恐怖……それは、その存在に気づいてこそ発生する感情だと言う事は皆さんもご存知
の事だと思う…… 一見何気ない風景の中に異質なモノが紛れ込んでいても、その事を
知覚・認識出来ない限り、恐怖と言う感情は発生しないのだ。一度、自分の部屋をそう
いう認識の下で見渡して見る事を勧めるが、深夜だけは避けねばならない
 何故ならば…………


          そは現実に似て現実に在らざるモノ
          何でも無い日常が恐怖に変わるトキ
          刻々と過ぎていく暮しの中に……
             潜む何かが我々を蝕む。


7周年記念作品
明日を覗けば闇の中】〜続・窓に映るは明日の影〜
作:尾崎貞夫
第1話「視線」

「ふぅ……暑苦しいわね。一年中夏だなんて最悪だわ」
 あまり広いとは言えない四畳ほどの部屋、その窓際に鎮座している作りつけのシングル
ベッドで、下着だけを身に付けて寝ていた若い女性が起きあがり、エアコンのスイッチに
手を伸ばした。
「うわ……シーツも濡れてるし、ネグリジェも着替えないと気持ち悪いわね」
 彼女の名は惣流アスカ――当年取って19歳。第三新東京市の外れにある第三新東京大
学に入学して一年二ヶ月経つ大学生である。両親共に博士号を持つ研究者であり、母親は
アメリカ、父親はドイツの大学で客員教授として招かれている為、第三新東京大学が幾つ
か所有している学生用マンションで一人で暮らしていた。寮ほど規則が厳しく無いのと、
その棟には女性の学生しか入居していないのでセキュリティ面でも安心出来るのが魅力で
あった。

「どうしよう……朝方までセットしようかな……けど身体には良くなさそう……」
 アスカは散々悩んだ末、二時間だけセットし、汗で身体に張り付いているネグリジェを
脱いだ。タオルで汗を拭き、新しいネグリジェを着ようとしている時、何かの視線を感じ
その方向に振り向いた。だが、その方角には角にあるファンシーケースと、その横に小型
のオーディオコンポが鎮座しているだけで、しかも窓の無い方角なので視線の感じようも
なく、アスカは首を捻った。
「あれ……カレンダーなんか飾ってたっけ……」
 アスカはオーディオコンポの上の方にB4サイズのカレンダーが掛かっているのに気づ
いた。カレンダーの絵の部分は、麦わら帽子を被った少女が柔らかな眼でこちらを見てい
るかのような絵であった。
「ヒカリが置いていったのかな……」
 アスカは春休みに洞木ヒカリが遊びに来ていた事を思い出した。ヒカリも第三新東京大
学に進学し、自宅から通学している。
「だけど……もう六月よね……カレンダーめくった覚えなんか無いのに」
 カレンダーは現在の六月を指しており、引越しの時に持ち込まれたままの状態とは考え
られなかった。
「ま、いいや。明日聞けばいいし」
 アスカは再び眠気を感じた事もあり、汗で濡れたシーツの上にタオルを掛け、ベッドに
横たわった。少しすると穏やかな寝息を漏らしてアスカは深い眠りに落ちていった。壁に
掛けられたカレンダーの少女に見守られながら……。

