森尚水さんへの追悼メッセージ

私が初めて森先生とお会いしたのは1972年に京都教育大学で行われた全教ゼミの全国大会だったと思います。高知大学の後輩として、理学部数学科・教育学部合計8年間大学へ通ったと聞き。すごい人だなあと思っていました。その時、私は1回生でした。
 その後、私が附属中学校で教育実習をしていたとき、女子生徒から「私、朝倉小学校で森先生に担任してもらっていたけど授業が分かりやすかった。森先生みたいにブラックボックス(関数を教える教具)をつかったりして生徒に楽しく分かりやすく教えるように勉強や工夫をしてよ」と言われ、森先生はこんなに生徒の心を掴んでいるのだと思うと同時に自分の教材研究の不足を反省していました。
 また、私が香川の西端の香川県教職員組合三豊支部の役員をしていたとき、支部の「教育講演会1992年」で「どうする学校五日制」というテーマで講演をしてもらいました。そのときの話で「学級の子どもと一緒に助けた鳩が全快した。そこで子どもを連れて高知城の天守閣からかっこよく羽ばたかそうとしたが失敗した。」という話が印象に残っています。また、小学5年生だった私の長女がまんが「まめだ先生」のファンで、講演後喫茶店でお話をしました。娘の感想として「まんがと違って思ったより髪が多かった」と言っていました(失礼)。
 近年、私が民研の所員として会うことが多くなりました。「まめだ先生と朝倉ゼミナール」の影響を受け仲間とともに観音寺市で小学生、中学生に「無料塾」を開いています。現在8年目になります。朝倉ゼミナールとは比べものにはなりませんが亀のように進んでいます。私にとって森先生は行動においては絶対に真似できない先輩ですが、気持ちは真似できたらと日々思っています。本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。

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2022年04月15日