「ふぅ……」 シンジは受話器を置いて、安堵のため息を漏らした。
「碇先生! 授業が始まりますよ」
響教諭の代わりに教壇に立つ伊吹教諭が職員室の扉の所で、シンジに声をかけた。

「いかん もうこんな時間か」
「急ぎましょう!」
二人は足音も高らかに廊下を駆けていった。

「廊下は走らない……って何度言えば解るんですかね」
最年長の老教師が苦笑しながら呟いた。


裏庭セカンドジェネレーション

CHAPTER 20C

第20話【苦悩の天秤】Cパート


午後5時……学校にはもうクラブ活動をしている生徒と、その指導をしている教師しか
残されてはいなかった。 いつもと同じ代わり映えのしない夕暮れ時……
碇シンジは机の上の書類をまとめて鞄に入れて立ち上がった。

「それじゃ失礼します」

シンジはまだ教室に残っている教師数人に一声かけて職員室を出た。

「ふぅ……」 朝締めた時にはきっちりと絞められていたネクタイの首もとも、
この時間にもなると少し緩んで来ているのをシンジは見ながらため息をついた。

もう一度締めなおすか、あるいはほどくのか シンジは少し考えてネクタイに手をかけた。

綿のネクタイが擦り合わされる独特の音と共にネクタイはその形を失っていった。

「もう今日は生徒とも会うまい……」
シンジは一言呟いてネクタイをタイピンと共に鞄に乱雑に放り込んだ。

シンジはいくらかの開放感を得て、家路につく為に階段を降りはじめた。

職員室のある二階から一階に降りた時、シンジは人の気配を感じてふと足を止めた。

右側の通路の向こうから一人の女生徒が落とすまいと両手に必死に荷物を抱えて
こっちに向かって来るのにシンジは気づいた。

足元が良く見えないせいか、拙い足取りでひょこひょこと歩いて来る女生徒の顔に
シンジは見覚えがあったが、名前を思い出すのに少し時間がかかっていた。

「あれ、碇先生じゃ無いですか 今日は遅いんですね」
顔を上げて声をかけてきた女子生徒の顔を見て、ようやくシンジは彼女の名を思い出した。

「山際さん……それ、一人で三階の図書室まで持って行くのかね?」

「ええ……今月新しく入って来た本です けど、もうこれで最後ですから」
山際シズカは額の汗も拭えぬまま、少し憂鬱そうな笑顔を見せた。

シンイチが卒業して以来、少し元気が無いようだったが、生徒会の選挙で
図書委員長に選ばれて以来、図書部を一人で仕切っているのだが、
私には彼女の行為がまるで何かを吹っ切ろうとしているかのように見えてならなかった。

「男の図書委員に運ばせたらいいじゃ無いか…… 部長だからって女の子がそんな危ない
力仕事をする必要は無い……」
シンジは彼女が一人でこのような重労働をしている事が納得出来なかった。

「今日は皆さん立ち寄らなかったので……」 彼女の顔は少し沈んで見えた。
毎月ほぼ同じ日に納入されるのだから、図書部員が知らない筈も無い……
少し気の弱い女の子が部長だと言う事で、部員にいいように使われていると、
司書から聞いたのをシンジは思い出した。

「私が運んであげよう ほら貸しなさい」 シンジは鞄を置き、手を伸ばして言った。

「え……でも……碇先生にそんな事をさせる訳には……」
すまん 少し○チ入ってる(爆)

「働いて流した汗は尊いものだが、うら若き女の子が流すべきものじゃ無いさ
さぁ、荷物は私に任せて汗でも拭きなさい」 シンジはもう一度手を伸ばして言った。

「すみません……」 山際シズカは恐縮そうにシンジに荷物を預けた。

「じゃ、行こうか」 「ハイ」 山際シズカはシンジの鞄を手に取り、後に続いた。

先程降りたばかりの階段を登り、そして三階まで荷物を持って上がる頃には、
シンジは額に汗を滲ませていた。


「ここに置けばいいんだね」
「はい 中身は明日出しますから」
「ふぅ……こんな重い荷物を4つも運んだのかい……今度からは職員室に電話しなさい
人手が足りない時は人手を寄越すように言っておくから」
シンジは伸びをしながら上の方に見える高等部の校舎を見ながら言った。

「本当に……ありがとうございます」
山際シズカはシンジの心づかいが胸に染みたのか、少し目を潤ませながら言った。

「そういえば、最近遊びに来ないな……」
「渚先輩も高等部に行っちゃいましたし……」
「そういえば、再来週はシンイチの誕生日だ……私からも招待するから、是非来たまえ」
シンジはふと思いつき、振り向きながら言った。

「いいんですか? ありがとうございます!」
彼女の顔がぱっと明るくなり、頬に血の気が差して来たのを見て、
シンジは少し心が晴れて来ていた。

「そういえば、去年は受験でバタバタして、本当に簡素なパーティで人も呼ばなかった
からなぁ……」 シンジは去年のシンイチの誕生日の事を思い出した。

「そう……だったんですか」 胸に手を当てて軽く握っている山際シズカを見て、
シンジは彼女が昨年招待されなかったと思いこんでいた事に気づき、
良く事情を伝えてあげられなかった事を思い出し、少し後悔した。

「さて、私は失礼するよ」 シンジは山際シズカが置いた鞄を手にして言った。
「今日は本当にありがとうございました」
最初見た時の少し憂鬱そうな笑顔では無く、まるで山吹の花のような
自然で明るい彼女の笑顔を見てシンジは心の中で胸を撫で下ろしながら図書室を出た。