 そして翌日……昨夜の事などすっかり忘れたアスカは午前の講義を終え、十を数える学
部を持つこの巨大な大学に点在する中で、皆が集まるには最も都合のいい学食に向かって
いた。
「いよう」
「アスカ、おはよ」
 アスカ達がいつも使っているテーブルには既にヒカリと鈴原トウジが腰を降ろしていた。
アスカが来るまで親密そうにヒカリと話しているトウジを見て一瞬アスカは眉を顰めた。
「おはよ。しかし夕べも暑かったわね」
 ノート型端末とテキストの入ったポーチを足下に置き、アスカはヒカリの正面に席を定
めた。一年中夏とは言えメリハリが全く無い訳では無く、この時期は雨こそ昔の梅雨程は
降らないが、湿度が高く過ごしにくい時期であった。
「そや、ヒカリに聞いたんやけど、第一語学が英語で第二語学がドイツ語やて? それ反
則やないか? アメリカでもドイツでも暮らしとったんやろ。わざわざ学ぶ必要無いやな
いか」
 トウジの無神経な問いかけにアスカは微かな笑みでそれを受け流した。
「いつまで経っても馬鹿ね……」
 ヒカリがトウジの腹に肘鉄を入れて呟いた。一回生の間は一般教養が殆どで、生命理工
学部のアスカと法学部のシンジは同じように講義が受けられたのだが、二回生ともなると
そういう機会が減って行く為、少しでもシンジとの繋がりを保ちたいと言う考えがアスカ
にあったのだ。
「おっいたいた。飯も食わずに何話してるんだよ」
 そう言いながら三馬鹿の一人、相田ケンスケが現れた。
「これから食べようって所だったのよ。碇君はまだかしらね?」
「遅くなるのかも知れないし、食べながら待てばいいわ」
 アスカはそう言って立ち上がり、皆と一緒に食券を買い求めに行った。
 アスカと彼等との関係は深く、最初はシンジに高校受験の為の勉強を手伝っていたのが
皆での勉強会に代わり、全員第三新東京立第一高校に合格。高校入学後、シンジが将来弁
護士になりたいとの決意を固め、大学受験の勉強を手伝っていたのが、またまた勉強会に
なってしまい、結果全員この大学に合格した。その為、高校での三年間では二人の進展は
これといって無かったが、アスカはシンジとの繋がりを信じていた。
「遅くなったね、ごめんごめん」
 アスカがAランチのサラダを食べ終えた頃、シンジが学食に走り込んで来た。
「法学部の棟は一番近いやないか 何しとったんや?」
 この学食から最も遠い工学部のトウジが不審そうにシンジに問いかけた。
「渡り廊下の所で母さんに捕まってね。説教されてたんだ」
 食券を買い、Aランチのトレイを手に席に着いたシンジがその問いに答えた。
「リツコ先生に? 何か怒られるような事でも?」
 ケンスケが口元にカレーを付けたままシンジに問いかけた。
「新婚の二人の邪魔したくないから一人暮らししたいってこの前から言ってたんだけど、
その事についてね……」
 シンジ達が高校二年の頃、臨時で第一中学の理科の教師をしていた赤木リツコ博士が
母校であるこの大学に生命理工学部の助教授として迎え入れられ、シンジの卒業と同時に
シンジの父、碇ゲンドウと結婚をした為、現在は碇リツコと名乗っているのであった。

 食事を終えた後、午後の講義の時間が近づいて来たので、皆々はてんでばらばらに構内
に散っていった。誰一人として同じ学部では無いのだから当然とも言えるのだが……。だ
が、アスカとシンジだけは同じ方向に向かって歩いていた。
「私は午後は第二外国語のドイツ語だけだけど、シンジは?」
 一般教養等でも使う棟に向かって歩きながらアスカはシンジに問いかけた。
「僕もそれだけ……去年一緒に結構単位取ったしね……」
 生命理工学部のアスカと法学部のシンジが一緒に授業を受ける機会が多いのは一年目な
ので、意識的に取る単位を決めて、目一杯授業を受けていたのであった。
「じゃ、ドイツ語終わったら……一緒に帰らない?」
 アスカは少し恥じらいながら問いかけた。
「うん……いいよ、アスカ」
 中学三年の頃に少し遅まきながら声変わりし、高校の三年間で背が伸びたシンジであっ
たが、シンジの本質はあまり変わっておらず、それがアスカに取っては少し不満ではあっ
たが、逆に安心出来る事柄でもあった。

