「蛍守」−1





 「緑さん、何度言ったら分かるの、『おばさん』じゃないでしょ。」

 「あ…………」

 「それに何をそんなにばたばたしてるの。
  ここは店の中なんだからもっと静かに入ってこなきゃ駄目でしょ。
  今はお客様いないからいいけれど。」




 「ごめんなさぁい…………………………………………」





 「それで、どうしたっていうの。」





 「…あのね、蛍がいたの。こ〜んなに一杯。」

 「ああ、もうそんな時期なんだね。
  で、何処で見たんだい。」

 「ここからちょっと降りていった沢の方。
  すごいんだよぉ。
  青緑色の光がね、ゆら〜りゆらりと目の前を漂うの。
  その光をずぅ〜〜〜と目で追っていくと
  目の前一杯、ううん見える範囲に入りきらないくらい広い場所で
  同じようにゆらゆらっと光が流れ出すの。
  何匹くらいいるんだろう、数えられないくらい。」





 「お嬢ちゃん
  もしよかったら私をその場所へ案内してくれないかい。」




 え?
 誰?


 声の聞こえた方を見る。
 そこの居たのは白髪、細身の長身の初老の男性。


 いったいいつのまに…
 
 さっきまでここにはお客様はいなかったはずだし
 話に夢中になっていたからといって
 ドアのベルの音が聞こえないことはないはずだけれど





 「ああ、いらっしゃい。よく来たね。」

 「またお世話になるよ。」

 「ふふふ、今年はどうやら期待できそうだね。」

 「そのようですね。またここに来れてよかったよ。」

 「そう言ってもらえるとありがたいねぇ。」

 顔を見合わせて笑う二人。
 う〜ん、不思議な登場の割にはこれだけ和んでいるなんて
 ひょっとしておばさんの知り合い?


 「ね、おば…」


 言いかけて慌てて訂正。
 一瞬緩んだ表情の片隅にキラリと光るものが。
 なんでそんなに敏感にこの単語に反応するんだろ。


 聞いてみたい気持ちを押さえつつ、さらに会話をすすめてみる。



 「……じゃなかった。
  瀬戸さん、この人は……………?」



 「ああ、自己紹介がまだのようだね。
  こちらは、う〜んと。」

 「おやおや、もう何度もこちらにお邪魔しているのに
  まだ名前も覚えていただけていないんですか。
  悲しいですね。

  それとも………もうそんなに物忘れがひどくなるほど歳を取りましたか。」


 「それはずいぶんな物言いだね。
  度忘れすることだってあるだろ。
  今思い出すからさ。

  え〜〜〜〜っとね。




  そうそう、『田川さん』だったよね。」




 「ああ、よかった。永遠に思い出していただけないかと思いました。」

 「それはすまないね。
  しょうがないだろ。
  あんたが来るのって一年に一度なんだから。」

 「失礼。私も仕事が仕事だからついそうなってしまうんだよ。」


  また顔を見合わせて笑う二人。



 「ああ、そうそう。
  自己紹介の途中だったね。

  初めまして、お嬢ちゃん。
  田川と言います。」


 「こんばんは、田川さん。」

 「この子は私の姪っこになるんだけどね。
  学校卒業してちょうどいいからって思って、
  店を手伝ってもらってるんだよ。」

 「そうなんですか。それはいい。
  お嬢ちゃん。
  このおばさん、じゃなくて瀬戸さんは
  いろんなことに詳しい人だから
  一緒にいるといい経験になりますよ。」

 「も〜なんでみんな『おばさん、おばさん』って言うんだろ。
  あんたにまで言われる筋合いはないけどさ。」

 「少しは自覚しなさいよ。そういう歳なんだから。」

 「そうなんだけどね。なんとなく認めたくなくってさ。」


 あ
 また笑ってる、この二人。

 会話聞いていると仲いいのか悪いのかよく分からないけど
 でも、ずっと笑っているから悪くはないんだよね。
 きっと。


 「ああ、すっかり話が外れてしまったね。
  本題に戻らないと。

  どうだろう、お嬢ちゃん。
  さっきの私の申し出、お願いできます…でしょうか?」


 「ええ、いいです
  ……でも、もう今晩は……」

 「そうだよ、悪いんだけれどね。
  もうこんな時間だから。
  残念だけれど緑さんを貸し出しできる時間は終わってるよ。」

 「瀬戸さん、私貸出品じゃありませんって。」

 「はは、そうですか……

  いいですよ、明日になっても。
  よろしくお願いします、お嬢ちゃん。

  ところで、また今年もお願い…できるんでしょ。」

 「言わなくてもそうするつもりだろ。
  ええ、ちゃんと準備はできてるよ。」


 ああ、そっかぁ。
 それでおばさん、今朝は朝からお部屋の掃除をしていたんだ。
 でもあの時は「誰か来るの?」って聞いても、返事なかったけど。


 「緑さん、すまないけど部屋へ案内してやってくれるかい?」

 「お嬢ちゃん、私のことは気にしないで今晩はもうお休み下さい。
  ここのことは分かってますから。


  それより、瀬戸さん。
  あれ、いただけるでしょうか?」

 「ああ、あれね。」

 そう言っておばさんが持ち出したもの。
 瓶に入った茶色の液体。
 下の方に丸いものが沈んでいた。

 「去年のもので悪いんだけどね。
 もう少ししたら………今年漬けたのをご馳走できるけど………」

 「いえいえ、私にはちょうどこれがいいんですよ。」


 「瀬戸さん。
  それ、なんですか?」


 「緑さんも飲むかい?
  梅酒だけれど。」

 「おいしいですよ、お嬢ちゃん。」

 「う〜〜〜んと。
  パスします。
  『梅』と聞くだけで酸っぱそうだから。」

 「そ〜かい、ま、それでもいいさ。
  それに緑さんはホントは飲まない方がいいんだけれどね。」

 おばさん、それは大きなお世話だって(汗)

 「それは残念、ホントにおいしいんですけれど。
  それではまたいつでも欲しくなったら言って下さいね。
  お嬢ちゃんの分、ちゃんと残しておきますからね。」

 「って、それあんたのセリフじゃないだろ。
  これは私が漬けたもんだし。」

 「はは、そうでしたね。
  ここに来たらこればかり頼むものですからつい……」




 「あの

  私休ませていただきます…
  がよろしいんでしょうか?お二人様。」


 はぁ、この二人の会話を聞いていると
 いつになっても終わりそうにない。
 何処で切り出していいのか分からなくなっちゃうよ。
 なのでいきなりで悪いかなぁと思いつつ
 会話を折ってみることにした。


 「ああ、いいよ。
  緑さん、おやすみなさい。」

 「お嬢ちゃん、失礼しました。
  明日はよろしくお願いしますね。」


 「はい、おやすみなさい。」




 「それでね……

 「へぇ、そうなのかい……



 話はまだまだ続いているようだった。
 いったい誰なんだろ。
 あの人。

 そう言えば聞き忘れちゃったな
 でも、明日聞けばいいっか。


 そう思いながら目を閉じた。
 目の前にあの光景が映った。
 青緑色の光の筋


 また明日も見に行こうっと。