「平成15年(2003年)4月20日」
「第11番:金剛山 藤井寺(こんごうざん ふじいでら)」


4月に入り2回目のお寺巡り
初めは11番札所:藤井寺から。


その名の通り
この寺の見所は入り口に広がる藤棚
残念ながらこの日はまだ少しだけ花咲く時期には早い。
ふくらみかけた蕾を横に見つつ
寺の中へと進む。


緑の木々に囲まれた山寺。


読経の後、納経の傍らに
ちりんちりんと鳴る鈴に興味が移る。


売り場にならぶいくつかの鈴の音を楽しみ
一個一番気に入った音の鈴を購入。
「持鈴」
以後、さんや袋の肩ひもの部分に結び
鈴の音と共に寺巡りをすることにする。


「第12番:摩廬山 性寿院 焼山寺(まろざん しょうじゅいん しょうさんじ)」


〜遍路ころがし〜
そう言われた難所が八十八ヶ所巡りの中にはいくつかある。
この焼山寺は八十八ヶ所巡り最初の
「遍路ころがし」

歩いて回る遍路巡りにとって
標高800mを超える山登り
さぞ大変だったことだろう。


でも、車巡りにとっては・・・


やっぱり大変(^^;;


ガイドブック、ナビゲーションシステム
便利なものは沢山あれど
道路一本選び間違えるだけで
車一台通れるかどうかの細い山道を延々と走ることに。


深い木々に覆われた山道を抜け
駐車場に出る。
石段を登ると山門
その入り口に大師像
難所を歩いてきた巡礼者を見守るかのように・・・





山門をくぐると八重の桜色の椿が迎えてくれた。



焼山寺から帰る途中
「杖杉庵」というところに立ち寄る。


ここには祠と杉の木が一本
そして最近作られたのだろう
像が一つ建てられている。


昔、伊予に衛門三郎という強欲な長者がいた。
ある日、托鉢に来た僧を邪険にした為に
彼の8人の子が次々と亡くなった。
その僧、実は弘法大師だったことを知り
自らの行為を深く反省した三郎は大師を追いかけた。
結果八十八ヶ所巡りをすることになるのだが
何度巡っても大師に巡り会えず
21周目にこの焼山寺で行き倒れた。
この時にようやく大師に会うことができ
彼はある願いを残してこの世を去ることとなった。


この彼の杖が一本の杉の木となってこの地に根付き
今なお巡礼する者をこの地にて見守っている・・・そうな。


ちなみに彼の願いは
「生まれ変わったら伊予の国の国司になりたい」と。


息絶えた三郎の手に
大師は「衛門三郎再来」と書いた石を握らせ祈願した。
数十年を経たのち
伊予のある領主の家にこの石を握った男児が生まれた・・・そうな。



話の真意はともかくとして
彼がこの八十八ヶ所巡りを始めた
一番最初の巡礼者、とも言われている。


「第13番:大栗山 華蔵院 大日寺(おおぐりざん けぞういん だいにちじ)」





門の正面にあるのが「しあわせ観音」
合掌する手の中に入った観音様


写真は小さすぎてちょっと見にくいかな。


ちなみにこの寺の正面、道を挟んで向かいに一宮神社がある。
お寺を巡って神社で柏手を打つ。


神仏混合時代の名残がここにも残っている。


「第14番:盛寿山 延命院 常楽寺(せいじゅざん えんめいいん じょうらくじ)」


小さな小山の上にある寺院
階段を上ると目の前に広がるのはちょっと変わった風景


「流水岩庭園」
というそうな。


階段のような岩と土
それが流れる川のように見える。
これが自然に作られたもの、というから驚き。


ちなみにこの風景は
雨や風といった環境により
今も変形し続けている。


「第15番:薬王山 金色院 国分寺(やくおうざん こんじきいん こくぶんじ)」





8世紀の初め
聖武天皇の命により全国に建立された「国分寺」
一国一寺のその一つ


現在は史跡として
山門を入った左手に
七重塔の心礎と言われる石が残っている。


本堂は文化文政年間に再建された木造の建物。
聖武天皇の時代よりは遙かに新しいが
200年近くの時を超える建物には
どことなく威圧感さえ感じられた。


「第16番:光耀山 千手院 観音寺(こうようざん せんじゅいん かんおんじ)」


観音寺も国分寺と同じく
聖武天皇の勅願により建立された寺の一つ


というのはガイドに書かれた話までで・・・


すみません。
この寺もあまり印象が残ってません。
再調査してきますm(_ _〜m


「第17番:瑠璃山 真福院 井戸寺(るりざん しんぷくいん いどじ)」


今日最後に巡る寺には
その名にちなんだいわれが残されている。


水不足に苦労する村人を哀れんだ大師が
錫杖で一夜にして掘ったという井戸。
今も枯れることないその井戸は
「日限大師」という
その井戸水に映った大師自らの姿を石に刻んだ像と共に
堂に祀られている。




今日は大師の奇蹟を巡る
そんな一日だったように思う。