あなたは少し小さめの喫茶店のマスターをしている。
  今は平日の午前中。十時開店のこの店も開けたばかりで客は一人もいない。
  しばらくぼうっとカウンターの奥でテレビを見ていると、乾いた鈴の音と同時に一人
の女性客が入ってきた。
  彼女はずいぶん若いように………そう、大学生ぐらいに見える。ガラガラの店内をど
ことなく落ち着きのないしぐさで見回して結局カウンターに陣取った。
  あなたはこの店のマスターである、ここでは彼女に注文を取るべきであろう。
「ん〜っと………ねぇ、ここに男の人来なかった?  碇シンジって名前なんだけど。」
  たぶんここを待ち合わせの場所にしているのだろう、この手の質問はよくある事だ。
だが、今日はまだ店を開けたばかりで彼女が最初の客なのだ。そんな人物に心当たりが
あるはずもない。
「う〜ん、やっぱり来てないか………ちょっと早すぎたかな…………」
  彼女の言う「ちょっと早すぎた」という言葉にいやな予感を感じたあなたは、念の為
に待ち合わせの時間を聞いてみることにした。
「あはは………実は十二時に待ち合わせてるんだ。」
  来ているはずがない。指定の時間まではあと一時間半もある。
  あなたはあきれながらも再び注文を取る。
「紅茶とサンドイッチ頂戴。」
  注文した品物を待つあいだ、彼女は自分の左手を見つめていた。怪我をしているのか
なと思って注視してみたが、とくに怪我の跡らしい物はない。
  不思議に思って見つめていたあなたの視線に気付いたのだろう、彼女はこちらを向い
て微かにはにかみながらとても嬉しそうに笑う。
「今日………買ってくれるんだ。」
  その言葉であなたはすべてを理解した。
  そこで彼女に対する興味を失いかけたとき、彼女は突然に自分自身の身の上話を始め
た。
  時におかしく、時に哀しく、彼女のたどった十一年間が語られる。




  突然〜二つの奇跡が二人を導く〜


     written byMykey




  私はあの日変わったんだと思う。
「さよなら」
  そう言って忘れるつもりだった彼が、私に向かって再会を約束してくれたあの日から。
「ゼッタイミツケテ、カナラズアイニイクカラ!!」
  私は、この時ほど私自身の境遇を呪ったことがなかった。
  もしも私がこんな境遇になければ、こんなにつらい出来事に会わずに済んだはずだ。
  大好きな人と二度と会えなくなるような、そんな事にはならなかったはずだ。
  一度手にした幸せを手放さなくてはならないような、そんな事にはならなかったはず
だ。
  確かに、私のところへ幸せを運んできてくれたのは私の境遇だった。でも、同時に私
の境遇はありがたくもない不幸も運んできてくれた。
  人は、幸せと不幸とを同時に並べられたとき、幸せよりも不幸の方に目がいってしま
うものなのだと誰かが言っていた。そして、この時の私はその言葉どおりに、幸せを目
の前に置かれていたにもかかわらず不幸しか見ることができなかった。あの状況の中で
生き残ることができたのは、一重にも二重にも幸運の賜物なのに、私にはその幸運を見
ることができなかった。
  大好きな人達との別れと言う辛い事にだけ目が向いてしまっていた。
  だから呪った。
  自分自身のすべてを呪った。
  別れの辛さ、悲しさから逃げたくて、すべてを呪い、憎んだ。
  自分を好きになれなかった原点がここにあるんだと思う。
  大好きだった人達が失われていくのを、ただ見送ることしか出来なかったことへの後
悔。当時十四歳だった私に何ができたのか、おそらく何もできなかっただろうと言う思
いはある。しかし、それでもやっぱり、もっと上手く立ち回ることができなかったのか、
そうすればあるいはこんな事にはならなかったのではないかと言う強い後悔。
  こうして、私は今まで私を好きになることができなかった。でも、今は少しだけ自分
の事を好きだと思えるようになった。
  十一年もの長い間、自分自身を呪い続けるというばかをやった私を好きになることは
できそうにないけれど、この十一年間呪い続けた十四歳の頃の私を、今は好きだと思え
るようになってきた。
  十一年前、もっと上手く立ち回れたらと言う後悔はやっぱりあるけれど、少なくとも
あの時、私の境遇というものが今回の幸せのための伏線として私を不幸にしたのではな
いかと思えるようになってきた。
  自分の特殊な境遇に感謝することはできないけれど、嫌ってしまうのも間違っている
と、今はそう思う。


