2003年1月4日。私はある覚悟を胸に新平湯温泉の宿を出発しようとしていた。昨夜からの雪に覆われた国道471号線で神岡行きのバスを待つ。今日の目的は以前見送った神岡鉄道に乗る事であった。
2000年8月に初めて奥飛騨温泉郷に来た時、飛騨奥飛騨ゾーンきっぷという周遊券を使用したのだが、この切符は高山本線下呂−高山−猪谷間と濃飛バスの新穂高線等一部区間、そして神岡鉄道全線が乗り放題となる。その時も折角のフリー区間なのだからと神岡鉄道に乗りに行こうとしたのだが、便数の少なさと濃飛バスとの連絡の悪さ(30〜40分以上待ち)に閉口して見送った経緯がある。今回も同じ周遊券を使用していたので今度こそは意地でもと決意していました。
だが、今回は冬。奥飛騨温泉口駅(神岡鉄道の終着駅、濃飛バスとの接続駅)での1時間もの待ち時間はともすれば命にかかわるという危惧があった。そしてその危惧はこの地方の寒さと雪の洗礼を受け、改めて感じていた。
そもそも、神岡鉄道は旧国鉄神岡線が赤字ローカル線のためにJRから切り離され、第三セクター鉄道として再出発した経緯を持つ。沿線にある神岡鉱山から精製される(副産物としてだが)濃硫酸が安全性から自動車輸送は望ましくないという事情から存続したように思われる。また、終着駅の奥飛騨温泉口というネーミングがいかにも「もっと長く(上宝村や奥飛騨温泉郷へ)延長する予定だった路線が途中で打ち切られた」という印象を抱かせ、市街地を離れているので周辺に人家もないだろうし、過去に行った第三セクターのと鉄道の終着、蛸島駅のようにホーム一面だけの無人駅で、待合室もなく、吹きっさらしなのではないかと想像させられました。そんな駅で冬場に長時間待つのはそれこそ自殺行為ではないかと恐れていたのです。
3分程遅れて来た平湯ターミナル発神岡行のバスに乗り込むと、なんと私が最初の乗客。この路線がいかに閑散路線かを痛感させられる(冬場は4往復ほど)。ちなみにこの路線の平湯−奥飛騨温泉口駅間も周遊券のフリー区間に入っている。
栃尾温泉を過ぎると高原川(神通川の支流)に沿って下って行く。川が穿った渓谷が雪化粧して素晴らしい景色である。徐々に乗客も増え(といっても5人位だが)、その常連と思われる乗客のために路線外まで走ってあげていたのが微笑ましい。50分程走り、渓谷に人家が多数見えて来る。どうやら神岡町の中心部に近づいたようだ。9:42のほぼ定刻通りに奥飛騨温泉口駅到着。これから上り列車出発の10:47まで1時間余りの待ち時間である。
駅舎を見て仰天した。そこには美しく近代的な建物が鎮座していたのだ。後に知った事だが、神岡鉄道は近年本社を飛騨神岡駅から奥飛騨温泉口駅に移転したのだという。そのために新築されたらしい。半ば遭難覚悟で訪れた私は余りに予想外な事態に笑いながら(「富嶽百景(太宰治)」にあった「対象物の思わぬ素晴らしさに出くわした時、人は笑ってしまう。」という意味の文章を思い出す)建物の内や周囲を歩き回る。広々とした待合室には畳や囲炉裏の間まである。正月休みのせいか事務室に社員はいないようだ。ワンマン運転(乗車時に整理券を取って降車時に運転者に支払いをする)が主流のためか、切符販売はあるが、改札業務はないらしい。
ホームに入って写真を撮っていると後ろからプーンとコーヒーの良い香りがしてくる。振り返ると建物に横断幕が張ってある。「小柴教授 ノーベル賞受賞おめでとうございます」そうか、ここは小柴教授のニュートリノ観測施設、カミオカンデ、ニューカミオカンデのある町だ。ノーベル賞受賞はこの町にとっても大変な誇りであろう。
コーヒーの香りをたどって表に回ると「コーヒーショップあすなろ」の看板。日は良く照っているものの気温は低く寒いので渡りに船と入店する。どうもここが昔の駅舎らしく、入口の天井には「鉄道貨物取扱所」の看板が飾ってある。メニューを見ると豆の種類も豊富(20種類余)で値段も手頃(350〜550円)、モーニングも充実している。なかでもコーヒーとトーストのセットがコーヒーの代金のみでOKというのが有難い。肝心のコーヒーも香りと同様、大変風味があって美味しい。そのせいか、地元の常連客で店内も前の駐車場も一杯。ただ、鉄道利用者がほとんどいないようなのが気になるが・・・。
ようやく列車が到着したので乗り込む。案の定、単行運転(1両での運転)である。この車両の座席配置が面白い。猪谷側に4人掛けのボックスシートがあり、奥飛騨温泉口側にはトイレとロングシートがある。そして中間には窓を背にコの字形の座席が通路両側にあり、それぞれ中央に囲炉裏があり、ご丁寧にヤカンまでかかっている。もっとも、囲炉裏の中は電球を灯してあるだけで雰囲気だけなのだが、なかなか心憎い造りである。
