蒸し暑く寝苦しい夜だったという。1945年7月4日午前2時56分、高松市上空にB29の大編隊が現れる。高松空襲の始まりだった。降り注ぐ焼夷弾。
炎に包まれる街。着の身着のまま逃げまどう市民。2時間近い爆撃であった。
死者1359人、負傷者1034人、被災家屋18913戸 (市街地の約8割が焦土と化した。) (2009年(平成21年)6月28日四国新聞) B29 爆撃機116機(うち案内機12) 旧市街地薬80%が被災 都市に対する焼夷弾の大量攻撃 通常爆弾24t、焼夷弾809t 消失家屋戸数18,913戸、消失面積3.85km2 死傷者数2,393人、うち死者1,359人、うち負傷者1,034人 『高松空襲戦災誌』より |
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高松空襲回想
一看護師の眼から 江頭 ヒサ子 丸亀市飯山町 昭和20年7月4日未明(午前3時10分)すぎ、私は済生会病院の夜勤でした。何時もの様に静かな勤務で、前夜(ママ)は岡山が空襲で、 ああ、大変だナア‥と思いながらも、身近に感じず、その頃よく内緒話で、高松が焼けたら日本の国も終わりだとうわさをしていました。 その夜も、空襲警報がいったん解除になり、患者も落ち着いていたので、2階の当直室に上がると、ドカンとものすごい音、窓から高松港の 方を見ると真っ赤な火の海でした。B29は、頭の上で猿回しています。栗林の山も見渡す所、皆焼けています。私は夜勤の責任があるので、 患者を寝室に見に行くと、動ける方は皆外に出ていました。高松一高に仙台からの鉄道隊の方が駐屯して、空襲の時には応援してくれることに なっていたので、その方達が避難させてくれ助かりました。 私も重要書類は防空壕に運びました。私の受けた教育でしょうか、ここで死んでも本望と命の事は考えず、唯、仕事のことのみしか頭にありません。 病院の廊下を何回往復したか、覚えていませんが、その時は夢中だったということは、今でもはっきり脳裏に浮かびます。 空を見るとB29が旋回している。暫く廊下で座る。ドカン、ドカンが少し落ち着く、外に出て見ると、手押し車に家財道具を積み、小さい子供の 手を引いて、栗林から太田の方に泣き叫ぶ様に逃げて行く様子。本当に、映画で見た江戸の大火そのものでした。また、空を見ると、B29は悠々 と電気を照らして旋回する様子、日本はそれに何の抵抗も出来ずと腹が立つ。淋しく胸に熱いものが流れる気持でB29を見つめました。 午前4時過ぎ、私も1人で防空頭巾の上から大布団をかぶり、殆どの方がいなくなった頃、一高の横、川の中でうずくまっていました。丁度田植えを していた田の中も爆弾が落ちていました。 夜明けと同時にB29は、東の空に帰って行ったのを見て、何故か安心しました。後で判った事ですが、B29は116機でした。 夜明けと同時に黒焦げになった方、また、母親が子供を背負って倒れているのを見ると、この時ばかり、戦争の恐ろしさ、こわさを実感しました。 一夜明け、病院に帰った頃、沢山の患者が運ばれ、泣いている事も出来ず、空腹を感じながらも命あることに感謝して勤務しました。今、自分が 何をしていたか覚えていか、状態でした。済生会病院も焼けずにすみましたのが、私の.亡のなぐさめと幸福でした。 空襲から1週間ばかり過ぎた頃、次は機銃掃射で人間を見ると何処までも追いかけて来て、低く手の届く所まで降りて来て、打たれ逃げ惑う様子を見る のが、相手(米軍)にとって誇りの様でした。私達ナースも患者を受け入れる時、外に出て撃たれそうになり、素早く院内に隠れました。 昼間から片足切断した人、火傷した人々、次々と運ばれてきました。今でも目の前に浮かびます。 あの戦いは残酷で、患者に与える食事にしても、玄米のオニギリで、元気なものでも咽を通らない物でした。医療といっても消毒液すら十分なく、ピンセット 2、3本で間に合わず割箸を使い、火傷に使う薬品も行き届かず「欲しがりません、勝つまでは」と辛抱したものです。患者さんは今では考えられない苦痛 と空腹であった様に思います。 一例をあげると、頭部陥没になって、すり鉢を想像する深い傷、包帯を取ると夏のことで、傷に「うじ虫」が出て来たのには、非常に気の毒で、戦争の恐ろし さをまざまざと知りました。 今、この様に物豊かで楽しい生活ができることは、戦死された多くの方、又、空襲で亡くなられた方々のお蔭と私は考えます。 亡くなられた方々が天国で今の日本を見守っておられることを思い、現在の生活に感謝して次の世代を背負って立つこれからの若い方に二度と戦争のなき様に 祈ります。 『今に伝える平和と生命の尊さ 高松市民による戦争体験記 第2集』高松平和ガイドブック より |
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4-9000 左上に大島、右下には大串半島が写る。 |
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4-9001 中央に白く見える広大な土地が「高松飛行場」
左方へ伸びる太い筋は香東川。 写真上方には偵察部隊名や撮影日、高度などが記されている。 |
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4-9002 毎日新聞 2007年(平成19年)4月13日 |
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4-9003 焼け残った国鉄高松駅 |
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4-9004 倒壊を免れた三越(右端)と大和生命ビル(中央奥) |
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4-9005 迷彩色の百十四銀行本店 |
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4-9006 南西方面から望む高松市役所 |
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