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十五の秋・前編
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<教室>
6時間目の社会の時間、このクラスの担任教師でもあるミサトは先日行われた3年生
2学期中間テストの答案を返そうとしていた。
「惣流さん。」
「はい。」
ミサトに呼ばれたアスカは、答案を受け取りに教卓の前まで歩み出る。
「さっすがね、また100点よ。」
「当然よ。」
アスカの秀才ぶりは有名で、この中学ではダントツトップ。全国模試でも何度か
トップを取ったことがある程だった。
「じゃ次はぁ、鈴原くんね。」
「はぁい。」
ぶすぅっとした顔をしながら面倒くさそうに立ち上がったジャージ姿のトウジは、
のろのろと教卓の前に出て行く。
「鈴原くん? こんな点数ばかりじゃ高校行けないわよ。」
「はぁ〜。」
「しっかりしなさいよ。」
「次はがんばりますさかい、みとって下さい。」
「そう? じゃぁ次に期待することにするけど、この2学期が正念場だから本当に
がんばるのよ。」
「はぁい。」
全ての答案を返し、答え合わせが一通り終わると、丁度授業終了のチャイムが鳴った。
「それじゃ、授業はこれで終わるわね。惣流さんは、ちょっと話があるから掃除が
終わったら職員室まで来てちょうだい。」
「はーい。」
こうして今日の授業も全て終了した。アスカはミサトに言われた様に掃除が終わると、
職員室へ向かう。
<職員室>
「失礼しまーす。」
挨拶と共にアスカが職員室に入ると、理科の教師であるリツコと入り口でばったりと
鉢合わせした。
「あら、惣流さん。またトップですってね。」
「当然でしょ。」
「あなたには言う必要も無いでしょうけど、もうすぐ受験だからがんばってね。」
「まっかせなさい。」
1言2言の何気ない会話をしたアスカは、リツコと別れミサトの元へと向かう。
おそらく呼ばれた理由は、この前提出した希望進路のことについてであろう。
「よく来たわね。伊吹先生はいないみたいだから、そこに座って。」
「はい。」
英語の教師でありミサトやリツコの学生時代の後輩でもあるマヤの椅子を引き出した
ミサトは、自分の前に持って来るとアスカに座ることを促す。
「進路のことなんだけど、あなたの成績なら第2新東京大学付属高校っていうのは
わかるわ。」
第2新東京大学というのは、20世紀でいう東京大学のことであり、第2新東京大学
付属高校は2010年に設立された日本で最高峰に位置付けられる高校である。
「はい。」
「でも、どうして医学専門コースなの? あなた、英語とかドイツ語とか語学系が
好きなんじゃなかったっけ?」
「日本では、東大付属の医学専門コースの偏差値が一番高いからよ。大丈夫、受かって
みせるわ。」
自信満々で答えるアスカだが、その理由を聞いたミサトは眉をひそめてちょっと渋い顔
をしてしまう。
「うーーん。受からないって言ってるわけじゃないの。ただ進路ってね、そういう
決め方をするものじゃ無いと思うんだけど?」
「トップの高校へ行って、トップの大学へ行って、アタシの実力を見せるのよ。」
「語学系だってあの高校ならすごいわよ。」
「でも、トップじゃないわ。」
「トップ、トップって言うけど・・・、じゃ大学出た後はどうするの?」
「一流の企業か一流の病院に就職するの。」
「そう・・・。まぁ、それも生き方かもね。先生としたら、ちょーーち寂しい気がする
けどわかったわ。あなたの将来ですものね。進路はこれで進めておくわ。」
「お願いね。」
進路相談が終わり職員室を出たアスカは、今日予定していた勉強をしようと図書室へ
向かう。勉強は自分でするものだという信念を持っているアスカは、塾などには通わず
学校の図書室か市営の図書館で勉強することが多い。
<図書室>
さすがに受験シーズンもそろそろ山場にさしかかってきたので、図書室では3年生が
勉強をしている光景があちこちで見られる。
「あ、アスカ。一緒に勉強しましょ。」
アスカが図書室に入ると、クラスメートであり親友でもある学級委員長のヒカリが声を
かけてきた。
「ええ、いいわよ。」
「助かったわぁ。アスカと一緒だと勉強がはかどるのよねぇ。」
「あそこの空いてる席に座りましょ。」
「そうね。」
アスカとヒカリは窓際の席に座り、勉強道具を広げ始めた。学校で習ったことを確実に
