2006年5月1日 京都




今年のゴールデンウィークは京都に行こう。
そんな予定が決まったのは
弥生の月初めの頃だった。


西本願寺・大谷本廟に祖母の納骨が終わって半年。
母が再びお参りに行きたいというのがその理由。
プラス、現在ちょっとしたお話を書いている私にとっても
それは願ってもない話。


で、行き先や宿泊先はとんとんと決まり
いざ当日。


朝5時前に目が醒めた。
まだ日の出前だったこともあり、空の色は薄い灰色。
天気、大丈夫かなぁとちょっと心配になったが
京都までの高速バスからの空の様子を見るに
逆の不安が生まれてきた。
思っていた以上の晴れの天候。
携帯の予報を見るに最高気温は25度は超えるとか。
そう言えば昨日4月30日は夏日だったという話。
紫外線も気になり、暑さも気になったが
まぁなんとかなるだろうと思いつつ京都へ。


午前10時過ぎ、京都駅バスステーションに到着。
荷物を宿泊先に預ける為に地下鉄で移動。
二条城を目指す。


今回予定している宿泊先「京都弥生会館」は
JR「二条駅」及び地下鉄東西線「二条駅」より徒歩10分弱のところにある。
以前両親が祖母の納骨に行った際に利用した宿泊先だったということで
今回も利用することを決めた。
ただ以前は自家用車での利用だった為
公共交通機関を利用して行くのは母は初めて。
ちなみに父は今回は留守番の為
方向音痴というか
地図を持っても絶対反対方向に歩く私を連れての旅は
たとえ宿泊先へ行く為とはいえ不安一杯。
危惧どおり、JR二条駅から降りて
さてどっちへ行けばいいのか悩むことになった・・・

とりあえずこっちかなと歩いてみる。
交差点で迷う。
さて・・・というところで
偶然自転車に乗ったお巡りさん発見。
「あのう、京都弥生会館ってどちらになりますか?」
と聞いてすぐ近くだと分かる。
ほっと一安心。
ちなみにこのお巡りさんに会わなかったら
「こっちだ」
とまた反対方向に歩いていくことになるところだった・・・。


午前11時前、宿に無事到着。
荷物を預けると同時に
チェックインの時間には早いが受付をしてもらう。
これでチェックインの時間になったら宿泊側の方で
荷物を部屋に運んでもらえるそうだ。
一安心したらお腹がすいた・・・。
一旦京都駅に戻り、昼ご飯にする。
母の希望は「そば」
で、見つけた店が「パスタ」
まぁ麺つながりでいいんじゃない、のということで決定。
ワンコインタイムランチで「トマトと菜の花のミートソースパスタ」ランチをいただく。
GWだけど月曜日。
仕事のある職場にとってはお休みじゃない日。
なのでタイムランチがあってらっきぃ♪
パスタはとってもおいしかった。


で、昼食後。
徒歩でも行くことができるのだが
足に負担がかからないようにと市バスを使用。
西本願寺を目指す。


西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山。
堀川通沿いに御影堂門と阿弥陀堂門の二つが並ぶ。
現在御影堂は修復工事中の為、阿弥陀堂門より中に入る。
高い銀杏の木が目に入る。






ここには有名な「逆さ銀杏」と言われる木があるそうだが
それ以外にも銀杏の木が沢山植えられている。
これは木造の建物が火災を受けた際の防火の役割をする為だとか。
ちなみに「逆さ銀杏」については
〜江戸時代の大火の際に水を噴いて火を消した〜
という逸話が残っているそうだ。
今回残念ながらこの逆さ銀杏。
御影堂門修復工事の鉄骨の中にあり
組まれた鉄骨の間から覗く姿しか見ることができなかった・・・が
阿弥陀堂門の銀杏の木を写真撮影しようとした際。
大きすぎて携帯ではフレームに入りきらなかったのだが
(高い木だった理由)
その木よりも横に大きな木だったので
写真撮影、すごく難しかったのではないかと思う。
ただ、修復の終わる頃には、又、見に行ってみたいものだ。


木造で金の飾りをほどこした阿弥陀堂門も綺麗だったが
ここには国宝になっている「唐門」と呼ばれる門がある。
御影堂工事の作業中のおじさんの案内により
その場所まで移動。
青や緑、黒、金、朱
沢山の色使いの木造彫刻により
沢山の動物を施した「唐門」
別名「日暮し門」
彫刻のあまりの美しさに日が暮れるのも忘れるほど
ということから付けられた名前だそうだが
その通りというか
時間も忘れるくらい眺めていた。
写真も何枚か撮影したのだが
全体撮影これもまたムリ。
京都は何もかも大きいもの・・・なのだろうか???