「私にやらせて下さい。」
  加持リョウジという人のアパート。そこで私は「私」を殺した。
  加持という人は、私が普通に暮らしていくために「霧島マナ」を殺す必要があると言
った。もちろんそれは、私………「霧島マナ」を本当に殺してしまうと言うことではな
く、コンピューターの戸籍上で殺してしまうと言う事である。
「………いいだろう………どうせあとは指一本でできるしな。」
  加持さんはそう言って私に端末の前の席を譲ってくれた。
  端末の前に座った私は軽く眩暈を起こした。
  ぎっしり並んだ知らない単語の数々。何をしていいかわからずに加持さんの方を向く
と、加持さんはちょっと笑った。
「わからない事だらけだろう?  実は俺にも分らないことのほうが多いんだな。それか
ら本当はこの画面、あんまり人に見せていい物じゃないんだけどな、見てもわからんだ
ろうから構わないだろうけど、この画面を見たって事は内緒ということで。」
  ちょっとおどけてそう言って、加持さんはキーボードを指して私を促した。
「ほら、このキーだ。これを押すだけでいい。」
  加持さんの指したそのキーを押すだけで「霧島マナ」は死んでしまう。
  そして私は、私も知らない誰かになる。
  私は少しためらった後でキーを押した。
  キーを押すと同時に軽い警告音が鳴り、入力に対する処理が始まった。そして、その
処理は私が思っていたよりもずっと早く終わってしまい、「霧島マナ」は死んでしまっ
た。
  あまりにあっけない最期だった。
  簡単すぎて笑えてきた。
  笑いたかったけど………何故か笑えなかった。必死に笑おうと努力した結果は、引き
つった笑顔とあふれる涙だけだった。


  その日のうちに私の新しい名前は決まった。加持さんは私に「六分儀マナブ」という
名前を用意してくれた。
  この「六分儀マナブ」という名前。最初はものすごく嫌だった。
  私だって名前を変える必要性は分っている。分ってはいたけど、何も男の名前にする
ことないんじゃないかと抵抗した。
  しかし加持さんの
「『マナブ』ならニックネームは『マナ』になるだろ?  全く関連のない名前になるよ
りはこっちの方がいいはずだ。」
という言葉に上手く丸め込まれてしまった。
  このときの私はこれだけの説明でうまいぐあいに丸め込まれてしまったし、加持さん
もそれ以上のことを何も言わなかった。でも、二十歳になって名前を変えてやろうと役
所へ行ったときに何故加持さんが私の名前を「マナブ」にしたのか、その真意が分かっ
たような気がした。
  改名申請があっさり通ったのだ。
  あの時加持さんは、
「成人したときに自分で名前を「マナ」に戻せ。」
と言いたかったのではないだろうか?  そうすればシンジが私を捜す時の手掛かりにも
なりやすい。だからあえて、改名申請の通りやすい「マナブ」という名前にしたのでは
ないだろうか?
  加持さんはもう死んでしまったらしいから彼の真意を問うことはできないけれど、私
はそうだと確信している。


