車を借りて鉄道記念館に向かう。
倉吉鉄道記念館とは1985年まで現在の倉吉駅から倉吉市の中心部を通って、南の関金町まで結んでいた国鉄倉吉線の写真や資料を展示している資料館であり、「やや鉄」を自称する私には見逃せない施設である(入場無料)。今回は資料として中学時代に購入した1983年8月の時刻表を持参していた。
会場から北西へ行った所、東西に伸びる石畳の遊歩道の脇にある木造の建物がそう。どうやらこの遊歩道がかつての倉吉線の跡らしい。扉を開けて覗き込むと中は無人で明かりもない。正面にまず、ガイドブック(「上撰の旅25 山陽・山陰」昭文社)に写真が掲載されていた機動車(かつて倉吉線で使用された)が設置され、その周囲の壁に当時の写真パネルがたくさん飾られている。窓が閉め切られているため、微妙に蒸し蒸ししている。夏場に来ていたら耐えられないかもしれない。
写真を眺めていると当時の様子を想像できて楽しめたのだが、記念館を見渡しても当時の路線図は掲載されていない。私は持参した時刻表があるのでガイドブックの地図とつき合わせて駅の位置を想像する事ができたが、そうした資料をもたない人は当時の駅名を見ても分からないのではないだろうか。実際、そこに置かれたノートを読むと訪れた人の中にも同様の疑問を記した人がおり、また、その疑問に答えるために記憶を頼りに路線図を書いていた人もいた。
残念ながら閉館時間となったので退散せざるを得なかったが、できればもう一度訪れて路線図のコピーを寄贈したいと思った。
その後、遊歩道をしばらく自転車で走り、当時の列車や車窓風景に想像をめぐらせる。
会場に戻って自転車を返却し、シャトルバスで倉吉駅へ向かう。
バスターミナルに降りた所で気づいたのだが、同じバスに乗っていた一人の女性がどうやら目が不自由らしい。駅までの道を見るとしばらく点字ブロックがないようだ。女性は杖で左右交互に地面を押さえて周囲を確認しながら歩いている。他に人がいない事もあり、改札口周辺の点字ブロックのある所まで案内する。
コインロッカーから荷物を取り出し、本日の宿を取ってある鳥取へ向かうため改札口を通って上りのホームに向かう。すると、先ほどの女性も列車を待っている。それならまた案内を・・・と思っていると周囲の様々な人が案内を申し出るために話しかける。中でも仕切り好きそうな年配の女性が周囲に聞こえる位大きな声で話しかけ、結局その女性が案内していく事になったようだ。日本もなかなか捨てたものではない。温かい気持ちになりつつ、到着したディーゼルカーに乗り込む。
移動中にPalinkaのHP管理者H氏から電話がある。この日はお互い鳥取に宿を取っている事を知り、それならば一緒に飲もうという事になり、その連絡のためにかけてくれたのである。
鳥取駅に到着すると宿で食事を摂った後、合流。メンバーの皆さんと色々な話をする。以前に比べると様々な所から集まっているようで、過去に所属した団体の話では私も知っている団体が多く、盛り上がる。この辺りは多くの団体を聞いている私の得意分野。
その内、指揮者のT氏を中心に翌年の演奏会の選曲の話題になる。様々な曲名が周りから上がっては吟味されていく。外国作品になると私も知らない曲が多く、さすがはPalinkaのメンバーである。この時期に選曲をしているというのにも驚きだが。
皆さん、楽しい酒をありがとうございました。
14日の目的は第3セクター若桜(わかさ)鉄道と因美線−津山線を完乗して帰る事。9時に駅に向かう。
私が乗る列車は若桜鉄道直通列車なので若桜鉄道の車両。高架の鳥取駅を出発し、京都方面へ向かう山陰本線とはすぐに別れて南に大きくカーブすると住宅街に下りて行く。やがて住宅が途切れて緑が多くなる。郡家(こうげ)駅を過ぎるといよいよ若桜鉄道に入る。っとすぐに駅に滑り込む。隣りには学校が見える。ここは若桜鉄道が誕生した頃に出来た駅で、隣りの八頭高校の通学の便宜を図っての事だという。そのせいか休日にも関わらず学生の乗降がある。
八東川に沿った平野の中をのんびりと進み、時々現れる無人駅に止まってはわずかな乗降を繰り返していく。ある駅には国民文化祭のイベントが行われる旨のポスターが貼ってあり、そんな駅では多少まとまって降りて行った。50分程で終着の若桜に到着。ここも国民文化祭絡みのイベントがあるようで、その来客を当て込んでか駅前にはいくつかテントが張られ、出店もあり、賑やかな感じ。今回のイベントが町や鉄道に集客効果をもたらせていたら嬉しいことだ。