「階段は降りるのも結構疲れるな……歳をとったと言う事か……」
シンジは階段を降りながら中学生時代、トウジやケンスケと我先にこの階段を二つ飛ばしで
駆けおりた事を思い出した。

「そういえば、最近連絡してないな……シンイチの誕生日の事もあるし電話するかな」
シンジは若き日の事を思い浮かべながら学校を出て家路についた。


街灯が点く程暗くも無い空をシンジは明星を見ながら歩いていた。
「おっと 行きすぎる所だった」
シンジは足を止めて碇家の玄関に向かった。

「ただいま」
そういって玄関を開けると、すでにシンイチ達の靴やアスカの靴が並んでいた。

キッチンの方からはアスカとアヤの声がしていた。
「あ、おかえりなさい お父さん」
アヤはボウルに入っている何かをかき混ぜながら振り向いた。

「あら、遅かったのね あなた シンイチは少し前まで待ってたけど、
今 自分の部屋で宿題やってるみたいよ ミライと一緒にね」

「どうせ、それぞれの得意分野の宿題をやって写しあってるんだろう……
それじゃ宿題の意味があまり無いんだがなぁ……」
シンジは背広を脱ぎながら言った。

「あ〜ら中学生時代、殆ど全部私の宿題を写していたのは誰でしたっけねぇ」
アスカが料理雑誌から顔を上げて意地悪そうな目をして言った。

「また、昔の話で……」 シンジは苦笑いしながら食卓についた。

「また? 他にも何かあるの?お父さん」 アヤが笑みを浮かべて言った。

「……アヤがアスカの娘だって事を忘れてたよ」 シンジは少し憮然とした表情で言った。

「あら、それはどういう意味かしら? 別に私はアヤに言って無いわよ 昔のあんな事や
こんな事とかを」

「何か含みのある言葉ね お父さん……バツとしてお父さんのサラダには私特製の
マヨネーズドレッシングをかけてあげないんだから」
アヤはボウルの中のくだんのドレッシングをかき混ぜながら言った。

「すまん アヤ そういうつもりじゃ無かったんだ」
「じゃ、どういうつもりなの?」
「……すまん」 シンジは両手を合わせて頭を下げながらも、
アヤが元気を取り戻した事を心の底から喜んでいた。

「じゃ、あなた シンイチとミライを呼んで来て下さる?」
まるで、これもバツだとでもいいそうな笑顔でアスカは言った。


「シンイチ ミライ ご飯だそうだ 降りて来なさい」
シンジは階段の下から二階に声をかけて、食卓に戻った。

現国の時間に出された宿題を終えかけた所でシンイチとミライは
下からのシンジの声で宿題を中断された。
「もうすぐ終わるから、それからご飯にしない?」
折り畳み机を挟んでシンイチの向かい側に座っているミライが囁いた。
「もう5分ぐらいで終わるから、ちょっと待ってよ 父さん」
シンイチはミライの言葉に頷いて、階下にいるシンジに声をかけた。

「そうか……解った」
シンジはキッチンに戻り、シンイチ達の伝言を二人に伝えた。



数分後、二人が降りて来たので、碇家は一家揃って夕食を開始した。

「うん……このトマトは新鮮だな……」
「解る? ヒカリからのおすそ分けなの 完熟の新鮮なトマトをもぎに行ってたんだって」
「どう?シンイチ君……隠し味にちょっとマスタード入れてみたんだけど」
「うん 美味しいよ アヤさん」
「マヨネーズ系だったらいくらでもサラダ食べられるわ ママ おかわり」

ほぼ食事を終えて、めいめいにお茶やコーヒー等で食後のくつろぎのひとときを味わう
家族を見ながら、碇シンジは苦悩していた……自分がこれから告げねばならぬ真実を……
その真実を告げ……その後 これまでと同じように家族団欒のひとときを過ごせるのか。

「あなた……お茶のおかわりはいらないの?」 アスカに指摘されて初めてシンジは
自らが握り締めている湯のみが空になっているのに気づいた。

「今日はもう……いい」
シンジは席を立ちながら、アスカに解るように目でサインを送った。

「私は書斎にいるから……」 シンジはそう言って食卓を離れた。
少ししてアスカが後を追って来たので、シンジは振り向いた。

「アヤとミライの現在の状態は……」
「……ミライは危険です……アヤなら先週来たので安全です」
「体温等でのチェックも終わってるのか?」
「ええ……」

「じゃ、シンイチとアヤを呼んで来てくれ……ミライにはシンイチの誕生日の料理の
打ち合わせだとでも言ってな……」 シンジは少しためらってから指示した。
その言葉は夫婦の言葉では無く、NERV司令とNERV副司令のそれであった……

「例の場所はそのまま使えるな……」
「……ええ」

「頼む……」 そう言って書斎に入る碇シンジの背は震えていた。
邪神崇拝者やその卷族から人類を守ると言う大義名分が無ければ、
それは許されざる行為だと……解っているから。

シンイチとアヤを呼ぶ為に居間に戻って行こうとしていたアスカは
NERV司令としてでは無く、幼い頃から同じ時を共有して来た夫 シンジの心を案じていた。


「シンイチ アヤ 再来週開く予定のシンイチ君の誕生パーティーの事で
お父さんが話しがあるそうよ」

そして、苦悩の天秤は今 非情なまでに正確に揺れ動いていた。




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どうもありがとうございました!


第20話Cパート 終わり

第20話Dパート に続く!



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