SS「鏡」−2







 どれくらい椅子の上で膝を抱えて座っていたのだろう。
 眠っていたのかもしれない。
 ぼんやりとしていた意識がゆっくりと固まりだす。
 普段なら、こんなにゆっくりと意識が固まるなどということはないはずなのに。
 いや、眠っているときにでも意識は覚醒していたのだ。
 微かな空気の揺れ、音、気配。
 すべてが知覚されていた。


 こんこん


 ノックの音が、薄暗い室内に響いていた。
 この音が、ボクの意識を覚醒させていたのだろう。
 薄く開けた目をドアの方へと向ける。


「レニ、いる〜?」

 アイリスの甘えたように語尾を伸ばした声がした。

「……何か用?」

 それに対してボクの声は尖ったようなもの。

「うん、それはここを開けてくれるまで、ヒ・ミ・ツ!」 

 正直なところ、今は誰とも会いたくなかった。
 ボク自身が揺れているこの感覚は、誰にも見せたくなかったのに。
 特にアイリスには会いたくないと思っていた。
 けれど、そう言うとアイリスは哀しそうな顔をするだろう。
 アイリスのあの表情は、ボクには何故か堪えれなかった。
 ゆっくりと椅子から身体を起こして、ドアへと向かう。
 ノブを握った手に一瞬のためらいを感じつつも、思いきってドアを押し開けた。
 そこには―――ある程度予想していたが―――満面の笑顔を称えたアイリスがいた。
 その無垢な笑顔を見るたびに、ボクは揺れている。

「……何だい?」
「えへへっ! はい、これ! アイリスからのプレゼント!」

 そう言ってアイリスが差し出したのは、黄色い花で織り編んだ花飾りであった。
 両手の上にそれを乗せて、まっすぐにボクを見ている。

「……これは?」
「アイリスがレニのために作った花かざりだよ。ねぇ、キレイでしょ!」
「アイリス……なぜ、ボクに?」
「だって、レニはアイリスの大切なお友だちだもん!
 お友だちが元気がないときはアイリスが元気にしてあげるんだもん!」
「友達……ボクが……?」

 その言葉は、ボクにとって未知のものだった。
 いや、その言葉は知っていても、その対象がボクになるという事実が驚愕だったのだ。

「レニ……。その花かざりには、アイリスの気持ちがいっぱい詰まっている」
「…………」

 隊長の声がした。
 すぐ横に立っていたのに、今まで気づかなかった自分に驚いた。
 よほどアイリスの笑顔と言葉、そして花かざりに気をとられていたのだろう。

「きみが今、悩んでることに俺たちは結論を出してはあげられないけど……
 俺たち花組はいつも君のそばにいて見守っている。
 この花かざりはその証だよ」
「…………」
「ねえ、レニ………。受けとってくれるよね?」

 隊長の言葉が、アイリスの笑顔が、ボクの手を無意識にその花飾りへと導いた。
 手に触れる黄色い花。
 それは中庭で咲いている、何度も目にした待宵草………。
 それからいくつもの単語が連想されたが、
 今はそれを覆い尽くす勢いで大きなものがボクを満たしていった。

「……ああ、ありが……とう、アイリス」

 自然とその言葉が口をついた。

「わあ……! ねぇ、お兄ちゃん。レニが笑ってくれたよ〜!」




 笑おうなんて、全然思ってなかった。
 でも、アイリスたちと別れて自室に入ったとき、ボクは笑っていたんだろう。
 テーブルの上の小さな鏡に写った顔は笑っていたのだから。
 不思議な気持ちだった。
 いつも舞台の練習でしているのと同じ表情なのに、全然違う表情に見える。
 まるで、アイリスのような……。

「ともだち……」

 呟いてみる。
 手に持った花飾りから、秋の匂いがしていた。

「花……アイリス……ボクの……ともだち……?」


『フフフ……偽りの、ネ』






 頭が痛い……。
 割れるような痛みだ。
 多少の苦痛に耐える訓練はされていたが、これは今までの苦痛の比ではない。
 頭が、身体が、心が揺さぶられ、押しつぶされ、粉々になってしまいそうだ。
 自分自身を抱きしめて、必死に抵抗する。

「なぜ……なぜ……攻撃してこない? 敵……なのに……」
「レニ、だまされてはダメよ! あなたは戦闘機械なのよ。あなた以外の存在は敵よ!」

 そうだ……敵……だ。
 だまされる……ものか。

「違う!」

 ずん、と響く声。
 頭に……脳裏に……いや、もっと奥深い部分を揺るがす声。
 誰……だ?
 うあ………あ………。

「レニ、人は信じられる存在なんだ!!」

 人………。

「お兄ちゃん、これ!」
「そ……それは!?」

 視界の隅に、黄色い花かざり。
 秋の匂い。
 笑顔。

「レニ、思い出すんだ! 自分自身のことを! そして俺たちのことを!」

 あ………ああ………。
 痛い。

 ピシッ

 何かが、流れて。

 ピシッ

 あ……い……り

「初めて出会った時のこと……一緒に過ごした日々を……君は忘れてしまったのか?」

 や……めろ

「この花かざりいっぱいに込められた、アイリスの心を思い出してくれ!!」

 く……あ

「ううっ……」
「……俺はわかっていなかった。
 君の迷いも、不安も……そして孤独も……。
 『何のために戦うのか……』
 あの時、俺は本当の意味で答えることができなかった。
 でも、今なら……はっきりと言える。俺たちは……
 俺たちは、自分が愛する大切な人たちを守るために戦うんだ!」
「愛する……人……? う………うう………」

 あい……愛……って……
 たいせ……つな……ひ……とって………

「何を言ってもムダよ! レニ、そいつらを殺しなさい!!」
「戻ってこい、レニ! 
 俺たちのところに……仲間のところに……花組の、みんなのところに!
 君は機械なんかじゃない。
 自分の意志で戦えばいいんだ!
 君の……大切なものを守るために!」

 たいせ……つな人……あ
 あい…り…す……みん………な………た
 た…い

 ちょ………う


 たい……ちょう?


「た……隊長……」
「レニ、そいつらを殺せっ!! これは命令だ!」
「レニーっ!」

 二つの声が。
 ボクに。

「う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」






 気がつくと、ボクは隊長の胸の中に抱きしめられていた。
 大きく、暖かい胸の中。
 さっきまで感じていた苦痛は嘘のように消え去り、無条件な優しさに包まれていた。
 それは、知るはずのない揺りかごの中の安堵だったのかもしれない。
 懐かしい、帰るべき場所。

「隊長……ボクは……ボクは……」
「……何も言わなくていいよ。お帰り………レニ」

 隊長がふわり、とボクの頭に手を置いてくれた。
 それだけで全身がまどろんだようになった。

「……………」

 暖かい………。

「ただいま、隊長……。ただいま、アイリス……。ただいま、みんな……。
 ……ただいま、ボクの……仲間たち……。ありがとう……」







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