折り返して郡家駅まで戻る。少し駅前を散策した後、智頭行きの列車に乗り込む。JR線の上なのに走る車両は智頭急行のもの。どうやら上郡(−智頭急行線)−智頭−鳥取間は智頭急行の車両で全てまかなっているらしい。あるローカル線旅行記に「因美線は若桜鉄道と智頭急行におんぶにダッコ」という記述があったが、それを実感させられた。
30分余りで智頭駅到着。山間の盆地に広がる小さな町だ。智頭急行線の開業に合わせたのか駅前はきれいに整備され、スーパーや店舗も誘致されていた。だが、JR駅の方は放置されたままのようで、トイレも古いままであった。智頭急行の駅は南隣りに建てられており、こちらは新しい。
島形のホームで津山行を待っていると(智頭急行経由)京都行の特急「スーパーはくと6号」が到着。特急はJRのホームの駅舎側に止まるらしい。やがてディーゼル特有の低い唸りを上げて出発する。両駅の間の切り替えで智頭急行線に入るとしばらくJR線と平走した後、左に折れてトンネルの中へ消えて行った。
さすがにここからはJRの車両で運んでくれるのだろうと待っていると到着したのは単行の列車。鳥取と岡山の県境を通過するので需要も余りないのだろう。ところが、発車時間が近づくとそれなりに人が集まり、6割位の乗車率で発車する。途中駅での乗降も少しはあり、地域の貴重な足としてなかなか無視できない需要があるようだ。
…それにしても遅い。県境の峠を越えるためにディーゼル車は一際唸りを上げて駆け上る。それでも風景の動きは余りなく、時速は20キロ程度ではないだろうか。トンネルもそれほど長くはない筈だが、速度が遅いためいつまでも抜けないように感じた。
峠を越えると加茂川に沿って下って行く。おお、なかなかの渓谷美。山に挟まれたわずかな平地の中央を走る川の両岸に水田が広がり、農家らしい民家もいくつかある。だが、急カーブが多いためか少しスピードを出してはまたゆっくり走るの繰り返しで余り速くはない。かつて智頭急行線が開業するまではこの因美線と津山線を経由して鳥取−岡山を急行「砂丘」が結び、同じく姫新線を経由して鳥取−大阪を急行「みささ」が結んでいたのだが、この路線状態ではなかなかスピードアップできなかった事が伺える。
しかし、この風景美は捨てがたい。そこで、ここにトロッコ列車を走らせるのも面白いのではないだろうか。元々余りスピードの出せる路線ではないのだからトロッコ車両を連結してもダイヤの影響も少ないだろう。また、「ローカル線を旅する本(KKベストセラーズ)」によるとこの路線の高野駅は夕日が美しいのだという。具体的には智頭16:27発津山17:36着の683D列車(2003/10/1改正時刻表)に連結して美作加茂−東津山間24キロを走らせればどうだろう。春や秋ならいい時刻ではないだろうか。名称は「夕焼けトロッコ」か。
そんな事を考えているうちに東津山駅到着。これで因美線完乗達成。
東津山駅を出ると津山市街を西へ走る。ところで、この車両はワンマン運転のために運転席と客席の間に仕切りがないため列車無線の音が筒抜けなのである。それまでは特に気づく事もなかったのだが、ここにきて急に無線が多くなり、運転士とのやりとりが聞こえてくるようになった。
「・・・付近・・・通過・・・」
雑音が多くて聞き取れない。運転士も同様で聞き返している。その間に列車は吉井川を渡り、その先の踏切を通り過ぎようとする。看板には「八木第一踏切」とある。
何度かのやりとりの末、ようやく意味を持った言葉で聞こえて来る。
「・・・八木第一踏切付近・・・注意願います。・・・」
!!、って今越えた所!。慌てて振り返ると通り過ぎた線路の築堤の周囲から作業員や消防団と思しき服装の人々がわらわらと現れた。警察官らしき服装の人も見える。何があったのだろう。他の乗客も身を乗り出して後方を凝視している。運転士が交信を続ける。
「了解。」ガチャ(無線を切る音)。
あらっ。通り過ぎたのだからそれでいいのか。そんなハプニングを交えながら列車は津山駅に滑り込んで行った。
これで国民文化祭に参加した意義があるというもの(そこかい!)。充分満足した私は津山線、瀬戸大橋線を経由して帰路についた。
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