神岡の町を渡って行くかのように高架を走り、トンネルをいくつもくぐり抜け、30分で猪谷駅到着。その日はそのまま高山に出て帰路に着いたが、聞く所によると、この日平湯−高山間のバスはスキー客(帰り)で大混雑だったらしい。遭難覚悟で神岡鉄道に行った私が美味しいコーヒーを味わう等、ゆったりと旅を満喫できた事を思うと苦笑してしまった。ん、となればいっそのこと・・・。頭が回転する。
・四国や大阪、山陽に住む人は奥飛騨温泉郷へ行くには通常、岐阜から高山を経由する事になるが、北陸本線で富山から猪谷、奥飛騨温泉口経由で行く方法もできるのでは。
・その利点は・・・。坂出から前述の周遊券を使って行こうとした場合、岐阜高山経由だと東海道新幹線を新大阪−名古屋(米原もあるが私のような物好き以外しない)間利用のため、往復の乗車券が5%引きにしかならない(東海道新幹線を利用する場合、片道601キロ以上利用でようやく20%引きになる)。だが、新大阪で北陸本線に乗り換えて上記ルートをとると問題なく20%引きになる。このため、距離と時間は多くなるが金額的には若干安くなる(在来線の特急料金も新幹線よりやや安い)。
・さらに神岡町には神岡城、鉱山資料館、郷土資料館(三館共通で450円、冬期閉館)があり、また星の駅、宙(すかい)ドーム神岡では神岡の伝統工芸や特産品展示と同時にニューカミオカンデのレプリカが展示され、詳しい説明が見られる等、見るべき所があるので上記ルートの途上で神岡観光を組み入れる楽しみもある。
以上を踏まえて夏に再び奥飛騨温泉郷を含む旅に出た。春にプロジェクトXでカミオカンデ設立の話が放送され、神岡への興味もさらに盛り上がっていた。結局、帰路にこのルートを組み込んだため、上述と同じバスに乗って行く事になった。さすがに夏場は多少旅行客もいるようで最初の乗客という事はなく、10人余りの乗客と共に奥飛騨温泉口駅に向かう。青々とした渓谷もまた美しい。上宝村役場周辺が広々としている等、冬場には分からなかった事も見えて興味深い。
奥飛騨温泉口駅に着くと早速「あすなろ」へ。相変わらず常連客で一杯だ。美味いコーヒーで一服した後、神岡鉄道で隣りの神岡大橋駅へ。
徒歩で鉱山資料館へ。神岡城、郷土資料館を含め、これらの施設は鉱業の会社が設立したもので、それぞれ神岡の歴史を伝えてくれた。鉱山資料館は鉱山開発の歴史やその掘削、精製過程等の解説がなされ、ちょうど入場者が増えた事もあり、係員の方から詳しい説明を受ける事ができた。その中で鉱山と神岡鉄道との関わりについて聞いてみたが、「鉱山が閉山した以上、鉄道もいつまで続くか」と寂しい一言。郷土資料館は萱葺き屋根の民家を移築して昔の農機具や生活用品を展示しており、雪国の生活を伝えてくれます。神岡城は戦国時代にこの地を治めていた豪族の城(江戸時代に廃城となる)を他の城を参考に復元したもので白塗りの立派な天守閣を作っている。もっとも、現実には地方の豪族が建てたものなのでもっと質素な砦のようなものだっただろうと思われるが、まあ観光の目印となるためには必要な装飾だろう。むしろ、内部に展示された鎧兜、町や城や合戦の絵図等の資料、城内に流れる神岡城の歴史的変遷を解説するテープが興味深い。また、3階から神岡の町を一望でき、風が涼しく気持ち良かった。
3館を満喫した後、国道471号沿いに出て、星の駅、宙(すかい)ドーム神岡へ向かう。車で来る人が多く、大盛況であった。食事を摂った後、ニューカミオカンデでを模した資料館で同施設の詳細についての知識を吸収する。もっともカミオカンデに関する部分のみなので、もっと説明が欲しい箇所もあったが(たとえばニュートリノが水の分子にぶつかると発光する現象について)。周囲に小柴教授をはじめ著名な物理学者のサインのコピーが多数掲載されていたが、なかでもある学者の言葉「地の底から宇宙(そら)を見る」は言いえて妙であった。
その後、町役場の前を通って飛騨神岡駅へ。この駅前には名称を忘れてしまったが名水が湧いていて、地元の方が野菜等を冷やしているのが微笑ましかった。
一旦、奥飛騨温泉口に戻ってから帰路につく。駅では模擬店の準備が行われていた。今日は神岡鉄道の企画で神岡鉱山の坑道を利用したおばけ屋敷が行われ、そのための出店らしい。駅の掲示板を見ると、他にもトロッコ列車運行等、様々なイベントが行われている。そういえば鉱山資料館で聞いた話では、7月の連休に行われたスーパーカミオカンデ見学会には1,700人の定員に対し、6,000人もの応募があったと聞く。このような様々な集客努力を続ける神岡鉄道が一日でも長く続く事を祈らずにはいられない。
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