「あっ……」
惣流さんに食べて貰う為に作ったわらび餅が目の前で踏みにじられているのを見ている内に
心の奥から怒りの想念が沸き上がって来るのを感じたが、僕は慌てて自制した。

「俺は春日 こいつは未神だ……文句があったらいつでも来な」
二人は怒りを押さえかねている僕の前を背を向けて悠々と歩いていった。

「くやしいかい?……それなら、手を貸してあげるよ……」
その時、昨日感じたのと同じように頭の中で何者かの声が響いた。


窓に映るは明日の影


第7話「誘惑


「手を貸す?」
僕は頭の中から聞こえて来る声に問いかけた。
「そうさ 君に酷い事をした彼らに罰を与えたいとは思わないかい?」
甘美な誘惑だった 一瞬 彼らが不可視の刃に切り裂かれる処を想像してしまった。

「そんなの……必要無いよ 憎しみに憎しみをぶつけても……解決するもんか……」
僕はその甘い誘惑に一瞬我を失いかけたが、何とか自我を取り戻した。

「あら、シンジ君 どうしたの? そんな処で突っ立って」
背後から書道部 部長の芦名さんに声をかけられて僕は我に帰った。

「あ……うん 何でも無いんだ」
僕は咄嗟にごまかそうとした……

「何でも無いって顔じゃ無いわよ それにこれどうしたの?
きな粉の代わりに砂がくっついてるわよ」
芦名さんはさっき踏みにじられたわらび餅を指差して言った。

「うん……ちょっと転んじゃってさ」

「怪我とか無いの? 大丈夫?」

「う……うん」
僕の事を心配してくれる芦名さんにウソをついた事を後悔した。

「これにでも入れて捨てたら?」
芦名さんは鞄の中から書道用紙を入れるビニール袋を取り出した。

「ありがとう……芦名さん」
僕は芦名さんに頭を下げて、砂まみれになったわらび餅をビニール袋に詰めた。

「じゃ、今日はわらび餅はナシね また今度作って来てね」
甲子園の砂ならともかく校庭の砂など入れて嬉しい訳では無かったが、
芦名さんの心づかいが僕には嬉しかった。

「HRまで5分よ 教室行きましょ」
ゴミ箱にビニール袋を放り込むと、芦名さんが僕を待っていてくれた。

「うん……」

だが、その時校舎の二階から僕たちを見つめる視線があった事に僕は気づかなかった。

教室の扉を開けると、
HRまであと数分あるにも関わらず半数程の生徒がすでに席についていた。
もっとも本来の自分の席で無く、友達の隣の席に座って雑談する者の方が多かった。

僕は無意識の内に惣流さんの席を見たが、その席は空いていた。

「ねぇ、アスカ……聞いてるの? だから明後日の日曜日でいいの?」
僕は芦名さんと別れて自分の席に着こうとした時、委員長の洞木さんの声が耳に入った。
「?」
僕は委員長の席のある窓際の席の方にそっと振り向いた。


惣流さんが委員長の前の席の椅子に腰かけて、物憂げな表情をしていた。

僕はそっと自分の椅子を引き椅子に座った。 だが僅かに音を立ててしまっていた。
普通なら誰も気にしないだろうこの音に一人だけ反応した。

「明後日の日曜ね 分かったわよ デートに行けばいいんでしょ」
惣流さんが一瞬こっちの方を見たかと思うと、再び洞木さんの方を向いて言った

「ほんと? もうお姉ちゃんの友達に頼まれてて断りにくかったのよ
場所は 新しく出来た遊園地 今度の日曜の9時でいいわね」


僕はその会話を聞くとも無しに聞いてしまっていた。

「惣流さんとデート……誰が?」
少しして惣流さんが僕の斜め前の席に着いたが、僕はその事に気づかず考え続けていた。


少しして葛城先生が来てHRが始まり、僕は授業に集中しようと決心した。


いつしか3時限目になっており、数学の先生の昔話が始まり、
僕は否応無く今朝の洞木さんと惣流さんの会話を思い出してしまった。

惣流さんと遊園地でデート……誰かが遊園地で楽しそうに惣流さんとデートしている
姿が頭に浮かぶと、僕は胸が苦しくなるのを感じた。

一瞬自分が遊園地で惣流さんとデートしている姿を思い浮かべたが、
数秒後にはこれまでに無い程の胸の痛みが襲い、目には涙が滲んだ。

もう、この事について考えるのは止めようと決心した時、3時限目終了の鐘が鳴った。

僕は顔でも洗おうと思い、教室を出た。

少しほてった頬に冷たい水が心地良く、僕は何度も何度も顔を洗った。

「えと ハンカチハンカチ……」 僕は塗れた手でズボンのポケットに手を突っ込んだが、
今朝入れて来るのを忘れたのか、財布しかポケットには入っていなかった。

「何やってんのよ この馬鹿……」
その時 背後を通りかかった誰かがそっとハンカチを差し出した。

睫が水に濡れていて最初視界が定かでは無かったが、
忘れもしない惣流さんの声を聞き、僕は差し出されたハンカチで目元を拭いた。

「その……ありがとう」
「いいからとっとと顔拭きなさいよ みっともないわね……」
「うん……」 僕は顔を拭きおえて、ハンカチを見た
ハンカチは水を吸い込んでおり、このまま返すのを躊躇った。