ちなみにこの唐門は現在は入り口としては利用していないため
表側は一旦別の門から外に出てでないとムリ。
一旦戻って阿弥陀堂門から外に出て寺を半周ほどして
細い路地を入り、唐門表側を見る。
裏には牛を引く人
表には馬に乗る人。
上の方には孔雀の姿。
きっとよく見ると十二支揃っているのだろうなと母が言っていたが
さすがにネズミと兎は発見できなかった。
龍や獅子はみかけたのだか・・・。
さてどうなのか。
また次の機会の課題ができたのかも。


唐門をじっくり堪能した後は
龍谷大学の傍らを通り、大宮通りに出る。
少し歩くとハナミズキの木が目に入る。
ちょっとよっていこうという母の声。
よく見ると立ち寄る予定にしていた「梅小路公園」の入り口だった。
メーデーということもあり公園内で朝の内に何やら行事があったよう。
立ち寄った際には既に行事は終わり、片づけに追われている人で一杯だった。
もう終わりかけの八重桜の花を傍らに見つつちょっぴり散策。


その後、また大宮通りに戻る。
が・・・
方向音痴またもや発生?!
JR京都駅の高架橋だということは分かるのだか
これが本当に大宮通りなのだろうか、分からなくなった。
たぶん方向は次の目的地「東寺」に向かっていると思うのだが
いまいち地図を見ても不安でならない。
たぶん大丈夫だろうと足を進め
やっぱり途中で道の傍らにいたお婆さんに聞くことになる。

「ああ、ここをまっすぐ行くと
東寺の裏側から入れますよ。」
と安心のお言葉をいただく。
そのまま歩みを進めると高校の門が見えてくる。
「洛南高校」
ああ、ここだったら以前来たことがあるから分かる、分かる。
ただ、裏からは入ったことがないし
第一五重塔のある表側はバスや本ではよく見るが
裏側というのは初めて。
「東寺」と書かれた門を入ったがいいものの
いざ目指す「講堂」「金堂」がどこなのか
これまた境内が広くて分からない。

「宝物館」?
あら、こんな建物もあったのね。
「観智院」?
あら、これも知らない建物。
春期特別拝観期間ということもあり
どちらも拝観料を払えば見せてもらえるとか。
う〜〜ん、どうしよっかなぁ。
でも目的地が違うからなぁ。
なんて思いつつ歩くと

「大師堂」?
あ、そっか。
忘れてた。
東寺って弘法大師空海さんの居た場所で
真言宗のお寺だった。
あって当然だよね、大師堂。
四国八十八ヶ所巡っていると
本堂と大師堂は必ずお参りしていたのだから
忘れてはいけなかったはずなのに
つい忘れてしまっていた。
抜けてる・・・私。

靴を脱いで大師堂の中へ。
母と一緒に数珠を持ちお参りさせていただく。
入り口に「四国八十八ヶ所・納経」と書かれた箱を発見。
あ、そっか。
ここに来る人もいるでしょうからね。
西国三十三ヶ所もあるし。
最近納経を始めた母は持参してなかったことを
ちょっと悔しがっていたようだった。

大師堂を出てまた境内散策。
五重塔・南大門は見つかったのだが
「金堂」「講堂」へ入る入り口が分からない。
地図を再確認。
あ、さっき通りかかったところから入るんだった・・・
再び戻るとようやく入り口発見。