復習して頭に入れていく堅実なヒカリと、ひたすら問題集を解いていく実戦派のアスカ。
「惣流。 ちょっと、ここ教えてくれないかな。」
アスカが問題集を解いていると、同じクラスのケンスケが問題集を持って近寄って来た。
友達から勉強について聞かれると、アスカはいつも嫌な顔をせずわかりやすく丁寧に
教えてあげる為、生徒からも先生からもある種尊敬される存在であった。
「いいわよ。ここは、こうやってね・・・。」
さらさらと、要点を的確にまとめて説明する。
「あっそっか。さっすが惣流だな。」
そんな様子をヒカリは蚊帳の外から見守っていたが、どうやら説明が終わったようなの
で会話に加わって来る。
「相田君はどこの高校へ行くの?」
この時期、やはり中学3年生の関心事は誰しも受験と進路の事になるようで、ヒカリは
何気なくケンスケに聞いてみる。
「俺は、第3新東京中央高校が本命だな。」
「すっごーーーい。わたしは、第3新東京西高校くらいが限界だわ。」
「西高と中央高じゃあまり差が無いよ。惣流の東大付属とじゃ天と地の差があるけどな。」
「そりゃ、アスカは別格よ。」
「それじゃ、そろそろ俺も勉強してくるよ。」
「がんばってね。」
ヒカリもケンスケに小さく手を振ると、アスカの横に座り勉強を再開し始めるが、何か
気になることでもあるのかシャープペンシルを持つ手が動かない。
「ねぇ、アスカ?」
「なーに?」
問題集を解くノートから視線をそらさず、アスカは声だけで答える。
「鈴原って、ちゃんと勉強してるのかしら?」
「トウジ? さぁ、アイツは昔っからそういうの嫌いだったからねぇ。」
「でも、このままじゃどこの高校も行けないんじゃないかなって・・・。」
「アイツはアイツなりに考えてるんじゃないの? ヒカリが心配することじゃないわよ。」
トウジと幼馴染であるアスカは、あまり気にする様子も無くさらさらと問題を次から
次へ解きながら、適当に話を合わせるが・・・
「そういうわけにはいかないのよ!!!!!」
突然ヒカリが、大声を出して立ち上がったので、びっくりしたアスカはシャープペンシル
を持つ手を止めると、きょとんとしてヒカリの見上げた。
「ど、どうしたの? ヒカリ?」
図書室中の視線が自分に集まっていることに気づいたヒカリは、周りに頭をペコペコと
下げて再び席に付き、今度は小声で話始める。
「ごめん・・・ちょっと鈴原のことが心配でイライラしてたから・・・。」
「ふーーーん。もしかして、ヒカリ・・・。」
「ち,違うわよ! べつにわたしはぁ・・・。」
「そっかぁ。あのトウジをねぇー。」
「だから、そんなんじゃないんだって・・・。」
ヒカリはうつむいたまま顔を真っ赤にしている。
「じゃ、今度一緒に勉強したら?」
「え? そ、そんなこと・・・できないわよ。」
「あら、トウジの進路のこと心配してるってのは嘘なの? 本当に心配してるんなら、
ちゃんと勉強を教えてあげなさいよ。それも委員長の仕事なんじゃないかしら?」
クスっと笑いながら、赤くなったヒカリを見つめる。
「そ、そうね。クラスの委員長だもんね。」
「アタシが、言っといてあげるわね。」
「・・・・・・・・アスカ・・・。」
「ん?」
「・・・ありがとう・・・。」
その後はあまり雑談も無く図書室が閉まるまで、2人は勉強に集中して時間を過ごして
いくのだった。
<教室>
翌日の朝のホームルーム。
「昨日言い忘れてたんだけど、今日転校生が来てまーーす。」
いつものことではあるが、大事なことを言い忘れていたことに対する悪びれなど無く、
明るい調子でさらりと言うミサト。
「えーーーーーーー、転校生!?」
「受験の間近に転校なのぉ?」
「この時期に転校するなんて、大変だなぁ。」
この中学は校区が良いこともあり、公立ではあるものの進学校に入る。今から転校して
きて勉強についていけるのだろうかという心配と、自分達は他の中学の生徒より成績が
良いのだという自意識が、そのセリフに伺える。
「はーーい、静かにして。じゃ、碇くん入ってきて自己紹介してちょうだい。」
ガラリと教室の扉が開き、新品の第3新東京中学校の制服を着たシンジが教室に入って
来た。
「碇シンジです。第2新東京中学校から転校してきました。あの・・・そんなとこです。」
「終わり?」
「はい・・・。」
「あっさりした自己紹介ねぇ。じゃぁ、みんなも名前だけでいいから端から順に自己
紹介していってくれる?」
ミサトに言われて、端から順に自分の名前を言っていく生徒達。そして、アスカの番と
なった。
「惣流・アスカ・ラングレーです。よろしく。」