  新しい名前と同時に新しい住所も決まり、「六分儀マナブ」としての新しい生活が幕
を開けた。
  慣れない名前での慣れない一人暮らし。住む場所にしても、これまでに全く縁のない
土地である。
  慣れるまでは本当に大変だった。
  でも、生活に慣れるまでのほうが精神的には楽だったように思う。ただひたすら生活
に追われていたこの時期は、昔の事を思い出している暇などなかったからだ。
  だから、一ケ月くらい経って生活に余裕ができてくると急に寂しさを感じるようにな
った。
  この間の一ケ月で新しい友人もできたし、生活には不自由していない。金銭的には両
親と暮らしていたときよりも良くなったくらいだ。そして何よりも、未だに生きている。
  これ以上のものは決して手に入ることはない。それはわかっていた。わかってはいた
けれど、求めずにいることはできなかった。
  十四年間私を育ててくれた両親には別れの言葉を言う事すらできなかった。
  パイロット仲間のムサシとケイタはその行方が分からない。行方が分からないだけな
らまだいい。彼等はその生死すら分からないのだ。生きていることはないと思いつつも、
生きて再び会いたいという願いを捨てることはできなかった。
  私に「生きていてほしい」と願ってくれたシンジは、第三新東京にいることがわかっ
ているだけ。ほかのことは一切分からない。
  例えこれらの人達の生死や行方が分かったとしても、会うことは許されない。死んで
いたとして、お墓に参ることすらできない。
  思い出すと苦しくなるこれらのことを、私は必死で忘れようとした。
  だが、どうにかして忘れようとしても、忘れようと意識した途端に懐かしさが込み上
げてきて、どうにも涙が止まらなくなってしまう。
  私が両親のことを忘れられないのは仕方のないことだったと思う。現に今でも両親
のことははっきりと覚えているのだから………十四年間私を育ててくれた両親を忘れるな
んて、出来ることではなかったのだ。
  ムサシやケイタについても同じことが言える。両親の次に長い時間を共に過ごしてき
た仲間だ。辛かった時も楽しかった時も常に隣にいた彼等のことを忘れることはできな
かった。
  だけど、シンジだけは特別だった。
  一緒にいたのは一ケ月程度。
  おまけに最初の出会いにおいて、私は彼をスパイする立場にあった。
  恋人として過ごしたのは最後の二週間程度のこと………いや、二週間もあったかどう
か。
  とにかく、それくらい短い間だった。
  だから、シンジのことは忘れられると思った。
  普通に出会った二人が、普通に別れただけのごくありふれた恋愛だと思っていた。
  だから、シンジのことは忘れられると思った。
  でも、私は彼を忘れることができなかった。
  一か月の間に二度ほど、第三新東京市に出される「非常事態宣言」がシンジのことを
嫌でも思い出させてくれたからだ。
  この類の情報は、目を瞑って耳を塞いでしまっても必ず私の下へと届く。そして私は
「何故」「非常事態宣言」が発令されるのか、朧気にではあったが知っていた。だから
当然「非常事態宣言」の向こう側でシンジが命を懸けていることも知っていた。
  私は、シンジのことが本当に好きだった。
  出会いはどうであれ、好きだった。
  そう………初恋………だったんだと思う。
  その初恋の相手が「非常事態宣言」と言う目に見えない分厚いカーテンが引かれた舞
台の向こう側で命を懸けている。分厚いそのカーテンのせいで舞台の様子は全く見えて
こない。それでも確かに、その向こう側ではシンジが命のやり取りをしている。
  ただでさえ初恋の相手は忘れにくいと言われているのに、これではとても忘れること
は出来ない。
  最初はシンジのことを忘れようとしていたはずなのに、私が引っ越してから四回目の
「非常事態宣言」が発令されたとき、私は自然とシンジの無事を祈っていた。
  シンジが死んでしまうことがないように、シンジが無事でいられるように、私は祈る
ようになった。
  そして、第三新東京市で大爆発が起こる。
  死者・行方不明者ともに正確な数がわからないほどの大爆発だった。
  このニュースを聞いたのは授業中の教室だった。それを聞いた私は驚きの余り立ち上
がり、続いて聞こえてくる「死者・行方不明者多数」という報道で失神してしまった。
  その後の報道でもシンジの生死は分からなかった。行って確かめたいという衝動に何
度も襲われたが、なんとかそれを押さえ付けていた。なぜならば、私とシンジは赤の他
人になってしまっていたから、シンジの事を私が知っているはずがないのだ。その上、
今第三新東京市には政府の調査隊がいる。そこへ私が行くのは、死んでいるはずの私が
行くのは、せっかくもらった命を無駄に捨ててしまうことになりかねない。だから私は、
政府の調査結果を待つことにした。
  長いような短いような一週間が過ぎて、政府から死者行方不明者に関する正式な調査
結果が発表された。
  その中に、シンジの名前はなかった。
  何度探してみてもやっぱりなかった。
  コンピューターで検索をかけてみたが、やっぱりなかった。
  ホッとしたが同時に、その名簿の中に見知った名前を二つ見つけた。
  加持さんと葛城さんの二人だった。
  二人とも第三新東京でよくしてもらった。
  加持さんは私に新しい名前と戸籍をくれた。葛城さんは、ネルフの中での立場がある
だろうに、それでも私とシンジのことを応援してくれた。二度と会うことはない二人だ
とわかっていたが、いつか会うことがあればたくさんお礼を言いたい二人だっただけに、
私も決して小さくはない悲しみを受けた。
  この名簿が発表された日、私はなかなか寝付けなかった。
  第三新東京市が丸ごとなくなってしまうような大爆発にも、大事な人が生き残ってく
れたからだ。
  二度と会うことができないと言われはしていても、やっぱり大事な人には生きていて
ほしい。両親にしてもシンジにしてもそうだが、生きてさえ居ればいつかまた会えるか
もしれないのだ。
「生きてさえいれば何か出来る。」
  だから、この言葉を支えにこの頃の私は生きていたように思う。