特別拝観中ということもあり
五重塔の中を見せてもらえるとのこと。
めったに見ることができない内部。
写真撮影はできなかったが
壁面に書かれた朱や白、緑、青
様々な色を用いた文様。
そして真言八祖と言われる八人の僧の姿。
もちろん空海様、そしてその師と言われる恵果様の姿が見えた。
中央には心柱(しんばしら)と言われる柱
そしてその周りに四人の如来様(金剛界四仏)
(阿弥陀・不空成就・阿しゅく・宝生)
そしてその周りに八大菩薩が安置されている。
木造に金箔を施した像。
中は薄暗く黄金の光はにぶい輝きを見せていた。
その像の周りにさらに四本の天柱。
京都の女子大生が中にいて説明をしてくれた。
この心柱は大日如来に見立てていること。
そしてその心柱。
実は一本の柱ではなく
各層毎に組まれていること。
重みは屋根にかかっていること。
その屋根にかかった重みで江戸時代に屋根がつきあがってしまったのを
直す為に一度初層部分の心柱を切り下げたこと。
耐震構造ということで最近見直されつつある五重塔の謎の一つを
説明してもらった。
たぶんまだまだいろんなヒミツがあるのだろうな。






いつまで見てても飽きることのない五重塔
外から見てもやはり姿が美しい。
そしてそこへ行くまでに広がる庭園には
つつじやぼたん、八重桜の花びらが散り
池の水に浮かんでいるのが
すごく綺麗だった。


この後、金堂に入る。
大きな仏様の像にびっくり。
えっと、ここの像は・・・と悩んでいると
近くでタクシーの運転手だろうか。
観光タクシーの運転手さんがお客様に説明している声が聞こえてきたので
一緒に話を聞かせてもらうことにした。
本尊は「薬師如来」
両脇に「日光菩薩」と「月光菩薩」
実際に作られたのは桃山時代になるのだが
都が奈良から京都に移った際
それまでの薬師如来信仰の形を守るように
薬壺を持たない如来を本尊とし
その正面に門が来るように配置されたそうだ。
そう言えばこの配置
奈良の東大寺、こうなっていたように思う。


「講堂」
立体曼陀羅と呼ばれる配置
中央に五智如来
その両側に五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天
計二十一体の仏像を安置している。
この内の六体は火災により一旦焼失したのだが
(その後修復され現在の像となる)
他の十五体は平安時代前期より
この寺にて京都の都を守り続けているそうだ。
五大明王の中央に坐する不動明王
右手に剣を持ち、背に焔を掲げ
憤怒の表情を浮かべるのが不動様と思っていた私にとって
この寺の不動様はどこか柔らかな顔をしていたのが印象的だった。
この講堂にはまだまだ謎多い部分があるらしく
平成十二年の修復作業中には大日如来の台座下から
護摩を焚いた跡が見つかったそうだ。


こうして一通り建物内部を鑑賞後
再びソフトクリームを持って庭園散歩。
気づくと午後4時半過ぎ。
そろそろ閉門かな、と伺うと
夏は午後5時半までとのこと。
それでも時間的には宿へ帰りたいかなと思う時間になった・・・





もう少しだけこの周りを歩いてみたいと母にお願いして
二つの跡を歩いて回る。


一つは羅城門跡。


東寺南大門より出て
九条通りに沿い西へ歩くと
小さなお寺がある。
その傍らの道に入ると
「羅城門跡」
と彫ってある石柱が立つ小さな公園がある。
芥川龍之介の話に出てくる話のような場所ではないのだが
やはり何処か寂しさを感じる場所。


もう一つは西寺跡
羅城門跡より更に九条通りを西へ歩くと
井六園というお茶屋さんが見える。
その近くの道を北に入ると
左手に小学校がある。
その近くを西へ入ると
ああ、ようやく発見。
「さいじこうえん」と書かれた看板が見えた。
母がその近くに切られた木の根っこを見つける。
「これ、大きい木だったんだろうねぇ。」
きっと西寺があった頃の木だったのだろうか。
今は近くの小学校の子供達の遊び場所。
公園の真ん中にこんもりと緑色の小さな台状の山
その上に
「西寺跡」と彫られた石柱。
その山には歩いていかなかったが
近くにたぶん寺の一部だったのだろうか。
丸く平たい石のようなものが見えた。


平安時代も終わりになると
都は荒れ
木造の建物が焼け
西寺は再建されることがなかったそうだが
こうして跡となり残り
和やかな子供達の遊び場所になっていることは
いいことなのかもしれないな。



そんなことを思いつつ


さて、今日のお宿に戻りましょうか?