アスカの自己紹介が終わるのを見たミサトは、シンジを見ながら口を少し挟む。
「彼女ってものすごく成績がいいの。こんな時期に途中から転校してきて大変でしょう
けど、勉強でわからないことがあったら惣流さんに聞くといいわ。」
「はい。」
そして、ホームルームも終わり1時間目の理科の授業が始まった。リツコの授業は
厳しいので、普段以上に静かに聞く生徒達。
「碇くん、次の問題解けるかしら?」
「はい。」
リツコに当てられたシンジは黒板の前まで歩いていくと、さらさらと問題を解いてみせる。
「正解ね。前の中学ではどこまでやってたのかしら?」
「だいたい同じくらいです。」
「そう。なら馴染み易くていいわね。」
「はい。」
そうこうしながら、特に問題も無くその日の授業は全て終了し放課後。アスカはいつも
の様に、図書室へ行こうと廊下を歩いていた。
<廊下>
♪♪♪♪♪♪〜〜。
ふと音楽室の前を通りかかった時、チェロの音色が聞こえてくる。いつも図書室へ行く
途中、音楽室の前を何度も通っているが、こんなことは今までには無かったので、興味
を持ったアスカはちらっと中を覗いて見た。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
あの子、今日転校してきた碇シンジって子じゃない。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
よどみ無く流れるチェロの音色。素人のアスカが聞いてもかなり上手いことがわかる。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
そして演奏が終了。
パチパチパチ。
音楽室の扉を開けたまま、チェロの音色に聴き入ってしまっていたアスカは、思わず
拍手していた。
「なかなかいけるじゃない。」
「あ、えっと、惣流さんだっけ? 聴いていてくれたの?」
「ちょっとね。なかなか良かったわよ。」
「あはは・・・ありがとう。」
「それじゃ、アタシは図書室へ行かないといけないから。じゃね。」
「うん。」
音楽室から離れたアスカが廊下を歩き出すと、再び音楽室からチェロの音色が流れ始める。
アイツ、勉強もしないで何やってるのかしら?
ふと疑問に思ったアスカだったが、あまり気にせずヒカリと待ち合わせをしている
図書室へと歩みを速めるのだった。
<屋上>
翌日の昼休み、屋上でアスカはヒカリと一緒に弁当を食べていた。
「ねぇ、ちょっと見てよ。」
ヒカリが屋上からグラウンドの方を指差す。その先には、2年生の後輩とバスケット
ボールをして遊ぶトウジの姿があった。
「鈴原、高校行く気無いのかしら? まだ、進路も提出してないみたいだし。」
「しょうがない奴ねぇ。ヒカリも勉強の教えがいがあって良かったわね。」
「もう、冷やかさないでよ。」
「でも、まだ進路を提出してない奴がいたとはねぇ。ミサトも大変だわ。」
「わ、わたしもまだなの・・・。」
「えーーーーーーーーーーーー!? どうしてよ!???」
きっちり屋のヒカリらしくないセリフにびっくりしたアスカが、ヒカリの顔を覗きこむ
と顔を赤くしてうつむいてしまった。
「ア、アンタ、まさか鈴原と・・・。」
コクリとうなずくヒカリ。そんなヒカリを見たアスカは、やれやれといった感じで顔を
背けるとげんなりした表情で大粒の冷汗を流す。
「それじゃ、早めに勉強会のお膳立てしないといけないわね。このままじゃ、ヒカリ
まで中学浪人になっちゃうわ。」
「ごめんね。」
「いいって、いいって。親友のたっての頼みだものね。」
受験戦争真っ只中の2人だが、勉強の話や恋の話に華を咲かせながら一時の休息を
楽しんだ。
ん? アイツ・・・。
もうすぐ昼休みが終わろうかという時、ふと屋上から校舎を見たアスカは音楽室に視線
を集中する。
「ちょっと、ヒカリごめんね。」
「どうしたの?」
「用事を思い出したの。先に行くわ!」
「あ、アスカ?」
アスカは、大き目のハンカチに包まれた小ぶりの弁当を手にすると、タッタッタっと
リズミカルに階段を駆け下りて行った。
<音楽室>
♪♪♪♪♪♪〜〜。
また、チェロの音色だ・・・。
音楽室をそぉっと開けると、そこには目を閉じ1人でチェロを弾いているシンジの姿が
見える。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
アイツ・・・昼も放課後もチェロばかり弾いてるのかしら?
