(4)-1 丸亀の今昔
4-1000 1970年頃(S45)のお城からの風景(撮影:石井光様)
今の大手町と城東町一帯は、明治8年(1875)に武家屋敷が取り払われて設置された歩兵第12連隊の用地であった。 昭和20年の終戦により軍隊は解体され、軍用地だった練兵場跡や兵舎跡の利用について丸亀市を中心に跡地利用が検討されていた。

東練兵場だった城東町は引揚者や周辺農民に土地が払い下げられ、農地として生まれ変わった。31年には香川労災病院が開設され、 近年はすっかり住宅地になってしまった。

西練兵場だった現在の大手町一丁目は、戦後の学制改革にともなう学校用地として利用されることになった。兵舎跡は引揚者住宅 や新制中学校(一中・二中・三中)の応急校舎としても利用され、26年に東中・西中が誕生した。東中は西練兵場に木造校舎を新築し、 西中は旧制丸亀中学校(現丸亀高校)と統合した旧制丸亀高等女学校跡を校地とした。軍隊の将校集会場だった建物は26年、丸亀市 中央公民館として市民に開放され、44年には市民会館として新築された。

丸亀市役所は39年に幸町から現在地に新築移転された。そのほか、裁判所(六番丁より、)警察署(32年通町より)、税務署 (御供所町より)労働基準監督署(塩屋町より)、職業安定所(幸町より)がそれぞれ移り、装いを新たにした。さらに電報電話局 (39年南条町より)の移転改築に伴い、市内の電話がダイヤル自動化された。

保健所(二番丁より)が移転、引き続き消防署(41年二番丁より)の移転、整備によって救急車、後にはシュノーケル車が登場 して市民の安全のために力を発揮するようになった。郵便局(42年本町より)図書館(40年幸町より、47年城内へ)などの公共機 関が20年代末より40年代初頭にかけて、市内各地より次々と新築移転され、旧軍用地はすっかり官公庁地区に変貌してしまった。

旧軍用地の北西部は商業地区になり、幅18mの道路が縦横に通り、街路樹が植え込まれている。48年11月より市役所南側で日曜市 が開催され、49年には総合会館・市民広場もでき、緑あふれる潤いあるまちづくりが進んでいる。(香川県大手前高校、石井誠一先生)

4-1001 1970年頃(S45)の塩田の風景(撮影:石井光様)

4-1002 1979年頃(S54)3代目丸亀駅(撮影:石井光様)

4-1003 初代丸亀駅 明治22年〜明治30年(1889〜1897)
現在の丸亀駅より 0.5kmほど西、讃岐鉄道時代 多度津−丸亀間
4-1004 2代目丸亀駅 明治30年〜昭和18年(1897〜1943)
丸亀−高松間路線延長にともない、現在の丸亀駅の位置に移動する
4-1005 2代目丸亀駅
4-1006 3代目丸亀駅
4-1007 3代目丸亀駅
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