 そして第二語学の講義を終えて二人は車で帰り道にあるショッピングセンターに立ち寄
り、夕食の材料を買い込み、センター内の喫茶店で二人はアイスティーを飲んでいた。
「来月の中頃から夏休みだけど、今年はどうするの?」
 アスカはハンカチで汗を軽く拭いながらシンジに問いかけた。去年は結構羽を伸ばせた
が今年からはそうもいかない事を自分では分かってはいるものの、来年・再来年の夏は研
究室に籠もる事になりそうなので、今のうちに少しだけでも二人の時間を持つ事をアスカ
は切望していた。何せ、来年には二十歳になると言うのに二人の関係は中学時代からあま
り進展していないのだ……。二人とも多忙な毎日を過ごすようになるまでに……と、密か
にアスカは決意していた。
「うん……それなんだけど、法学部で法科大学院に行かずに卒業と同時に司法試験を目指
すグループで合宿があるんだよ……助教授も参加するそうだし……それに参加しようかな
と……」
 シンジもいつアスカに告げるか悩んでいたので、アスカの問いにこれ幸いと告白した。
「それ、いつから始まるの? 期間は?」
 アスカは声が震えないように意識して問いかけた。
「8月一杯……かな。途中で何回か休みは入るけど……皆、帰省しないそうなんだ……。
大学内の施設を使うそうだから、合宿と言っても家から通うつもりだけどね……」
「そっか……法科大学院となると、もう三年掛かるのよね」
「そうなんだよ……少しでも早く一人前になりたいんだ……でないと……」
 大学を四年で卒業後即司法試験に合格したとしても、一年と六ヶ月の司法修習生として
の研修……そして居候弁護士の間は結婚などおぼつかない為、シンジとアスカが結婚出来
るのは、最速でも二人が25・6歳の頃になってしまう計算なので、シンジは焦っていた。
 もし大学卒業後すぐ司法試験に合格する目処が立たなければ、もう三年司法大学院に通
う事になり、そうなると20代の結婚がおぼつかなくなるのだ。先の見えない状態で学生
結婚する事は、今のシンジには出来そうに無かった。その間の学費・生活費だけでも膨大
な額になるのも理由の一つであった。
「分かった……それならお盆が終わってからの7月の間は大丈夫よね……今年は……その
……二人でどこかに行きましょ?」
 アスカは顔が赤くなるのを感じながらも懇願の言葉をシンジに伝えた。
「うん……」
 シンジもさすがにその言葉の意味に気づいたようで、頬を染めていた。
 二人は言葉を紡ぐ事も忘れてお互いを見つめていた。

 しばらくしてアスカは飲みかけのアイスティーを飲み干し、僅かに視線を逸らせた。
「あれ……こんな所にカレンダー置いてたかしら……」
 席に着いた時には気づかなかったが、小型のホルダーに入ったカレンダーがテーブルの
片隅に置かれていた。

「!?」

 カレンダーの絵柄が昨夜自宅で見たカレンダーと全く同じである事に気づき、アスカは
声の無い叫びを上げた。
「どうかした?」
「何でも無いの……しゃっくりが出そうになったけど、大丈夫みたい」
 アスカはシンジの問いかけにごまかして、再びそのカレンダーに視線を向けた。カレン
ダーを見つめていると、誰かが呟くような声で”気を付けて”と囁いているような幻聴が
聞こえたような気がしたので、頭を振ってその幻聴を追い出した。
「大丈夫?」
 アスカの奇妙な仕草に、シンジは心配そうにアスカの顔を覗き込んだ。

 その後、ショッピングセンターを出た二人はセンター内の駐車場に向かおうとしていた。
「それじゃここで待っててよ。車を寄せて来るから」
 そう言ってシンジはアスカを残して駐車場に行ったので、アスカは荷物を手にシンジの
車を待っていた。

「やけに早かったわね?」
 二分ぐらいして、アスカの待つ場所に車が止まったので、アスカは振り向いた。
「な、何よ、あんた達……」
 だが、振り向いたアスカを待ち受けていたのは、黒いスーツを着た男二人であった。
「惣流アスカ・ラングレーさんですね……我々とご同道願いたい」




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どうもありがとうございました!


第1話 終わり

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