その音色に耳を傾けていると、昼休み終了の予鈴がチェロの音を遮る。
キーンコーンカーンコーン。
その音はシンジの耳にも入った様で、演奏会はそこで幕切れとなりチェロをケースに
しまい始めた。
パチパチパチ。
「あ、また聴いててくれたんだ。」
拍手の音のする方向にアスカを見付けたシンジが、くったくの無い笑顔でアスカに
微笑みかける。
ドキッ!
なぜか、その笑顔に強い衝撃を覚えるアスカ。
「ね、ねぇ、何歳からチェロを始めたの?」
「うーーん。物心ついた時からかな。」
「継続は力かぁ。上手いものねぇ。」
「最初は父さんに言われて嫌々だったんだけどね。最近は1日6時間くらい弾いても
弾き足りないと思うよ。」
「アンタ、家に帰ってからもずっとチェロ弾いてるの?」
「うん。そうだけど?」
「もうすぐ受験なのよ? 勉強しなくていいの?」
「宿題くらいはやってるよ・・・あ、もう教室に戻らないと、授業が始まるよ。」
「え? あ、本当だ!」
時計を見ると、何時の間にか授業開始の1分前だった。
「このチェロって音楽室の借り物だから、片付けてから行くよ。先に教室に戻ってて。」
「そう。それじゃ先生が来たら、トイレに行ってるって言っといてあげるわ。」
「うん。ありがとう。」
シンジがチェロを片付け始めたので、アスカは弁当箱をガチャガチャと振りながら、
教室へと走り戻って行った。
<アスカの家>
アイツ、1日中チェロ弾いてるって言ってたなぁ。
その夜アスカは、この時期に勉強もせずチェロを弾く少年のことが気になり勉強が手に
つかなかった。
そんなの、高校へ行ってからでもいいじゃない。どうして、今の時期にチェロなんか
弾くんだろう?
なぜ気になるのかわからないが、アスカの頭からチェロの音色とその少年の透き通る様
な笑顔が一時たりとも離れないのだ。
あの子の笑顔、綺麗だったなぁ・・・なんか、あんな風に笑う人って始めて見たかも
しれない。どうして、あんな風に笑うことができるんだろう?
ちょっと鏡に微笑んでみる。鏡に映る笑顔のアスカが、自分を見つめている。
やっぱり、違うのよねぇ。こんな笑顔じゃない。
いろいろ表情を変えて、笑顔を作ってみせるがあの透き通る様な、笑顔はどうしても
作れない。
ん? ア、アタシ・・・何してるんだろう・・・。
我に返ったアスカは、ブンブンと首を横に振って問題集を取りだし、シャープペンシル
を握ると机に向かった。
・・・・・・・・・・・。
しかし、そのシャープペンシルはいつもの様に軽快にノートの上を走って行こうとは
しない。
勉強もしないで、どうしてチェロなんかを毎日・・・。
今までにはそんなことは一度もなかった事だが、結局その日は1問も問題を解かずに
アスカはベッドに潜り込んでしまうのだった。
●
<通学路>
夕方になり図書室も閉まったので、アスカは何冊か高校の参考書を借りて家路について
いた。
ん? トウジ?