  第三新東京市が丸ごとなくなったあの日から、非常事態宣言は発令されなくなった。
その当時は知る由もないことではあったが、この大爆発の日がシンジの最後の戦闘にな
ったと言う事だった。そんなことを露ほども知らない私は、両親とシンジの無事を祈り
ながら毎日を送っていた。
  非常事態宣言が発令されなくなったことに疑問を感じたこともあったが、戦闘がない
と言うのはいいことである。特に深く考えもせずに、私はその現実を受け入れていた。
  そうこうしているうちに、いつしか私の祈りの内容は「シンジが生き残りますように」
から「このままずっと戦闘のない平和が続きますように」へと変わっていった。
  非常事態宣言が発令されなくなってから一年程が経って、私は高校へ進学した。
  進学してからも相変わらず私の祈りは続いていた。ただ、この頃から私はシンジとの
再会を祈りだした。毎朝毎朝「いつかシンジと再会できますように。」と近所の神社で
買ってきた安物の神棚に向かってお祈りをしていた。自分で言うのも何だけど、この頃
の私は結構健気な女の子だったんだと思う。
  で、こんな状態の私にも言い寄ってくる男の子が少なからずいた。しかし、毎朝神棚
に向かってシンジとの再会を祈るほど、一途にシンジのことを思っていた私にそんな男
の子たちが目に入るはずもなく、すべてを断り続けていた。あんまりにも私が男の子に
興味を示さないものだから「六分儀さんってじつは………」といった噂がよく流れてい
たようだ。きちんと否定はしていたけれど、古今東西噂と言うものは否定すればするほ
ど盛り上がるものだ。否定の言葉がかえって噂の火に油を注ぐような形になっていた。
  困ったものである。
  ともあれ、長くもあり短くもあった高校生活が終り、私は大学へ進学した。
  私が進学先に選んだのは、第二新東京にある国立大学だった。成績は結構良かったの
で日本全国どこの大学でも選ぶことはできたのだが、私は自分の女の勘を信じて第二新
東京を選んだ。
  結果はハズレだった。
  第二新東京にシンジはいなかったのだ。奇しくも、最後まで候補に残った第四新東京
の私立大学にシンジがいたのだが………このへん、運がなかったと言う事だろう。
  ここで会えるはずだと思い込んでいたのが会えなかったものだから、かなり落ち込ん
でしまった。しかし、いつまでもクヨクヨするのも嫌だったのですぐに気持ちを切り替
えた。まず、ここにシンジがいるという確率なんてたかが知れている。時間は在学中で
あれば幾らでもあるのだ。この時間を使ってシンジのことを捜してやる、そう決めてみ
たのだ。
  そう決めてしまえばあとは行動あるのみ。私は大学四年間の間に日本全国を旅して回
ったのだ。シンジの行方なんて、一般人になってしまった私には調べられるはずがなく、
また探偵を雇うようなお金もない。結局自分の足で探し回るしかなかったからだ。でも、
この旅行は単に「学生時代にのめり込んだこと」として就職活動の時履歴書に書かれた
だけで、「シンジを探す」という目的から見れば徒労に終わってしまった。
  あと、大学にいる間に名前も変えた。これが在学中で最も大きな出来事だったのでは
ないだろうか?  二十歳の誕生日と同時に申請をだしたのだ。これが受理されて私の名
前が変わるのに半年ほどかかったものの、晴れて私は「六分儀マナブ」から「六分儀マ
ナ」へと名前を変えることになった。このときようやく私は加持さんが「マナブ」と言う名前
を用意してくれた理由を知ることになる。だから名前が変わったその日は、加持さんに感
謝する日になっている。


  大学を卒業したとき、私は教師になっていた。
  在学中はシンジ探しに夢中になっていたため勉強などはおろそかになりがちであった。
それにも拘らず何時の間にか私の就職先は教師になっていた。
  私が赴任したのは広島市内にある公立の中学校だった。
  いつの間にか教師になっていたという感想が強かったためか、最初の一年はアッとい
う間に過ぎてしまった。
  これではいけないと頑張った二年目は、一年目とはまた違った意味でアッという間に
過ぎていった。
  一年目はただ単にアッという間に日々が過ぎただけ。一日一日とこなしていくうちに
一年が過ぎたと言った感じだ。でも二年目のアッという間は、自分が何をすればいいの
かは朧気ながら見えてきて、見えてきた何かに向かって進んでいるうちにいつの間にか
過ぎていった………前向きな一年だった。
  そして三年目。これまでの二年間からの反省点を目標に折こんで気合いを入れたその
年のある日。
  突然その日はやってきた。
  私がホワイトボードに重要事項を書き出し、振り替えると廊下にシンジがいた。
「………シンジ………。」
  驚きがまず先にやってきて、感激はゆっくりとやってきた。
  私は、自分が教師であり、今が授業中であることを忘れてシンジに飛び付いていた。
  十一年間、ずっと会いたかった人。
  十一年間、かなうはずはないと思っていた願い。
  十一年間、約束を忘れずに会いにきてくれた人。
  すべてが私の中で弾けた。
「シンジ………!  約束、守ってくれたね!。」





