僕は家から一歩出た途端、凍りついたかのように動きを止めていた。

家の前の道路にも歩行者用道路にも暴走トラックと惣流さんの影も形も無かったのだ。
登校している学生が数人 話をしているだけだったのだ。

「幻覚? そんなバカな……」


窓に映るは明日の影


第2話「そは己を映す鏡にあらず」



「おい シンジ どうしたんだ?」
父さんが家の中から僕の不審な行動を見て話しかけて来た。

「あ、うん……知り合いが通ったと思ったんだけど、勘違いだったみたい」
僕は咄嗟に嘘をついて照れ笑いをしながら家の中に入った。

「こんな話……信じて貰える訳も無い……」
僕はさっき見た幻覚と言うにはあまりにリアルな出来事を頭の中で反芻しながら、
前より格段に広くなった洗面所で顔を洗っていた。

「シンジ 目玉焼きは卵一つか?二つにするのか?」
おろしたてのタオルで顔を拭っていると、父さんがフライパンを手に顔を覗かせた。

「あ、一つでいいよ」
さっきあんな妙な事があった直後なので、食事が喉を通るかどうか解らなかったので
僕は少し控えめに申告する事にした。

「父さんが朝食当番の時はいつも目玉焼きだね 明日は僕がちゃんとした和食を作るよ」
夕食は、父さんがいつも戻るのが遅いので僕が作るのだが、
朝食は一応当番制になってるのだ もっとも日を決めてる訳じゃ無いんだけど……

「問題無い カロリーは必要量摂取している……もっともおまえの作った味噌汁が食いたく
無い訳じゃ無いがな」 父さんはいつもの無愛想な表情だったが僕は少し嬉しかった。

「今日はトーストの上に乗せて貰おうかな」
僕は冷蔵庫から食パンを取り出して、2切れを厚めに切り分けた。

トースターに手際よく放り込み、焼き上がる頃には父さんが作っている目玉焼きも
出来上がり、僕は皿に乗せたトーストを手に父さんの元に行った。

「おまえは半熟がいいんだったな……」 父さんは目玉焼きの一つを僕のトーストの上に
乗せたが、もう一枚の目玉焼きを乗せたフライパンは再び火にかけていた。

「また、完全に固まるまで焼くの?」 僕は少し呆れながら父さんの仕草を見ていた。
「学校があるんだろ 先に食べてていいぞ」
父さんは照れ隠しなのかぶっきらぼうに食卓の方を指差して言った。

「うん そうするよ」 僕は食卓についた。
「あ、このポテトサラダ美味しい! 父さんが作ったの?」
「……近くに住んでる知り合いが持って来てくれたんだ……」
「へぇ わからないぐらいにマスタードを混ぜてるね 父さんの好みだなぁ」
僕はこの料理を作ったであろう人の顔を思い浮かべた。

死んだ母さんが大学で助教授をしていた時の教え子で、
現在は高名な物理学者として知られている赤木リツコ博士だ……
もっとも、医学を含めて学問と言う学問には片っ端から手を出して、
それぞれの分野で普通以上の成功をおさめている凄い人なんだ。
あえて言えば物理が一番好きだとかで、自称物理学者なんだってさ

30過ぎてるし、あちこちから見合いの話も持ちかけられてるのに、
何故結婚しないんだ? なんて鈍感な父さんがいつも言ってるんだよ……

僕は別に気にしてないのに……それとも本当に父さんは気づいて無いのかな
けど、お母さんと呼ぶには若すぎるような気もするけどね……

僕はそんな事を思い浮かべながら朝食をとっていた。


「やだ、今日は遅くなっちゃったなぁ」
窓の外を惣流さんがぶつぶつ言いながら早足で通って行くのを見て、
僕は心から安心した……さっきのはただの幻覚だと確信出来たから……

「何で毎日あんなに朝が早いんだろう……今日だって駆け足だし……」
僕は惣流さんの事を何も知らないって事を再確認してしまった。

クラブ活動をやってるって話も聞かないし、クラス委員でも無いし……
どうして、あんなに毎日早くに学校に行くんだろう……

考えれば考える程に彼女の事をもっと知りたいと言う衝動に駆られてしまっていた。

「おい、シンジ……いくら近くなったからと言っても、そろそろ出かけないと遅れるぞ」
考え事をしている間に正面に座っていた父さんが固焼きの目玉焼きをハシで千切りながら
時計を見て言った。

「わ、まずい じゃ行って来るね」
僕は学生鞄をひっつかんで家を飛び出た。

僕はその時、蒼い何かを見た……

ごっち〜ん

家を飛び出た瞬間 僕はおでこを何かにぶつけてしまったのだ。
「あいたたた……あっ」 僕は通りがかった女の子にぶつかってしまったようだった。
「ねぇ……君大丈夫?」 僕は道路にうずくまっている女の子に声をかけた。
「ごめんね……僕の不注意で……」
女の子が持っていた鞄から小物が零れ落ちていたので、僕は慌てて拾い集めた。

「いい……自分でやるから」
おでこを押さえて振り向いたのは同じクラスの綾波さんだった。
同じクラスとは言え、これまで実は一度も話した事が無かったのだ。
独特の雰囲気のせいか、綾波さんと休み時間に話をしている人など見た事が無かった。


僕が殆ど拾い集めていたので、綾波さんは僕が集めた小物を鞄に放り込んで立ち上がった。

「ここ……あなたの家なの?」 綾波さんは僕の家を軽く見上げて言った。


僕はクラスの誰もが話した事が無い綾波さんと話している事で、少し興奮していた。
「うん……つい最近引っ越して来たんだ……「先……行くから」
だが、話し終わる前に綾波さんは踵を返して学校に向かっていた。