堤防の上を歩いていると、制服のままぼーっと土手に寝そべり夕日を眺めているトウジ
の姿をみつける。
「ちょっと、アンタ。こんな所で何してんのよ!?」
「なんや、アスカかいな。」
スカートを翻しカバンを振りまわしながら、ざざっとトウジの寝そべっている所目掛け
て勢い良く堤防を駆け下りて行くアスカ。
「さっさと家に帰って勉強しなさいよ! 次のテストでは良い点数を取るってミサトと
約束したんでしょ?」
「ほやけどなぁ、勉強しようと思って問題集開いてもさっぱりわからへんねや。やっぱり
ワイには無理なんやで。ワイが勉強嫌いなんは、よう知っとるやろ?」
そのトウジの言葉を聞いてシメタ!と思ったアスカは、この機会にうまくヒカリと
勉強する口実を作ろうと考える。
「それじゃ、ヒカリに勉強教えて貰いなさいよ。ヒカリもアンタのこと心配してて、
教えてあげてもいいって言ってたわよ。」
「ほんなん、別にええわ。」
「いいことないでしょ!? 勉強の虫にならなくてもいいけど、せめて高校くらいは
行かないとまずいんじゃないかしら?」
「そんなに心配してくれるんやったら、アスカが教えてくれたらええんちゃうんか?」
「そ、それはダメよ。ヒカリが折角教えてくれるって言ってんだから。」
「クラスの連中には親切に教えとんのに、なんでワイだけ委員長に聞けっちゅーんや。」
「それはぁぁー・・・・・・。」
変な方向に話が進み始めたので、言いよどんでしまう。
「ワイみたいなアホには、教えとうないんやろ。悪かったのぉ、こんなアホな幼馴染
もってもうて。」
「このアタシがそんなこと言うと思うの!?」
「ほんじゃ、アスカが教えてくれてもええやないか。」
親友の願いを叶えてやりたいアスカは、なんとか2人を一緒に勉強させる口実を考える
が良い案が出てこない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やっぱり、ヒカリとやるべきよ・・・。」
「なんで、そんなに委員長と勉強させたがるんや?」
「だから・・・その・・・だから・・・・・・・・・・。
ヒカリは、アンタのことが好きなのよ・・・。」
もう、下手な小細工ではどうにもならないと思ったアスカは、言っていいものかどうか
少し悩んだ挙句、ヒカリの気持ちを素直に打ち明けることにした。
「え・・・。」
まさかのセリフに、言葉を失うトウジ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
2人の間に、なんとも言えない沈黙が流れる。
「あ、あの・・・・・ト、トウジもあのヒカリに好かれるなんて幸せ者だわね〜。」
雰囲気が重くなりかけたので、冗談半分にアスカがトウジのことを冷やかすと、照れた
トウジは顔を赤くしてあらぬ方向に目を向けた。
「ア、アスカは、好きな奴とかおらんのか?」
照れ隠しもあるのか、しどろもどろに自分から話題をそらそうとするトウジ。
「えっ・・・!?」
その時、ふっとアスカの脳裏にシンジの笑顔が浮かんだ。まだ会って間も無い、ほとんど
話もしたことの無い少年の顔が・・・。
:
:
:
「ほんじゃ、ワイ帰るわ。」
アスカが気づくと、既にトウジは土手の上に駆け上がった後だった。
・・・・・・・・・。
アスカもゆっくりと土手を登り歩き出す。
・・・・・・・・・。
トウジのこと、ヒカリのこと、そしてシンジのことをぐるぐると考えながら、アスカは
ゆっくりと家に帰って行った。
<音楽室>
それから数日が経ったある土曜日の昼下がり。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
クラスの仲間が塾や図書室で勉強を始めた頃、シンジはいつもの様に音楽室でチェロを
弾いていた。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
演奏が終了する。
パチパチパチ。
拍手の音がした方向を見ると、やはり音楽室の入り口に立つアスカだった。これで、
アスカに拍手をして貰ったのは3回目だ。
「ここで会うのは久しぶりだね。」
「勉強で忙しかったからね。アンタ、毎日チェロばかり弾いてるけど、勉強はしなくて
いいの? もうすぐ受験よ。」
授業中のシンジの様子を見ていると、勉強は平均以上にはできるようなので、高校を
あきらめ開き直って遊んでるとは思え無い。アスカは、最近悶々と悩んでいた疑問を
直接シンジにぶつけてみる。
「あぁ、ぼくは高校に行くつもりないから。」
「そうなの・・・え? えぇぇっっーーーー!!?」
アスカの周りで高校に行かないと言う者はいない。行かないじゃなく行けそうにない
人物なら1人いるが・・・。
「高校に行かないって・・・アンタ、中学出てからどうするのよ!?」
アスカは努力家だった。そして、その努力が今のアスカを形成しており、進学校である
この学校の誰からも尊敬される存在となっていた。しかし、自分が行ってきた努力とは
全く違う世界に目の前の少年はいるのだ。
「ぼくは、チェロが好きなんだ。将来はオーケストラに入ろうと思ってる。だから、
中学を出たらチェロの演奏者をやっている冬月叔父さんの所で修行をするんだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そ、そう・・・。」
♪♪♪♪♪♪〜〜。
シンジは、再び目を閉じると演奏を再開した。そんなシンジを、しばらくアスカは
見つめていたが、何かから逃げる様に走り出していた。
<アスカの家>
今日も勉強が手に付かず、ベッドで横になるアスカ。シンジにチェロを弾く理由を
聞けばすっきりすると思っていたが、逆にさらなる悩みがアスカを襲っていた。
『ぼくは、チェロが好きなんだ。』
シンジの言葉が脳裏を何度もよぎる。
アタシは、何がしたいの?
勉強?