「これ……洗濯してから返すよ かなり濡れちゃったし」
僕は惣流さんのタータン調のハンカチを折り畳みながら言った。

「いいわよ ハンカチなんて拭く為にあるんだから……
ま、どうしてもそうしたいって言うんなら、それでもいいけど……」
惣流さんは普段に無く、少しもじもじしながら言った。

「言っとくけど、ヒカリが行けって言ったんだからね……」
照れ隠しにか惣流さんは顔を少し背けて言った。

どうやら洞木さんに涙を見られてしまっていたようだ。

「今朝……どうして言い返さなかったの?」
僕は何と答えようか迷っていると、惣流さんが唐突に問いかけて来た。

「今朝?」
「未神と春日によ……」
「見てたの?」
「質問に答えなさいよ……あんた侮辱されたのよ どうして言い返さないのよ
アメリカじゃそんな奴は負け犬以下なのよ……そんなのが私の……はっ」
惣流さんは語尾を濁らせたかと思うとその場を走り去った

「惣流さん……」 僕はどう受け止めていいか判断に苦しんでいた。

「そうだ……わらび餅……」
僕はわらび餅の事を思い出して購買に走った。

「あと2分か……間に合うかな」
僕は購買で惣流さんに渡すわらび餅を入れる容器を選んでいた。

「これ、下さい」 蓋の出来る小さいタッパーを僕は手にして言った。


昼休みになり、教室にいる生徒の人数がかなり減った頃、
僕は気づかれないように、書道部に持って行くつもりだった分のわらび餅の中から
二人分程を小さいタッパーに移しかえた。

悩んだ末に僕はそのタッパーを惣流さんの机の引き出しに入れる事にした。
昼には間に合わないがおやつに食べる事もあるだろうと思っての事だ。

生徒が皆食事に夢中になっている時、僕はトイレに行くふりをして惣流さんの机の横
を通り過ぎる時に、さっとさりげなく惣流さんの机にタッパーを入れる事に成功した。

午後の授業が始まる時に惣流さんが教科書を取ろうと手を机の引き出しに手を伸ばした時、
表情を変えるのを見て、僕は安心した。

午後の授業の間 僕は惣流さんがわらび餅を食べる時の表情を思い浮かべていて、
少し授業への集中度を欠いていたが、ノートだけはきちんと取っていた。

HRが終わり、僕は葛城先生の処にわらび餅を届けて、荷物を取りに教室に戻っていた。
そして、教室の扉を開けようとした時、中から洞木さんと惣流さんの話し声が聞こえた。
他に生徒はもう残って無いようで、洞木さんと惣流さんの言葉は明瞭に聞き取れた。

「ねぇ、明後日の件 本当にいいの?」
「どうして、そんな事聞くのよ……」
「碇君の事よ……このわらび餅だって碇君に作って貰ったんでしょ?」
「そりゃそうだけど……それとこれとは……」
「ほんっとうにいいのね?」
「ヒカリ……くどいわよ」
「じゃ、明後日 二子山ランドに9時 忘れないでよ」
「わらび餅も食べたし、かえろ ヒカリ」
「碇君に……フォローしときなさいよ」
「私はアイツと何の関係も無いんだから……」
「はいはい けど今日の事もあるし……」

僕はここまで聞いていて、いたたまれなくなって、
足音の事も忘れて走り去った。

僕は鞄を教室に置いたまま学校を出た。
二階の教室から見えない出入り口を使い、僕は家に帰り着いた。

「はぁはぁはぁ」
僕は胸の動悸を押さえる為、冷蔵庫に入っていたスポーツドリンクを一気飲み干した。

そして、少し落ち着いた頃 後悔の念が巻きあがって来た。
何故、足音を立てずにそっと去らなかったのか……あれではあてつけだ……
まるで小学生のようなふるまいをしてしまった事を僕は恥じ入った。

だが、明日からの土日は連休なので、すぐに惣流さんや洞木さんに顔を合わせる事が
無い事が唯一の救いだった。

「夕飯の準備しなくちゃ……」
僕は制服を脱いで料理を始めようとしていた。

その時、玄関に設置してあるチャイムの音が鳴り響いた。

「はーい」 僕は父さんかリツコさんだと思い、玄関を開けた。

だが、玄関には誰も立っていなかった。

「子供の悪戯かな……ん?」 扉の脇に学生鞄が置かれているのに僕は気づいた。

「これは……僕の鞄だ……」 僕は鞄を開けて中を見た。

鞄には今日買ったタッパーが上の端に置かれていた。

「惣流さんが……」 僕は恐る恐るタッパーの蓋を開けた。
タッパーは奇麗に洗われており、中には一枚に紙切れが入っていた。

その紙切れを見て、僕はつい涙ぐんでしまった
その紙切れにはこう書かれていた。

『今度作り方教えなさいよ』

土曜日は引っ越しの時の荷物の整理等であっと言う間に終わり、
風呂に入ってベッドに横たわった時、明日の事を思い出した。

「デートか……はぁ」 
僕はベッドの上で惣流さんと誰かの事を考え、寝つけぬ夜を過ごした。


そして日曜日……午前九時……

「どうして、ここに僕がいるんだろう……」
僕は二子山ランドのゲート前に一人佇んでいた。




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どうもありがとうございました!


第7話 終わり

第8話 に続く!


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