あなたは少し小さめの喫茶店のマスターをしている。
時計は13時を過ぎて………13時05分になろうとしている。
先程まであなたに、自身の昔話を聞かせていた女性はもういない。
彼女は、約束の時間丁度に現れた男性と軽い食事をとって出ていった。
二人が出ていったあと、なぜか客は一人も入ってこなかった。
不思議な日もあるものだ。
雑誌を広げ時間を潰す。テレビを見る気にはなれなかった。
どれくらい時間がたったのか、日も西へ傾こうかという頃、乾いた鈴の音と同時にあの
二人が再びやってきた。
入ってきた二人の左手に光るものを見つけ、あなたはどうするだろう?
気のいいあなたはきっとこう言うはずだ。
「いらっしゃい、今日はおごりにしますよ。」



−THE  END−




参愚者の一口コメント

尾崎 「前回鬼引き……しかもマナの出番はナッシング……そして満を持して放たれた
    今回の新作……主人公がマナで続編モノ……しかも前回の不満を晴らしてくれ、
    そして始まる 涙涙の物語……
    マナリアンである私の目をディスプレイに釘づけにしてくれました。
    今はただ涙を拭って Mykeyさんに ”ありがとう”と言いたいです。」

    一口でも何でも無いやんか(自己ツッコミ)

ゆさく「泣けた〜。えいえんはあるよ・・・(激謎)」

加藤 「マナって美味しい?」(←すいません、まだ読んでません(^^;)


かなり長めの後書き

長らくお待たせしました。
久しぶりのMykeyです。
まずは何はともあれ、参愚者の皆さん、ドメイン取得おめでとうございます。
四国の参愚者の今後ますますの発展をひなたからお祈りしています。

で、今回の小説が遅れに遅れた言い訳(^^;;;;;
今回この小説を書くに当たって、非常に困ったことに直面しました。
その非常に困ったこととはズバリ、時間の少なさです。
色々と大学の行事で忙しく、なかなかワープロの前に落ち着いて座ることが出
来ずに、2ヶ月もほったらかしにしてしまいました。
あまりに長いことほったらかしにしておいたものだから、原稿がバラバラになっ
たり、行方不明になったり・・・・
その他にもいろいろなことがありました。
自動車の免許を取ろうと自動車学校に通い始めたのもこの頃でした。
就職試験に落ちてしまったのもこの頃でした。
いや、遊び暮らしていた為に落ちたわけではありませんよ、念のため。
まぁ、近いものはあったような気はしますが、多分違うでしょう(^^;;
とにかく、就職試験に落ちてみたり、いろいろあったわけですよ。
そんなわけで延び延びになっていたんですよ。

・・・で、久しぶりにワープロの前にゆっくりと陣取って原稿をテキストにして、久し
ぶりにインターネットに接続!!

驚いたの何の。
四国の参愚者がドメインを取得しているではありませんか!!
浦島太郎の気分を味わいながらも、たまっていたメールの処理と、読んでいない
小説のダウンロード作業を開始。
色々なところの連載小説を読んでいるものだから、この作業だけでも一苦労。
さらに、自分でもホームページをアップしようともくろんでいたので、その辺の作業
も並行して行う。
そんな色々な作業があったものだから、かなり遅れてしまいました。

この小説を楽しみにしていた人がたくさんいたとは思いませんが、もし前作を読ん
でこの小説を楽しみに待っている人がいたら、その方にはお詫び申し上げます。

どうもすみませんでした。

この続きもありますが、今度は夏休みなので早めに出来上がる・・・と思います。
で、次作はこのお話のさらに後のお話です。
奇跡に導かれた二人の「その後」を皆さんと覗いてみようと思います。
「二つの奇跡が二人を導く」、三部作になってしまいましたがこれで最後です。
では、「その後」が出来あがるまでしばしのお別れ。

'99.8.5 Mykey


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