『トップ、トップって言うけど・・・、じゃ大学出た後はどうするの?』
前にミサトが職員室で言った言葉が思い出される。
大学を出た後は、一流の・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
今まで疑ったことの無かった自分の生き方に、本当にそれでいいのだろうかという大きな
疑問符が頭をもたげかけている。
アタシは何がしたいの?
アタシは何の為に勉強しているの?
トップを取りたいから・・・。
何の為にトップを取りたいの?
人に認めて貰いたいから・・・。
何を人に認めて貰いたいの?
努力したこと? 通知票でオール5がついたこと?
『将来はオーケストラに入ろうと思ってる。』
再び、シンジの言葉が浮かび上がる。
アタシは将来何になりたいの?
考えても、何も出てこない。考えられるのは、第2新東京大学で学生生活・・・研究を
繰り返し良い成績を取る生活・・・をしている所までで、それから先が想像できない。
アタシの好きなことって・・・。
勉強? 違う・・・勉強は、何かをする為に知識をつけてるだけ・・・じゃあその何か
って・・・いったい何?
その時、シンジの透き通る様な笑顔がアスカの頭を支配した。
アタシ、あんな笑顔ができなかった。
自分の好きな事に一生懸命になっている人が持っている笑顔・・・透き通った笑顔・・・。
アタシのは、見せ掛けだけの笑顔・・・。
なんだか、自分の信じてきたものが根元から崩れ去って行く様な浮遊感にとらわれ、
アスカは何もわからなくなっていた。
アタシがやりたいことって・・・・・・・・・・・・・・・・・何?
<音楽室>
次の日の日曜日、アスカは毎週の習慣で参考書と問題集を持って学校の図書館へ向かった
が、行き付いた先は音楽室だった。
ガッ。
扉を開け様としたが、鍵がかかっている静まり返った音楽室。
さすがに、今日はいないか・・・。家でも練習してるって言ってたからね。
アスカはそのまま図書室へと向かった。
<図書室>
しかし、アスカが真っ先に開いた本は、いつもの様に参考書では無く図書室に置かれて
いる3年生の生徒名簿だった。
アイツ、結構近くに住んでたんだ。
シンジの住所を確認したアスカは、生徒の名簿を元にあった所に返すと、参考書を開き
勉強を始める。
問題がすらすらと解かれて行く。
アタシ・・・何してるの?
シャープペンシルが、ノートの上を走る。
何の為にこんなことしてるの?
3年生になり始めて今のクラスのみんなが顔を合わせた最初のホームルームの授業は、
誰もが新しいクラスになった時に行う自己紹介だった。
『じゃ、みんな名前と得意科目と趣味くらいは言ってねん。』
ミサトのこの言葉に始まり、クラスメート達は名前,得意科目,趣味などを順番に言って
いく。
『惣流・アスカ・ラングレーです。得意科目は英語です。趣味はぁぁ・・・勉強です。
よろしく。』
:
:
:
アタシ・・・勉強以外何もしてない・・・。
趣味も無い・・・。
好きなことも・・・無い・・・.
アスカはノートを閉じると、カバンに詰め込み図書室を出て行った。
<シンジの家>
確か、ここだわ・・・。
シンジの家の庭に植えてある木の枝をかき分け、じーーっと中の様子を伺うとリビング
でチェロを弾くシンジの姿が見えた。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
いつもの淀み無く流れるメロディーが聞こえて来る。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
アスカは目を閉じ、しばらくそのメロディーに聴き入っていた。
♪♪♪♪・・・・。
突然止まるメロディー。
「惣流さんじゃないか。」
ハッとして、アスカが目を開くとチェロを置いて庭に出てこようとしているシンジの姿
が目に入った。
「あ、あの・・・。ちょっと近くを通りかかっただけなの。」
かき分けた枝の間に顔を突っ込んでおいて、ずうずうしくもしらっと言ってのける。
「ふーん。そうなんだ。」
「いつもそこで演習してるの?」
「うん。自分の部屋だと狭いから、リビングとか庭でね。」
「も、もう今日は練習しないの?」
「そんなことないよ。」
「それじゃ、アタシにかまわず練習していいわよ。」
「惣流さんは、これから家に帰るの?」
「ア、アタシは・・・今日は暇だから・・・。特にすること無いのよ。これからどう
しようかなぁぁぁ・・・。勉強も終わったし、暇なのよねぇ。」
といいつつ、チラチラとシンジを見るアスカ。