「けどおかしいなぁ……綾波さんの額と僕の額が当る訳が無いんだけどなぁ……
唯一考えられるのは、僕の家の方を向いて立ち止まっていたと言う仮説だけだった。

「おい シンジ まだいたのか」
窓から顔を出した父さんを見て、僕は自分が今置かれている状況を思い出した。

「行って来ま〜す」」


「ぜぇぜぇぜぇれ」
僕はなんとか本鈴が鳴る前に教室に走り込む事が出来た。

「遅いな シンジ 家が近くになったんだろ?」
同級生で、結構仲のいい、ケンスケが僕を見つけて声をかけて来た。
「うん……ちょっとね」
僕は教室の窓際の席に綾波さんがすでに座っているのを確認した。

「おい どうしたんや 綾波なんか見つめてもうて」
すぐ近くの席にいる これまた仲のいいトウジが声をかけて来た。

「ん? 綾波と何かあったのか?」
ケンスケはメガネを光らせて近づいて来た。
「いや……家の前でぶつかっちゃってね……初めて話をしたんだ」
「ほんまか? 綾波が口開いた所、ワシ見た事無いで」
「何言ってるんだよ 授業で教科書読んだりしてるじゃ無いか」
ケンスケが至極当然の事を言ったが、僕とトウジはきょとんとしていた。
「そういえば、その筈だけど、記憶が無いなぁ……」
「ああ ワシもや……まぁ、存在感が薄い奴っちゃからのぉ」

「おい 先生が来たぜ」 ケンスケがトウジに声をかけ、二人は素早く席についた。


ホームルームが終わり、そして一時間目の授業が始まった。

一時間目は国語で、僕たちは代わる代わるに和詩を朗読していた。
前回は出席番号が終わりの方からだったので順番が一巡し、再び出席番号が
若い順に朗読する事になった。

「では、次 相田ケンスケ」
出席番号一番のケンスケは不承不承立ち上がり、所々つっかえながらも朗読していった。
「では、次 碇シンジ」
僕は呼ばれて驚いた 何故なら僕の出席番号は三番で、綾波さんが出席番号二番だからだ。

「ん?碇 いないのか?」
「あ、います」 僕は慌ててページを一枚めくって自分の担当の所を朗読した。

綾波さんがいるのに、どうして飛ばして僕を呼んだんだろう……
僕はそんな疑問を抱えつつ 今日の授業を消化していった。


そして翌朝……僕は昨日の事があったので、窓の向こうを見る事が恐くなり、
カーテンで覆い隠して着替えを済ませた。
今日は自分が食事当番する事にしていたので、僕は鞄を手に階段を降りた。

玄関の脇に鞄を置き、いつでも出かけられるようにしておいて、
僕は朝食を作りはじめた。
もっとも昨夜の内からタイマーでセットしておいたので、ご飯は炊けているので、
みそ汁とおかずを二品ばかり作る程度なので、僕は手際よく朝食の準備を進めていた。

「みそ汁はOKと……ニラ豚はもう少し炒めようかな……」
料理に没頭していた、その時……トラックの走る音が鳴り響いて来た。

「ま、まさか!」
僕は手早くニラ豚を炒めていたフライパンへの火を消して表に飛び出した。

昨日窓の向こうに見た暴走トラックが、今まさに進路がずれて歩道にはみだしつつあった。

「惣流さんは……いた!」 惣流さんはまだ背後の暴走トラックに気づいていないようで、
何か考え事をしながら歩いていた。

「惣流さん 危ない!」 僕は昨日伝えたくても伝えられなかった言葉を叫んだ。

「え?」
惣流さんは振り向いたが、すぐに身体は動かず 少しして逃げ出そうとしたが、惣流さんは
昨日窓の向こうに見た通りに暴走トラックの前で足をからませて転んでしまったのだ。

暴走トラックはもう目前までに近づいていた。

僕は自分の危険を考えると言う事すら忘れて、惣流さんの元に走り寄った。

「早く!早く逃げて 惣流さん!」 僕は彼女の手を引いて立ち上がらそうとしたが、
惣流さんはパニックのせいか、少し放心状態と化していて、このまま惣流さんが立ち上がる
のを待っていては、二人ともトラックに轢かれると思い、そして瞬時に決断した。

「惣流さん ごめん!」
僕は惣流さんを両手で抱きかかえて、暴走トラックの進行方向と逆の方向に惣流さんを
抱きかかえたまま、自分が下になるように飛び跳ねた。

キキキキキー ドン

ようやく運転手が目を覚ましたのか、ブレーキ音が鳴り響き、
そして何かにぶつかる音がした。

僕は、惣流さんを身体全体で保護したまま、抱きかかえていた。

「助かった……のかな」 舞っていた砂ぼこりが収まった頃 僕はようやく目を開けた。

「ちょっと……どこ触ってるのよ」 僕は惣流さんの声でようやく正気に戻った。
「へ?」
「へじゃ無いわよ その手を離しなさいよ 汚らわしい!」

僕はそろりと首を動かして、僕が胴体だと信じて掴んでいたものを凝視した。




君が窓の向こうに見る風景……今日のものだと……言い切れる?








御名前 Home Page
E-MAIL
作品名
ご感想
          内容確認画面を出さないで送信する


どうもありがとうございました!


第2話 終わり

第3話 に続く(と思う)


[第3話]へ

[もどる]