「しばらくここで、碇くんのチェロを聴いてようかなぁ。」
「それじゃ、よかったらうちに上がって行く?」
「いいの!?」
「そんなところにずっといるわけにいかないだろ?」
顔だけ木の枝の隙間から出して家の中を覗きこんでいる自分の姿に気づいたアスカは、
顔を真っ赤にして玄関へ走って行くのだった。
「あら、いらっしゃい。シンジのお友達かしら?」
アスカが玄関へ行くと、扉を開いてシンジとシンジの母ユイが出迎えてくれる。アスカ
の母であるキョウコも若作りの美人だが、ユイもそれに負けず劣らず美人である。
「あ、はじめまして。碇くんのクラスメートの惣流・アスカ・ラングレーです。」
「シンジが、お友達を家に招待するなんて珍しいわね。さぁ、御遠慮なさらずにあがって
ちょうだい。」
「失礼します。」
一礼の後アスカがスリッパを履き玄関を上がると、シンジが廊下の奥にあるリビングへ
と案内する。
「紅茶でいいかな?」
「うん。ありがとう。」
キッチンから紅茶の入ったティーカップを2つ持って来ると、自分とアスカの前に
並べて置く。
「碇くんは、どうしてチェロの道に進もうと思ったの?」
ティーカップを口にそっとつけ一口飲んだ後、アスカは興味深々という顔でまじまじと
シンジを見つめた。
「どうしてかなぁ・・・。前にも言ったけど、元々父さんにやらされてただけなんだ。
でも、いつの間にかチェロの無い生活なんて考えられなくなってた。」
「ふーん。なんだかあいまいね。」
「惣流さんは、将来何になりたいの?」
「え・・・アタシは・・・。」
「惣流さんって、頭がいいからきっとすごい夢があるんだろうなぁ。」
「・・・・アタシは・・・・・・・・・・・・。」
何も将来の夢を浮かべることができないアスカは、そのまま口を閉ざしてしまう。
「どうしたの?」
「ううん。ただ、夢に向かってがんばってる碇くんってすごいなって思っただけ。」
「惣流さんの方がすごいじゃないか。」
「そんなことないわよ・・・・・ねぇ、チェロ弾いてくれないかしら?」
「え? でも。」
せっかく来てくれたのに、アスカをほおっておいて練習してはまずいと思っていた
シンジは、アスカが自分に遠慮しているのではないかと少し不安になる。
「ダメ?」
「いいけど。」
「聞きたいの。お願い。」
両手を合わせてウインクしながらお願いするアスカ。
「うん。」
シンジは飲みかけのティーカップをテーブルの上に置くと、楽譜の前に座りチェロを
弾き始める。紅茶の香りのするリビングで、アスカはそのメロディーを目を閉じて聴く。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
2人だけの演奏会。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
チェロの音色が、アスカの心に染みていく。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
♪♪♪♪♪♪〜〜。
演奏終了と共に、アスカが拍手を送る。
「ねぇ、アタシにもチェロ弾かせてくれないかな?」
「え? べつにいいけど。」
「本当? ありがとぉ!」
アスカは、何かプレゼントを貰った子供の様に喜んでダイニングテーブルの椅子を
立つとシンジの横へ寄って行った。
「どうやって弾いたらいいのかしら? チェロなんて始めてだから・・・。」
「えっとね・・・。」
初心者にもやさしい曲の楽譜を取り出すと、シンジはアスカの手を持ってゆっくりと
弾き始める。
「あ! 音が鳴ったわ。」
「うん。初めてにしては、センスがいいと思うよ。」
「え? 本当?」
しばらくシンジが教えると、教え方が上手いのか元々素質があったのか、たどたどしくも
ある程度の音をそれなりに出すことができるようになる。
「おもしろーい。」
目を輝かせてチェロを弾くアスカは、近頃味わった事の無い子供に戻った様な気持ちを
噛み締めていた。
ピンポーン。
始めて演奏・・・と呼べるものではないが・・・する曲が終わろうかという時、玄関
からチャイムの音が聞こえた。
「あら、いらっしゃいませ。」
「おじゃまするよ。シンジ君はいるかね?」
「はい。お友達とリビングでチェロを弾いてますわ。」
「ほぉ、シンジ君がお友達をねぇ。」
玄関から男性とユイの話し声が聞こえてきたかと思うと、リビングに白髪の老人が
入って来る。その老人こそ、シンジのチェロの師匠でもある冬月だった。
「叔父さんいらっしゃい。」
「シンジ君、調子はどうかな?」
「はい、悪く無いです。」
「ところで今日はちょっと聞きたいことがあるんだ。突飛な質問かもしれないが、
ドイツ語はどれくらい喋れるかな?」
「ドイツ語? 全然知りませんけど。」
「やはりそうか、残念だな。ドイツで5本の指に入る音楽家が、プロとしてシンジ君を
招いていたのだが、言葉が話せなくてはねぇ。」
「え!? そ、そうだったんですか・・・。」
その話を聞いたシンジは、チェロを置くとがっかりしてうつむいてしまう。こんな
チャンスなど2度と巡ってこないかもしれないのだ。
「今からでも、ドイツ語を勉強する気は無いかな?」
「でも・・・チェロの勉強もありますし、語学はあまり得意じゃないですから・・・。」
言葉の通じないドイツへ単身で行ったら生活するだけでも大変だろう。ただでさえ
チェロの練習時間が足りないと思っているシンジは、日本でチェロの勉強をする道を
選んだ。
「そうか・・・まぁ、行く気になったらいつでも言ってくれたらいいよ。
ところで、こちらのお嬢さんはどなたかな?」
「転校した中学のクラスメートで、惣流さんっていいます。」
「碇くんと同じクラスの惣流・アスカ・ラングレーです。」
「そうか。シンジ君とは仲良くしてやってくれてるのかな? よろしく頼むよ。」
冬月はやさしそうな顔でアスカに微笑みかけた。
「い、いえ、こちらこそ。」
「シンジ君と話をしようと思って来たんだが、こんなにかわいいガールフレンドが来て
おられるのだから、今日はおいとまするかな。いや、邪魔をして悪かったね。」
そう言ってリビングを出て行こうとする冬月を、アスカがあわてて引き止める。
「あ、アタシはもう帰るけど・・・。」
「いやいや、そんなに気を使わなくてもいいよ。また、今度伺うから。」
「でも、そろそろ帰らないといけない時間だし・・・。」
「そうか・・・それじゃ、シンジ君途中まで送って行ってあげたらどうかな?」
「はい、わかりました。」
シンジとアスカは、そのまま玄関に行き靴を履くと外へ出て行った。外は既に暗くなり
始めており、住宅街であるシンジの家の周りには帰宅途中のサラリーマンが見えるだけ
である。
「アタシもチェロを弾いてみようかな。」
「どうしたの? 突然。」
「無理かな?」
「そんなこと無いと思うけど。」
「何かアタシも一生懸命やってみたいの。」
「惣流さんは、勉強を一生懸命やってるんじゃないの? すごく成績がいいって聞いた
よ。」
「うん・・・でも、勉強だけじゃダメなのよ。」
「そんなものかな。」
「そんなものよ。」
「惣流さんみたいに賢い人の考えることは、わからないや。」
話をしながら家に向かって歩いていたアスカが、チラチラと気付かれない様にシンジの
顔を横目で見ている。
「ねぇ、碇くん。」
「え・・? どうしたの?」
「アタシ達、会ってから結構話とかしてるわよね。」
「そ、そうかな・・・そうかもしれないね。」
「じゃぁさ、そんな”惣流さん”なんて他人行儀な呼び方じゃなくって、クラスの友達
と同じ様に”アスカ”って呼んでよ。」
「みんなそう呼んでるの?」
「も、もちろん。」
「そっか・・・わかったよ。」
「じゃ、呼んでみて。」
「今?」
「そうよ。」
「なんか、改めて名前を呼ぼうとすると照れるな・・・。」
「いいから、呼んでみてよ!」
「うん・・・・ア・・アスカ。」
自分のことを名前で呼ばれて、ひとまず満足する。
「で、でさ・・・。アタシも碇くんのこと、”シンジ”って呼んでいいかしら?」
「べつにいいけど・・・どうして?」
「アタシって、人のことみんな名前で呼んでるから、なんだか違和感があるのよ。」
「そっか、わかった。それでいいよ。」
「じゃ、呼んでみるね。」
「今?」
「そうよ。ダメかしら?」
「ダメじゃないけど・・・。」
「じゃ、呼ぶから返事してね。」
「うん。」
「シ〜ンジ。」
街灯の灯りに照らされながら小首を傾げて自分の名前を呼ぶアスカが、あまりにも
可愛く思えてドキッとする。
「もう、返事してよ!」
「あ、う、うん。」
「まぁいいわ。あ、家あそこだから・・・それじゃ、送ってくれてありがとう。」
「そっか、この近くなんだ。」
「うん。」
指差す先に何軒かの家が見えるが、どれがアスカの家なのかよくわからない。
「今度は、うちに遊びに来てくれてもいいわよ。」
「うん。」
「それじゃ、また明日。」
「おやすみ。」
「おやすみ。」
2人は手を振ると、それぞれ自分の家に向かって帰って行った。
つづく
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